冥府総督府の今日の事件、にゅーふぇいす!?
何だか今日はやけに食堂が混んでいる。
「今日の食堂は些か賑やかすぎんか? 何か祭りでもあったのか」
「そういやそうだな」
本日の日替わりメニューと謳われた『地獄スパイスカレー』なるものを大盛りで食べるオルトレイは、いつも以上に賑やかな食堂の雰囲気に首を傾げる。『ハニーチキン』なる肉料理をご自慢の犬歯で噛みちぎっていたアッシュも同意を示した。
今日の食堂は異様に混雑していたのだ。オルトレイやアッシュが食堂を訪れた際はいつも通りの賑やかさだったのだが、気がついたらいつのまにか輪をかけて賑やかさが増していた。ついでに言えば利用者も増えていた。
刑場で呵責を受けている亡者たちが冥府総督府の食堂を利用するなどあり得ないし、外部からの業者が食堂を利用するという話も聞いたことがない。普段から食堂を利用する冥府総督府の他職員も、今日の賑やかな食堂の風景に疑問を感じている様子だった。
不思議そうにするオルトレイとアッシュに、冥王第一補佐官であるキクガがカレー蕎麦を啜りながらあっけらかんと答える。
「深淵刑場の職員たちの業務改善を行った訳だが」
「あの、超ブラック部署か? 本気で?」
「ああ」
キクガは頷く。
深淵刑場とは、最も重い罪を犯した罪人が落ちる刑場である。冥府の刑場でも最も深い場所にあるので『深淵刑場』と名付けられ、その刑場に落ちると輪廻転生はほぼ不可能も言われている。
刑場の構造は他の刑場よりも遥かに広大でありながら、一寸先すら見えない闇に支配されている。その中に放り込まれたが最後、轢き潰されたり撥ね飛ばされたり色々と痛いことをやられるのだ。その呵責内容については呵責開発課の課長であるオルトレイでさえ把握できていない。自分が関われないからだ。
ピリッとした辛さのあるカレーを口に運ぶオルトレイは、
「あそこの職員どもの業務改善をするなど、さすが稀代の第一補佐官殿だな。大変だったのでは?」
「深淵刑場を管理していた監督を解雇した。働かない職員は必要ない訳だが」
「おっと」
キクガの口から滑り出てきたまさかの言葉に、オルトレイとアッシュもさすがに反応に困った。
噂には聞いていたが、やはり深淵刑場の管理を任されていた深淵刑場監督は働いていなかったらしい。業務の全てを職員にぶん投げ、自分は悠々自適に娯楽三昧を貪り、挙げ句の果てに職員の手柄を横取りしていくという無能上司を書いたら奴が当てはまるのではないかと思うぐらいのとんでもねー奴だったのだ。
ついでに言えば上司である冥王第一補佐官には媚び媚びな態度を取るので、いつキクガの逆鱗に触れるかヒヤヒヤしていたのだが、とうとう逆鱗に触れたか何かしちゃったのでクビを切られたようである。これはもう深淵刑場の職員は大喜びだろう。
骨付き鶏肉を骨ごと食いちぎるアッシュは「つーかよ」と口を開き、
「オルトんとこの娘が監督をやりゃいいんじゃねえの。深淵刑場は第七席【世界終焉】からウチに委託されてるんだから、職員の業務改善もやらせりゃいいじゃねえか」
「ユフィーリア君が冥府総督府に就職してくれるのであればいい訳だが」
「いい訳あるか。娘を殺すな、もれなくお前らの息子もついてくるぞ」
アッシュのトンデモ提案に、オルトレイは唸る。
深淵刑場の最高責任者は冥府ではなく、第七席【世界終焉】である。つまりオルトレイの娘であるユフィーリア・エイクトベルなのだ。
元々、深淵刑場のあり方は【世界終焉】の終焉が適用されるに等しい人物が放り込まれる刑場でありながら、終焉が適用される前に死んで冥府にやってきてしまったので、その特別措置として死よりも辛く苦しい刑罰を永遠に与え続けるということで終焉から免れることになる。本当なら【世界終焉】であるユフィーリアが監督しなければならない刑場だが、現世でなおも生きている人物のユフィーリアが冥府の刑場も監督するのは難しいということで冥府が業務を委託されている訳である。
