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マスター不適合者  作者: やmだ
16/16

エピローグ 【領域外】

「まさかこんなことになってしまったとは」

 予想外だ。と言いたげにアーサーは頭を抱えた。というか誰が予想できるというのか。

 アドワ・ゲドラフ伯爵の計画を樹海でのミズガルズ特殊個体——ヨルムンガンド討伐時に把握。その後【オーディン】ギルドマスター就任。北方都市の【アングルボザ】に偽装した闇ギルド【ヨトゥン】と同組織が保有するヨルムンガンドの存在を把握。精鋭を集めた新チーム、スレイプニールを編成し北方へ派遣。スレイプニールによりミズガルズオルムを撃破。帝都にてゲドラフ伯爵の計画を阻止。さらには闇ギルド【ヨトゥン】の拠点を襲撃し、全員捕縛に成功。

 これが全てアーサー・クラウズ新ギルドマスターの偉業とされた。

(いや俺がやったこと最初のやつだけ。いや計画の把握なんてしてないけど)

 パルネから帝都に戻ってきたアーサーは謎の賞賛を受けていた。サリアの話によれば先ほどの功績全てがアーサーが指示したことにより成し遂げたことらしい。

 一体全体どうすればそんな解釈になるのかは不明だがなぜかマスターとして四苦八苦しているうちにそうなっていたのだから仕方ない。

 アーサーがその事実を知ったのは全部終わったと言えば他の奴はどんな顔をするだろうか? いやそもそも信じないか。

 ギルドマスターを辞めると決めていたアーサーだったがこの伯爵による計画を止めた功績を認められ皇帝より直接話がしたいと宮廷、皇室に彼は招待されていた。

 この虚構は事実として認識されもはや帝都中に知られている。あらゆる情報として【オーディン】の新マスターであるアーサーの名は認知されることだろう。

「なんでこんなことに」

 ただ偶然と言って今から逃げ出せないか。そんなことを考えるが今更できるはずもない。もはやアーサーは宮廷に招待されており、そこへ踏み込んでしまったのだ。警備の兵士に連れられて今は皇室へ向かっている最中だ。

 兵士の視線がやたらとキラキラしているのをアーサーは感じる。これはサリアが普段向けているものと同質のものでアーサーの最も苦手とする瞳だ。しかしサリアが相手じゃないだけマシだとアーサーは何も言わずに我慢する。

 宮廷は変わらず無駄に豪勢だ。廊下を歩いているだけで迷子になりそうで、絨毯や窓や扉までこだわりを感じる。しかしながらアーサーにはその価値が理解できない。

 その最奥、一際豪華で金色に染め上げられた二枚扉がアーサーを迎えた。

(相変わらず悪趣味だな)

 そう思いながらもアーサーは口にしない。

 兵士が足を止め「こちらお待ちになられております」と一言告げて彼は扉を三回ノックした。

 中から若い男の「なんだ」という声が響くと「アーサー・クラウズ様がお見えになりました」と言い、すぐに扉は開かれた。

 中からは秘書のような男が姿を現した。彼はきっと皇帝の秘書官だろう。身なりや顔立ちから貴族特有の余裕と爽やかさを感じさせる好青年だ。秘書官は口元を綻ばせるとアーサーの前までやってきて一礼した。

「これはこれはアーサー・クラウズ様。ようこそいらっしゃいました。皇帝陛下がお待ちかねですので我々は気にせずどうぞ」

 言って秘書官は扉の中を指し示す。アーサーは「どうも」とだけ言って中へ入っていく。

 ちなみに皇帝にあるからといってアーサーの服装が変わることなどなかった。本来ならば侮られたかもしれないが名声が広がっている今では「これがギルドマスターの流儀」となぜか高評価に変わっている。先ほども通りがかった兵士が「普段から一般人に紛れ込ませるのか、さすがだ」とか「豪華な服を着ると周囲に気を遣わせるから配慮している」などとやたらと持ち上げてくる。一つ言っておくがそんな意図はない。

 きっとそれらを知っているのは扉の先の人物だけだろう。

 ガタンと重厚な扉が閉まる音がなる。兵士と秘書官は中へは同行せず外で待機しているらしい。これはきっと皇帝の指示だろうとアーサーは予想する。

 扉がある背後を振り返ってからアーサーは部屋を見渡す。扉同様に趣味の悪い部屋でそこら中に金の要素がある。金の鎧だとか、金の家具だとか。それらは全て本当に金でできているのだろう。目がチカチカして疲れるがこれは仕方ないとアーサーは割り切る。皇帝とはそういうものなのだろうと。

