一章 【伝説が語られる】 一
漆黒の馬がその四肢を懸命に動かして草原を駆ける。街道沿いに突き進むそれはいずれ西にある辺境地シャクティスと呼ばれる領地と同名の村に辿り着くだろう。馬は一つの馬車を牽引し、なお衰えない速度で力強く走る。馬車は木製でありそれほど頑丈には見えず、なおかつ裕福そうな装飾もない。このことから貴族が乗っているという可能性はない。大きさは荷馬車というには小さくて人が数人乗り込める程度だ。馬車を走らせる男の身なりも同様だったが、武装している。このことから馬車は冒険者のものだと側から見る者は推測できるだろう。
馬車の中は予想よりも狭い。本来ならば四人乗りなのだろう。しかし実際には二人乗っただけでかなり窮屈で三名が定員といったところだ。そして男女が一名ずつ向かい合って座っていた。
一人はふくよかな体格の老人だった。禿げた頭、特徴的な真っ白の長い髭を伸ばしている。老人の手には杖を持っており眠りこけるように瞳を閉じている。祭司のような服装であるために彼もまた冒険者、そのジョブは賢者や神官のようなものだと予測できる。しかしながら老けてはいるがどこか人間離れした印象を与え、見る場所によってはモンスターと勘違いするかもしれない雰囲気があった。
老人の対面に座るのは少女。白銀の髪は肩に届かないくらいにカットされており顔立ちは非常によく整っている。動かない表情で窓の外を見る姿は人形や絵画の中の人物と評されるような美貌だ。耳は尖った珍しい形状をしているがそれは彼女がエルフと人間の間に生まれた子であるが故だろう。宝石のような深緑の瞳は少し憂いを帯びている。口はムッと噤まれており少女の機嫌が透けて見えるようだ。だがこれは彼女にとって真顔で、特に意図してないがこういう顔になってしまうらしい。
少女——サリア・グラスナーは視線を外へ向けたまま無意識で手元にある剣の柄に手をかけて、握って離してを繰り返している。
サリアはその容姿とは裏腹に冒険者であり、そのジョブは戦士だった。軽装の鎧を身に纏いロングソードと思われる武器を一本だけ帯剣している。少し不足に思えるのは彼女の実力を知らない者だけが抱く感想だろう。
虹と呼ばれる最高位の冒険者。中でもサリアはギルド【オーディン】において最強と称される魔法剣士だ。剣士の腕はもちろん。魔法も専属の魔導士以上に扱える彼女は伝説級の魔剣と呼ばれるレーヴァテインの所有を許された数少ない存在だ。国内にて顔を見せれば誰もがひれ伏す、そんな存在なのだ。
老人はサリアの様子を伺うように薄目を開いて様子を見る。
「まあ、落ち着け」
ゆっくりと、そして落ち着いた口調で老人は話す。この言葉遣いから老人がサリアよりも上の立場だと分かる。
「起こしてしまいましたか? マスター」
マスター。そう呼ばれることから分かるように老人——リーシュ・バランテウス・マグスはギルド【オーディン】における最高責任者ギルドマスターの地位にある者。サリアは真っ直ぐに視線を向けると表情を変えることなく謝罪をした。
「気にするな。こんな馬車では眠ることはできんよ」
リーシュは腰を軽くさする。「老人には堪えるわい」と笑いを浮かべているが実際に安物の馬車の揺れは相当に負担が掛かる。それを理解して向かいのサリアは眉を顰めた。
「やはりもう少し良い馬車を手配した方が良かったのでは?」
「そうもいかん。ここから先は極秘事項だ。ワシらが移動していることは帝国内の記録に残していかんのじゃよ。じゃないとワシの首が飛ぶ。もちろん物理的にな。それならばこんな腰の痛みなど屁でもないじゃろ」
「承知しました」
サリアは不服そうではあるが一応の納得を示す。だが全てに納得した訳ではない。それは彼女らが身分を隠して移動していることではなく、今現在ギルドが抱えている問題についてだった。
「あとその敬称も不要じゃよ」
リーシュの言葉にサリアは顔を顰めた。大きい声を出そうになるのをギリギリと堪えるとサリアは冷静さを保って口を開く。
「マスター。今一度お考え直しを」
「くどい」
温厚そうなリーシュの声が途端に低くなる。それに威圧されたサリアはその先の言葉を失ってしまった。それはそうだ。この問答については再三繰り返されてきたことだからだ。しかしリーシュは先ほどの態度とは一変しその表情に笑みを浮かべた。
「言ったじゃろ。見れば分かると」
これも再三に渡って言い聞かせたこと。リーシュはただその時を待てと言いたげだった。
「アーサー・クラウズ。何者なのですか?」
「ワシが知る限り帝国最強の男じゃ」
