四章 【軍神馬は大蛇を下す】 三
ラウは目前に広がる光景を疑った。
蠢く樹木のような太い体は見上げるほどに大きく、五メートル以上はある。全身が漆黒の鱗に覆われ、頭部はドラゴンと見紛うほどの強靭な顎と牙。しかしながら四肢はなく、その異様さが浮き出る。
それは三人の獲物を見下すように現れた。尋常ならざる気配を放ったそれは完全に接近するよりも前に察知することができた。だがラウが振り向いた時にはそれはその場に鎮座していた。
「ミズガルズオルムだと」
アガルガ樹海の主。あの特殊な状況下で数百年に一度しかでしか発生しないはずの幻の生物。
ラウはミズガルズオルムを実際に見たことはない。しかしこれほどの存在に当てはまる存在は他にはないと、彼の冒険者としての経験が言っていた。
「撤退は無理そうだね」
ターニアは笑う。調子は崩れない——がさすがに危機的状況だということは自覚しているのだろう。若干笑顔が引き攣っている。ラウも彼女単体では少し手に余ると考える。
「そうだな。だが」
アイリスは冷静に見える。おそらくながら彼女はラウと同じ考えなのだ。目が合うと静かにラウはコクリと頷く。
そう、それは勝機。勝ち筋が全くない相手ではない。
ミズガルズオルムは脅威だ。それは揺るぎない事実であり、ラウでもアイリスでも単騎で相手をすることは難しい。苦戦は必須、命を懸けて戦い、ようやく勝利を勝ちれるかどうかの強敵。
相手は自然界で頂点に立つ絶対の強者だ。それでもラウの中に敗北も、あるいは死の可能性もない。見えるのは勝利。
やれるという確かな手ごえ。これは慢心ではない。チームという無限の可能性の前にミズガルズオルム。このチームの限界を知る上でこれほどの相手はいない。
「ターニア怯むな! 俺たちならやれる」
格上の冒険者の威厳をここで見せておこうとラウは叫んだ。こういう場面で自分はリーダーを支えるべきだろう——普段の彼ならば絶対に至らない思考だがチームを知った彼は皆のために何ができるのかを模索し続けていた。
虹という等級は飾りではない。ラウが前線に立つ限り、背後の仲間の無事を保証する。強さで態度で仲間を鼓舞する。
突如、突進してきたミズガルズオルム。しなる鞭の如く、大蛇は恐るべき軽快さと速度で地上を這う。蛇行しているように見えるが実際には真っ直ぐにラウ達へ向かっている。突進と同時に巨大な顎が開かれた。まるで侵攻してくる黒い孔。そこに呑まれれば最期だ。
しかしながらこれらの行動は予測されている。不意打ちに対しラウはターニアに言った通り怯むことをしない。
「アイスゲート!」
ラウは使用制限のある大剣に込められた魔法をまた一つ解放した。
地面から生えるように一瞬で氷の門にも見える壁が現れ、それがミズガルズオルムの進行を完全に阻止した。帝都の城壁クラスの頑丈さを誇る。一瞬で砕けてしまいそうな凄まじい衝撃が氷の障壁越しにラウに伝わる。まるで空間そのものが震え上がり、ミズガルズオルムの進行を援助しているかのようだ。しかしラウの表情には焦りがない。
氷属性の特徴は相手に冷気によるデバフとダメージを伝えること。瞬時に凍りつく障壁に触れればミズガルズオルムの体は全身と言わないまでも動きを制限することくらいはできる。
それも付け焼き刃。ミズガルズオルムは環境による耐性を一定以上のレベルで所有しており、この程度では属性による追加効果も期待できない。
今はこれで十分だとラウは判断する。この先はチームに背中を預けるだけだと。
「指示を頼む。リーダー」
信頼。
今初めてラウはチームリーダーであるターニアに命を預けた。
「了解!」
氷の障壁にヒビが入った。一度亀裂が入ってしまえばそこからはあっという間に全体にヒビが伝染し、障壁は跡形もなく砕け散るだろう。保ってあと数秒かとラウは予測する。だがそれで十分だった。
「ラウ。魔法の使用回数は?」
「あと二回」
ターニアの問いにラウは即座に答えた。瞬間——ターニアが硬直し、すぐに顔を上げた。
(早い)
「防御が突破された瞬間にあたしとラウで同時攻撃! アイリス、足止めをお願い!」
「了解した」
「ああ! まかせろ!」
ラウは大剣を構える。意識を内側に集中させ、一秒後には突破されるだろう障壁とそこから現れるミズガルズオルムに攻撃を叩き込む。
本来ならば防御か回避しなければ即死級のダメージを喰らう。
