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マスター不適合者  作者: やmだ
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一章 【伝説が語られる】 三

 三


 アーサー・クラウズという男は自らを強いということを知っている。これは嫌味ではなくそれを自覚した上で行動しなければならないという意味だ。だからこそアーサーは力を求められた場合、それが世界を守る行為であるならば従わなければならない。これこそがアーサーが今現在も生きている理由だった。

 アーサーにとって今対峙した蛇は大した敵ではない。厄介な再生能力こそがあるがその程度。瞬間的な大火力、あるいは圧倒的な手数の前には無意味だ。アーサーは後者のような能力はないので前者を選択した。

 数年に渡ってアーサーはその力に幾重にも施された封印を解くことをしなかった。故に制御が予想の数倍も下手くそになって、前方の樹海を焦土する羽目になった。これに関してはお咎めがあるかもしれないと内心焦っている。

 依頼は終わった。だがずっと頭の片隅で消えない違和感というのがあった。

 アーサー・クラウズは自らが強いということ知っている。だがそれ以上に自分があまり賢くないことも知っている。それでいて策謀や術中というのがあまり理解できない。戦闘中の駆け引きであれば別だがそれ以外はからっきしと言っていい。これに関しては面倒くさがりという部分が足を引きずっている。しかしアーサーの足りない頭でも聞いた言葉を反芻することくらいはできる。

 マスター。間違いなくサリアはそう口にした。

 アーサーは不自然な点をスルーしかけて冷静さを喫煙によって取り戻す。久々に力を振るったら思った以上の出力で樹海をそのまま消し飛ばしてしまったことよりも、サリアから「マスター」と呼ばれたことの方が不安だった。

 樹海へ入った時と先ほどのミズガルズオルム(違うらしい)を倒した後ではサリアの態度は天と地ほど違う。

(さっきのまでは直球でキツかったが、これはこれでキツっいなぁ。まあマシか。いやそう思うしかないよなぁ)

 何か嫌な予感がしていた。ずっと——そう、リーシュがこの領地にやってきた時から。この少女サリアを見た時から。

 アーサーが知る限りリーシュは大事な用がない限りは外出などしない。あの出不精の小太りジジイが外に来て、自分に会いに来た時点で碌なことではないと思った。だが実際にはモンスター退治程度で安心したのも束の間だった。サリアの発言により安心感は不安と絶望に変わりつつある。

(あーなんか読めてきた。読めてきたよ俺。流石の俺でも分かる。これ多分、あのジジイ絶対に俺にギルドマスター押し付ける気だ。きっとこの子はその試験官。皇帝様の勅命である以上は俺はあのモンスターを狩るしかない。そして試験は滞りなく合格しあのジジイは引退。俺はその役目を全て押し付けられる。そういう策——いや罠だ。これは知人二名により巧妙な罠なのだ)

 そうでなければ不自然過ぎる。何よりもサリアの殺気、敵意が完全に消えたことが決定的な要因だった。

(期待して損したぜ)

「どうかされたましたか?」

 サリアは無表情であるが先ほどまでと距離感が違うと断言できた。様子を伺うように上目遣いで顔を覗き込んでくる美少女にアーサーは目を奪われる。「ああ心臓に悪い」と。

 その表情で大きな損をしているがサリアの容姿は驚くほどに良く整っている。エルフの容姿は美形であることが多いが、それを遥かに凌駕しているとアーサーは評価している。翡翠のような瞳は作り物のように綺麗で油断すると目を奪われてしまう。アーサーはジッと見過ぎたと顔を逸らす。そしてわざとらしく咳払いをした。

「いや、なんでもない」

 こういう時に強く言えない自分がアーサーは嫌になってぶん殴りたくなった。何かこの羨望の眼差しは懐かしく別に悪い気分ではなかった。

「そうですか」

 フッと微笑んだサリアにまたもアーサーは見惚れる。その表情はジロジロ見ないようにしたのに、またも硬直してしまう。それを誤魔化すようにアーサーは少し早足で歩き出す。

 アーサーは自分の所為で一部だけ荒野になった樹海に背を向けながら村の方向へ戻っていく。サリアはその隣をそれが当然と言うように自然と歩く。それを理解しながらもアーサーは彼女の方を見なかった。

