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マスター不適合者  作者: やmだ
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四章 【軍神馬は大蛇を下す】 四


 帝国北方。最北端国境付近はゲドラフ伯爵が有する領土である。

 ゲドラフ伯爵領は三つの都市と幾つかの村がある。さらに北上するとグラヌスと呼ばれる王国との国境を隔てる山脈がある。辺境であるが山脈のおかげで国境付近であるが戦争のリスクは限りなく低く、なおかつ山脈付近の鉱山や未知のダンジョンなどが多数存在することから、帝国内でも伯爵の権力がどれほどのものかが分かる。

 もちろん伯爵の地位は帝国でも中間。その優秀さから宮廷でもかなり優遇されているが他中央、東部、さらに帝都周辺を領土する貴族らには敵わない。しかし伯爵はこの帝都から最も遠いことこそを最大の利点としていた。

 中間の位置に甘んじているのも伯爵の野望や工作の情報の隠蔽が容易であること。万が一それが発覚しても、国外逃亡という手段を取ることができる。

 闇ギルド【ヨトゥン】の顧客であった伯爵は彼らの信頼を集めた。これにより逃亡という手段がより容易となる。山脈のルートおよび王国での潜伏場所も確保し、幾重にも保険を用意している。

 自身の研究によるヨルムンガンドという最強の切り札と裏社会を牛耳る闇ギルド。それらを駒とする策略家ゲドラフ伯爵の帝国での元老の地位を得る計画は完璧と言えた。

 しかしそれは失敗した。

 どこから尻尾を掴んだのかは不明だがヨルムンガンドの存在は看破され、おそらくだがギルド【オーディン】のサリア・グラスナーによって滅ぼされた。

 事態は急変した。盤石だった計画は瓦解し、伯爵は捕えられた。

 非常に稀な可能性として伯爵はこれらの計画が潰えたとしても次の手段を用意していた。伯爵の救出計画は準備され【ヨトゥン】はその為に既に動いていた。

「伯爵はまだか?」

 ギルドマスターペッシェは焦りから部下に八つ当たりのように口にした。

 宮廷内の工作活動中の精鋭である二人、ニグルとブラウは伯爵の脱出を開始している頃合いだ。牢獄から地下水路を辿るルートは三十分もあれば帝都外へ出れるはずだ。帝都外まで出れば虎の子である転移の魔結晶で北方都市パルネ——ペッシェが待機するこの拠点まで一瞬で辿り着くはずだ。

 伯爵が捉えられてから三日後。つまり今日が決行日であり、しかしながら既に陽は傾いている。

「くそっ!」

 ペッシェは度数の強い酒を飲み干したい欲求に駆られる。だがそれをギリギリで抑えた彼は拳で机を全力で叩きつけた。机は破壊されないにしても激しい衝撃は走り、机の上にあった全てのものが浮き上がり、そして転がった。机から落ちてグラスが一つ割れた。

 ペッシェが焦っているのは伯爵の到着が遅れているからではなかった。闇ギルドの運営こそが最優先とするぺっシェにとって重要な顧客である伯爵の存在は重要だ。しかし最悪の場合は損切りも考えている。一つ巨大な食い扶持は失うが命には変えられない。

 これまで懇意にしてきた伯爵を裏切ることに対しぺっシェは何も感じない。結局は利害関係でしかない。こちらの身が危なくなれば、あるいは利用価値がなくなればぺっシェは誰であろうと裏切るだろう。それは伯爵側も同様だと考える。この冷徹さこそが冒険者とノープレートらの絶対的な違いだろう。

 このまま逃げるかとも考える。しかしながらそうもいかない事情ができた。

(なぜ奴らがここに……)