(アイリスなら止める)
僅か一秒の間にラウは発動する魔法を選定。最強の攻撃魔法。その使用回数は一日に一回のみ。
氷が砕け散った。粉々になった氷の粒子に目をくれることもなくラウはそこから這い出てくる大蛇を睨む。同時に前へ出た。
「影縫い」
ミズガルズオルムの側面に回ったアイリスが短剣を数本投擲する。狙いは本体ではなくその影。影縫いは本来対人用のスキルであり、人間であっても数分が限界だ。ミズガルズオルムほどの怪物ならば一瞬も保たない。しかしアイリスは無理矢理に複数回の影縫いを同時発動。打ち込まれた瞬間にミズガルズオルムの動きが僅かに鈍った。
圧倒的な速度で突進するはずのミズガルズオルムは時間停止にも等しく止まった。だが本当に一瞬。打ち込んだ短剣が砕け散り、影縫いは解除された。
一瞬の足止めは終わる。しかし準備は整った。既にラウは前に出ている。目前のミズガルズオルムに向けて大剣は振るわれた。
「アブソリュート・ゼロ」
虹の最高位魔法。
唱えた瞬間に魔法は発動。これまでのような派手な魔法ではない。しかしながら効果だけは絶大。音もなくたった一体の目標を凍てつかせ、そして静かに葬る魔法。
ミズガルズオルムの身体は顔面から徐々に凍りつく。通常のモンスターならばこれで即死だ。だがこれほどの化け物ならば耐え抜くだろう。
「ターニア!」
ほぼ同時。タイミングとしてはアブソリュート・ゼロ発動から僅か一秒未満の連続攻撃。
「エクスプロード・フレア」
発動された魔法は火属性。正面の視界全てが覆い尽くされるほどの火球だ。それは射出されるというよりはその場で止まっている。もう一つの太陽のように佇んでいる。
(これほどの魔法が使えるのか……)
虹——明らかにターニアの等級で使えるはずのない魔法。それは恐らく彼女の持つ二振りの剣の力だ。一時的に強化された魔力により発動できないはずの魔法を撃ち出したのだ。しかしその代価は大きい。発動後、ターニアは即座にその場に倒れた。
「っ!?」
ミズガルズオルムはラウの予想通りアブソリュート・ゼロによる凍結を突破し向かってくる。しかしその直後、地上に出現したもう一つの太陽と接触する。
激しい咆哮。それは苦しんでいるのだろう。しかし大蛇は太陽を喰らうように突進をやめない。
「ラウ、トドメ……任せた」
「無茶をする。だが任された」
再びラウが大剣を構えた。発動するのは最後の魔法。使用制限的にアブソリュート・ゼロを発動させることはできない。攻撃ではなく、強化魔法——しかも時限式。あまりラウが好むものではないが言っている場合ではない。
リーダーに任せられたのだから。
発動。
「フェンリル・ソウル」
ラウの全身が凍りつく。やがてそれはラウの纏った鎧の上からさらなる氷の鎧を形成した。最硬の鎧にして最強の刃。肉体そのものが氷の刃になったかのようだ。
制限時間は三十秒。この間だけラウは虹を一時的に超える。
「行くぞ」
大剣を振るう速度が目に見えて速くなる。片手で両手の時よりも速く、そして強く震える。
エクスプロード・フレアすらも越えたミズガルズオルムは焼き爛れた顔面を向け、ラウへ襲いかかる。一辺倒だ。自らの力のみで全てをねじ伏せることができるこの大蛇には相手を分析し、自らの能力を最大限活かす戦い方など知らない。
ミズガルズオルムとラウが交差する。同時にラウは大剣を大蛇の肉体に突き刺し、そのまま斬り抜けた。
絶叫。鱗はそんじょそこらの鋼鉄よりも硬い。しかしラウの大剣はそれを通常の蛇を斬るのと同じ感覚で斬り刻める。これは多重魔法攻撃によるダメージのせいだ。
斬撃は一度ではない。二度、三度、その巨体は高速で駆けるラウを捉えることはできない。ミズガルズオルムは本来優れた治癒能力を持つが、氷属性による冷気にダメージがそれを阻害していた。
全能感がラウの中にある。この超越者のような能力が彼は嫌いだ。自分本来の能力を見誤ってしまう。それはきっといつか自分の身を滅ぼす。しかし今はその不安はない。
ラウは一人ではない。不安もミスも全て誰かに頼って解決すれば、道は開ける。チームはラウを更なる領域へ至らせた。
(俺は真に信頼できる仲間を欲していた。背中を預ける存在を求めていたんだ。アーサー・クラウズは俺の全てを見透かしていた)
