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マスター不適合者  作者: やmだ
13/16

四章 【軍神馬は大蛇を下す】 二


「君は領域外冒険者だね?」

 その声をサリアは聞いた。

 アドワ・ゲドラフ伯爵の脱走が騒がれたのが数十分前の話だ。兵士が慌ただしく移動し、宮廷が緊張感に包まれていた。

 面会にサリアが宮廷にやってきた時には既に伯爵は脱走した直後だったと考えられる。

 地下牢の警備をする兵士が幾人か倒れており、伯爵が収容されていた牢は空になっていた。鉄格子は鋭利な刃物で切断された形跡が残っていて、落ちていた手錠も同様に切断されていた。

 かなりの手練が護衛として侵入し、伯爵の脱走を手引きしたことは確実だった。忍べ込めたことから暗殺者のようなスキルを持っている人間も存在する。護衛は二人だがその実力は未知数。

 地下牢の脱出経路だと思われる横穴は偽装されておらず、そのままになっていた。よほど急いで逃げたらしい。しかし相手の戦力が分からないことから冒険者らよりも実力で劣り、尚且つ地下水路へ逃げた者を追うことに特化した存在がいないことから兵士は直接伯爵を追うことをしなかった。

 サリアはどさくさに紛れて単騎で地下水路へ踏み込んだ。ハーフエルフである彼女の感覚器官は鋭く、目と耳は恐ろしく良い。実際、目を失っても耳だけで変わりなく動ける彼女にとって暗闇であろうと水路を行くことは難しくない。しかし感覚期間が鋭いだけあって水路の悪臭には苦しんだ。

 それも仕方ないとサリアは地下水路を強行。そしてようやく人の気配を感じ、足を止めた時に聞こえた言葉。

「君は領域外冒険者だね?」

 その言葉にサリアは硬直する。曲がり角で身を隠しながら様子を伺うと水路には伯爵と思われる後ろ姿が一つ。道に転がる幾つかの影。そして最後によく知る存在が目に入った。

(マスターなぜここに? まさかこの脱走を予期していたのですか? いや今はそれよりも、やはりマスターは)

 人間であるアーサーに現在のサリアの姿が見えるはずもないが、彼女は会話の内容から咄嗟にその身を角に隠し、顔だけ出す。そして次の言葉が発せられるのを気配を消して待った。

「情報は完全に抹消されているのに……よく分かるもんだな」

 アーサーの言葉は間違いなく肯定だった。

「魔法が効かないアイテムや生まれつきの体質でもあったりするのか?」

「そんなものはないよ。実際に今の今まで君なんて知らなかったからね。だがだからこそ、なんの情報もない強者に当てはまるのは領域外だけさ」

 伯爵の言葉には余裕がある。というよりも喜びが滲んでいる。

「はぁ、賢いもんだ」

「君は二十年前の事件の時に生まれた者かな? 私の予想ではあのタイミングでっ一人生まれたはずなんだ」

(邪竜事変)

 二十年前、邪竜ファフニールが突如帝国領中央に現れた。

 かつて帝都から北上するとそこには平原ではなく、森があった。

 この世界の大半は緑豊かな土地であり、帝都もまた巨大な水源、ルト湖の湖畔から繁栄した都市だ。帝国は多くの森を開拓し、村や都市を設置したが中央の森には立ち入れない理由があった。そこに独立した国家があったからだ。

 エルフ国。アガルガの樹海に匹敵する大森林エルフの森を領土とするエルフ族のみで構成された国家。そしてそこはサリアの故郷でもある。

 邪竜は突如地中から目覚め、その力を持って蹂躙の限りを尽くした。僅か一週間足らずで森は半壊、エルフ国は崩壊まで追い込まれた。生き残ったエルフは散り散りになってしまった。

 破壊の限りを尽くした邪竜は先代肯定であるルドー・ファランクス・レイル・アルシスの大魔法により滅ぼした。これが正史、表で語られる英雄譚である。その魔法によりエルフの森は完全に姿を消し、世界地図は大きい修正を余儀なくされた。