 この都市にある冒険者ギルド【アングルボザ】は事実上【ヨトゥン】の隠れ蓑として伯爵が用意したものであり、表側では冒険者として活動しながらも実際にはここ周辺に現れる野盗や王国からの流れ者、あるいは冒険者すらも襲撃し利益を上げている。それらの情報は伯爵によって統制されており、定期的に帝都や周辺都市の冒険者へパルネへ誘導するような依頼も手配している。

 だが誰が予想できるというのか。たかが推奨等級銀〜金の依頼に虹の冒険者が出向くなど。しかも派遣してきたのはあの【オーディン】だ。樹海での件を解決したのも同ギルド。ペッシェはそこに何か陰謀を感じぜざるを得ない。

 虹、白金、金の冒険者三名で構成されたチーム。あれは【オーディン】でも指折りのチームだと考えるべき。もしかすればペッシェが伯爵の実験から一匹拝借したミズガルズオルムですらも討伐してしまうかもしれない戦力で、冒険者狩りとして周囲に配置した野盗に扮した者達も勝利することはできないだろう。彼らは囮であり、チームが帰還するまでにはペッシェはギルドの命運を分ける選択をしなければならない。

「もはやここまでか」

 闇ギルドは弱肉強食。弱い者は強い者に食い物にされる。故に権謀術中は日常茶飯事だ。同じギルドだからといって油断してれば部下に食われる。それがこの世界の掟であり、ギルドマスターであるペッシェはそれを十分に理解していた。

 だからこそギルドという組織であれど解散や分裂などが多い。利害が一致しなくなればお互いに潰し合う。商売敵は先に潰す。僅かな均衡が崩れてしまえば後は何も残らないほどにぐちゃぐちゃになるのが闇ギルドだ。

 ペッシェは伯爵の救出はもちろん、ギルドの運営放棄すらも考えていた。拠点を完全に放棄し仲間を見捨て、あるいは囮にしてでも自分だけ生き残る。その最後の選択肢がペッシェの前に突きつけられ、即座に彼は選択した。

 再興には時間がかかる。しかし不可能ではない。

 ゆっくりとペッシェは立ち上がる。その対応にギルド内のメンバー全員の視線が彼に集まった。きっとマスターの判断を理解したのだろう。誰もが声を出すことはない。

「我々は……」

 現時点を持って伯爵を切り捨て、拠点を放棄、ヨトゥンは解散とする。ペッシェの言葉が出た瞬間であった。

 拠点の扉が開かれた。

 表向きにはギルド【アングルボザ】の拠点であるここは帝都にあるギルド拠点などとは比べ物にならないほどに小規模な酒場だった。むしろただの酒場を改造し、拠点として使用していると言える。

 その扉は木製だが頑丈で小音効果のある魔法を付与した特殊なものだ。扉は開かれてもほとんど物音が立たない。だからベルが取り付けられており、入ってきたことを中にいる人間に知らせることができた。

 今そのベルがなったのだ。チリンと涼しげな音を鳴らした方を向くペッシェはほんの一瞬だけ伯爵の登場を期待していた。それはきっと誰もが同様だっただろう。

 不安が隠せないような表情が絶望に変わった。

「な」

 そこに立っていたのはヨルムンガンドを倒した張本人である【オーディン】のギルドリーダー。美しくも苛烈な少女。伝説級の力を持つ帝国最強の魔法剣士だ。

「サリア・グラスナー……」

 その名前。顔を知らない者は存在しない。散々警戒した最も敵対してはいけない相手であり、接触した場合は即時撤退が最適解の存在。

 【オーディン】というギルドはそもそもが人外のみで構成される帝都でも破格な能力を有するギルドだ。その活躍は他ギルドに劣り老衰したギルドなどと呼ばれているが、それは同じ冒険者らが作った間抜けな妄想だ。

 これまで【オーディン】が活躍できるほどの事件が帝都で起こらなかっただけなのだ。だからこそ力もつ彼らはその実力を意図せずして隠してきた。老衰などでは決してない。

 証拠に虹の冒険者七人という異常な数の超越者。全員が英雄級の力を持つ化け物であり、中でもサリア・グラスナーは頭一つ抜けている化け物の中の化け物。

 そんな英雄が殺意剥き出しにして拠点の入り口を陣取った。

(伯爵め! 脱走に失敗したな!)

