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マスター不適合者  作者: やmだ
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二章 【ギルドマスターの憂鬱】 二

 クエストボードというのは冒険者にとっては非常に馴染み深いものである。様々な依頼書の他、帝国内の情報も一日に数枚貼り出されている。冒険者ならば普段から目にするものだが、アーサーにとっては随分と懐かしいものだった。

 ギルドマスターになってからというもの、あまり一階に立ち寄らないアーサーは息抜きがてらにクエストボードを適当に眺めていた。

 実際に見ているのは帝国情報掲載文ティアーレポートだった。帝国中の新鮮な情報をお届けでお馴染み——アーサーには馴染みがない——のあれだ。

 辺境では商人の情報提供くらいでアーサーが現役だった頃は情報掲載文などなく、便利な世の中になったと彼は思う。

「えーなになに? 優良貴族ゲドラフ伯爵逮捕。帝国を脅かす生物兵器を開発。見つかる闇ギルドとの関係、皇帝暗殺を画策か? へえー帝国も物騒だなぁ」

 大きい見出しにはそう書かれている。もっと詳細な文もあるのだが実際になんのことだか、政治関連の知識がないアーサーには理解できてない。

(しかし依頼内容は変わらないもんなんだな)

 アーサーはクエストボードを全体的に眺める。依頼の数は大手ギルドなだけあって無数にある。一応全ての依頼には目を通しているのだがこうして見ると圧巻だった。

 オーディンへの依頼は帝都内だけではなく、帝国全土から依頼が集まる。なのでその難易度も量も最多だろう。モンスター退治の依頼は幾らでもあり、見る限り護衛や警備など多種多様だ。

(推奨等級銀〜金。北方の都市バルネ周辺に現れた盗賊退治)

 アーサーのふと目にした依頼にはそんなことが書かれている。別になんてことのない依頼。どちらにせよアーサーは受けることはできないので関係ない。ただありふれたこんな依頼を見るのも何年振りだろうかと感じただけ、それだけだった。

 異様な気配を放ってクエストボードの前で陣取るギルドマスターに誰も近づくことをしなかった。まさかここまで仰々しい仁王立ちで占領するものが特に理由なく、立っているはずもないのだがアーサーの場合はその限りではない。視線が鋭くなっているのは年齢の所為か視力が落ちてきて文字が良く読めないからだ。

「どうかされましたか? マスター」

 そんなアーサーに話しかける者が一人。周囲から完全に浮いたギルドマスターに声をかけることのできる人物は今現在この人物——サリアしかいない。誰もが尻込みする中でサリアだけは自然とその隣に立った。

「その依頼が何か?」

 サリアの視線の先にはアーサーがさっきまで見ていた依頼書がある。アーサーは自分がなんの意図もなく見ていることを隠すために、咄嗟に目を逸らしサリアに向き合った。

「なんでもない。サリアこそ何か用だったか?」

 誤魔化すようにそう返すとサリアはニコリと笑みを浮かべた。そういう期待と尊敬の混じった「流石」とでも言いたげな笑顔を見るとアーサーは違う意味でドキッとしてしまうのだ。

 アーサーの問いに対しサリアは首を振った。

「マスターが熱心にクエストボードをご覧になられているようだったので、何か不備でもあったのかと思いまして」

(全然違うけど……それって不備があった場合、俺の所為なんじゃね?)

 アーサーはそう思うがサリアはきっと否定するだろう。だから口にするのはやめた。

「さてそろそろ戻ろうかな」

 何かを誤魔化すようにアーサーは早足でその場から去った。自然とサリアはその後に続いた。

 あの場に入ればギルドマスターとしてメンバーとの交流を深められるとも考えたアーサーだったが、結果としては空気を凍らせただけ、交流どころか一言の会話も発生せずにその目論見は儚く消えた。

 執務室に戻ったアーサーは少しは慣れた空間に安堵の息を吐いた。頭を悩ませる問題を誤魔化すように咥えた煙草に火を灯す——サリアがそれを灯す役目を担う——と煙を吐く。

「マスター。こちらを」

 言ってサリアは一枚の書類をギルドマスターであるアーサーへと提出した。「なにこれ?」と間抜けな声を出しそうになるのをアーサーは必死に堪えて「ありがとう」と告げた。

「脱退申請……か」

 また頭の痛い案件だ。マスター就任早々こんなことになるとは。

 冒険者において引退、脱退、移籍などなどは日常茶飯事だ。不幸にもタイミングが重なったとも考えることができるが、あまりにもピンポイントだ。十中八九自分が原因だろうとアーサーは考えている。