「しかしそんな記録は」
サリアの言葉遮ってリーシュは言う。
「記録には残らんよ」
「それはつまり」
かっかっか——とリーシュはわざとらしく笑ってごまかした。
「好きに解釈しろ。伝説とはそういうものじゃ」
現状では何も進展しないと諦めたサリアは溜息を一つ吐くと、現在ギルドが直面する問題に対しどうすることもできないと改めて感じる。
「ほれ。もうすぐ着くぞ」
リーシュは窓の外を見て杖を向けた。小高い丘を越えた先、帝国領にて最西端にありアガルガ樹海の入口と呼ばれる土地シャクティス。そこへ向かうと途端に地形が不安定になり道も凹凸が増える。周囲が巨大な木々に覆われるのをサリアも確かに見た。
「あれがシャクティス」
大したことはない小さな農村がサリアの目に映った。大きく迂回するように向かうために側面にある馬車の窓からでもその姿が見えた。窪んだような土地に馬車はゆっくりと降りていく。ほとんど谷のようになっていて、その降りた先に無限に広がっているようにも見える樹海が嫌でも彼女の視界に入った。
「なぜこんなところに村が……」
「シャクティス伯爵は昔からこの樹海の番人なんじゃよ。自然がそのまま残るこの場所は人間が無意味に踏み込まない限りは危険がない。その証明のためにここに村を構えておる。実際に未だかつでモンスターに襲われた記録はない」
「外からではなく内からの監視者ということですか」
リーシュはコクリと頷く。豊富な自然の恵みにより小さな村落ならば食に困ることもない。なるほどと納得できる話だった。しかしかなり危険な土地であることは間違いない。
(まさかこの土地を守っているのが例の男なのか?)
モンスターが襲ってこないという話をサリアはあまり信じていなかった。だからこそアーサーという男が守っているのではないか? という推測だが。その場合はこの土地から彼を引き離せばどうなるのかは目に見えている。だから違うとすぐに断言できた。
「いくぞ」
いつの間にか馬車は止まっていてリーシュは馬車を出ようとしていた。サリアも片手に剣をしっかりと握って外へ出る。雲一つない空から太陽の光が二人を歓迎するかのように降り注ぎ、眩しさにサリアは目を細めた。
「あれ? リーシュの爺さん?」
リーシュに対し、まず帝国では聞かないような軽快な口調とノリで話しかける者が一人。サリアは反射的に声の方向を見た。
そこには鍬を持った中年の男が立っていた。年齢は三十代後半から四十代前半と言ったところか。黒い髪と黒い瞳、伸ばした髭と髪はだらしない印象を受ける。どこからどう見ても普通の農夫だった。この男が例のアーサー・クラウズでないことをサリアは内心祈っていた。
「おお、久しいなアーサー」
その言葉にサリアの祈りは刹那の内に儚く散ってしまったのだった。
・
朝だ。長らく農村にて農夫の真似事をしてきたアーサー・クラウズにとっては陽が上る前が目覚める時間だ。十年近く同じことを繰り返してきた所為か正確に朝四時ごろに起きることは可能だった。
ただし起きることが可能なのと起きる気があるかどうかは別なのでアーサーはいつも通り農夫の真似事止まりの趣味を放置して睡眠を継続する。二度寝こそが至高で、最高。この世で喫煙の次に至福の時間と言えるだろう。しかし幸せとは長く続かないことも同時に知っていた。
来る。
「起きろアーサー! いつまで寝とるんだ!」
ドカンと大きな音を立てて扉が木っ端微塵になりそうな勢いで開かれた。きっと現れたのは隣の家の主——この家の本来の持ち主でもある——の男だろう。怒号が響く。本気で怒っている訳ではないだろうが怒声であることに違いない。寝起きの脳みそにはやけに大きく、そして強く響く。
アーサーの微睡みは僅か七秒という時間を持って終了した。
ようやく目を開けると体を起き上がらせ、目の前にいる自分よりも年上のおっさんをアーサーは嫌々だが見た。しかし最後の抵抗とばかりにベッドから降りることはしなかった。
筋肉質かつ巨大で強靭な肉体を持つ彼、マルス・カルタスは寝ぼけたままのアーサーを簡単に持ち上げる。無理やりベッドから引き摺り下ろしてそのまま野良猫を家から追い出すように家の外に連れていく。
これすらも日常。あまりに日常でアーサーは安心して天を見上げていた。先ほどまでの蜘蛛の巣が残った今にも落ちてきそうなボロ屋の天井ではなく、蒼く澄んだ快晴の空を眺めるていると程良い気温と靡く風が更なる眠気を誘う。
瞳を閉じる。
「何寝とるんじゃ!」