 部屋の中央には巨大なソファーが二つある。向かい合ったソファーのうち一つに寝そべる人物の姿がアーサーの視界に入る。

 部屋の主人であることを示すような金色の髪と金色の瞳、恐ろしくよく整った顔立ちと純白の肌。ピアス、ブレスレット、指輪に至るまで金を使用したアクセサリを身につけ、極め付けには金で編まれた服を着た眩しい男。皇帝様だ。その名前はアーサーはよく知らないし顔も知らないが、性格だけはよく理解していた。

「やっ」

 と威厳も何もなく今代の皇帝ギレン・ファランクス・レイル・アルシスは言った。手を軽く振り上げたその仕草は完全に友人に向けた挨拶だった。

 一方のアーサーもまた皇帝と接するとは思えない態度でズカズカと部屋を歩いていくと「よっこらせ」と言ってギレンの向かいのソファーに腰掛けた。

「久しぶり……でいいんだよな?」

 アーサーは今代の皇帝と出会うのは初めてである。しかしそんなことを言ったのには訳がある。それを知ってかギレンはフッと笑うと寝そべるのをやめて普通に座る。

「正解であり、不正解。ギレンと会うのは初めてだろう? でも僕と会うのは久しぶりだ」

「じゃああってんじゃねえか」

 はははと笑う。笑っているのはギレンだけでアーサーは一切笑っていない。それは緊張しているのではなく、この男との会話にうんざりしているという顔だ。

「若いな……二十代か?」

「君が先代のルドーを早くに殺してくれたからね」

 ギレンの年齢はまだ十八歳である。彼の父であるルドーは三十三にして他界しており、ギレンが即位した。しかしながら優秀な彼の手によってほぼ父の代と変わらずに国家を運営することができている。当時五歳だったギレンはなぜか国を牛耳ることができる。

 その秘密は皇帝とその一族というシステムにある。

「俺が殺したんじゃねえ。お前が勝手に死んだんだろ」

「まあね。ルドーの死は予定外だけど不幸中の幸いだった。彼一人の死で済むなら安いものだと」

「酷え言いようだな」

「まあルドーも僕自身だからね」

「本当に転生してんだな」

「そういう魔法だからね」

 ギレンは笑う。

 皇帝には幾つかの秘伝の魔法が引き継がれる。帝都を守る魔法障壁は誰もが知るところではあるがこの魔法は皇帝と皇帝が認めた数人しか知らない魔法。名を転生魔法。

 転生魔法は転生とあるが実際には違う。実際に行っているのは記憶の移植だ。

 皇帝における一族、皇族の血を引く人間は全て初代皇帝であるスカジ・アルシスの記憶を引き継ぎ、それに伴い人格も同じものとなる。つまり皇族は全てスカジ本人であり、彼は盤上から駒を操る存在となっている。その代の皇帝が死んだとしてもスカジは痛くも痒くもない。

 故に皇帝は十代を迎えるとすぐに多くの側室との間に子を儲ける。

 転生魔法により先代ルドーが死亡しても代わりとなる存在、今回の場合はギレンという代わりの駒がスカジにはある。

 つまりアーサーの目の前にいるのは二十二代皇帝ギレンでありながら同時に初代皇帝スカジでもある。ギレンが五歳の時点で国家の運営を引き継げたのも彼が記憶を引き継いだ転生体だからだ。

「難儀な魔法だな」

 アーサー自身も転生体を見るのは初めてであり、自分を知っていて態度も完全に同じことからそれを断定できた。

「そうでもないよ。長く国を運営する上で記憶の蓄積と情報の更新。愚者が生まれない仕組みは必要だ。僕はこの国を守護する役目がある。それならば無限の生と無限の死を許容しよう」