キクガは「さすがに冗談な訳だが」と言い、
「仕方がない訳だが。地上から深淵形状まで移動に3日はかかるし、転移魔法が使えないならなおさら時間はかかる。それなら最初から深淵刑場に近い我々が業務を代わりに請け負う訳だが」
「3日もかかるのかよ、あそこ。やたら遠いなとは思ったけどよ」
「体力馬鹿のアッシュではマラソン代わりにいいのではないか。走ってこい、犬」
「誰が犬だ阿呆発明家」
「何だと辛いカレーを食わすぞ甘ちゃんが」
「止めろ吐く!!」
少しの辛いものでも苦手なアッシュに、ピリッとスパイスの効いたカレーを食わせようと格闘するオルトレイ。アッシュも負けじとオルトレイのカレーの乗せられたスプーンを押さえつけて抵抗している。
そんな2人の戯れ合いを我関せずとばかりに無視して、キクガはカレー蕎麦を啜り続けるだけだ。小声で「これ意外と辛さが口の中に蓄積する訳だが……」と呟いていたので、辛いことは辛いのだろう。
すると、
「あ、キクガさん。お疲れ様。隣いい?」
「おや、君は」
唐突に声をかけられたキクガが反応を返す。それに釣られて、オルトレイとアッシュの取っ組み合いも一時休戦となった。
お盆を片手にやってきたのは、赤茶色の短髪が特徴的な青年である。身長は小柄なものだが、動く為に鍛えられたらしい身体には無駄なく筋肉がつけられている。神父服のキクガ、囚人服のアッシュ、作業着姿のオルトレイとは系統が異なり、何故かライダースジャケットとポケットがたくさん取り付けられた布製のズボンという仕事をするには向いていなさそうな格好をしていた。
頭に乗せられた厳しいゴーグルも相まって、見た目だけは二輪車乗りという雰囲気がある。ただ、やはりここは冥府なので彼の格好にも何か意味はあるのだ。
金色の瞳を瞬かせた青年は、不思議そうに首を傾げて言う。
「オルトさんとアッシュさんもいたんだ。こんにちは」
「おう、アム坊。オレにタメ語を使ってくるとは舐めてるな? この若造が」
「しまった、オルトさんの見た目と中身と年齢が伴っていないからついタメ口を聞いてしまった。ごめんなさい、オルトさん」
「余計なことまで言ったな、こいつ。口のブレーキはどうなってんだ」
オルトレイがジト目で睨みつけてもなお、青年は萎縮するどころか無表情を貫いていた。声もどこか平坦で感情が読み取れない。
この青年の名前は、リアム・アナスタシスという。元々はどこかの農村で騎士見習いをしていたが、ある時に1人の神様から神造兵器を渡されて適合したが故に冒険へと出かけた英雄様である。
そう、絵本でも有名な『神々に愛された英雄リアムの物語』として後世にも語られているおとぎ話の主人公だ。数多くの神造兵器に完全適合を果たした唯一無二の英雄であり、神々の怒りを束ねた最強の神造兵器によって全身を焼かれて死んでしまった経緯を持つ。
リアムはお盆に乗せた大盛りのスパイスカレーにスプーンを突き刺し、
「それで、何の話をしていたの?」
「ちょうど君たちの話をしていた訳だが」
「僕たちの?」
キクガの言葉に、リアムは首を傾げる。
「アム坊、お前の担当部署は相当に過酷な環境だと冥府総督府全体でも問題になっていたんだぞ。お前、今の部署に配属されてから何年になる?」
「僕が死んでからだから相当長いよ。もう忘れちゃった」
「お前は文句の1つも言わんのか。上司が無能でお前の手柄まで横取りするような奴だったんだぞ、まあもう解雇されたと言っていたが」
「ああ、だから最近見かけなくなったんだ。惜しいなぁ」
リアムは大きな口でカレーライスを頬張りながら、
「僕、あの人のことを気に入ってたのに」
「聞けば聞くほど最悪の上司と言われてるのに、何でテメェはあんなのを気に入ってんだ」
「え? だって引き摺りやすかったよ?」
アッシュの問いかけに対して、リアムはキョトンとした表情で答えていた。それがさも当然と言わんばかりの反応だった。