突然の浮遊感。きっと投げられたのだとアーサーは予測する。そしてここからも日常だ。いつまでも起きないアーサーをマルスが近くの川まで持って行ってぶん投げるのは良くあることだった。
「はいはい起きま——ゴボボボボボ」
視界が青空から漆黒へ塗り変わった。というか目が開けられないし呼吸もできない。冷たくて気持ち良いがもはやそうも言っていられない。そこまで深くない川だがさすがに仰向けに倒れてたら普通に顔が水に覆われ息ができない。
「ぶはぁ、目が覚めたぜチクショウ」
収穫時期が終わって少し気を抜いたらこれだ。
マルスはこの村において農業関係を指揮する立場にあった。と言ってもその実情はマルスとアーサーのみで行っているだけなのだが。
そもそもこのシャクティスの地は農業に不向きなのだ。地面は恐ろしく硬く開拓すらも至難の技、日当たりは悪くないが土地の栄養は全て近隣にあるアガルガ樹海の大木らに持っていかれまともに作物が育たない。
今年の収穫は芋が数個できた程度、これではまだまだシャクティスにおける農業革命は遠い。豊富な資源が取れる樹海にて狩りと果物や山菜の採取で十二分に村人は生活できるので無理に農業をする必要はない。アーサーが内心でこの仕事を趣味と称するのはこの所為だ。
アーサーとマルスはこの土地にて農業をするような変わり者として知られている。変わり者二人は今日もほぼ意味のない農業に準ずるのだった。
「起きたか?」
「起きた起きた。ついで水も飲めて顔も洗えて体も洗えて洗濯もできたぞ。一石四鳥、村のみんなに教えてやろう」
「やめとけ。そんな真似したら頭がお前同様にバカになる。それに村を支える川をこれ以上汚すのも悪い」
「違いない」
よっこらせっと立ち上がったアーサーはその身に纏った水を完全に吸い切った衣類の重さに耐えながらマルスの手を借りて川から上がった。
「みんなは?」
アーサーは村を見渡す。アーサーが寝泊まりしているマルスの家の物置小屋は村の端にあり、そこから村全体の様子を見渡すことができる。そこから一つの疑問が浮かんだアーサーはマルスに主語もなく問いかけていた。
本来この時間は狩りの時間であり、村の皆は樹海で仕掛けた罠の回収に向かっている頃合いだが数人の男たちが村に残ったままだったのだ。アーサーの質問はそれはどういうことだ? という意味で、ここで過ごすマルスもすぐに理解できた。少し異常な事態だと。
「何かあったらしい。数人が樹海に入って様子見に行ってる」
「何かって……モンスターか?」
肯定を示すようにマルスは真剣な表情で頷く。
「本来ならばもっと深部にいるようなモンスターが村近くまで来ているようだ」
「へえ」
アガルガは帝国西方の大半を覆い尽くす大樹海だ。多くの自然の恵みと弱肉強食の中で生き残った強靭なモンスターが生息しており、帝国はここ開拓して領地を広げるという行為を数百年に渡って躊躇している。というのも開拓により樹海内の生態系を破壊して多くのモンスターが帝国へ侵入することを恐れてだ。逆に言えばアガルガからモンスターが出てきて人里を襲ったという話も帝国の歴史の中では聞かない。
このシャクティスという土地はその生き証人とも言える役目を担っており、この樹海に最も近い村と領地が健在な場合は樹海に脅威はないと言える。
アーサーがこの村にやってきて十年近くになるがモンスターによる被害を聞かなかった。シャクティスは生きていける分だけの狩りと採取を行って樹海と共存関係を保っている。
「しばらくは近づかない方がいいかもな」
マルスの発言も森を思ってのことだ。森の内部で起こったことに関して人は介入しない。自然な解決こそが自然のあるべき姿なのだ。村で生まれ育ったマルスにはそれが当然のことであり、常識だった。ある意味、介入するだけの力がないとも言えるが。
「なら今こそマルスの農業の腕の見せ所だろ」
「あのクソまずい芋を食い切る覚悟があるなら……な」
マルスの自虐的な発言にアーサーは乾いた笑みを浮かべてた。
まあアーサーもこの世と思えない芋の無味かつ最悪の食感、アクの強さを覚えている。蒸しても煮ても料理そのものを台無しにするだけのポテンシャルをあの芋——名付けるならシャクティス男爵芋は持っていた。やはり食料問題だけはどうにもならないだろう。
アーサーは再び村全体を見渡した。
シャクティスは基本的に自給自足。金なんてほんの僅かでその日の食事をその日のうちに取っていただくのだ。ある程度の貯蓄はあるかもどの家もあるかもしれないが、現状狩りと採取ができないのは深刻な問題だった。
「狩りができないとなるとあれか?」
「……あれだろうな」