「彼女はアガルガ樹海にて斥候を勤めていた者の一人です」

(ん? あの時に斥候なんていたの? 全然気が付かなかったな)

 そんな能力は自分にはないのだから当然か——なんて思いながらアーサーは書類に目を通す。

 アイリス・マクガーデン。アーサーは顔も知らない人物ではあるがメンバー内の情報収集の中でその名前、ジョブ、ステータスを正確に把握していた。

 ジョブは暗殺者——いわゆるアサシンと呼ばれるもの。等級は白金。種族はダークエルフ。レベルは推定で八十近い猛者だ。直接戦闘能力は低い暗殺者の中でも多岐に渡るスキルとアイテムによる補助はギルド内でも評価が高く、虹等級まで後一歩とされる期待の星だ。まだ年齢も若く伸び代はある。

 そんな優秀な人材が脱退。アーサーは頭と胃が同時に痛むのを感じた。

「そ、その……理由とかは聞いてないのか?」

「残念ながらその申請を出してからアイリスとは連絡が取れません。彼女の自室にも向かったのですが姿はなく」

 どうやらアーサーが色々するよりも先に、サリアは手を尽くしてくれたらしい。なにも知らずにのうのうとしていたことに申し訳なくなる。同時にもはや手遅れということを突きつけられアーサーは硬直する。

 残された選択肢はこの申請に判子を押すだけ。

(いや、諦めるのはまだ早い)

 ここで諦めてはギルドマスターの名が廃る。廃るほどの名前なんてないが恩人であるリーシュが作ったギルドだ。手は尽くすべきだ。

「俺が動こう」

「マスター自ら……ですか?」

「もちろんだ」

 ギルドマスターとなったアーサー・クラウズと呼ばれる人間が伊達ではないことを証明しよう。しかしアーサーにできることはアイリスを確実に見つけることだけ、その後の説得が成功するかどうか未知数だ。

「サリア、俺の言ったものを揃えてくれないか?」

「かしこまりました」

 サリアは嫌な顔を一つせずそう言った。


 アーサーは元冒険者である。冒険者に限った話ではないが、より強者になるためには自らの才能と適性を見極め、得意分野となるジョブを収めることだ。

 ジョブはその存在が行った行動に応じて上昇するステータスだ。

 例えば剣を振り、鍛錬に励めば戦士のジョブレベルが上昇して戦士のスキルや能力を習得できるようになる。魔法の知識を蓄え、魔法の鍛錬を積めば魔導士のジョブレベルを上昇させることができる。

 ジョブは一人に一つという訳ではない。様々な分野を収めることのできる人間は存在する。どれが正解かどうかは、その人間の役割や性格、主義や信仰にもよる。例えると幾ら戦士としての才能があろうと誰かを傷つけることのできない人間や戦いそのものに恐怖を覚える者はジョブレベルを上昇させられない。

 その人間の全体的な能力を示す指標であるレベルとジョブはほぼ連動しており、レベルが高い人間ほどジョブの能力も高い。何事も基礎が大事というわけだ。

 それらの能力を自ら鑑みてアーサーには魔法の才能も適性もない。故に彼は魔法の知識があってもそれらを扱う能力はない。しかしながらそんな無能でも魔法を使う手段は幾つかある。

 一つは魔法石などの魔法の宿った特殊な鉱石を使用する場合。魔法石は魔力を込めるだけで何度か魔法を発動できる。その分、高度な魔法は使えない。魔結晶と呼ばれるより上位の魔法を使うアイテムもある。

 もう一つはスクロールと呼ばれる羊皮紙に魔法発動のための呪文を模写したアイテムである。これは一度発動すると消えてしまうが、これもまた無能でも魔法の使用を可能とする。

 今回アーサーが使うのは後者であるスクロールだった。幾つかのスクロールをサリアに用意してもらったアーサーは一人で執務室に籠るとそれを手に持って広げる。

 アイリスという気配遮断の達人を見つけるためには一つコツがある。存在そのものを探すよりも痕跡などから見つけるべきだ。

 白金等級にもなれば無音や不可視もちろん、匂いまでも消すことが可能で感知系能力で探すことは困難だ。だからこそアイリスの残した痕跡から彼女を追う。

「オブジェクトサーチ」

 詠唱をしてスクロールを発動させる。オブジェクトサーチは物質に残った痕跡を探る魔法。非常に低位の魔法でモンスターの残した痕跡から巣などを発見する場合に使用する。かなりピンポイントで使用頻度は低いが気配遮断が上手い相手にはこっちの方が有効だったりする。そもそもいるかどうかが分からない相手には無意味だが。