 来る時に感じたプレッシャーとは違う何か威圧感を放つサリアにアーサーは焦る。というよりも敵意には慣れているが賞賛や憧れ、羨望といったものに慣れてない。故にこの状況はアーサーにとって無数の敵意や殺意に晒されること以上の地獄。端的に今の感情に名前をつけるとしたら「気まずい」だった。

 そんなアーサーの気持ちを知らずこの「気まずさ」の均衡を破壊する者。最高位冒険者はサリアは「マスター」と口にしてアーサーの顔を覗き込んだ。

「幾つかお聞きしてもよろしいですか?」

 ああ……と力なく返答したアーサー。やはり慣れない感情に晒され続けるのは非常にむず痒い。いっそ殴りかかってくれた方が気は楽だ。

 英雄のような扱いは嫌いだ。それはアーサーの実力が相応にあるとしても、人格の方があまりにも英雄と呼ぶにはお粗末だと自覚しているからだ。その期待にはきっと応えることはできない。故にアーサーはこれまでのような凡人、平民などの扱いを好むのだがきっとそうはいかないだろう。少なくとも目の前の人物は。

「先ほどのモンスター。マスターはどう感じたました?」

(えー感じた? 何も感じてない——とは言えないようなぁ)

 正直な話、あの程度の相手には何も感じないのだがアーサーの本音だった。何かしらの特殊なスキルを持っているならばもう少し感想は抱けただろうが、あれがやったのは肉体能力に任せた突進だけだ。蛇がニョロニョロ動いているのを見て何を感じろと言うのか。

「あ。あー少しは手強かったかな」

 アーサーは適当に言葉を紡ぐ。その姿をサリアはジッと見ていた。

「マスターは嘘が下手ですね」

 不意打ち気味の言葉に「え?」とアーサーは漏らした。

「準備運動もまともにできない……とでも言いたげでしたよ」

(流石に無理があったか。それともこいつが……いや違うか)

「マスターの持つ武器は聖遺物ですね?」

「ああ、そうだよ。あれはリーシュの爺さんに貰ったものだ」

 またアーサーは嘘を吐いた。貰ったのではなく勝手に持ち出したのだ。今となっては馬鹿げた行為だと反省している。奇跡的にお咎めなしとなっているのはそれを使いこなすだけの力量があったからだ。

「グングニルとスヴェルですよね?」

「よく知ってるな。ああ、そうか。君の剣も聖遺物だからか」

 アーサーは視線をサリアの腰に装備された剣に移す。それもまた聖遺物だとアーサーは断言できる。

「よくお分かりになりましたね?」

「あ……あー昔見たことがあってな」

 聖遺物は常人には使えない。選ばれた人間でなければそもそも装備ができない。そして選ばれた人間でも適合率が高くないと能力を引き出せない。適合率が高いとアーサーのように聖遺物は肉体の一部となり魔力による遠隔操作や限定解除などが行えるようになる。しかし同時にそれだけ人間を辞めている証明であり、一概にそれは良いこととは限らない。

 サリアの適合率はアーサーの見立てでは三十パーセント程度。これはハーフエルフ故の数字でエルフの寿命ならば五割まで上昇させることができるだろう。何かきっかけがあればそれ以上になる場合もあるだろうが、それは彼女をギリギリ人たらしめている部分を喪失させてしまう危険性がある。

「それに選ばれた時点で優秀な人間である証だ」

「マスターには遠く及びません。私もさらに精進しなければいけないと痛感させられました」

 確かにアーサーは既に九割近くの適合率を誇り、もはやグングニルとスヴェルは肉体の一部と化している。同時に手足の如く動かせる。サリアはまだその域には達してないがその必要はないとアーサーは思う。

「無理に人を捨てる必要はないぞ」

「元より無限に近い命を授かった身ですから……それほど気になりません」

 サリアはまだ十代の少女に見えるが彼女の種族のことを考えると実年齢はアーサー以上。百歳は優に超えているだろう。

 エルフの寿命は正確には判明していない。一千年以上生きたという話もあるくらいで、ハーフエルフはそれ以上だとされる。帝国の歴史も未だ五百年ほどであることを考えれば無限という表現は間違いではない。人よりも、国よりも彼女は生きる運命にある。