マルスは渋々といった表情を浮かべた。しかしそれに対しアーサーは笑みを浮かべる。それはマルスが認めたくないことであった。
「貯蔵はあるだろ? 帝都では高値で取引してくれるし数ヶ月は持つだろ」
「まあな。悔しいがお前の言う通りにして正解だったな」
はっはっはとアーサーがマルスに対し勝ち誇ったような顔をする。というのもこの狩りと採取が必須の土地にて、趣味の農業を優先しても村八分にされない理由はほぼアーサーにあるからだった。
マルスとアーサーの二人の穀潰しがこの村から追い出されないのは煙草の原料となる葉の栽培と採取、そして貯蔵を行い帝都に売ってそれなりの収益を出すことが可能だからだった。
マルスは緊急手段として原生するタバコの草を収集し商人相手に売り捌いていたが喫煙者であるアーサーが珍しい葉っぱであることを指摘。保存方法と選別を行い、さらに純度を高めたものをブランド品として登録。そして三倍以上の値段で売ることが可能となった故に二人は村ではそれなりに頼りになる存在なのだ。
マルスとしては純粋に農作物で商売ができたら良いと思っている、未だにこの方法でしか稼ぎがないのが悔しいのだ。こんな時に役立つだろうと思ってアーサーの提案に乗って毎年少しずつ保存しておいて正解だった。
「ほら早く服を着ろ」
言ってマルスは家の方向へ歩いていく。お前の所為だろ——呟いてアーサーも続く。
ボロボロの木製の離れ——物置小屋——に戻ったアーサーは着替え改めて外へ出た。完全に眠気は覚めており同時に空腹を感じた。しかしアーサーは朝食よりも先に特殊な金属製の箱から一本の煙草を取り出すとそれを口に咥えた。同時に同じく金属製の手に収まる程度の箱の上部分を開ける。そこには指の先ほどの小さな赤い結晶が露出しており、それは魔法石と呼ばれる魔力を注ぐだけで魔法を発動させることのできるアイテム。それを使ってアーサーは煙草に火を着ける。
その着火装置をアーサーはライターと名付けて愛用している。魔導師でもないので魔力を使うことはないからケチる必要はない。灯した炎は本当に煙草に火を着けるか吸い殻を燃やす程度にしか役立たない。昔の知人からは魔力の無駄遣いと称されたがアーサー自身は良いものを作ったと満足している。
煙を吸うとアーサーはようやく今日が始まったと自覚(錯覚)した。煙草は口と鼻を刺激し食事の代用となり(錯覚)肺に入った瞬間に全身の細胞が覚醒させ(錯覚)一日の集中力、活力を得ることができる最高の趣向品(あくまで個人の感想です)だと言えた。
「ほら行くぞ」
「待て、まだ喫煙中だ。俺の喫煙を妨げる者は何人たりとも許しはしない」
まるで高級な肉を食らうかのように煙草の煙を味わうアーサーは恍惚とした表情を浮かべている。そんな彼に対しマルスはやれやれとため息を吐いた。
アーサーの吸っている煙草——というより葉巻に近い——はこの土地で作りマルスが開発したものだ。故にそれを見るのは彼的にはむず痒く、恥ずかしい気持ちになる。何がそんなに良いのか煙草を吸わないマルスは理解に苦しむ。かつてアーサーに尋ねたところ彼は「紅茶の香りを楽しむようなものだ。吸う紅茶だ」と答えてマルスは納得したような納得できなかったような反応を示したことを覚えていた。
アーサーは吸い終わった煙草の吸い殻をライターに埋め込まれた魔法石の出力を上げて燃やし尽くす。これによってゴミが出ない。なんと画期的なのだと本人は思っている。マルスの目から見てもライターと呼ばれるものは才能と魔力と貴重な魔法石の無駄遣いだった。
「行くぞ」
ああ——と短く返事をしてアーサーは愛すべき隣人と共に今日も特に意味のない趣味の範疇を超えない農業を手伝う。マルスから渡された鍬を肩にかけて持つと彼と並んで畑へ向かった。
・
畑と言っても農業地区で有名な東部に比べれば本当に笑ってしまうくらいの規模だ。村どころか家よりも小さい畑は子供達が遊ぶにも狭いと苦言を呈するほどの大きさ。しかしこれでも開拓に数ヶ月を要した。この樹海周辺の地はどうやら特殊な魔力を帯びているらしく、恐ろしく地盤が硬い。鍬で何度も掘って数センチしか掘り進まないくらいだ。逆に鍬が先に壊れる始末。しかも掘ったとしても雨が降って固まればまた元通り。畑を生み出せたことが奇跡と呼べるくらいなのだからこの規模は二人にとって誇りだった。
「今日はどうすんだ?」
「そろそろ煙草の葉の栽培をしようかと」
「おっ!」
