アーディが遭遇した婚約破棄
読んでいただいてありがとうございます。アーディの話なので、短編で投稿いたします。リセとレオンの話から数年後の話となっております。
「お前を愛することはない」
カフェで本を読んでいたアーダルベルトに聞こえてきたのは、そんな言葉だった。
「……え?それ、今この場で宣言するの?」
思わず小声でそう言うと、本を閉じてそっと声のした方を見た。
そこには、アーダルベルトと似た年齢(十代後半くらい)の男女がカフェを楽しむこともなく座っていた。
「かしこまりました。貴方様のお心は別の方にあるということでよろしいでしょうか?」
女性の方がそう言うと、男性は不愉快な顔をした。
「少なくとも、お前より彼女といる方が心が落ち着く」
「では、なぜその方と婚約なさらないのですか?」
「……この婚約は父が整えたものだ」
「では、貴方のお父様に婚約解消を訴えて、その方と新たに婚約を結べば良いだけなのでは?」
「彼女の身分では無理なのだ」
「婚約者の私にわざわざ宣言するほどその方のことをお好きなのでしたら、何とかなさったらいかがですか?このままでは貴方は私と結婚して、その方を愛人として囲うくらいしか出来ないでしょう。いくら私のことを愛していなくても、結婚するのでしたら最低限後継ぎは必要です。先に言っておきますが、貴方と彼女の間に生まれた子供を引き取って後継ぎにする、というような馬鹿な提案は却下です。必要なのは、私の血筋ですから」
優雅に飲み物を飲みながらそこまで一気に言い切った彼女に、思わず拍手しそうになった。
「私の血筋でもいいはずだ」
「却下です。今回、私たちが結婚して継ぐことになるヴェスタ伯爵家の継承順位は、我がランド家の方が上です。恐れ多くも国王陛下より特別に許された今回のヴェスタ伯爵家の他家による継承は、我が家の血筋を大前提としております」
ああ、そう言えば、ヴェスタ伯爵家がもうすぐ復活するんだっけ。
温厚で領民思いのヴェスタ伯爵が領内で流行った病が原因で亡くなり、同時期に同じ理由で奥方と子供たちも亡くなったのは、アーダルベルトがまだ幼い頃の話だ。
領主が後継者ごといなくなった地を一時的に王家が預かり、流行病の終息を待って、多くの民が亡くなったことにより荒れた地を復興させた。
今回王家は、ヴェスタ伯爵家を同じ伯爵家のランド家の者が継ぐことで復活させようとしているのだ。
ランド家は、ヴェスタ伯爵家と領地が近く過去に何度も婚姻関係にあり、血統的には最適で何の問題もない。
アーダルベルトはヴァルディア侯爵家の者だが、今回のことは各家に貴族院から書面での通達があり、異議がある場合は速やかに貴族院に異議書を提出するようにと書かれていた。
確か、どの家も異議を唱えなかったので、ランド伯爵家の兄妹の内、妹の方が婿を取ってヴェスタ伯爵家を継ぐことになったはずだ。
となると、彼女はカトリーヌ・ランド伯爵令嬢だ。婚約者はどこかの子爵家の者だったと思う。
さて、どうしようか。
ヴァルディア侯爵家にもヴェスタ伯爵家の血は入っているので、ものすごく低いが継承権は持っている。
恐らく、子爵家の青年と同じくらいには。
このまま見なかったふりをするのは、後悔しそうな気がする。
アーダルベルトは、僕も一応継承権持ってるし、とか何とか心の中で言い訳をしたあと、二人の方に近付いていった。
「失礼。たまたま聞こえてしまったのですが、ヴェスタ伯爵の名が出たので、僕も話に入らせてもらってもいいですか?」
妹から、アーディ兄様の胡散臭い笑顔、と評された笑顔で近付くと、男性の方がアーダルベルトに対して不愉快な顔をした。
「誰だ?」
「僕はアーダルベルト・ヴァルディアと言います。我がヴァルディア侯爵家もヴェスタ伯爵家の継承権を持っていますので、話次第では色々と困ったことになりますので」
「な!?ヴァルディア侯爵家の!?」
「ヴァルディア侯爵家?あの薔薇の君の?」
男性の方は焦っているが、女性の方の言葉にアーダルベルトは、ははは、と笑った。
「それは兄ですね」
薔薇の君、それは兄のあだ名だ。
兄が夜会で義姉に対してやった、薔薇の花束を持って公開プロポーズから付けられたあだ名だ。
初めてこのあだ名を聞いた時、兄はちょっと落ち込んでいた。
あれ以来、恋人や妻に薔薇を贈るのが定番となっていて、大変好調な売れ行きになっているという。
おかげでヴァルディア侯爵家には毎年、薔薇を育てている者たちから感謝を込めて早咲きの薔薇が届くようになった。
薔薇を花束で贈るのか、ワーグナー公爵方式で一輪の薔薇を贈るのか、どちらにするのかを男性たちは常に悩んでいる。
そんな元凶の兄は、何かあるたびに真っ赤な薔薇だけではなく、色々な花束を買ってきては義姉に贈っている。
そして噂では、ワーグナー公爵夫人の部屋から一輪の薔薇が絶えたことはないらしい。
公爵が妻に贈る薔薇のために、専用の温室と庭師を抱えたというのは有名な話だ。
どちらにせよ発端は兄なので、兄はそのあだ名も甘んじて受けている。
だが、薔薇の君を兄に持つ弟は、大変迷惑を被っていた。
夜会に出席すると女性たちが、私にも薔薇の花束をください、などと言ってくるようになったのだ。
毎回、特別な方にしか贈りません、と言って断っているが、初めて会うような女性にも言われるのでとても面倒くさい。
「失礼をいたしました、アーダルベルト様。私はカトリーヌ・ランドと申します」
