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一念発起!

「え?経営学の家庭教師ですか?」


マリー・ルゥが初夜で意識を失ってひと月半後。そして黒髪の女性を見た夜の次の日の夜。

相変わらず昼夜逆転生活を続けるマリー・ルゥは侍女のエイダに経営を学びたい旨を伝えた。


「そうなの。私、ゆくゆくは翻訳の個人事務所を立ち上げたいと考えているの。そのためには経営について色々と学ぶ必要があるでしょう?でも私、今は外出もままならないし……できれば夜に別邸までいらしてくれる先生を探して欲しいのよ」


「何も奥様がご自分でなされなくても。経理や税金に関して……その他の雑用も全て旦那様にお任せしたらよろしいではないですか」


そう言ったエイダにマリー・ルゥはもっともらしい理由を口にする。


「ただでさえご多忙なアルキオ様のお仕事をこれ以上増やすことなんて出来ないわ」


「奥様のお望みとあらぱ、旦那様は喜んで働いてくださると思いますよ」


「ダメよそれでは。自分でやらないと意味がないもの」


いつになくキッパリとした物言いをするマリー・ルゥに、エイダは訝しげな視線を向けてきた。


「なぜご自分でやらないと意味がないのですか?」


「え?えっと……」


エイダはオルタンシア伯爵家の使用人だ。

今は(一応)夫人であるマリー・ルゥの専属として仕えてくれているが、彼女の本当の主はアルキオである。

そんなエイダに、アルキオとの離婚に備えるためだとは言い辛い。


「こ、これからは女性の社会進出が盛んになるというじゃない?だから私もそれに倣おうかと思っているの。そのためには何でも自分でこなせるようにならないと!」


我ながら(もっと)もらしい言葉で出てきた。

自分を褒めてあげたくなるマリー・ルゥだがエイダの口からも尤もらしい言葉が出た。


「だけど現実的に申し上げれば、依然貴族社会では伯爵位以上の家格の女性が外部の仕事に携わることを是とされておりません。旦那様が奥様の翻訳業をお許しになっていることが希有なことなのですよ?」


「そ、それはそうかもしれないけど……」


困った。

なんと言って返そうか。

女学院で優秀な成績を修めたマリー・ルゥだが、婚家の侍女に嘘を()かずに誤魔化す方法なんて習うはずもなく、マリー・ルゥは困惑する。


だけどエイダには、マリー・ルゥの考えなど全てお見通しなのだろうか。

じっとマリー・ルゥの瞳を見据えて、エイダは言った。


「奥様、現状にご不満なのはわかります。それに対しての旦那様の対応にも不信感を抱かれるのもわかります。だけど旦那様に一般常識的な気遣いを求めても無駄ですよ。あの方に人の心を理解することは出来ません」


「え、なぜ?あんなに全てに秀でた方なのに?」


王家の信任厚い建国以来の名家の当主にして、領地の産物を活かし手広く事業を手掛けるアルキオ。

彼は貴族社会でも経済界においても一目置かれる人物なのだ。

当然人間性においても優れているはず。


「人の世で上手く立ち回るのと人の心を理解するのは別ものでございます。喩え人が涙を流していたとして、その人がなぜ泣いているのか、悲しいのか嬉しいのか、理由を知っても意味がお解りになりません。でも仕方がないのです。あの方は《《そういう》》方なのですから」


「でもアルキオ様はいつも私のことを心配してくれて、穏やかで優しい方だと思うわ」


「それは奥様だからですよ。あんな人にも“愛”というものはわかるらしいです。でもそれも凡そ人のそれとはかけ離れた、執着めいた……ある意味七大罪の強欲のひとつなのでしょうが」


「……エイダ、私にはあなたが何を言っているのかわからないわ」


「いずれお解りになります。ちなみに、私にも人の心の感情なんてものは理解できませんからね。そんなものをお求めにならないでください。まぁ多少は旦那様よりはマシだと思いますが」


「エイダもなの?」


確かにエイダが感情を露わにしているところを見たことがない。

まだそれほど長く付き合っているわけではないが、この別邸の中でずっと一緒に暮らしているのだ。為人(ひととなり)はそれなりにわかる。

彼女はいつも淡々としていて、静かに凪いだ湖面のようだ。

似た者主従……恐るべしオルタンシア伯爵家。


だがエイダはマリー・ルゥのために、上手く適当に理由付けをして経営学の家庭教師の件をアルキオに話してくれた。

真昼間、マリー・ルゥが惰眠を貪っている間に本邸を訪れて……。


体の負担にならない程度で週に一日だけ。教師は女性であるならばと、許可をもぎ取ってくれたのだった。


そしてそこからはアレヨアレヨと話が進んだ。

アルキオ本人が面談した上で教師を選出し、あっという間に記念すべき第一回目の授業の夜となる。


マリー・ルゥに経営学を教えてくれるという女性家庭教師(ガヴァネス)は二十代後半の準男爵家の夫人であった。

ハイラント大を卒業した才女で、困窮する家計を助けるために女性家庭教師(ガヴァネス)の仕事をしているのだとか。


マリー・ルゥはオルタンシア伯爵夫人としてではなく、ひとりの生徒として接して欲しいと教師に頼んだ。


「夫人、という呼び方にはまだ慣れませんの。それに教えを乞うのであれば私は一介の生徒にすぎませんわ。どうか私のことはマリーとお呼びくださいませ」


「オ、オルタンシア伯爵夫人を愛称でお呼びするわけにはまいりませんわっ……せめて“マリー・ルゥ様”で……」


敬称も要らないのにぃ。

と心の中で思いつつも、そこを気にしても仕方ないとマリー・ルゥは了承した。


授業に用いる教本等を取り出しながら、教師がマリー・ルゥに尋ねる。


「夫人……じゃない、マリー・ルゥ様はなぜご結婚後にご自身で経営学を学びたいとお考えに?オルタンシア伯爵家なら税理士や行政書士など優秀なスタッフを大勢抱えておいででしょうに」


「そうですわね。でもそれはあくまでもオルタンシア伯爵である夫の仕事を支える人たち。彼らの仕事を増やすわけには参りませんし、これからの時代を生きる女性として沢山のことを学ぼうと()()()()しましたの!」


「奥様、一念発起です」


キリリと凛々しく力強くそう告げたマリー・ルゥに、エイダが即座に訂正を入れた。


「あら?そう言わなかったかしら?」


首を傾げながらもケロリとしているマリー・ルゥに、エイダは無表情で頭をフルフルと振っている。

そんな二人を見ながら、女性教師は笑みを崩さずに頭の中で自問自答を繰り広げていた。


(はて?今、確かに一念ぼっ……コホン、と聞こえたような……?いえいえ、まさかね。伯爵夫人ともあろう方がそんなお下品な言葉を口にするはずがないわ)と。


しかし女性教師はこれから、今ちょうど濡れ場の翻訳作業を進めているマリー・ルゥの口から飛び出す官能小説ワードに悩まされるのであった。





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