 彼女らがここに現れた理由は明白だった。伯爵の脱走は失敗し、その目論見が全て看破されたのだ。もはや逃げ道はない。

「ディメンジョンロック」

 少女は可愛らしくも低い声で唱えた。それは建造物に発動する魔法で、設定される一つ入り口以外からの脱出を物理的魔法的に阻害する魔法。

 ディメンジョンロックの発動により【ヨトゥン】は退路を失った。もはや正面からあの化け物と対峙するしか生き残る手段がない。

「さっさとかかって来なさい。でなければ全員拠点と心中しますか?」

 虫を見るような冷たい視線でサリア・グラスナーはこの場にいる全員を一瞥し、そう言い放った。それは脅しではない。そして彼女は投降を許すこともしない。本来あるべき警告がない。

 これは処刑だ。情報だけならば帝都にいる伯爵で十分。【ヨトゥン】は他の闇ギルドへの牽制と警告をする。いわゆる見せしめだ。

 サリア・グラスナーほどの化け物にこの距離で魔法を使われたらおしまいだ。全員が漏れなく殺される。それは間違いない。

 状況を察した者たちが前へ出る。しかし狭い屋内での戦闘、武器を振るう余裕などあるはずもない。この様子だと外に配備した者もやられているだろう。

「くそっ」

 吐き捨ててペッシェは前に出た。最善であり最悪の方法。それは手数で押すことを諦めてペッシェ単体でサリア・グラスナーに挑むことだった。

「皆下がれ!」

 ペッシェは机にある自身の愛剣を拾うとそれを引き抜いた。弧を描くような刀身のサーベル。

 ペッシェは軽戦士のジョブと盗賊のジョブを収めた複合型。しかしそれは彼の才能が純粋に戦闘に向いておらずアイテムを併用した戦闘でなければ一級品の相手と戦うことができない証明だった。実際に同ギルドの戦士ブラウにペッシェが勝利を収めることは難しいだろう。

 しかしそれでも基礎レベルなら最も上のペッシェがやる方が最も生き残る確率が高い。この場面において数の有利はあってないようなものだ。

 入り口へ向かうにはほぼ一直線であり、結果的に一対一の図が出来上がる。不意打ちや遠距離手段もできない。

「俺が相手をする」

 サリア・グラスナーは律儀に待っている。本当に処刑のようだと思いながらペッシェは覚悟を決めて彼女の前に立つ。

(なんつー殺気だ。ほんとにガキか? いやエルフだから実年齢は上か)

 この外見だと百歳から二百歳くらいかとペッシェは予測する。長く生きただけあって修羅場を潜って来ていると分かる。存在感が違うのだ。

「剣を抜かないのか?」

「必要ありません」

 公然とサリア・グラスナーは言う。絶対的な自信は今のペッシェにはありがたかった。少しでも勝率が上がるならばそれに越したことはない。

 サリア・グラスナーの腰に差した剣は聖遺物と呼ばれる神器。神様が創り上げた至高の逸品であり、限られた存在にしか所持することすら許されない。それを使わないと言うのだからありがたいという言葉しかない。

 しかしながら聖遺物を使用しなくてもペッシェとサリア・グラスナーの差は歴然だ。聖遺物を使うかどうかで勝率など変わらない。

(効率は上がるだろうだがな)

 自虐的にペッシェは心の中で呟いた。

 サーベルを持つ手に力を込める。前へ進むと同時にその首元に目掛けて横へ薙ぎ払う。

 優しく——そっと少女の細い指がサーベルに触れる。瞬間、バキン! と聞いたこともない音を立てた後にサーベルの刀身だけが吹き飛んだ。その先端部分は数秒間宙を舞う。ぼんやりとペッシェは何が起きたのかを理解するためにそれを見ていた。