 笑ってそんなことを言うのがアーサーの知る限り最高の人格破綻者——皇帝だった。彼はもはや人と呼んでいい存在ではなく、帝国を守り運営するだけのシステムだった。

「にしても君は老けたねえ」

 急に皇帝としてではなく友人として話しかけるギレン。その高低差はアーサーもよく知る人物のものだった。

 若くなった皇帝ギレンに対し、アーサーは老けた。それをギレンは笑っていた。

「無駄話なら帰るぞ?」

「待ってよぉ。久しぶりにあったんだからもっとお話ししようよー」

「俺は伯爵逮捕の件で直接礼を言いたいからってわざわざこんなところに来たんだぞ?」

「そんなの建前に決まってるじゃん。そうでもしないと君来ないでしょ?」

 これが皇帝の発言である。文字列だけ見るとそこらへんの若者が言っているようにしか見えない。アーサーはやれやれと肩を竦めた。

「まあ伯爵の逮捕なんてどうでもいいんだよ。僕にとっては」

「どうでもいいって……」

「彼は色々と泳がせてたらうまいこと利用できたからね。その報酬として命だけは奪わないでおいたし、脱走も見過ごしたんだよ。君が捕まえちゃったけど。おかげで処分をしないといけなくなったし面倒だな」

「そりゃ悪かったな。じゃあ俺帰るわ」

「待ってよ!」

 立ちあがろうとしたアーサーに対しギレンは飛びついてくる。その足を引っ張ると逃げることを阻止する。その絵面はどう見ても皇帝とその客人ではない。

「世間話しないと帰さないぞー」

「ああ! 分かったよ!」

 だから嫌なんだよ。と言いたげにアーサーは溜息を吐くともう一度ソファーに腰掛けた。それを確認してからギレンは再び向かい側に座る。

「ここはお茶も出ないのか?」

「君どうせ飲まないでしょ?」

「じゃあ煙草吸っていいか?」

 どうぞと言われアーサーは慣れた手つきで煙草に火を着ける。

「ところでどうだい? ギルドマスターの居心地は?」

 言うまでもない。アーサーは煙を吐きながら背もたれに全体重を預けて天井を見上げた。天井は流石に金色はなく目に優しい。落ち着く体勢だ。

「僕的にはね。あまり帝都から離れて欲しくないんだよ。君は危険だ」

「やはり俺を引き戻したのはお前か」

 アーサーの声音は途端に冷たくなる。同時にギレンもそれまでとは違う不適な笑みを浮かべていた。唐突に空気が凍りつく。

「言ったろ? 伯爵を利用したって。彼の実験を泳がせていたのは君を呼び戻すのに丁度いい案件だったからだ。だからリーシュの引退を促して君を選抜させた」

「それもお前か。師をたぶらかしやがって」

「彼は喜んで同意してくれたよ」

「だろうな」

 鶴の一声というやつだ。リーシュはきっとタイミングを見計らっており、それを知って皇帝は利用した。リーシュはきっとその意図を理解しながらも提案に乗ったのだろう。

「じゃあサリアは?」

「サリア……サリア? サリアって誰だっけ」

 うーんと首を傾けるギレン。数秒考えた後に彼は「ああ!」と思い出したように呟いた。


「君の恋人か!」


 アーサーの視線が鋭くなる。それは殺気。感知したのかギレンは額に汗を滴らせ硬直した。

「悪かったよ。名前を思い出せなかったのは元々エルフは名前で呼び合う文化がない国だったからだよ。君もわかるだろ? で、でも彼女は今同じギルドに所属してるんだからもしかして神采配しちゃった? あははは、なんて……」

 大きくアーサーは煙を吸って吐いた。ギレンの方は言葉を失って下を向いた。

「分かってくれ。君は危険だ。領域外に属する存在を世界に認知させるわけにはいかない。世界全体のバランスを壊すわけにはいかない。僕の使命は帝国を守ることだ。だから君の記憶を世界から消した」

「理解しているさ。それにお前もあの時命を賭けた。お互いにとってあれは最悪の出来事だった」

「だとすれば悪いのはやはり邪竜かな」

 アーサーは煙草を吸い終わると即座に二本目に火を着けた。

「もう二十年か。時の流れは早いものだね」

 邪竜事変。二十年前に起こった厄災。

 アーサー・クラウズはその力を持ってして邪竜ファブニールを討伐した。これが真実である。世に語られる話は全て皇帝が偽装したものだ。

 彼は確かに邪竜を討伐した。しかしその際に浴びた邪竜の呪いによって彼自身が邪竜と化した。現在も装備している指輪がなければアーサーはその姿を邪竜へと変貌させてしまう。指輪の存在はその呪いを食い止めるものであり、外すことはできない。

 今でこそその力を抑える手段があるがアーサーは帝国の脅威となってしまった。

 領域外冒険者は本来ならば存在しない虹の向こう側。その人数、名前、どの時代にいてどれだけ現存しているのか知る人間は少ない。

 冒険者はその活動から時より人の力を完全に凌駕した存在となる。そうした場合、皇帝はその人間を領域外にある存在として認定し、その人物にまつわるあらゆる記憶を消去する。その人物に関する記憶を世界そのものから消し去ってしまうのだ。