「そういや、既に似た者同士だったな」

「ではやはりマスターも」

 サリアは言葉を躊躇って謝罪した。失礼だったと。しかしアーサーはそれほど気にしていない。もうそれに関しては諦めている。

「気にするな」

「ご寛大なお心に感謝を」

 仰々しい。サリアの一挙手一投足、アーサーへの振る舞いは気の遣いすぎだ。既視感が湧いて少し距離が縮んだような気がしたがそれは気のせいだったようだ。

「さて村は」

 アーサーは考えなしに歩いていたことを思い出して周囲を見渡す。

 来た時と同じように、アーサーは村の狩人が迷わないように木々につけた印を辿って行く。この印を追えば迷わずに樹海を動ける。もちろん深部まで村人は到達していないし、そもそも半分くらいは消し飛んだので頼りにならない部分もある。この印を確認する必要があるために、アーサーは何度も足を止めて確認しながら慎重に進んできたのだった。

 そもそもの話、アーサーのジョブは純粋な戦士で森やダンジョンを安全に進んでいくようなスキルも能力など皆無。探知も感知もできないに等しい。

 アーサーは別に罠に掛かっても困らないし、モンスターなどの奇襲も、別に脅威にならないから丸腰で進んできただけだ。迷うことは迷う。しかし相手はデカい蛇なので探索も必要ないと踏んでいた。相手から現れてくれたことは幸運だった。

 現在の時刻は腹の具合と太陽の位置からギリギリ割り出せる。まだ昼前だろう。予想よりも時間が掛かったが問題はそこではない。

「マスターのおかげで予想よりもはるかに早く終わりました」

 そんなアーサーとは真逆の感想を抱いたサリアの言葉。もはや「マスター」という呼び名に違和感すら覚えなくなってきたところだ。しかしそれを受け入れることはまだできない。

 ともかくアーサーは真偽を確かめるために、村で待機するリーシュに会わなけばならない。アーサーの歩幅は大きくなり、次第にその速度も上がっていく。

 来た時の時間と同じくらい——二時間ほどかけるとアーサーはようやく村へ帰還した。そこには心配した様子で村人が集合しており、その中にマルスの姿もあった。彼はアーサーの姿を確認すると駆け寄る。

「大丈夫だったのか?」

 マルスはらしくなく心配したように聞いてきた。しかしアーサーは自らの置かれた状況を顧みて

「大丈夫じゃないかもしれない」

 と疲れ果てた顔で答えてしまった。するとマルスはまた心配そうに顔を歪めてアーサーの全身をくまなく見た。

「怪我したのか?」

「いや、そうではなく精神的に」

「何を見た?」

「むしろこれから見るかもしれない」

 そこまで話して、ようやくマルスはアーサーがいつもの調子だと悟ったのだろう。笑顔を浮かべてアーサーの肩を力強く叩いた。

「災難だったな。樹海の案内役なんて」

「あー、ああ」

 そんな言い訳をしたんだっけとアーサーは数時間前の自分の発言を思い出した。

「ご苦労じゃったな」

 かっかっか。今そのリーシュの笑い方は果てしなく癇に障る。アーサーはその老人を連れて村から離れてた位置へ移動した。その速度は凄まじい。そしてアーサーの鬼気迫る表情を見てまたリーシュは笑った。

「どうしたんじゃ? 二代目マスター」

 ギロリと声の主をアーサーは反射的に睨め付けた。当の本人は「おー怖い」なんて言いながらも余裕が透けて見える。それは当然であり本来言いたかったのは「計算通りじゃ」だったのだろう。