 しかし折れたサーベルが地面まで到達するのを彼が見ることはない。


『限定解除』


 再び細い指が先ほどのペッシェの攻撃のように横へ振るわれた。スッと空間に線が見えたかと思うとペッシェ・アルミカラスの首は折れたサーベルが地面より到達するよりも先に地面に落下した。

 ボト……ベシャまるで吐瀉物を吐き出したかのような不快な音が耳を通ると次には視界いっぱいの赤色。そして鼻を突く血の香り。

 酒場の床に花が咲く——赤い花が。一人の命を散らすとそれは自然と殺風景だった酒場を鮮やかに染め上げた。

 腕の一振りが人を肉塊へ変えた。

 声が聞こえたけれどそれはやがて消えて。

 人の命は儚く酒場の染みとなる。

 赤く赤く赤く。そして黒く黒く黒く。


『サリア、殺すのは無しだ』


「はっ!?」

 今のは全てペッシェの見た幻覚だ。サリア・グラスナーの持つ覇気とサーベルを指一本で折られた恐怖からそんな夢を見たのだ。しかしその感覚はいまだにペッシェの身体に残っている。そして痛みも覚えている。幻覚のようでそうではない。首が刎ねられてからの間、絶命するまでの僅かな光景をペッシェは確実に見た。

 思考が混乱したままペッシェは硬直する。それはなぜか目の前の少女も同様だった。しかしそれも一瞬だ。

「グハァ!」

 刹那、ペッシェは右の拳で殴打され地面に叩きつけられた。真っ直ぐに打ち込まれた拳はまるで巨大な槌を振るわれたような凄まじい衝撃が顔面と脳に走る。グワンと世界が揺れたと錯覚した時にはペッシェは地面に這いつくばっていた。しかし同時に先ほどの悪夢は錯覚だと理解できた。

「さあ、次来なさい」

 サリアは来ないならばと呟いて酒場へ踏み入る。

 それは先ほどとなんら変わりのない蹂躙だ。しかし幾分か健全に見えるのはペッシェが見た悪夢ゆえだろう。【ヨトゥン】のメンバーはまさに赤子の手を捻るように殴る蹴るの暴行の前に成す術く敗れる。

 そもそもなぜこんな馬鹿力が出るのか。大の男達をまるで木の枝を振り回すように投げ飛ばし、蹴りの一撃で悶絶させる。拳は目視不可能で当たれば間違いなく意識が刈り取られる。

 十数名のペッシェを含めたメンバーは文字通り瞬殺された。ヨルムンガンドを使役していたテイマー十名。国境周辺で野盗に扮したメンバー十二名。伯爵に付けた精鋭であるブラウとニグル。そして北方拠点に残った者達も今全滅。

「くっ……」

 どうしてこんなことにとペッシェはギリギリに繋がれた意識の中で考えた。

「なぜだ」

 これは意地。ペッシェは全身全霊をかけて立ち上がることだけに集中する。しかし力が入らない。どれだけ制御しても足の震えは止まらず、人がどれだけ高度な技術で二足歩行しているのかを彼は改めて知る。

 結局ペッシェはウジのように這いつくばることでしか動けない。サリアの足元まで行くとその顔を見上げた。その様子は二人の力の差を示すようだった。なぜこれほどまでに違うとペッシェは本能的に思ってしまった。

「なぜだ? なぜ伯爵の計画が」

 ペッシェが知る限り伯爵という人物は最高の知者だった。彼の計画は完璧であり、彼の言う通りにすれば全てが上手くいった。しかしながらそれが途端に崩れ出した。それはきっと伯爵以上の策謀を張り巡らせる存在が介入したからだ。だからこんな状況に自分達は追い込まれている。