渋々だがマルスはそう決断した。実のなる農作物を求めて試行錯誤を繰り返したマルスだったが、アーサーが散々言ったように土地柄にあったものを作った方が良いという提案をようやく受け入れたのだ。それにアーサーはパッと表情を明るくした。
「不本意ながら」
一応の注釈。
利益を出す必要が出たということだ。今から栽培しても一年はかかるのだが長期的に見て栽培した方が良いと判断したのだ。この先も村で活動するにはそれが一番だった。
「ん?」
樹海から一気に鳥が羽ばたいて村の空を滑空していく。優雅というよりは焦燥を感じさせる全力の飛翔。それは間違いなく天敵、捕食者からの逃走だった。
マルスの視線は鳥の群れの後に樹海へ向いた。巨大なモンスターでも目覚めたのか? と予測する。経験から数十年、数百年覚醒し活動する大型のモンスターは存在しアガルガ樹海ともなれば強大な力を持つ魔獣が眠っていたとしてもおかしくはない。過去に不猟に陥ることは何度もあった。今回もそれであれば良いとマルスは思いながら鋼鉄の地面を田畑に変えるべく鍬を振るう。
「なあ?」
視線を向けることなくマルスは言う。それは作業しながら聞けという彼の合図だった。だからアーサーも「ん?」と聞き返しながらも手を止めることをしない。
「樹海に行った男たちは大丈夫だと思うか?」
「彼らだって伊達に狩人をやってるわけじゃないだろ。モンスターくらいなら」
「そうじゃない」
マルスはアーサーの言葉を遮って口にした。
「ここ最近、村の者ではない足跡を見たって言ってただろ?」
「あーその件ね」
そういえば数ヶ月前からちょくちょく人が侵入した形跡があると狩りをする村人が言っていた。アーサーようやく思い出したように呟く。それ自体は幾らでもあることだ。樹海は未だに手付かずの資源や多種多様な動植物が存在する。それを研究したり採取したりすることは別に不思議なことじゃないし、それこそ今までも良くあった。
アーサーが特に気にした様子でないことに気がついたマルスは手を止めて正面を向く。
「そいつらが今回の原因だったら?」
「まだ決まった訳じゃないだろ。対策は原因を究明した後にすればいいだけだ」
マルスはため息を吐く。アーサーは変に肝が据わっている。虫が苦手でひ弱ですぐに腰を痛める癖にモンスターや野生動物を恐れるところをマルスは見たことがなかった。特に彼はこの村を脅かす存在——本来最も恐れるべき存在を相手に怯むことがない。村でのトラブルの大半がこうした樹海による脅威であるがその度に臆病風に吹かれ夜も眠れないマルスと違いアーサーはいつだって飄々としていた。
「怖くないのか?」
マルスはここ数年溜まっていた尋ねたいという欲求を抑えかねてアーサーへ問う。
言葉にしてマルスは思う。怖いのだ。シャクティスの安全は実際にはほんの少しも保証などされていない。これまでの歴史からそういう可能性——こちらから手出ししない限りモンスターは樹海の外へ出ないという実績があるというだけだ。単なる偶然という可能性もあり、ほんの少しの均衡を破壊すれば終わってしまうものだとマルスは考えていた。
この土地周辺には都市もなく、帝国中へ派遣可能である冒険者の到着も遅れることだろう。つまりこの村にモンスターが襲ってきた時はただ蹂躙されるのを待つしかないのだ。今にでも逃げ出したいがマルスはここ以外へ行く場所などない。ここで生まれ、ここで死んでいくだけの命。それがマルス・カルタスという男の生涯だ。
「何が?」
その答えからマルスはやはりアーサーという人物が自分とは別格だということを理解した。きっと彼は本心で答えているのだ。何が怖いのだと。それはきっと楽観的で樹海は絶対安全だと思っている他の村人とは根本から違う理由。
「モンスターが襲ってきたらどうするんだ?」
「逃げりゃいいじゃん」
簡単に言う。
十年くらい前に村へ流れ着いた余所者。村に着くなり「ここで住まわせてくれ」と言ってマルスの児戯にも等しい農業を手伝う変わり者の正体をマルスは未だによく知らない。アーサーは自分の話をしないし、マルスもまた聞かない。しかし彼は実は凄いやつなのでは? とこういう瞬間には思うのだ。
「お前ってほんとバカだな」
「何をいまさら……」
褒めているのだがアーサーにそれは伝わらないだろうとマルスは確信する。なぜならば彼はバカだから。
「あ〜腰がぁ」
ほら。やっぱりバカだ。
「ん?」
マルスの視線が樹海と反対側を向いた。下るようになっている丘からこの村へやって来る存在をすぐに察知できた。急勾配になる丘を迂回するように降りてくる馬車は遠目から見ても高価なものには見えない。
「冒険者か?」