 アーサーはマルスに目配せする。その意図を汲み取った彼はアーサーをリーシュと二人にする。

 マルスの姿が遠くなるとアーサーは目の前の老人を恨めしそうに睨んだ。

「あんた俺を嵌めたな?」

「なんのことだか?」

 わざとらしい笑みを浮かべた老人の表情は労りなど一切感じず、むしろぶん殴りたくなる。アーサーはそれを堪えた。拳は既に握られ震えているが止まっている。

「その様子だと気づくのが遅かったようじゃな」

「くっこの!」

「ちなみにこの依頼。皇帝陛下に許可を取って同時にお前さんのギルドマスター就任の詔書ともなっておる。もはや断ることはできんぞ?」

「……マジで覚えとけよクソジジイ」

「最近物忘れが酷くてのぉ。自信ないわい」

 かっかっかとまたリーシュは笑った。それは先ほどまでの邪悪な笑みでなく祝福するような心から嬉しがるような笑い声だった。

「あの子も気に入ったようで何よりじゃ」

 あの子というのはきっとサリアだろう。リーシュの視線の先には遠目でこちらを見るサリアの姿がある。アーサーがそちらを向くと彼女は律儀に一礼してくれた。

「あんたが誘ったのか?」

 静かにリーシュは首を横に振った。

「あいつはいつから冒険者になった?」

 アーサーの声は無意識に低くなっていた。その瞳は憂いを帯びており、今にも泣き出しそうだった。それを察したのかリーシュも冗談めいたことは言わない。

「お前が居なくなってからじゃよ。あの子なりに断片的だが感じることはあるのじゃろう。あの子は謎の冒険者に憧れていると言っておったよ」

 そうか——アーサーは嬉しいのか、悲しいのか分からない顔をする。自分でもその感情は理解できてない。

「いつかこんな日が来ると分かっていたじゃろう?」

 アーサーの思考を読むようにリーシュは言った。声音は少し優しく、揶揄うような感情を感じない。コツンと杖で頭を小突かれて「その通りだ」とアーサーは呟く。

 忘れてはいけない。アーサー・クラウズは特殊な人間であり、特殊な状況下に置かれている。こうして生きて農家紛いのことを続けて来られたのはリーシュという人物のおかげだということを。

 リーシュはアーサーにとって恩人だ。彼が普通の人間としての時間を提供した。だがそれもここまでだと言われているような気がした。

「こんな辺境にいることを、陛下は良く思わないのは知っておるじゃろ。帝都へ戻れアーサー。お前を必要とする者は大勢いる。ワシもあの子もそうじゃ。自分に成せることを成せ。自分のあるべき場所へ行け」

 少しずつアーサーの心に平静が戻ってくる。先ほどまであった怒りも不安も消し飛んで老人の言葉に言いくるめられる。「いつもそうだ。この人には幾つになっても敵わない」と彼は思う。

「分かりました。師匠」

 アーサーは若き頃を思い出すように瞳を閉じてそう口にしていた。

「お前ならオーディンを導けると確信しておるぞ」

 満面の笑みを浮かべるリーシュ。彼は師であり恩人。アーサーはそれに対し笑顔で返す。

「はい。あなたから受けた恩はあんたのギルドへ返します」

 数年ぶりにアーサーは頭を下げた。感謝だ。自分に全てを与えてくた者への感謝。しかし

「まあそれはそれとして、ぶん殴るけどな!」

 それまで握られていた拳は我慢の限界を迎えたようでついに振るわれた。か弱い老人の後頭部へ一切の容赦のない拳骨が襲いかかった。

「ぐあぁ! 何をするんじゃこのクソガキが!」

「あんたがすぐ忘れるとか抜かすから忘れないうちに殴ってやったんだよ!」

「本当に殴る奴があるか! 今めちゃくちゃ良い空気だったじゃろ!」

「知るか! 俺はやると言ったらやる男だ!」

 二人の声が村中に響き渡る。それは親子のように側からは見えた。

「しゃあねえからやってやる。やると言ったからにはな」

 これが後に伝説となる二代目ギルドマスター誕生の瞬間だった。



 その夜。シャクティスでは宴が催されていた。宴といってもこの村には豪華な料理も高い酒も滅多に入ってこない。非常にささやかな規模だ。

 一年に一度シャクティスはその年による樹海の安寧を村の平和を感謝し祭りが行われる。樹海信仰とでも言うべきか。この土地そのものを神としている。

 しかしながら、その祭りはまだ遠くそんな準備もまるでない。結果として宴と言うにはおこがましい火を焚いて、少々の安酒を提供するだけの会だ。少しでもその感を誤魔化すために村人は総出で英雄を囲んで様々な話をしている。実際、感謝はしており誰の表情にも笑みがあった。