 皇帝に伝わる大魔法の一つ。それにより書類、絵、記憶、痕跡全てが消される。アーサー・クラウズの生きた記録はこの世界にはない。覚えているのはこの魔法に耐性を持つリーシュや皇帝のような特殊な存在とアーサー本人だけだ。

 領域外冒険者は全員が皇帝の管理下にあり、同時に暴れれば帝国は滅ぶ。しかし同時に領域外冒険者も滅ぶ。皇帝にはそれらを滅ぼすだけの魔法を持っている。

 皇帝すらも同じカテゴリの存在だ。だからこそ領域外を抑えることができる。そういう関係性が成立している。

「それでもう一度聞いて悪いけど、ギルドマスターはどうだい?」

「もう辞めてえよ。でも辞めれなくなった」

 絶望したようにアーサーは言う。その目は虚ろで焦点が定まってない。

 名声が広まり過ぎた。それにギルド内の不満の声もいつの間にか消えた。もはやアーサーに逃げ場などない。

「どちらにせよ辞めれないよ。君以外に適任もいない。元【オーディン】である君以外にはね」

「余計に複雑なんだよ。俺のことを覚えている奴は誰も居ないんだぞ」

「だからこそリーシュは二十年待ったんじゃないかな? 君が知っている人間が居なくなるまで……ただ一人を除いて」

 あのジジイならやりそうだとアーサーはそう思う。余計な気を回すものだと。

「本来ならばすぐにでも君を【オーディン】か【ロキ】のマスターに据えるはずだったんだ。でもリーシュの提案に僕は乗った。君のことを思ってね」

「最初っから決まってたってことか」

 無駄な足掻きだったとアーサーは溜息を吐く。しかし皇帝の考えも分かる。自分の国の中を縦横無尽に歩き回る厄災がどれだけ怖いか。それでもギレンは二十年という時を与えてくれたのだから感謝すべきか。

「ま、もう諦めたよ」

「でも僕は君には向いてると思うけど?」

「見る目がねえな。俺には無理だ……サリアの方がよっぽど向いてる」

 それはヒシヒシと感じていることだ。それにアーサーにとって最もキツいのがそのサリアの存在だった。彼女の視線は色んな意味で毒だ。

 サリアは元々アーサーの恋人であり当時は名前で呼び合っていた。それに彼女は冗談めいたことも言ってくれたし、良きパートナーであった自身がアーサーの中にある。しかし今ではどうだ。サリアは完全にアーサーを尊敬の眼差しで見ており、明確な上下関係が成立してしまっている。

 これはそもそもアーサーの求めるギルドメンバーとマスターの関係ではない。もっと家族的な関係の方が好みというか、冒険者はそんなに組織内での上下関係が激しいイメージがない。これでは国の兵士だ。しかしもはやその体系を崩すことは不可能だろう。それは大半がサリアの原因だ。

「慣れだよ」

「適当なこと言いやがって」

「それに聞いたよ。君、相談室なんて作ってるんだろ?」

「あーマスター活動の一環で試験的にな」

 それほど意味があったとアーサーは思えない。いや意味はあった。この相談室による相談を一つ解決したらなぜか帝国に蠢く闇ギルドの摘発に繋がったんだから。まさかそんな偶然が続く訳もないが相談室は継続するかどうか検討中だった。

「ん? いや僕が聞いた話では帝国中の相談を解決するとか聞いたけど?」

「はぁ!?」

 あまりの衝撃にアーサーは立ち上がってギレンに詰め寄った。「え? 違うの?」と彼も困惑しているので遊び半分でギレンが行った可能性は低い。だとするならば

「あいつらかぁ」

 ぶっ倒れそうになるのをアーサーは耐えた。フラフラと酔っ払いのように揺れるとそのままソファーに飛び込む。柔らかい感触がその身を支えてくれるが同時にズンと体はより重く感じる。