「ああ、やはりカトリーヌ嬢ですね。今度、ヴェスタ伯爵家を継がれる方。貴女が継いでくださると聞いて、ヴァルディア侯爵家としても大変感謝しております。ランド家とヴェスタ家は何度も血を交わしている家同士ですので、我々としては何の問題もないと思っております。下手に遠い血の方が継ぐとなると、我が家も権利を主張しなくてはなりませんので」
それは貴族の相互監視のことだ。本家の血が途切れ、あまりに遠い継承権を持つ者が継ぐとなると、なぜもっと上位の継承権を持つ者が継がないのか、何か疚しいことでもあるのか、と異議を唱える者が出てくる。なのでそういった場合は、なるべく近い血を持ち、継承するのに相応しいと認められた者が選ばれる。
カトリーヌ・ランドは優秀な成績で学校を卒業し、卒業後は父であるランド伯爵のもとで領地経営を学んでいた。学校に通う前から成績次第で将来、ヴェスタ伯爵家を継ぐ可能性があると言われていたので、本人は一生懸命努力したのだという。
結果、国王は彼女にヴェスタ伯爵家を継ぐように命を出した。
その辺りの事情を兄から聞いていたアーダルベルトは、カトリーヌに味方すると決めた。そうでなくても先ほどの話を聞いていれば、この子爵家の男性は何を言っているのか、という感じになった。
「失礼ですが、カトリーヌ嬢。なぜこの方を貴女の婚約者になさったのですか?」
「父が決めて参りました。白状いたしますと、会うのは本日で二回目です。こうして二人きりで会うのは初めてのことですわ。どうしても話をしたいことがあるから、とおっしゃったので」
「それが彼の愛する方についてのことでしたか。災難ですね、カトリーヌ嬢。貴女は何も悪くありませんよ。よろしければ、僕からランド伯爵に事情をご説明いたしましょうか?僕は今、この件に関しての証人という立場になっていると思われますので」
「まぁ、そうですわね。私からだと、どうしても私情が入っていると言われそうですから。それにお互い否定していたら堂々巡りになってしまいます。第三者として証言してくださいますと、大変助かります」
言った言わない問題は、どこにでもあるものだ。
カトリーヌが父に言ったところで、彼が否定すればどちらが正しいのかその場にいなかった者には分からない。だが、今回の場合は、アーダルベルトがいる。それも自ら厄介ごとに頭を突っ込んできてくれたのだ。カトリーヌは瞬時にアーダルベルトを味方として巻き込むことに決めた。
「よろこんで証言いたしましょう。でしたら、早い方がよろしいですね。こちらの方も愛する女性に一刻も早く会いたいでしょうから。我が家の馬車が近くに待機していますので、ランド伯爵家まで共に参りましょう」
「ありがとうございます。この方の馬車で来たので、帰りをどうしようかと思っていたところですわ」
「それはちょうど良かったですね。では、参りましょうか」
アーダルベルトはカトリーヌに手を差し出すと、彼女はその手を取って立ち上がった。
「では、失礼いたします。婚約破棄についてですが、父からそちらに話がいくでしょう。家同士のことですので、私は口出しいたしませんが、どうぞ愛する方とお幸せに」
「あ、おい!ちょっと待ってくれよ」
アーダルベルトと共に退場しようとしているカトリーヌに焦ったような声を掛けたが、それは当然聞こえなかった扱いされた。
浮かれていたのだ。父からヴェスタ伯爵家を継ぐのはお前だと言われて。
カトリーヌと結婚するのが条件だと言われたが、新しいヴェスタ伯爵家の血統はお前に移るのだと父から聞かされた。
ならば自分の血を引いていればそれでいいのだと勘違いして、学生時代から優秀だと評判のカトリーヌはお飾りでいいと思っていた。まさか、必要なのはカトリーヌの血で、自分はほんの少しだけ混じったヴェスタ伯爵家の血のために選ばれたのだとは思っていなかった。
細かい内容などは知らず、ヴェスタ伯爵家のために必要な婚約だと言われていた。
だからこそ、カトリーヌは自分と結婚するしかないが自分は彼女を好きではないので、真に愛する女性との間に子供を作ってヴェスタ伯爵家を継がせても良いと思っていたのだ。
そんな彼の様子にアーダルベルトは、どうしてこの手の類いの男は、自分が優位に立っていると信じていて、相手の女性には何を言ってもいいと思ってるのだろう、と呆れた。そのくせ反撃を食らうと弱い。自分が言う言葉は当然、相手だって言うのだ。
アーダルベルトが敬愛する公爵閣下はおっしゃった。
『いいかい、アーディ。女性を相手にした時は、こちらがいくつも考えてきた想定は無きに等しいと覚えておきなさい。いつも我々の想定外の方向にいってしまうのだよ。なぜかね……」
遠い目をしておっしゃっていたが、噂では、若い頃に溺愛する奥様と色々あって、ちょっと逃げられかけたとか何とか……怖くてそれ以上は聞けなかったが、今の公爵は常に奥様に愛の言葉を囁いている。
言葉でも態度でも示し続けているその姿勢は世の女性の憧れなのだが、男性陣がその期待に応えられていないのが実状だ。その点、兄はちゃんと示している方だと思う。
アーダルベルトがそんなことを考えていると、立ち上がった男性が彼女の名を叫んだ。
「カトリーヌ!!」
「そうそう、言い忘れておりました」
くるりと振り返ったカトリーヌは、元婚約者に対して美しい笑みを浮かべて言った。
「私も貴方を愛するつもりはありませんでしたわ」