 全てが後手に回り、その対応すらも遅れた。先読みされた行動は悉く抵抗を許さず、結果として【ヨトゥン】はもはや崩壊した。お終いだ。

 まだ話す気力がある。ペッシェは言葉を必死に紡ぎ出す。掠れたような声はもはや声とも呼べない雑音だった。しかしそれでもサリアの耳には届いたようで彼女の冷たい表情が下へ向き、害虫を見るような瞳でペッシェを見下す。

「全てを見通す偉大なお方が我々を統率してくださっている。それだけです」

 彼女らよりも偉大な存在。それがペッシェには理解できなかった。

 リーシュ・マグスは優秀なギルドマスターであるがこうした動きを見せることは未だかつてない。つまりは違う人物だ。

 そこまで辿り着くもペッシェの意識は唐突に途切れた。彼の身体が先に根を上げたのだ。ゆっくりとではなくそれは一瞬だった。彼自身も気が付かないほど。


 ・


「終わったか」

 北方都市パルネの中央、その片隅にギルド【アングルボザ】の拠点は存在している。一見通常の酒場だが外観にはクエストボードが露出しており、依頼が張り出されている。

 その酒場、ギルド拠点を背にしてアーサーは煙草を吹かしていた。

 すでに陽は落ちようとしており、周囲に人の姿はなかった。それとも地方のギルドだから賑わいがないだけなのかアーサーには判断できない。

 夜になることで急速にここらの人影は薄くなる。それはこの都市にとって当然のことなのか。それとも酒場で行われている行為に薄々勘付いているのか。どちらにせよアーサーの視界には人の姿はない。

 どうやらこの【アングルボザ】は闇ギルドの隠れ蓑として機能していたらしい。

 らしいというのはサリアがそう言っていただけでアーサーは何一つとして理解できないから。

 転移により唐突にここへ飛んできたアーサーはサリアの言うままにこの拠点まで来た。「あとは任せください」とだけ彼女は中へ突入し大立ち回りをしている。

「まったく何がなんだか」

 煙を吐いてアーサーは空を見上げる。燃えるような緋色と紺色、そして漆黒をぶちまけたような混沌とした光景はやがて全てが黒に飲み込まれるだろう。

 そもそもサリアはなぜ急に闇ギルドの特定などできたのだろうか? とアーサーはぼんやり考える。

 闇ギルドはそれなりに知恵が回る集団であり、今回のように正規の冒険者ギルドに紛れるなんてやってのける連中だ。だからこそまともな摘発なんて聞いたこともない。

 それに場合によっては貴族などが私兵として抱えているなんて話も聞く。金は掛かるが法に縛られない犯罪者は使い勝手が良く、場合によっては切り離すことも容易な駒として両者の中で利害関係が一致している。