 シャクティスに起きた異変を鎮めた英雄。それは同時に樹海を救った英雄でもある。村人の話では樹海の一部が消失したかのように草木がなくなっており、あの場で起こった戦闘がいかに凄惨なものかを容易に想像できたとか。

 村人たちは英雄を囲う。中心には二人——ハーフエルフの少女と杖をついた老人。老人は村人と共に笑っていたが少女は終始無表情のままだった。

 宴を少し離れた位置でマルスは眺めていた。その場に彼が混ざらなかったのは、同じく宴を無関係と言いたげに見つめる見知った顔を見つけたからだ。

「お前はあそこに混ざらないのか?」

「俺は英雄じゃないぜ?」

 アーサーは地面にそのまま腰掛けており酒の入った木製の器を片手に持っている。横には酒瓶が置いてあり今日の村における大盤振る舞いが見て取れる。アーサーは今回の件で冒険者らの案内役を果たしたのでそれなりの報酬を得ていた。

 マルスはその隣に腰掛けた。持っていた器をアーサーへ向けるとその意図が伝わり、彼も器を突き出す。

「乾杯」

 二人は並んで酒を一気に飲み干した。久方ぶりの酒。喉を通過すると熱くなり、マルスの頭が一瞬グワンと揺れたような気がした。

 マルスはアーサーの過去へ踏み込むため酒の力を利用した。素面で今更アーサーと真面目な話などできないと思ったのだ。

「英雄はお前じゃないのか?」

 ふわふわした頭でマルスは口にする。その視線は宴の中心にいる二人へ向いているが尋ねているのは隣の人物に対してだ。

「まさか」

「樹海の案内役なら狩人の方が良いだろ。知り合いとはいえお前が行く必要はなかった。あの人たちはお前に今回の件を解決してもらうために来た。違うか?」

 マルスの問いに対して答える前にアーサーは再び器いっぱいに入った酒を飲み干した。

「お前は詩人になれるぞ。そんな幻想を語れるとは。酒の力か?」

 冗談っぽくアーサーは流すその顔は赤く、彼も酔っていると分かる。マルスはそれでも話をやめない。

「じゃあ一つだけ答えてくれ。お前はこの村を出てくのか?」

 はぁ——アーサーは逃げられないと知って溜息を吐く。

「まあな」

 今度は素直にアーサーは答えた。あまりにもすんなり言ったのでマルスは呆気に取られた。彼は何も言わないままに消えてしまいそうだったが、そうでもないらしい。

「あのジジイが作ったギルドを引き継ぐことになっちまった」

「ギルドって冒険者。お前やっぱり冒険者だったのか?」

「ずいぶん昔にな」

「そんな話……聞いたことなかったぞ」

 言ってないからな——アーサーはそう言う。しかしいきなり冒険者ギルドのマスターとは大出世にも程がある。だがマルスは別段驚かなかった。彼は今回の件を解決し樹海に巨大な空白を生み出した張本人がアーサーだと思っていたし、元から彼を只者とは思ってなかった。だからこそそんな突拍子もない話も簡単に受け入れられた。

「もう一ついいか? なんでこの村に来た?」

 質問に答える前にアーサーはいつものように、煙草に火をつけるとそれを口にした。煙を吸い出すと彼は酒を飲む時よりも幸せそうな顔をした。

「美味い煙草を作る奴がいるからな」

「嘘をつけ」

 また戯言を言う。アーサーが煙草を吸い出したのはこの村に来てからのことだ。マルスが取ったタバコの草から生み出された銘柄だというとアーサーはそれを吸い始め、今では愛用している。

「別にここが特別だったわけじゃない。ここにいた期間が長かったのは事実だがな。なぜここに辿り着いたかと言われれば偶然だ」

「今度はどこへ?」

「帝都」

「そりゃすげえ」

 帝都に拠点を持つ冒険者。それは最高峰の冒険者ギルドを表している。それくらいは田舎者であるマルスでも耳にしたことある。それがどこかアーサーとマルスの仲を隔絶してしまったような気さえした。今隣にいる男がどこか遠くに見えた。