マルスは即座にその答えに辿り着き呟いた。ここにやって来る人間は大きく分けて二つしか思いつかない。定期的に樹海の様子を調べる冒険者と売買を目的とした商人のどちらか。しかし荷台の大きさは人が乗るのが精一杯で荷物を運ぶのを目的としたものではない。ならば冒険者という線が濃厚だろう。
馬車の存在に気がついたのかアーサーも視線がそちらへ向いた。懐かしむように見ている姿を側から見たマルスは彼がかつては冒険者なのではという考察を頭の中で立てる。
「あれ? 商人来るのって今日だっけ?」
(これは違うな)
先ほどの考察が完全に的外れだとマルスは自身の考えを改めた。なんなんだこの男は——と言いたげな溜息を吐くとアーサーは頭にハテナを浮かべていた。
「冒険者だろうな」
冒険者。マルスの口にしたその言葉をアーサーは復唱した。
アルシス帝国。この国は非常に広大な領地を誇る。故に国が抱える兵士よりも自由度の高い冒険者——金銭次第で様々な仕事を熟す何でも屋ような存在——の方が多いという特徴がある。帝国と言えば最初に出て来るのが冒険者であり、他国にはこういう文化はないらしい。誰が言ったか冒険者大国。
冒険者の主な仕事はモンスター退治や警護や護衛。未開拓地の調査。またはあるいは戦争の参入など多岐に渡る。
アーサーは分かっているのか分かっていないのか微妙な顔でぼんやりとそれを眺めていると唐突に
「ちょっと行ってくるわ」
そう言い残して鍬を抱えたまま馬車の方へ歩き出す。
「おい! ったく」
いつもならゲンコツを喰らわせてでも止めるマルスだったが今回は状況が状況でアーサーの馬車を見る瞳があまりにも彼らしくなかったので止めるのが少し遅くなり、そのまま彼を行かせてしまった。
「ほんと……なんなんだあいつ」
変な奴なのは最初からだった。なんだか今や相棒とも呼べる存在が遠くに行ってしまう気がしながらもマルスには彼を追う勇気も力もなかった。だから彼が求める物を植えるためにマルスは硬い地面を耕す、追いたい気持ちを抑えて。
・
背後からマルスの怒声が聞こえたが後で謝ればいいやとアーサーは歩みを止めなかった。しかし鍬を持ったままだったのは間違いだった。普通に邪魔だ。だからといってそこら辺に捨てると背後から投げつけられそうで怖いので肩に乗せたままにした。
馬車は村の入り口付近——正確な線引きなどない——で止まる。馬の手綱を握っていた男が降りる。男は武装しておりマルスの言う通り冒険者で間違いない。それによりアーサーの疑念はより一層深くなる。なぜならアーサーは先ほどマルスの言った冒険者が来たという発言には反対だったからだ。
冒険者がこの地にやって来る理由は一つ。樹海の調査だろう。だからこそマルスとは違いアーサーの見解は冒険者ではないと予測した。
馬車があまりに小規模であり、定員は四人くらいが限度。あれでは樹海の調査など自殺行為だ。もちろん超級の存在がいるならば戦力としては申し分ない。しかし同時に調査という面では不足となる。つまりどちらにしろ人数が足りないのだ。
嫌な予感がまるで電属性魔法のようにアーサーの全身を伝った。
アーサーは睨むような視線になると男が首から下げたプレートを見る。これは冒険者の持つ階級——ランクのようなものでその冒険者の実力を一目で測ることが可能だ。男のプレートは銀で彼自身は平凡な実力で案内役、馬車の護衛くらいの役目なのだろう。だとすれば問題は中にいる人物だった。
冒険者の男は馬車の扉を開ける。その対応から中に入っている人物が彼よりもランクが高く、尚且つかなりお偉いさんだと分かる。
馬車からはゆっくりと杖をついた老人が出てきた。その特徴的な仙人のような容姿には見覚えがありアーサーは思わずその名を口にした。
「リーシュの爺さん?」
声に反応したのか老人——リーシュの細い瞳がアーサーの顔を確認し、同時に顔を上げた。そして知人であることを喜んだのかその口元が綻ぶのが見えた。
「おお、久しいなアーサー」
いつの間にかリーシュの背後には一目見ただけで美しいと分かる少女が立っていた。特徴的な耳からアーサーは彼女がエルフかあるいはハーフエルフの類だろうと予測する。だが何より目を引くのがその可愛らしい容姿とは裏腹にその身に纏う装備だ。特に腰に差したものは異常な気配を放っている。しかも首から下げたプレートは最高位の冒険者を示す虹色だった。
(ああ、この子は……なるほど。そういうことか)
この少女とリーシュの存在が現れた時点でアーサーの嫌な予感が当たってしまったようだ。
「変わらんなお前は」