「ナビゲート」

 さらに魔法を発動。

 指定した物質と類似したものを候補として挙げるナビゲート。アイリスの残した痕跡とそれと類似する存在がアーサーの目には赤く可視化される。多くのものが引っかかって本人を絞るのは難しいが筆跡から絞っているので現状では十分だ。

「モニタリング。インビジブルジャマー」

 二つの魔法を同時に発動させた。周囲を俯瞰して見るモニタリング。不可視の状態で動くもののスキルを一定時間無効化——数秒発動者が感知できるようになるだけ——する魔法であるインビジブルジャマー。これによりアーサーは室内にいながら周囲の街並みを見ながらナビゲートに引っかかったものを確認。インビジブルジャマーにより反応を示した物体を見つけ出す。

 こうした複数のスクロールの同時発動はおそらく現役の冒険者には早々思い付かないだろう。理由としてはスクロールは結構高価なものに加えて消耗品だ。こうしてポンポン複合させて使うとその経費はえげつないことになる。しかしアーサーは現役時代でも、ここぞではこういうスクロールに対し出費を惜しまなかった。

 アーサーはようやく目標を見つける。姿を隠したという暗殺者、アイリス・マクガーデンは

「ん?」

 執務室——アーサーの席の真後ろに居た。

 殺気や敵意はないのでアーサーは背後に敵が存在するのではなく、いつからここに居たのかという恐怖からゆっくりと振り返った。

 アーサーが振り返った先にはなにもない。既に魔法の効果は切れてしまったので不可視化したアイリスを見ることはできない。

「初めましてだな。アイリス・マクガーデン」

 何もない空間にアーサーは話しかける。沈黙は続くがやがて声が聞こえた。予想よりも可愛らしい声が。

「進化した拙者の不可視化を見破るとは、やるなマスター」

 空間が歪み、その姿をようやく現した。それはアーサーの予想よりも遥かにちんまりしていた。

「初めましてマスター。拙者がアイリス・マクガーデンだ」

 身長は百三十センチくらいだろうか。アーサーは下を向くようにその姿を見た。幼女にも見える幼い容姿の可愛らしい少女。肌は浅黒く耳は尖っている。ダークエルフの特徴に該当するその姿は全身黒い布で覆われている。瞳は紫色で髪はサリア同様に絹のような白銀で腰あたりまで伸ばしていた。布の下はかなりの軽装でチラリと多くのアイテムが見えた。

 アイリスはペコリとお辞儀をすると上目遣いでアーサーを見た。

「まあ座ってくれ」

「御意」

 可愛らしい声に似合わない堅苦しい口調でアイリスは言うとアーサーが使用する机。その向かいに置かれた椅子に腰掛けた。これは本来ならばアーサーの計画「ギルドマスターになんでも気軽に相談しよう」のために試験的に設置されたものであり、材質はそれなりに拘った逸品だった。しかしアイリスはその場で跪き、椅子には座らなかった。

(これ注意した方がいいかな?)

 そう思いながらもアーサーはそのまま進めた。それは椅子が少し大きくてアイリスにとっては座りにくいと考えたからだ。

「いつから潜伏していた?」

「既にマスターなら知っているだろ?」

 アーサーはフッと笑みを溢す。

(え? 知らん)

 本当に皆目見当が付かずにアーサーは思わず笑ってしまった。アーサーはその件を誤魔化すために「まあいい」と言って話題を切り返る。

「それで俺がお前に聞きたいことは分かっているよな?」

「それすらもマスターは気づいているのだろう?」

「お前の口から聞きたいんだ」

 さっきから全てお見通しみたいな期待を受けているがアーサーには全く理解できていない。なんとか上手い返しを思いついたのでまた誤魔化す。そんな言葉にアイリスは「なるほど」と溢し納得したようだった。

「先日の件です」


(…………え、終わり? 何一つとして分からないんだけど!)