「深淵刑場はあまり人が来ないから、僕は退屈だったんだよね。だから上司のあの人を引き摺り回して遊ぶのが好きだったんだ。いい悲鳴を上げてくれるし」
「こいつ、英雄とか嘘っぱちではないか。とんだ頭の螺子吹っ飛ばし野郎だぞ」
「お疲れか? 精神的に大丈夫か?」
「何で心配されてるのか理解できないんだけど」
オルトレイとアッシュの心配をよそに、リアムは不思議そうに言う。
「僕は『働かない人がいたらそうした方がいい』って課長から教わったよ。だからあの人が仕事をやっていない時は、僕が引き摺り回していたんだ。いい悲鳴を聞かせてくれたらお小遣いを増やしてくれたんだよ」
「おいキクガ」
「テメェ、英雄様に何つーことを」
「黙秘権を行使する」
キクガはカレー蕎麦を早々に完食すると、
「午後はすまないが有給を申請している訳だが。息子がケーキを焼いてくれたと言っていたのでご馳走になってくる」
「え、羨ましい。オレもついて行っちゃダメか?」
「テメェは働け、オルト」
「あ、そう言えば」
有給申請を出しているというキクガについて行こうとするオルトレイ、それを窘めるアッシュという構図にリアムが平坦な口調で爆弾を投じてきた。それはもう、平然と飯を食っている場合ではない問題を。
「僕が深淵刑場の壁をうっかり壊しちゃって、罪人が地上に向かって逃げちゃったことを言うの忘れてた。これどうすればいい?」
「…………」
「…………」
「…………」
3人の間に沈黙が降りる。
「アム坊、それはいつの話だ?」
「3日前かな」
「何で言わなかったんだ?」
「言う機会がなかったから」
「ちゃんと報告しなさいと言い含めたはずだが」
「ごめんなさい」
反省しているのか反省していないのか分からない口調で、リアムは謝罪の言葉を並べる。
深淵刑場から地上までは移動までに3日はかかる。3日前に脱走を許したのだとすれば、もう逃げ出した罪人はすでに地上に逃れているかもしれない。これは由々しき事態である。
つまりキクガも有給を取っている場合ではないし、オルトレイもアッシュも仕事をしている場合ではなくなってしまった。よりによって今の状況でとんでもねー爆弾を放り込んでくれたものである。
キクガ、オルトレイ、アッシュは揃ってため息を吐き、
「仕事をせねば……有給申請は取り下げよう……」
「オレも捕縛用の魔法兵器を持ってこよう。アッシュ、使える人材は回せ」
「分かってらァ。キクガ、地上の連中にも手伝うように申請してくれ」
「ユフィーリア君に相談しよう」
「本当にごめん」
謝るリアムをよそに、オルトレイとアッシュは昼食を急いで掻き込み、キクガは上司である冥王ザァトに有給申請の取り下げと深淵刑場から罪人が逃げ出したことを報告するのだった。
☆
「はー、それでこっちに協力申請か。大変だな」
「ユフィーリア君には本当に迷惑をかける訳だが」
「すまんな阿呆娘」
「親父はあとでぶん殴るからな」
キクガ、オルトレイ、アッシュがやってきた場所は現世にある名門魔法学校――ヴァラール魔法学院の用務員室である。
用務員室では有給を使用してやってくるはずだったキクガを迎える為に色々と準備をしていたらしいのだが、仕事で潰れてしまったので中途半端な状態で投げ出されたまま放置されている。キクガが訪れるのを楽しみにしていたのだろう。冥府総督府の阿呆がとんでもないことをしてくれたと嘆く。
オルトレイの娘でありヴァラール魔法学院の主任用務員であるユフィーリア・エイクトベルは、雪の結晶が刻まれた煙管を咥えて言う。
「特徴はどんなだ? こっちも探査魔法を使うし、探すならエドが得意だけど」
「幸いにも逃げた相手は1人だけな訳だが。ゼーニック・エヴァンスという男性で身長は高く筋肉質、人相の悪い罪人な訳だが」
キクガが「こちらの男性だ」と言って、証拠書類を提出する。