「いや……変わったでしょ。もうおっさんですよ俺。あんた、見た目は変わらんが耄碌したようだな」
「かっかっか! 相変わらず言いよるなこのクソガキが」
旧知の中であるアーサーはリーシュの立場を知りながらもこんなふざけた態度を取っている。リーシュも何も言わないのでずっとこのままだ。再会は十年ぶりくらいになるが未だにその関係性は健在だったとアーサーは安堵しリーシュも同じように笑った。しかしながらこの二人がこうして再会してしまった以上は世間話だけで終わる訳はない。それに隣に連れた少女の存在がそう告げていた。
「んで? なんの用だ?」
アーサーは表情を崩さないまま声音だけ変えて尋ねる。リーシュはそのままの態度でまず背後にいる少女へ視線を向ける。
「まずは紹介をするぞ。ワシの右腕——ギルドリーダーであるサリア・グラスナー。そしてこの男がアーサー・クラウズじゃ」
一礼するとサリアは「よろしくお願いします」とだけ言ってそれ以上は何も言わなかった。どこか不機嫌そうな彼女に頭の先から足の先まで見定められているような視線。アーサーは少し不安になる。彼女は「初めまして」という言葉にも無反応だった。
(分かってはいたが少し傷付くな……まあしゃあないか)
このレベルの美女に嫌われるという予感。違う意味も含まれていルガそのダメージは思った以上に大きかった。アーサーは少し泣きそうになるが堪える。
「それで本題じゃが歩きながら話そう」
言ってリーシュは先導するように村へ向かって歩き出した。実際にはその向こうにある樹海を目指しているのだろう。その後をサリアだけが続き、男は馬車の前で待機していた。
やはり彼は馬車の護衛。それを確認した後にアーサーはリーシュと並ぶように歩き出す。
リーシュの歩みは杖をついた老人とは思えないほどに軽やかだった。アーサーの知る限りは七十を超える老人のはずだが人間とは少し違う種族であり、加えて魔法の力により肉体機能のほとんどは全盛期に劣らない。もちろん戦闘能力は下がっているが支援職の彼にとってはそこまで支障はなく、彼がこの歳でもギルドマスターという役職を続けているのも魔法の才覚が帝国内でも突出しているからだ。
「樹海はどうじゃ?」
その問いの意味をアーサーは瞬時に理解した。
「今朝から様子がおかしいらしい。狩りもまともにできないとか。こちとら今日の食い扶持を確保するだけでも大変だってのにな」
そうだろうな。とリーシュは言う。さっきの言葉から樹海の様子は全て把握していると予測できた。
「数日前から樹海内でとあるモンスターの存在が確認された」
リーシュは淡々と世間話をするかのように口にする。
「確かか?」
「白金等級以上の冒険者による確かな情報じゃ」
アーサーはマルスの言っていた侵入者の情報と照らし合わせた。若干時期のズレがあるが対策を練っていたとするなら数ヶ月のズレは許容できると納得する。もしかすると別件かもしれない。今必要なのは虹の等級である少女、サリアが派遣されるほどの案件だということだ。
「そのモンスターの詳細は分かってるのか?」
「ミズガルズオルム」
なるほど——とアーサーは呟く。
大樹海にて稀に生まれる存在。アガルガ樹海の主と呼ばれる大蛇こそがミズガルズオルムだった。鋼よりも硬い鱗に覆われ、毒や麻痺の牙。何よりも見上げるほどの巨大な大蛇でありその巨体に似合わぬ俊敏性を持つ。あくまで噂程度に聞いた話でアーサーの中にある情報はこの程度だ。
「ならサ……この子だけで十分じゃないか?」
アーサーはサリアへ視線を向ける。
ミズガルズオルムは確かに強大なモンスターではあるが恐らく後ろにいる少女の方が強いとアーサーは確信していた。それは気配というものでなんとなく分かる。彼女はその剣を抜けば推定レベル八十くらいのミズガルズオルムなど苦戦せずに倒せるはずだ。
「一体なら……そうなんじゃがな」
「あーそういう」
ようやくアーサーはリーシュがここへきた理由を理解した。
「もしかして俺に用なかった?」
たまたま彼らはこの場に現れたのだというのがアーサーの推測であり、自分に用があるというのはアーサーの勘違いというオチだったのだ。
「いや……この件。お前とサリアに任せたい」
「は? え? 爺さんは?」
「ワシは留守番じゃ。もしもの時に村を守れる奴は必要じゃろう?」
アーサーはやはり自分への依頼だと理解する。ダメ押しと言わんばかりにリーシュは言葉を付け加える。
「ちなみにこれは皇帝陛下からの勅命じゃ。拒否権はない。証書もあるが見るか?」
