アルキオとの婚約 ①
今から十八年前。
ヘリオット子爵家に女児が生まれたと知り、当主であったオルタンシア前伯爵が嫡男アルキオとの婚約を打診してきたという。
その女児というのがマリー・ルゥである。
なぜ広大な領地を有し、実業家としても名高いオルタンシア伯爵家が歴史以外は特筆するものが何もない、吹けば飛ぶような弱小子爵家に縁談を申し入れてきたのか?
政略的な意味もなければ低魔力保持者ばかりのヘリオット家の保有魔力を求めて……というわけでもないのは明白。
なのに齎された縁談に、マリー・ルゥの両親はもちろんヘリオット家の関係者全員が首を傾げた。
しかしどんなに不可解であろうと家格が上の貴族からの縁談を断れるわけもなく。
結局はマリー・ルゥの生母が元を辿れば(数百年も遡らなくてはならないが)隣国の王家に連なる血筋だとどこからか聞きつけたオルタンシア前伯爵が、耳かき一杯分ほども残っているかいないかわからない古き血筋を自分の一族に取り込みたかったのだろう……と無理やり結論付けた。(らしい)
そうして生後間もないマリー・ルゥとその時五歳であったアルキオの婚約が結ばれたのであった。
成人後はあまり感じずとも、幼い頃の五歳の年の差というものは精神的にも肉体的にも大きい。
婚約者同士として月に一度の交流は持たれたが、どちらかというとアルキオとマリー・ルゥは婚約者というより兄と妹のような関係であったと思う。
次期オルタンシア伯爵家の当主となるアルキオは勉強以外にも学ぶべき事が山のようにある。
そのため子どもながらに従者が常に付き、スケジュールを管理するという多忙な毎日を過ごしていた。
そのため月に一度の交流でさえ、アルキオ側の都合により流れてしまう事も多々有った。
そんな日の夜は不思議と夢の中にアルキオが出て来て、マリー・ルゥと一緒に遊んでくれたのだが、会話の内容や何をして遊んだのか等は目が覚めたら忘れてしまっているのだ。
ただ、夢の中でアルキオに会えた。
その事だけをマリー・ルゥは覚えていたのだった。
やがて後妻に邪険にされる日々が始まっても、マリー・ルゥが全寮制の女学院に入学しても、父と後妻が亡くなりアルキオが後見人になっても、彼との付かず離れずの関係に変わりはなかった。
だけどそれでも唯一の味方とも言えるアルキオの存在は、マリー・ルゥにとってはかけがえのないものだったのだ。
しかし女学院生になると、月に一度届く手紙と贈り物と月に一度あるか無いかの面会のいう極薄の交流に、この婚約は破談になるのではないかとマリー・ルゥは考えるようになっていた。
幼い頃に結ばれた政略的になんの旨みもない年下の娘との結婚。
それを望んだ父である前オルタンシア伯爵はすでに鬼籍の人で、アルキオほどの優れた大人の男性が、それこそなんの旨みも面白みもない小娘を妻に望むわけがないとマリー・ルゥは思ったのだ。
それに、爵位を継いですぐにアルキオが側に女性を置くようになった噂がマリー・ルゥの耳にも届いていたから……。
きっと卒業を待たずして、もしくは卒業してすぐにでも、この婚約は解消となる。
それは予測に過ぎなかったが、マリー・ルゥには確かな未来のように思えた。
だから趣味と実益を活かして、卒業後は古代文字の翻訳業で自立できる道を在学中に模索したのだ。
教授の伝手など使えるものは何でも使い、マリー・ルゥは出版社と契約を結び、来るべき婚約解消に備えた。
昔からマリー・ルゥに優しく、生母の死後は唯一甘えさせてくれた存在であったアルキオのことだ。
婚約を解消したからといってマリー・ルゥを放逐するような真似はしないだろう。
きっと新たな嫁ぎ先等を用意してくれるはず。
でもそれはマリー・ルゥが嫌だった。
生まれてすぐに婚約者となり、兄妹のようでありながらも将来はアルキオのお嫁さんになるのだと信じて成長してきたのだ。
今さら他の男性に嫁ぐなんて、とても考えられなかった。
いつかは将来を共にしてもいいと思える男性に出会えるのかもしれない。
そうなればその人と結婚したらいいと思うけど、もしそんな出会いがなければ一生独身でいいとさえ、その時のマリー・ルゥは考えていたのだった。
だから……女学院の最終学年に上がった時。アルキオに一年後の卒業と同時に結婚式を挙げると告げられて、マリー・ルゥは心の底から驚いたのであった。