 アーサーはほとんどノミに等しいサイズの脳みそを総動員して先日の件とやらを予測する。

(うん、分からん)

「拙者の情報収集の不足により、依頼を受けた皆に多くの迷惑をかけた。ミズガルズオルムの特殊個体を見誤るなど許されないミス。拙者は斥候失格だ」

 アイリスの言葉からようやくアーサーは先日の件を理解する。確かあの時に斥候がいたとサリアが言っていた。

 アイリスのミスは彼女自身が言うように重大なミスだ。情報は大きな武器だ。事前情報の有無は前線を張る者にとって生死を大きく左右するだろう。

 きっとそれが表沙汰にならなかったのはアーサーがそのミスごと依頼を終わらせたためだ。それを誰からも責められないことこそが、アイリスが自分自身を責める原因となっているとようやく理解した。

「なるほどな。しかしなぜやめる必要があるんだ? 責任を感じているならより一層励むべきじゃないのか?」

「あれほどのミス。許されるはずがない。下手をすれば全滅していた。これから先、拙者が仲間を殺すのは御免だ」

「じゃあ俺が許すからやめるな」

「なっ!?」

 それまで下げていたアイリスの顔がようやく上げられて、アーサーの発言を信じられないと言うようにその姿を見た。

「もう一度拙者が同じようなミスをすればどうするのだ?」

「しないさ。そこまで反省しているなら問題ないと俺は判断するぞ」

「何を根拠に」

「不可視化の精度が上がってる。さっきお前も言っていたが進化したんだろ。反省を踏まえてお前は成長した。お前はまだ諦めてないんだろ? なら大丈夫さ」

 アーサーはこれまで多くの冒険者が辞める姿を見てきた。その理由は様々である。怪我や戦闘の恐怖が消えないことや、年老いて肉体が思うように動かなくなったからなどだ。その誰もがもう諦めて失意の目をしているのだがアイリスは違う。その瞳は強い力が宿り、まだ責任というものを手放していなかった。

「だからやめんな」

 それでもアイリスは「しかし」と続ける。彼女は今、信じられないのだ。自分で自分自身を。一度抱いた不信感は早々消えるものではない。

「もう一度、同じミスをしてしまったら……」

「俺が守ってやる」

 それがギルドマスターだろうとアーサーは思う。だからこそ無意識に口にしていた。

「お前だけじゃない。ギルドのやつがミスをしたら俺がケツを拭く。守ることに関して、俺は唯一自信がある」

「マスター……」

「俺にはお前が必要だ」

 やめたくないならやめる必要がない。アーサーはそう思う。しかしながら少し言葉を間違えたような気はしなくもない。なぜならアイリスの視線に既視感を覚えたのだ。

「ならばこのアイリス。全身全霊を持ってマスターにお仕えする!」

「え?」

「この身はあなたの剣であり盾——否、目となり耳となる」

 アーサーは思い出した。これはあれだ。サリアが自分に向ける視線だ。期待と羨望——恐らく多くの誤解を孕んだ憧れの視線だ。

「よろしく頼むぞ我が主人」

「あ、はい」

 この目にアーサーは弱い。もはや覚悟を決まったアイリスに対し「いやそれは遠慮します」とはとても言えない。なぜなら「お前が必要だ」とかカッコつけて口走ったのは他でもないアーサー自身なのだから。

 ギルドマスターとしての最低限の仕事はしたような気がするが、何かを大きく間違えたような気がしてならない。

 アーサーの嫌な予感は的中する。


 ・


「どうでした?」

 暗闇に紛れる。アイリス・マクガーデンにとって気配を消して行動することはもはや癖になっていた。それが暗殺者——アサシンとしての彼女の誇りでありポリシーだった。故に話しかけられても、それが偶然か確かめるために一度は無視するのも彼女の癖だ。スキルの発動をしていないため単純に気配を消し姿を闇に紛れ込ませているだけ、つまり単純な技術ではあるがこれでも常人には発見は困難だろう。

「アイリス」

 目の前にいる人物の緑色の瞳がジッとその姿を見つめている。無表情でありながら整った容姿は同姓であるアイリスからしても見惚れるほどだ。

「聞こえている」

 二度目の呼びかけにアイリスはようやく答える。相手は格上にして上司、加えて年上なのだからこれ以上の無視は失礼に当たると判断した。きっと彼女——サリア・グラスナーはそんなことで腹を立てる人物ではないと知っている、が部下である立場をアイリスは優先した。