ユフィーリアが受け取った書類には、逃げ出した罪人であるゼーニック・エヴァンスという男の写真が掲載されていた。鋭い目つきに無精髭、ボサボサの黒髪、そして頬には刃物で作られただろう傷跡が残されている。明らかに何か悪いことでもしそうな人相であった。
実際、ゼーニック・エヴァンスがやらかした事件は人身売買と人体解体である。分かりやすく言えば禁止されているはずの奴隷を売り捌いた他、売れ残った奴隷を部品ごとにバラバラにして販売していたのだ。とても人道に反した罪なので、深淵刑場に落とされた訳である。
ユフィーリアはその書類を部下であるエドワード・ヴォルスラムに見せると、
「見たことあるか?」
「ないねぇ」
「だよな」
ユフィーリアは「分かった」と頷き、
「じゃあ探査魔法をかけるか。あと副学院長とグローリアにも協力を仰いでおこう。エド、お前は未成年組を連れてこいつを探しに行ってこい」
「はいよぉ」
エドワードは居住区画に向かって「ショウちゃん、ハルちゃん。お仕事だよぉ」と呼びかける。嗅覚が抜群に優れたエドワードだけではなく、機動力に優れた未成年組が協力してくれるとなったら心強い。
「ところで深淵刑場ってアタシが業務委託したところだよな。そんな簡単に逃げられるもの?」
「それに関しては……」
「コイツが全面的に悪い」
アッシュがユフィーリアの前に突き出したのは、頭にたんこぶを3個ほどくっつけたリアムである。親猫に運ばれる子猫よろしく、首根っこを掴まれたまま大人しく手足をだらんと垂らしている。
「おらアム坊、迷惑をかけるんだから謝れ」
「ごめんなさい」
「もっと心を込めて」
「この度は大変ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。内臓1個までで勘弁してください」
「いや内臓を出されてもこっちが困るんだけど」
ユフィーリアは「ああ、そうか」と納得したように頷き、
「お前がリアムか、リアム・アナスタシス」
「? お姉さん、僕のことを知ってるの? どこかで会ったことあったかな?」
「いや、お前のことはよく知ってる。何せ有名だし、お前と似たような奴の存在を知ってる」
遅れて、居住区画から何やらぶすっとした表情の未成年組が、エドワードの両脇に抱えられた状態で引き摺り出されてきた。せっかく用意したケーキが残念なことに自分たちの胃袋で消費される羽目になり、ちょっぴりいじけている様子である。用務員室の片付け具合が中途半端に投げ出されている状態も、未成年組の精神面が影響しているようだった。
未成年組の2人――ハルア・アナスタシスとアズマ・ショウは「何ですかぁ」「何だよぉ」と不機嫌そうに文句を垂れている。ジタバタと暴れたりもしちゃっていた。働く気はないようである。
ハルアとショウは、アッシュに首根っこを引っ掴まれているリアムを見るなりあからさまに驚いたような表情を見せる。
「ハルさんがいる!?」
「オレがいる!!」
「え、僕とそっくりな子がいる」
リアムも驚いているようだった。珍しく、彼の瞳が驚きで見開かれている。
「リアム・アナスタシスとやら。こいつはお前の遺伝子情報から作られた人造人間、名前をハルア・アナスタシスだ」
ユフィーリアは楽しそうに口の端を吊り上げ、
「広義的に見れば、お前の息子だな」
ハルアは、リアムの遺伝子を使って現世に誕生した人造人間である。確かに遺伝子を使われた子供ならば、広義的に見ればリアムとハルアは親子関係だと言えよう。
ただし、ハルアが作り出された原因は七魔法王の殺害だ。その為、リアムと同じように神造兵器へ適合するように余儀なくされた生体兵器とも言えよう。そこに親子関係はなく、ハルアがリアムに抱く感情があるとすれば「よくも生み出してくれたな」という恨みかもしれない。
アッシュは首根っこを掴んだままのリアムを解放する。同じく、エドワードもハルアとショウの2人を自由にして、リアムと対峙させた。歪な親子の初対面である。
「そっか、僕の子か。よく分からないけれど、うん」
リアムは蜂蜜にも似た金色の瞳を僅かに緩ませて、