 貴族の策謀に闇ギルドは金の匂いを嗅ぎつけて協力し、貴族はその策謀により得た地位や金、権力を行使してそれらの痕跡を消す。こうした図式。

 単なる犯罪者集団が上手く身を隠せるのはそういうことだ。しかしながらそれもここまでだ。

 アーサーは自分の手柄ではないと分かっているが若干嬉しく思う。まったく優秀な部下を持つと肩身が狭いとも思わなくないが我がギルドの名声が高まることは嬉しい限りだ。

「お待たせしました」

 サリアは待ち合わせに現れるかのように言って酒場から出てきた。それまで闇ギルド一つを殲滅してきたとは思えない余裕の表情。

 待たせたと言っているがサリアが突入してから五分も経過していない。煙草一本消費するよりも先に彼女は一つの組織を消したのだ。

「マスター何かしましたか?」

 サリアは真っ直ぐにアーサーを見つめて——睨んでいるように見える——言った。質問の意味を理解したアーサーは「あぁ」と小さく呟く。

 気がつくとは流石だ。とアーサーは思う。このスキルは発動しても基本的に夢として処理する人間が多い。違和感に気がつけたというのは賞賛に値する。

「やはり」

 言ってサリアは自分の右手に残った感触を確かめるように見た。

「奴らは殺さないでおけば良かったのですよね?」

 ああ。とアーサーは答える。

 サリアは命令通りに行動を変えてくれた。そしてその言葉から一度闇ギルドの連中が惨殺されたことが真実だったと証明される。

 あれは夢ではない。実際に行われたことだ。

「しかし何を?」

「スヴェルのスキルだ。簡単に言えば時間を戻した……んじゃなくて元の状態に戻したのか」

 アーサーの持つ盾——スヴェルには物理的な防御と周囲を守る結界以外にも他に特殊なスキルがある。全てが守るということに特化しており、一切攻撃には転用できないのも特徴だ。

 その中で救世防御結界というスキルがある。このスキルは発動後、一定範囲を目に見えない結界で包み込む。その中に入っているあらゆる物質、生命はどれだけの損傷や傷害を受け、最悪死んだとしても結界解除後に元の状態に戻る。

 あまりにも殺気に満ちたサリアは確実に闇ギルドの連中を惨殺すると感じたアーサーは戦闘が始まった直後に救世防御結界を発動した。実行されたサリアの行動そのものをキャンセルするために解除し、闇ギルドの連中は一度死亡したが戦闘が始まる前に戻ったのだ。

「そんなことが」

 サリアは目を見開いて驚く。アーサー的には迷いなく徒手で敵を惨殺していく彼女の行動に驚愕したのだが。

 救世防御結界は場合によっては蘇生や時間の逆行に等しい。しかしながら結界は規模が数メートルで数分維持するだけでも膨大な魔力を消費し、今の一回きりでアーサーの魔力はほぼ空になった。このように通常の蘇生や時間操作に比べれば燃費も悪いし、使い所が難しいのでアーサーは使用したがらない。

 だから今は驚いているサリアも救世防御結界の詳細を知れば「はぁ」みたいな反応になることは目に見えている。なのでアーサーは謙遜気味に「大したことはない」と言っておく。

「しかしなぜ彼らを生かすのですか? 生かす価値はないと思われますが?」

「殺す理由がないならやめてくれ」

「その寛大なお心に敬服いたします」

 サリアは頭を下げる。そんな大したことを言った覚えはない、今のアーサーならば「今日の次の日は明日だ」と言っても敬服されそうな気がする。

(流石にそれは嘘だわ)

 サリアもそこまで盲目的ではないだろう。アーサーが不甲斐ないところを見せれば失望されてしまうに違いない。それこそがアーサーの一番恐れるところだ。

 ギルドマスターを辞める決断はしたが、それとは別に彼女の期待を裏切るような真似はしたくないという思いもある。

「これで全て終わりましたね」

「ああ、そうだな」

 何が始まったのか分かってすらいないアーサーが呟く。

 どこかで何が起こったのかを一から十まで説明してくれる存在がいないかとアーサーは思う。しかしそんな人物は存在しない。何か知ったか風で行動してきたアーサーが今更聞くわけにもいかないので最後までこのままいくしかない。

「あれ? マスター?」

 声が掛けられる。それはアーサーの聞き覚えのある声であり「マスター」と呼ぶ人間は数えられるほどしか存在しないだろう。それで北方にいるとすれば一人しかいない。

「ターニアか」

 振り向いた先には予想通りターニアの姿があった。その後ろにはラウとアイリス。アーサーが編成した仮チームであるスレイプニールだった。

 その様子から彼女らの仕事が終了したことが予測できる。今日到着した筈なのに半日も立たずに攻略するとは、やはり優秀なチームだとアーサーは内心ホッとした。いやもちろん盗賊程度ならこのメンバーの一人でも十分なのだ。それは断言できる。それでも初めての采配だったので不安は拭えない。