「それで? マスターに出会った感想は?」

「凄まじい——の一言に尽きるな」

 アイリスは天才的な気配遮断の持ち主であり、あらゆるスキルを駆使した場合は虹の冒険者であろうと発見困難。感知能力に特化した冒険者であろうと嫌な予感程度にしかその存在を感じることしかできない。

 そんなアイリスにとって自らを初見で何の能力なく看破したアーサーは彼女が初めて忠義を尽くすに値する人物であった。それをアイリスは素直に評価する。

「当然です」

「なぜお前が誇らしげなんだ?」

 珍しい光景を見たとアイリスは内心驚いている。アイリスの知る限りサリアが笑うというのは見たことがない。そんな人物が自分の男を褒められたかのように勝ち誇った顔をしていれば驚きもする。

「そう見えましたか?」

 逆に驚いたようにサリアは聞く。どうやら本人には自覚がないらしい。驚愕を通り越してアイリスは呆れた。

「しかしそれも仕方ないでしょう。あなたなら理解できるはずです」

 間違いなくサリアはアーサーという男に心酔している。これが異性として意識しているのか、それとも単純な尊敬かは経験のないアイリスには分からない。しかしどちらへ転んでもおかしくはないだろう。それはアイリスも同様だと言えた。

「まあ、な」

 アイリスの心中にはこれまでに感じたことのない感情が渦巻いている。それに名称をつけることができない。現状でそういう意味ではアイリスもサリアを笑えない状況だった。

「しかし。だとすれば酷なことを任せたかもしれないですね」

「気にするな。ギルド内の反発はやがて主人の毒となる。余計な手間を取らせるくらいならば拙者らで秘密裏に解決するべきだ。その為ならば内偵という汚れ仕事くらい請け負ってやる」

「感謝します」

 アイリスに任せられた仕事というのは外からの依頼ではない。内からの依頼、その依頼はラウ・マグス。

 ラウは不信感を抱いたマスターに対する内偵をアイリスへ仕事として依頼した。これはサリア一人による評価があまりにも偏っていたために偏見、虚偽、誇張が含まれているという感想を抱いたからだった。第三者として冷静な意見が出せると判断されアイリスが選出されたというわけだ。

 先ほどまでのアーサーとのやり取りは全てが彼の元へ潜入するための茶番に過ぎない。それを茶番だと思っているのはアイリス以外の人間だけだが。

 アイリスはこの仕事を最後にするつもりでありだった。本来ならば即座に脱退するところだったのだがアーサーという未知なる強者に接触しその様子を監視できるこの仕事は何か変わる機会になるかもしれないと請け負った。結果、アイリスは一度の接触で忠義を誓うに相応しい人物と判断し、この仕事への姿勢も大きく変わった。

 底の知れぬ能力、上に立つ者としてこれ以上ない器と知性、あらゆるモノを見据える瞳。アーサー・クラウズのギルドマスターとして能力は十二分にあるとアイリスは判断している。

(こんな拙者を必要とし、側に仕えることを許すなど……慈悲深いな)

 それは甘さとも取れる。それともアイリスの能力を本当に信頼しているのか。それだけはアイリスには判断しかねることだった。

「任せましたよ。アイリス」

「ああ、承知した」

 もはやアイリスは第三者という立場じゃない。しかしそれはアイリスの能力を見誤った依頼主の不備だろう。

 彼女の仕事はアーサーを内部から監視し情報をラウなどのギルドに報告する内偵からアーサーをマスターとして認めさせる布教に変わっていた。アイリスにとってそこに大きな違うはない。なぜならどちらにせよ結果は同じだから。

「そういえば」

 思い出したようにアイリスは呟いた。それはふとした疑問。アーサーという人物を見ている中で感じたものだ。

「主人は結婚しているのか?」

 途端にサリアの視線が鋭くなるのをアイリスは感じた。殺意も多く含んだ瞳は自分に向けたものではないと知りながらも、アイリスは退路を反射的に確保するほどに警戒していた。

「あなたも気が付きましたか」

「まあ……」

 アイリスはアーサーの左手の薬指に指輪を嵌めているのを見た。小さな青い宝石が埋め込まれたその指輪はアーサーほどの人間が着けているのだから通常のものではないと思う。それと同時に普通に結婚指輪という線も捨てきれなかった。他の指にはそういった指輪の姿はなかったので、そんな邪推をしてしまうのだ。