「君は、何だか幸せそうだからいいや」
そう言って、少しだけ笑ったのだ。
これは衝撃的なことである。何せリアムは、一切の感情を持たないことで有名な職員で、どれほど笑わせようとくすぐろうが変顔を披露しようが裸踊りをしようが笑顔の一欠片だって見せなかったのだ。感情を見せること自体が本当に稀なのだ。
オルトレイもアッシュも、リアムが笑ったことで「笑ったぞコイツ!?」「感情があるのか!?」と驚きが隠せなかった。今まで能面のように表情を変えないリアムしか見たことがないので、表情筋が死滅して動かないのかと思っていたところなのだ。
「オレね、最初は『何で生まれちゃったんだろ』って思ったよ」
ハルアはゆっくりと言葉を選んでいく。
七魔法王を殺害するべく生まれた彼は、それはそれは酷い実験に使われていたようである。同じ時期に生み出された兄弟の人造人間を殺害し、戦いの技術を研ぎ澄まされ、神造兵器に無理やり適合させられて、痛くて苦しい思いをたくさんしてきた。
生み出した張本人である相手に、恨みはあるだろう。リアムの笑顔とは対照的に、彼は黒い感情をリアム相手にぶつけるかもしれない。
ところが、
「いっぱい辛い思いもしたし、痛いこともさせられた。もうやだなって思った時もたくさんあるけどね」
ハルアは快活な笑みを見せると、
「オレね、いっぱい幸せになったよ。面白いこともあったし、楽しいこともたくさん経験した。今は生まれてよかったなって思ってるよ!!」
そう言って、ハルアはリアムに抱きついた。
身長は、リアムの方がハルアよりもほんの少しだけ高い。見た目の若さも相まって、親子というより兄弟の戯れ合いのようだ。
いきなり抱きつかれたことで固まるリアムに、ハルアは言う。
「ありがとう、父ちゃん。オレのことを生み出してくれて!!」
そんな特殊な親子の再会が果たされたその時だ。
「ヴォルスラム課長、いました!!」
「物凄い速度で逃げてます!!」
用務員室に囚人服を着込んだ2名の獄卒が雪崩れ込んでくる。どちらもアッシュが暇そうな獄卒に協力要請をした人手である。
その言葉を聞いたリアムが素早く反応した。抱きついてくるハルアをやんわりと引き剥がすと、頭に乗せていた厳しいゴーグルで金色の瞳を覆い隠す。
ポケットがたくさん取り付けられたズボンから分厚い手袋を引っ張り出すと、慣れた手つきで両手に嵌めた。完全に仕事モードである、自分のやらかした事件なのに切り替えが早い。
「僕行くね、僕のやったことだから」
「あ、おいアム坊!?」
オルトレイの制止する聞かず、リアムは獄卒2名を押し退けて用務員室を飛び出してしまう。
――かと思ったが、何故かひょこひょこと戻ってきた。
用務員室の開け放たれた扉から顔を覗かせ、リアムはゴーグルを頭の上に乗せてから「ハルアだっけ」と口を開く。
「今度、君の話を聞かせて。僕の体験したことのないことを、いっぱい知ってそうだから」
そう言い残し、リアムは甲高い口笛を吹く。
高音がヴァラール魔法学院の廊下に響き渡ると、追いかけるようにブロロロロロロという馬の嘶きのような低い音が聞こえてきた。
リアムの前に滑り込んできたのは、真っ黒い巨大な二輪車である。二輪車の前面に取り付けられた照明器具が廊下を煌々と照らしており、リアムに「乗れ」と言うようにブロロロと駆動音を立てる。
リアムは颯爽とその二輪車へ飛び乗り、ここが室内であるにも関わらず走り出してしまう。最初から物凄い速度で走り抜けてしまい、あっという間に用務員室の前から姿を消してしまった。
「……今の何だ、クソ親父」
「深淵刑場では『シュヴァルツレディ』という神造兵器で罪人を呵責するのだが、何を隠そう、その神造兵器を現在の形に改造したのはこのオレなのだ!!」
オルトレイが自慢げに言うが、これは紛れもなく事実である。