「なんでここに居るの? もしかしてあたし達が心配になってついてきてくれたとか?」

「あーいや」

 なんと説明すればいいのかアーサーは言い淀む。「いや〜よく分からんけどここに転移してきて闇ギルドぶっ潰したぜ」と起こったことと知っていることを全て話す訳にもいかない。

「ターニア。冗談はそこまでだ」

「ごめんごめん」

「そうだぞ。主人がここにいる理由など一つしかない」

(なんでお前らは今来たのに俺が理解してないことを知ってるんだ)

 自然の口からその考えが出そうになりアーサーは止まる。

「マスターはの盗賊の仲間が潜伏していると思ってきたんだよね?」

「ターニア、サリアを見ろ。もう終わってる」

「あ、ほんとだ」

 その通りです。とサリアが補足した。

 盗賊の仲間というのは恐らくはこの闇ギルドのことだろう。つまりここらで出る盗賊というのは彼らの仕業だった訳かとアーサーはようやく理解する。

 しかしなぜターニア達は盗賊の仲間がここにいると分かったのだろうか。誰かを捕縛して尋問でもしたのか。アイリスならばそれくらいはできる。

「仲間の存在に気がついているということは、そちらもやはり何かあったのですか?」

 サリアもアーサーと全く同じ結論に至ったようで尋ねる。アーサーは内心で「ナイス!」と叫びながらもスンと澄ました顔をしていた。

「俺たちはミズガルズオルムと接触した」

(え、まじ)

「なるほど」

(何が!?)

 サリアの「なるほど」の意味が全く理解できずアーサーは困惑する。何より困惑したのはサリアの視線がアーサーへ向いていることだ。しかもどこか既視感のある期待の眼差し、それが一番理解できない。

「それは恐らくここの者達——闇ギルドの連中が用意した切り札でしょう」

「闇ギルド……か。なるほど話が見えてきたな」

(俺は全く分からんが)

 アーサーと同様でターニアも理解できなかったのだろう。彼女は皆に「どういうこと?」と問いかける。

「つまりあの盗賊らは闇ギルド。しかも都市の冒険者ギルドに偽装したタチの悪い奴らだ」

「それは分かるけどなんでミズガルズオルムなんて使役してるの? あれって樹海にしかいないんでしょ?」

 そうだそうだとアーサーは心の中で煩くしながら黙って話を聞いていた。

「説明すると長くなります」

 そう言ったサリアに対し皆は頷いた。アーサーだけは「よし、これでやっと状況を理解できる」と心の中でガッツポーズしながら実際には腕を組んでその様子を見届ける。

「まずこの話はマスターが就任する前まで遡ります」

(そんなに?)

 アーサーの疑問を置いてサリアは続ける。

「アドワ・ゲドラフ伯爵は闇ギルドと共謀し、樹海にてミズガルズオルムの特殊個体を使った実験を行っていました。その目的は不明ですが皇帝の殺害か、あるいは皇帝に近い貴族への戦力として飼っている可能性が高いです。これら中心、ミズガルズオルムの特殊個体はマスターによって滅ぼされ、計画はほぼ瓦解します」

(なるほど、あのウニョウニョ大蛇はそんなことに利用される予定だったのか……なんでそこまで分かるのか知らんけど)

 やはりアーサーが理解しているのを前提にサリアは進めるので、彼の理解が追いつく前に話は次に移る。

「マスターはおそらく樹海の時点で計画に気がつき」

(いやいや)

「ギルドマスター就任後に即座に行動を開始しました。伯爵はこの時点で闇ギルドとの繋がりが露見して牢に繋がれていましたがマスターはその脱走を予見しておられた。だからこそ最速の一手を打つ必要がありました」

(え? え? 何言ってんのこの子)

 ダメだ。すでにアーサーの理解を超えて誤解されている。その時点では「ギルドマスターって何するんだろう」くらいの思考しかしてない。だがこのタイミングで言い出せるはずもない