「あいつら俺のこと過大評価し過ぎだ」

「そうかな? 君は意外と聞き上手じゃないか」

「そういう次元じゃないだろ帝国中の相談聞くって」

「まあまあ。元々冒険者はそういう側面があるだろ? やることは変わらないさ」

「そうかもしれんが」

 また面倒が増えたとアーサーはソファーに顔を埋めた。

「あの煙草持ったままウロチョロするのやめてもらっていいかな? 一応ここ皇室だからボヤとか困るよ」

 すまんと謝ってアーサーは即座に煙草の火を消してライターを使って吸い殻を燃やす。

「まあ向いてないなら向いてないなりに頑張ればいいじゃない」

「人ごとだと思って好き勝手言いやがる」

 そう言って人ごとでもないかとアーサーは思い立つ。

 ギレンは皇帝だ。言うなればアーサーの立場のさらに発展版だ。彼はその長い長い生涯を帝国が存在する限り続けなければいけない。だとするならばアーサーの大先輩にあたるだろう。「悪かった」と不用意な発言を謝ったアーサーはソファーに座り直す。

「気にしないでくれ。お互い上に立つ者同士だろ?」

 かもな——アーサーは言ってふと疑問が浮かび、それを口にする。

「なあ? 上に立つ者の先輩として一つ聞いていいか?」

 もちろんとギレンは屈託のない笑顔で返す。

「上に立つ者不適合者はどうやって立ち回れば良いんだ?」

「知らない。だって僕上に立つ者適合者だもん」

「ぶっ殺すぞお前」

「僕一応皇帝だからね?」

「関係ねえ」

「嫌だなぁ冗談だよー冗談」

 あっはっはとギレンは笑う。ただし笑っているのは彼だけで、その笑いは徐々に声が小さくなりついに聞こえなくなった。

 沈黙したギレンはスッとその視線を鋭くするとアーサーを見る。

「君なりにやってごらん。今はそれで上手く行ってるだろ?」

「まあ……な」

 確かに現状アーサー自身がどうすれば良いか困っているというだけで問題という問題は起きてない。というより上手くいき過ぎなくらいだ。だから困っているのだが。

「クソみたいな助言ありがとう。じゃあもう帰るわ」

 アーサーは疲れたと言わんばかりに溜息を吐くと立ち上がる。

「えーもっと話して行こうよ〜」

「忙しんだよこう見えて」

「あっ今のギルドマスターぽい」

 ぽいじゃなくてギルドマスターそのものだ。と言いたかったがこれ以上の会話が面倒になったのでアーサーは何も言わない。

「じゃあまたねアーサー」

「ああ、またな」

 言ってアーサーは過去の自分を知る数少ない友人と別れを告げた。


 ・


 自分は何を忘れている。それもかなり重大なことを。しかしそれを思い出すことができない。

 サリア・グラスナーは過去に何か大きな見落としをしている。そんな感覚が拭えない。

「どうかしたか?」

「なんでもありません」

 敬愛するマスター、アーサーの前で惚けてしまったことをサリアは反省する。

 ピンと正した姿勢のまま執務室でアーサーの仕事を補助する。この空間、この時間がサリアにとっては至福だった。マスターを間近でジッと見ることができる上に独り占めできる。同じ仕事をしているという充実感はモンスターを狩ることでは決して体験できない。

 アーサーが伯爵の一件を解決してから書類仕事は倍増した。舞い込んでくる依頼や【オーディン】への新規加入者、アーサーへの相談者。さらにはギルド内からもアーサーへ助言を求める声が増大し、事務員だけでは手が回らなくなっている。だから平時もアーサーとサリアはこうして執務室に篭りきりになっていた。

 単純作業の中でサリアは地下水路で聞いた話を思い返す。アーサーの異形、その故郷。全てを知ってもサリアは靄がかかったような違和感を覚えるくらいで確信には至れない。

(そろそろ休憩をしますか。マスターも手が止まってることですし)

「アーサーそろそろ休憩しましょう」


「え?」


「…………………………え?」


 今、自分は何を口走った? とサリアは混乱する。自分の記憶が正しければ敬愛するマスターの名を呼び捨てにした。おそらく。きっと。間違いなく。

「も、申し訳ございません! 少々疲れてしまっていたようです」

 サリアは立ち上がり、誠心誠意——いや全身全霊をかけて頭を下げる。それは勢いが凄すぎて机にぶつかるほどだった。そして手加減している余裕もなく、机に風穴を穿つ勢いで打ち付けられ、実際に机を半壊させた。