元々、神造兵器『シュヴァルツレディ』というのは馬の形をした鋼鉄製の乗り物だったのだが、非常に乗り心地が悪く扱いが難しいということもあって呵責に使うかどうか考えあぐねていたのだ。幸いにもあらゆる神造兵器に完全適合する体質のリアムがいるので使えないことはないのだが、扱いが難しいことは業務の改善にも繋がらない。
そんな訳で呵責開発課総出で神造兵器を改造し、現在のような二輪車の形に整えたのだ。この部分はオルトレイの高い技術が冴え渡った。普段はお馬鹿な魔法兵器しか開発しないのに、この時ばかりは冥府の誰もが感心したものである。
キクガはほわほわと笑いながら、
「冥砲ルナ・フェルノを改造したのもオルトを筆頭とした呵責開発課だと聞いている訳だが。本当に、ちゃんと仕事をすればかなり有能なのに」
「何で普段はああなんだかな」
「気が向かんと仕事したくないのだよ。分からんかね」
「ちゃんとやれ」
「仕事をしろ」
「浪漫と自由を理解すらせんクソ真面目どもが」
何だか凄い会話が飛び交っているところに、再びブロロロロロロという馬の嘶きによく似た駆動音が戻ってくる。
用務員室の前に真っ黒な二輪車が滑り込んできたと思えば、その二輪車の後輪部分には頑丈な鎖が結ばれており、そこから脱走した罪人として手配されていた強面の男が両足を縛られた状態で引き摺られている。何かちょっとだけボロボロになっていたが、二輪車に引き摺られればそれぐらいのボロボロさになる。
二輪車から降りたリアムは、
「こいつ、うるさいから冥府に持っていった方がいいよ」
「お前が引き摺ったから悪態を吐く元気もないように見えるがな」
「そんなことないよ。さっきまでイキがよかったんだから」
リアムの主張にオルトレイが「どうだかな」と返すと、二輪車に括り付けられている罪人の男が呻き声を発した。まだ元気があるようだ。
「この……イカれ野郎が……お前なんか一捻りで……」
「何?」
リアムは素早く男の顔面を蹴飛ばす。
鈍い音が聞こえたのも束の間、リアムは罪人の男に跨ると胸倉を掴んでひたすら殴った。拳に血が付着しようが、ゴーグルに血潮が飛ぼうが、歯が抜け落ちようが、顔が変形しようが何度も何度も拳を叩きつけた。
数え切れないほど殴ってから、リアムは何事もなかったかのように立ち上がる。トドメとして男の鳩尾を思い切り踏みつけてから、しれっとした表情で戻ってきた。
「ほら、やっぱりうるさかった。僕が持って帰るよ」
「お前、英雄なんて嘘ではないか?」
「不思議なんだけど、何で僕って英雄って呼ばれてたんだろうね。求められたから仕事をしただけなんだけどな」
リアムはゴーグルに付着した血糊を指先で乱暴に拭うと、また黒い二輪車に乗る。それから冥府に向けて発進しようとした時、怒号が廊下に響き渡った。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
用務員室に駆け込んできたのは、学院長のグローリア・イーストエンドだった。紫色の瞳を吊り上げて怒りを露わにし、足取りや態度から鑑みても怒っていることは明らかである。
「ハルア君に二輪車なんて与えないでよ!! 校舎内で走ったら危ないでしょ!?」
「は? おいグローリア」
「おかげで照明器具が落ちて粉々に割れちゃったんだからね!! 誰が直すと思ってるのさ、ハルア君のお給料から引くからね!?」
「ええ!?」
謂れのない罪で説教されるユフィーリアと、同じく冤罪で減給に処されるハルアに、冥府の役人三人衆は「あ」と声を上げる。
リアムとハルアは姿が似ている。遺伝子情報を用いて作られた人造人間だから姿形が似てしまうのは必然的であるが、パッとすれ違っただけでは本当にそっくりなので見間違えてしまうのだ。
そんな訳で、おそらくリアムとハルアを見間違えているのだろう。とんだ冤罪である。
キクガはそっとため息を吐くと、
「グローリア君」
「あ、キクガ君。ごめんね、悪いんだけど今はそれどころじゃなくて」