 マルスはアーサーを真似るように酒を飲み干した。頭が揺れる。慣れないアルコールは一瞬でマルスの思考回路を鈍らせる。

「この村の生活はどうだった?」

「普通だよ。それまでとあまり変わりはない」

 そうか——と溢してマルスは視線を落とした。

 実のところマルスはそれほど酒が得意ではない。アーサーのペースに合わせて飲んできたためにもはや意識が途切れそうだった。目は半目になっており体はよろよろと左右に揺れている。

「でもお前との生活は一番楽しかったぜ」

 その言葉をマルスは聞くことはなかった。鈍る感覚、意識は濁流に呑まれるようにマルスを睡眠へと誘った。


「はっ!?」

 何かにぶっ叩かれたようにマルスは目を覚ました。そのまま恐ろしい速度で状況を把握しそのまま走り出した。

 その姿はすぐに見つかる。心臓は恐ろしいほどに鼓動を刻み、肺は酸素を取り込もうと必死に呼吸を要求している。そのままぶっ倒れそうだが気にしなかった。

「もう行くのか?」

 マルスは珍しく自分よりも早く起きている同居人に声をかけた。シャクティスの村は静まり返っており、狩人も誰一人としてその姿はない。

 元々活気のある村ではないが陽が差さないので余計に寂しさを感じさせた。今、村で起きているのはたった二人——この村の変わり者達だった。

「なんだ起きれたのか。ずっと眠りこけてるもんだと思ってたぜ」

「さすがに、な」

 マルスは結構無理をして目覚めた。正直な話、まだ頭がグラグラするし吐き気もしている。しかしアーサーの門出には立ち会おうという気持ちが、彼をこの場に立たせている。それでも出発前に目覚めたのは奇跡だった。

「世話になったな」

 これまでずっと一緒に頑張ってきた相棒はそんな淡白な挨拶をよこした。本来ならば寂しがるべきだろうが、彼らしいとマルスは納得していた。表情は爽やかではなく、彼も無理して目覚めたようで非常に眠そうだった。

 アーサーは村を出るというにはあまりにも荷物が少なく、やはり手荷物はタバコとライターのみだった。それもまた彼らしい。

 十年ほど前にアーサー・クラウズはいきなりこの村に現れた。「あんた面白そうなことしてんな」そんなことを言ってアーサーはなし崩し的にマルスの家に住み、そして当たり前のようにマルスの趣味を手伝った。謎で始まって謎で終わろうとする男。

「最後に聞かせてくれないか? お前は誰なんだ?」

「アーサーだよ」

「いや……そういうことではなく」

 なんで伝わらないかな——とマルスは頭を掻いた。しかしアーサーはそれを分かっていたようで、困ったような表情を浮かべたマルスを見て笑っていた。

「知ってるだろ? お前の友達だ。忘れんなよ」

 これで良いのか。とマルスはどこか腑に落ちた。アーサーという男が樹海を消し飛ばせる超越者だろうと、誰であろうとその事実だけは変わらなかった。

「ああ! 忘れねえよ。お前みたいな最高のバカは」

 二人は笑い合った。腹の底から声を出して。相棒の門出を祝福するように。

「煙草の差し入れは年中無休で受け付けてるぞ」

「最高のを作る。ギルドマスターのお気に入りのタバコだからな」

 アーサーは見せつけるように煙草を慣れた手つきで吸い始めた。それはやはりマルスが作ったもので、アーサーが愛用するものだ。香りの奥深さはあるが独特の癖と辛さがあり、好みは分かれるとマルス自身は思っているが、彼はこれが良いと言ってくれた。

「あばよ」

 散歩にでも行くような声音と表情でアーサーは踵を返して歩き出した。

「じゃあな」

 マルスは最後の最後まで相棒のことを何一つ知らないままに別れを告げたのだった。知っていることはただ一つ——彼は自分の友人だということ。それだけでマルスという辺境の農夫にとっては十分過ぎた。


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