「そこでマスターはギルド内のメンバーの情報を私に頼んで収集させ、数日かけて目を通していっらしゃいました。そしてチーム解散直後のターニアに目をつけたのです」

 急に名前が出てそのターニア本人が「あたし?」と声を上げた。それに対しサリアは頷く。

「あなたのリーダーとしての才覚にマスターは気がついていました。だからこそ北方にあると思われる闇ギルドと逮捕された伯爵の逃走経路を潰すためチームを構成しようとした」

「で、でもマスターは相談役を……それで私は……もしかしてそれも予想してたの?」

 当たり前ですと言いたげにサリアは「その通り」と告げる。もうこの時点でアーサーは呆然としているがそんなことはお構いなしだ。

「なぜそんな遠回りなことを?」

 言ったのはラウだ。だが言ってラウも気が付く、その可能性に。

「あなたのように反発する勢力があることを知ってたからです。正式な就任がまだの状態で北方へ過剰戦力を派遣すれば反対意見が上がるのは目に見えてます。特にラウ、あなたに断られたこの地にいるであろうミズガルズオルムを討伐することは難しくなります」

「そうか、そういうことか!」

「ならば拙者も、ラウの目論見もバレていた訳だな」

 二人の視線がアーサーへ向く。もうアーサーはいつも通り知ったかで腕を組むしかない。

「それは以前にも言いました。アイリスを忍び込ませたのも把握したマスターは無理にでもこの三人を組ませる必要がありました。戦力としては十分で尚且つ反対意見が一番上がらない——つまりラウを納得させるチームがこれでした」

 アーサー以外は全員「おお」とか「なるほど」とか「すごい」とか言っている。ただ当の本人だけは何が「おお」となって「なるほど」となって「すごい」となるのか分かってない。とりあえずうんうん頷いているだけの存在だ。

「マスターこのチームを北方へ派遣。目論見通りにミズガルズオルムは存在し、あなたたちは討伐してくれました。素晴らしい戦果です。そしてマスター自身は伯爵の逃走ルートを先読みし、伯爵を捕縛に成功」

「サリア。お前はマスターの考えを知っていたのか?」

 ラウの問いかけにサリアは首を振った。

「お恥ずかしいことに私はこの時点でようやく伯爵の脱走に気がつき後を追っている状態でした。私も加わりましたが意味はなかったでしょう。そして最後に伯爵の持っていた転移の魔結晶を使い、不明瞭だった闇ギルドの拠点を抑えて今に至ります」

 アーサーはうんうんと頷く。だがそれはその通りという意味ではない。それ全部誤解だよという意味だ。

(いや何をどう誤解したそうなるの? 偶然だよ。そもそも伯爵の本名今知ったし、ターニアの相談も聞いてから対策立てたし、ラウは俺に反発してたらしいし、極めつけにアイリってススパイだったの? 訳分からん! というか地下に居たのはターニア親衛隊とか言う奴らが逃げていったから追いかけただけだし)

 いや逆に偶然が重なり過ぎて言い訳できなくなっているのだ。

「サリア」

 それにアーサーもここから「全部偶然だよ」と言ってサリアに恥をかかせるのは避けたい。

「よく分かったな。誇らしいよ」

 ここは乗るしかない。サリアから渡されたマスターとして認められるこの波に。

「これにて計画は完了。皆、今日はここで一泊してから明日朝一番に帰還するぞ!」

「はい!」

 なんとか乗り切ったようだとアーサーは誰も見ていないところ溜息を吐く。

 気がつけば陽は完全に落ちて都市は暗闇に包まれていた。

 帝都ならば魔法石を利用したランプに近い灯りが至る所に設置されており、夜中であろうと視界を確保できる。しかしパルネにはそれがない。光源は月の明かりだけだ。

「行きましょうマスター」

「……そうだな」

(ほんとに疲れた)

 ようやくアーサーの長い一日は終わる。


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