「手間をかけさせて申し訳ないが、請求書は冥府総督府まで回してほしい訳だが。おそらくこちらの不手際な訳だが」
「え」
紫色の瞳を瞬かせるグローリアに請求書を寄越すように告げたキクガは、二輪車に乗ったまま冷や汗を流すリアムに視線をやる。
「リアム君?」
「はい」
「照明器具を壊したと?」
「壊したかも……しれない……分からないけど……」
「請求書は冥府総督府まで回してもらうようにした。今後、君の給金から差し引く訳だが」
「え、僕のお給料がまた減っちゃ……」
ちょっと嫌そうな表情を見せるリアムの顔面を、キクガが鷲掴みにする。
今までは息子の手前、穏やかで物腰柔らかなお父さんモードだったのだろうが、今は仕事中である。さながら二重人格の如く思考回路を切り替えたその姿は冥府総督府を取り仕切る有能な冥王第一補佐官様だ。
当然ながら、甘えた思考回路を有する部下の発言は許さない。自分のミスは自分で尻拭いをさせるのが冥府である。厳しかろうが何だろうが、やっちまったものは仕方がないのだ。
「文句はあるかね?」
「ないです」
「よろしい。それでは深淵刑場に戻り、その罪人を収容しなさい。あとでちゃんと収容できたか確認する訳だが」
「はい」
キクガから命令を受けたリアムは、顔面を解放されるとフラフラしながら二輪車に跨る。それからまた馬の嘶きに似た駆動音を響かせて、廊下を駆け抜けていった。
置いて行かれた状態のグローリアはポカンとしているし、オルトレイとアッシュは「あーあ」「やらかしたか」と肩を竦めている。どうやらこうなることは予想していたらしい。
ユフィーリアはそっとオルトレイに近寄ると、
「もしかしてよ、英雄リアムってハルみたいにものを壊したりする?」
「いや逆だ。お前のところの坊主がリアムによく似て物を壊したりするのだろう。遺伝子では誤魔化せないようだな」
「ああ、うん。なるほどな」
オルトレイの言葉に妙に納得してしまったユフィーリアは、頷かざるを得なかった。
その後、初めて有給を取得したらしいリアムが現世に遊びにきて、ハルアのお話をそれはもう真剣な表情で聞いている姿が、ヴァラール魔法学院でたびたび見られるようになったそうである。
《登場人物》
【キクガ】冥王第一補佐官。叩き上げの才能だけで現場からのし上がってきた有能な人物であり、ショウの父親でもある。仕事の際は容赦はなく、仕事を外れれば穏やかで温厚なお父様。友達が混ざると天然が入る。
【オルトレイ】戦闘能力に秀でた魔法使い一族『エイクトベル家』の当主だった有能すぎる魔法使い。文武両道を地でいく良家のお坊ちゃん。神造兵器を改造した腕前を持ち、冥砲ルナ・フェルノの改造にも関わった。ユフィーリアの父親。
【アッシュ】狩猟民族『銀狼族』の元族長。素手での戦闘能力が秀でているが故に、獄卒を束ねる課長をしている。エドワードの父親。自由奔放なオルトレイには頭を抱えているし、同じ獄卒としてリアムのことは何だかんだと気にしている。
【リアム】神造兵器に完全適合を果たした特異体質の青年であり、ハルアの遺伝子の元となった人物。現在では深淵刑場にて罪人の呵責を行う職員として働いているが、よく物を壊すので減給されまくる。感情表現が苦手で無表情だが、本人は笑っているつもり。
【ユフィーリア】オルトレイの娘。父の日だからってケーキを焼きたいと言う嫁のお願いに答えたら、その父親が仕事で来れなくなったという話を聞いて可哀想になった。
【エドワード】アッシュの息子。ショウとハルアのケーキを焼くのを手伝っていた。
【ハルア】リアムの遺伝子から作られた人造人間。キクガが来るというのでケーキを焼いて待ってた。
【アイゼルネ】お紅茶を用意して待っていたのに、見るからにしょんぼりした未成年組を目の当たりにして驚き。
【ショウ】キクガの息子。事前に有給を取って遊びに来ると言われており、どうせなら父の日だからとユフィーリアとエドワードに教わりながらケーキを焼いていたら仕事で来れなくなってしょんぼり。