「あー」

 壊れかけた机はギリギリの所で耐えていたがそれも数秒の話だ。サリアが頭を上げた時にはもう真っ二つになり、バラバラと上にあったものは散乱した。

「申し訳ありません……」

「怪我はないか?」

 サリアは自分の額を擦る。若干の痛みがあるが出血もない。大丈夫ですと告げるとアーサーは笑った。

「良かった」

「っ!?」

 ふとした笑顔にサリアは見惚れる。

 ここ最近のサリアはおかしい。それは自分も自覚していた。アーサーのことばかりを考えている。

 確かにアーサーは偉大な人物だ。強く聡明で、そして優しい。しかしそれだけではない。尊敬しているがそれだけではない感情がサリアの中で渦巻いているのが分かった。

「なあサリア」

「はい!」

 また惚けておりサリアは異常に大きな声で返答する。少し声が裏返り、自身の顔が熱くなるのを感じた。

「二人の時はアーサーって呼んでも良いんだぞ」

「え?」

 なんですかその夢のような提案は。それではまるでアーサーも自分に好意を抱いているような。

(ダメだ!)

 サリアは両手で自分の顔面を渾身の力で叩く。今一瞬の判断を誤れば顔が非常にだらしない顔になるところだった。そんなのをアーサーの前で見せるわけにはいかない。

(雑念を捨てろ!)

 二、三度深呼吸をしたのちにサリアはいつもの表情へ戻るのを自覚する。

「ありがたい申し出ですが、マスターを呼び捨てなどできるはずもありません」

「いや、呼び捨てにしろと言っている訳では。俺もお前らにあまり固い呼び方ばかりされるのもあれだし、親交を深めるという意味でも——」

「頭を冷やしてきます。失礼します!」

 この空間にこれ以上滞在するのはまずい。サリアは本能的にそう感じ、足早に執務室から退出した。アーサーの言葉すらも聞こえていない。


 ・


「親交を深めるという意味でも名前で呼び合える関係を作った方が良いと……」

 もうその言葉を言った時にはサリアの姿はなかった。

「良いと思うんだけどなぁ」

 さっきのは偶然か。それともサリアの中には僅かだが記憶——その残滓とも呼べるものが残っているのか。少し期待しアーサーは絶望する。

 アーサーと呼ばれた時はあまりにも不意打ちで聞き逃しそうになった。しかしあの感覚は懐かしいものだった。だからアーサーはあれが偶然でも嬉しかった。顔が自然と緩んでしまうほどに。

 同時に悲しい気持ちもある。これは彼女と再会した時からずっと感じていることだ。しかしそれも仕方ないだろうとアーサーは溜息を吐いて煙草に火を着ける。

「友よ……俺は都会で頑張ってるぞ。お前も頑張って俺に煙草をもっと作って寄越すのだ」

 次にシャクティスへ送る手紙はこんな所で良いだろう。

 にしてもあまりにも書類が多い。先ほどサリアが机を破壊したせいで執務室にはそこら中に書類が散乱している。そのどれもがアーサーへの相談に関する書類だ。

 帝都中の悩める者からの相談。それは冒険者、一般市民、鍛冶屋、商人、貴族、皇帝にまで至る。

 それらの書類に埋め尽くされた相談をアーサーは一瞥して吐き捨てる。

「俺が相談に乗って欲しいわ」

 主に昔の女とのヨリの戻し方とか。

 ここで立場を考えずギルドのことではなく個人的なことを考えるあたり、自分はギルドマスターに向いてないんだよな——とアーサーは思う。

「マスター、何か相談に乗って欲しいのですか?」

「わっ!」

 いつの間にかサリアは執務室に戻ってきていた。誰も居ないと思って呟いたのに。アーサーは弱みを見せてしまったと内心焦る。

「私でよければお聞かせください! 先ほどの失態の挽回をして見せましょう」

 サリアの顔が目の前まで寄ってくる。目が本気だ。しかしこれは同時にチャンスではないかとアーサーは考える。

 フッとアーサーは笑う。彼女らの期待を裏切るわけにはいかない。二度と戻らないから、これから作れば良い。

(俺のやり方で)

「昔の女とのヨリの戻し方とか……なんつって」

 本音だが冗談混じりに笑ってアーサーは言った。これで良いと自分を閉じ込めて。少しは自分なりのギルドマスターになれているだろう。

「マスター……」

 アーサーはサリアを見る。何か様子がおかしい彼女は肩を振るわせる。

「な、なんだ?」

 ガシッと途端に肩を掴まれる。凄まじい力で肩が外れそうになる。

「その話、詳しく!」

「え? じょ、冗談だぞ?」

「く・わ・し・く!」

 アーサーは現実逃避をして考える。ゆらゆらと肩が揺らされながらも。


「どうしてこうなったのか?」

 それが重要だと男は考える。


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