「マスターにはやはり決まった人がいるのか。しかしあれほどのお人ならば女性関係の一つや二つや三つや四つあり得ますか」

 サリアは静かな闘志、背筋が冷たくなるほどの殺気を放ちながら何やらぶつぶつと呟いている。この態度からあの指輪がサリアが渡したものというアイリスの考察は消えた。

「魔法の指輪という線はどうだ? 何か特別な魔法が宿っていているとか」

「その発想はありませんでした」

 サリアほどの冒険者がこんなことすら思いつかないとは。彼女の表情から今の発言が冗談ではなく本気だとアイリスは感じる。その表情もどこか綻んでいるのは流石に気のせい——ではないだろう。

「さすがはアイリスですね」

「普通はそっちが思いつかないか?」

 ぐっ——とサリアは図星を突かれたようで沈黙した。「私としたことが」と反省しながらゴホンと咳払いをしたサリアはいつもの無表情に戻る。

 完全無欠、白銀の戦乙女と謳われるサリア・グラスナーといえどやはり乙女なのだとアイリスは今の姿を見て思う。

「案外、年上が趣味なのか?」

 自分の感情を悟られたのが恥ずかしいのかサリアは目を伏せた。その姿はアイリスの知るサリアではない。ただの恋する乙女だった。

「……年齢は関係ないだろう? それにマスターは私よりも年下だ」

「あーそうか。マスターは一応人間だったな」

 純粋なダークエルフであるアイリスはまだ七十代で同種族基準で言えばまだまだ成体とは言えない。サリアはハーフエルフでアイリスの知る限りでは百三十歳くらいだった覚えがある。人間の数倍は生きる彼女らの年齢の感覚は狂っているアイリスはアーサーの容姿からさらにそれ以上だと判断してしまっていた。

「そういうアイリスは何とも思わないですか?」

「特に……ベッドに呼ばれればそれも辞さないが」

 アイリスはそういう考えだった。特別な感情というのは理解できない。しかしアーサーからそういう行為を求めた場合はそれに応えるべきだと思っていた。

「他の者に呼ばれたら、あなたはそれを良しとしないでしょう?」

「当たり前だ」

 盛大な溜息をサリアは吐く。何をそんなに呆れる部分があったのかはアイリスには分からない。

「あなたはまだ子供ですからね」

「主人の命には従うべきだろう?」

「ではマスターに他の男に抱かれろと命令されたら?」

 アイリスは言葉に詰まった。答えは「もちろん」しかしアイリスの感情がそれを良しとしなかった。反発した。それは間違いなくアイリスにとって嫌なことだった。

「そういうことです。マスターがアイリスにとって少なくも抱かれたとしても構わないお方という証明です」

「そう……なのか」

「それはともかく」

 グイッとサリアの顔がアイリスと視線を合わせるように目の前に来る。本来ならばその距離感にドキッとするところなのだろう。しかしその鬼気迫る表情、狂気を孕んだ瞳にアイリスは命の危険すら感じた。

「マスターに不埒な真似をしたら……分かりますね?」

 ギュッとアイリスの手がサリアの両手に包まれる。細く柔らかい指だが力を込めればアイリスの腕すらも簡単に捥いでしまうほどの膂力を誇るそれに手を掴まれたということはそれはもうアイリスにとっては脅迫以外の何ものでもなかった。

 殺す——と明言してはいないがたぶんそういうことだろう。あるいはもっと酷いことか。

「肝に銘じる」

 とアイリスは目前に迫った死の気配を察知し、利口に立ち回ることを選択した。そのセリフは本来は男側が言われるものではないか? という疑問はぶつける暇もなかった。

「賢い選択です。くれぐれも一時の快楽で身を滅ぼさないように」

(それはお前もだろう)

 思いながらも狂い始めたギルドリーダーには言わない。彼女を敵に回すのは愚かな選択だ。それこそ一時の快楽——アイリスはいまいち理解できてない——とサリア・グラスナーの恨みを天秤にかければ後者に傾くのは当然だ。

「拙者は拙者の仕事をさせてもらう」

「そうですね。マスターを認めさせるにはあなたの協力が不可欠です。頼みましたよ?」

 そう言ったサリアはこれまでギルドマスターとして皆をまとめ上げてきた存在に相応しい表情だった。こんなに二面性の激しい人物だっただろうかと頭を捻りながらもアイリスは「ああ」と返事をした。

「それで例の細工は?」

「もちろん。業腹ですがラウの要望通り進めるつもりですよ」

(さて、あの聞かん坊を主人はどう認めさせるのか……少し、いやかなり興味あるな)


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