かっかっかと特徴的な高笑いをしてリーシェは懐へ手を伸ばす。アーサーはその必要はないとそれを阻止した。
「つまりこれは俺への依頼ってことか」
コクリと頷いてリーシュは肯定を示す。結局は面倒ごとだったとアーサーは肩を竦めた。そして大きな溜息混じりに「了解した」と口にする。
アーサーは冒険者ではない。しかしながらこういう時が来るのは理解していた。まさか今とは予想していなかったが来てしまったのなら仕方ない。依頼相手が相手だ。リーシュ曰く拒否権はないと言っていたがそんなことはない。拒否しても良いが後が怖いぞ? という脅しなのだこれは。かの皇帝陛下がこんな辺境の村民相手に大人気ないとも思うがそれくらいの事態なのだろう。リーシュのギルドが動き、そのツートップが来たとなればアーサーも腹を括るしかない。
「槍の使用許可も降りている。もちろん条件はあるが」
槍というのは何かの隠語という訳ではなくそのままの意味だ。それを理解できるのはきっとアーサーとリーシュだけだが。
「その条件ってのは?」
「目標の数が三体以上の場合」
「つまり三体以上もいる可能性があるってことか」
うむ、と呟いてリーシュは足を止める。小さな村を横切り樹海の入り口までやってきたのだ。ここから先は任せたと言わんばかりにリーシュは杖を樹海の方へ向けている。
(そりゃ大変なことになってんな)
「アーサーさん!」
いざ踏み込もうと言う空気を破壊したのはそんな声だった。村人の一人であり狩りを担当する若い男がアーサーへ向かって駆け寄ってきた。村に入った時点で村民の視線は一気に集めていたが近寄ってくる者は存在しなかった。彼も恐らく誰かに言われてやってきたのだろう。
「この方達は?」
その問いにアーサーは考えて、リーシュの方を向く。静かに彼が頷いたことを確認すると口をようやく開いた。
「この人達は冒険者だ。樹海に起こった問題を解決するために来てくれたんだ。俺は案内役を任されたから彼女と一緒に樹海へ行くとするよ」
「大丈夫……なんですか?」
不安そうな顔、それはアーサーを心配する意味もあっただろうが下手に介入してモンスターが村へ来ないかという不安の方が大きだろうとアーサーは予想できた。
「俺は大丈夫。彼女は虹等級の冒険者だ。それにこの御老人が村を守ってくれる」
「任せておけ」
リーシュの言葉でも男の不安は消えてなかったがこれ以上は踏み込めないと察したのか「分かりました」と言った。
「みんなには樹海へは入らないように言っておいてくれ。あとこれをマルスに」
アーサーはそれまで持っていた鍬をようやく男を預ける。男は「はい」と納得し、その後大事そうに鍬を抱えたまま集合する村人の元へ走って戻っていく。少し村人たちがざわついているがこれで怖いもの見たさで樹海へ入る者もいないだろう。
「さて行きますかね」
アーサーは樹海の入り口で軽く体操した。ちょっとだけ体をほぐすと「まあこんなもんだろ」と呟いてアーサーは同行するサリアの方を見た。
「お待ちください」
ようやく口を開いたサリアは不機嫌そうにアーサーを見た。無表情かつ無感情のような口調が少し怖いがアーサーは気にせずに「ん?」と友人に話しかけるように聞き返した。
「準備はいらないのですか? この先はどんな危険が待つか分かりません。私もあなたを絶対に守るとは断言できません。装備を整えてから入った方が良いのでは?」
サリアの言葉は正論だ。そもそも樹海という地に入るのに丸腰というのは常軌を逸している。アーサーの格好は農夫そのものであり、持ち物といえば煙草とライターくらいなもので、武器となるものどころかまともなアイテムすら所有していない状態だ。それに食糧や野営を想定した装備もない。彼女の目から見れば自殺志願者にも見えるだろう。しかしそれは無用な心配だとアーサーは断言できる。
「ああ、大丈夫大丈夫。必要なもんは揃ってる」
そもそもこの村で樹海に入る上で必要なものを揃えることは可能でもミズガルズオルムを想定した装備を即座に整えることなど不可能だろう。この村の狩人が狩るのはあくまでもうさぎや猪、熊などでありモンスターを倒すことは前提としていない。故にその提案は手遅れだ。そして野営の準備に関しても心配することはない。まだ朝の六時ほどだ。日が登り始めたこの段階ならば今日中に終わらせられる。
アーサー・クラウズにとって煙草さえあればそれ以外の問題など後でどうにでもなるのだ。逆に言えば煙草がなければそもそもやる気が消し飛んで使い物にならなくなるとも言える。それがアーサー・クラウズという男だった。