感謝。ラウの中にあるのはその感情だけ。
絶叫。もはや大蛇に許された行為はそれだけだった。
「今、軍神馬は大蛇を下す!」
トドメの一撃。空を舞うように飛翔したラウは大剣を数倍に巨大化させ、振り下ろす。それはミズガルズオルムだろうと沈黙させるにたる斬撃だった。真っ二つになった大蛇はもはや絶叫もなく地面に倒れる。
「俺たちはチーム・スレプニール」
その名を付け、チームを組んだマスターへ心よりの感謝を。このチームはその名に相応しい。
戦いの決着を告げるようにラウの全身を纏っていた氷の鎧が砕けて消えた。美しい粒子に纏われたようなラウの姿はどこか神々しさを放つ。
一息吐くとラウは地面に転がるターニアを見た。彼女はニッと笑うとラウもその無事を喜んで笑った。
「初めて見たな。あれが噂のフェンリル・ソウルか」
ターニアほどではないがヘロヘロになったアイリスが歩いてきた。その表情は変わらないが疲労は大きいらしい。
「ああ、俺の切り札だ。あまり使いたくはないがな」
「おかげで助かった」
「いや、なくても行けたはずだ。このチームなら。連携と練度上げればもっと強くなる」
アイリスは不思議そうな顔をした。ラウはそれが理解できなくて「どうした?」と尋ねる。だが彼女は意味ありげに笑うだけで答えることはしなかった。
「なんだ?」
「なんでもない。それよりこいつをどう見る?」
無理矢理話を逸らされたような気がするがラウはスルーする。アイリスの視線の先には既に死亡したミズガルズオルム。
確かに対処に精一杯だったがこの土地にミズガルズオルムがいるのは異常な事態だ。この地まで移動するとも思えないし、何者かが転移の魔法石を使ってここへ運んだと考えるのが妥当だが。その理由はラウには分からない。
「主人ならばその理由も分かるかもしれないが」
「むしろ、マスターはこいつの存在を知って俺たちを派遣したのかもしれない」
「お前、今」
そこまで言いかけてアイリスは「なんでもない」と呟いて話を戻す。
「確かにそれなら納得できるな」
今回の依頼へ派遣する戦力は何度も言われていた通りに過剰であり、盗賊を狩る分にはお釣りが出る。しかし相手をミズガルズオルムだと想定すると適正とも言える。
ラウはこの依頼の中でマスターが確実にそれらを視野に入れた上でチームを組んでいたと予測している。
ターニアの適性を存分に利用し、ラウの自分ですら気が付かない欲求と可能性に気がつかせ、通常の依頼に紛れ込んだ脅威の排除。
(どこまで読んでいる? 一体何手先を見据えて行動しているのだマスターは……恐るべき知謀だ)
ラウはその思考の先へ至ることはできない。だが物語の筋書きのように、マスターであるアーサーの掌の上で全てが進行していることは紛れもない事実だ。
「しかし、この依頼、まだ何か裏があるな」
残された謎、ミズガルズオルムをここへ誘導した、あるいは転移させた存在を見つける必要がある。
「ああ、ミズガルズオルムがこの盗賊紛いが操っていた。つまりこの辺りで何者かが何かをしようとしている」
「なら一度拠点に戻り態勢を整えるか」
ラウの視線は一瞬ターニアを見る。ターニアの魔力は空だ。アイリスもアイテムをほぼ消費し、ラウも切り札を使い果たした。
「撤退でいいな? ターニア」
「そうだねー」
ゆっくりと立ち上がったターニアはフラフラだ。所持しているポーションにより肉体疲労はなんとかなるが彼女の魔力回復には時間を要するだろう。
「ふー回復!」
帝都で作られたポーションは白金等級の元冒険者である薬師が調合したものであり、体力の回復の他にも一定時間の身体能力向上や魔力回復促進の効果がある高級品だ。その色も本来の緑ではなく、黄色だ。若干飲むのに抵抗が生まれるが最初の一回だけは強烈な匂いや苦味を感じるがそれもすぐ慣れる。
ラウも一応、ポーションを一瓶を飲み干す。肉体にあった疲労が瞬く間に消える。しかし精神的な疲労までは回復しない。強敵を前に緊張状態が続いたので体の重さは残っている。
「各自、モンスターに警戒しながら森を抜けてパルネに撤退!」
この依頼にはまだ何かある。ラウはその予感があった。
再びアイリスを先頭にチームは森を駆ける。
(マスターは帝都に残った。あちらでも何か起きているのかもしれないな)
既にラウは彼を認めた。一人の男として、マスターとして。