「邪竜を滅ぼしたのは君なんだね?」

「まあ、一応な」

 アーサーは友好的にも聞こえる声で話す。それは多分、彼の警戒心というものがないからだ。

「ははは。君の年齢から察するに当時十代後半といったところか、恐ろしいですね」

「たまたまだ」

 ご謙遜を。伯爵はそう言ってまた笑ったそして「一つ聞いてもいいですか」と続ける。

 二人の会話には敵意や殺気がない。サリアもまたそこに介入する気にはならなかった。

「なぜあんな化け物と戦おうと思ったんですか? 失礼ながらあれは人が太刀打ちしていい存在じゃない。冒険者であろうと率先して挑むなど、ただの自殺です」

 伯爵の質問に対しアーサーはため息を吐いて、いつものように煙草に火を着けた。

「時間稼ぎさ。当時多くのエルフの集落が森に残っていた。それらが各地へ撤退するmでの時間を稼ぐことが俺たちの目的だったのさ。適当に戦ったら撤退する運びになっていた」

 アーサーの瞳は過去を今もまだ見ているようだった。その行動に後悔はないと言わんばかりだ。

「ではなぜ?」

「森は俺の故郷なんだよ」

 サリアは自身の耳を疑った。

(マスターが森の者?)

 その事実はアーサーとサリアが同郷であること示している。しかしサリアの中にそんな記憶はない。

「なるほど。しかしあなたはエルフには見えませんが?」

「正真正銘の人間だったよ。どっかのジジイに拾われて森で育った。だから俺の故郷はもはや面影もないあの森なのさ」

「故郷を守るために戦ったと」

「結局何も守れなかったがな」

 アーサーの言葉にサリアの胸はキュッと締め付けられるような痛みを覚える。聞けば聞くほどにそれは強くなっていく。サリアは無意識に自身の心臓に触れるように胸に手を当てた。唐突に「そんなことはない」と叫びそうになってサリアはそんな自分を抑え込んだ。

(私はなぜそんな重要なことを忘れている? マスターはエルフが逃げるだけの時間を稼いだだけじゃなく、討伐を果たした。あの時、最期まで森に残っていた私がなぜ彼のことを覚えていない?)

 違和感。サリアの記憶に一部の空白がある。

 エルフは長寿ゆえに記憶が常に更新されて昔のことを忘れてしまう。気がつくと十年近く経っている時だってある。しかしそれでも忘れられないことはある。あの邪竜が現れた時、サリアは同志達と立ち向かったのだから。

 あの時のことを忘れるなど不可能だ。

「もう終わりにしていいか? この話はあまり好きではないし、口が滑りすぎるとアイツの耳にも届きかねん」

 サリアの中に渦巻く違和感と疑問が大きくなる。

「もちろんです。私もこれ以上深入りして命まで失いたくありません」

 はっはっは! わざとらしく伯爵は笑う。その声は水路中に聞こえるほどに響き渡っていた。

「とてもとても貴重なお話。ありがとうございました」

 格上に言うように伯爵は丁寧にお辞儀をすると感謝を伝えた。お辞儀をした瞬間に暗闇の中でも伯爵が懐に手を入れているのが見えた。

「ではさようならだ」

 その手には氷の塊のようにも見える物質。水色の淡い輝きを持つそれは魔法石の上位互換の代物。より強い魔法を込めることが可能なレアアイテム——魔結晶。一回きりでしかも高価。冒険者ならばそう簡単に手が出るものではないが貴族である伯爵ならば持っていても不思議ではない。魔結晶の利点は魔力消費もなく使えること。

(まずい!)

 雑念がサリアの行動を遅らせた。

「召喚獣か」

 魔結晶に封じ込められたのは全高三メートルほどの巨大な人型の生命体。しかし人の形をしているのは上半身だけで下半身は蛇のようになっているサリアでも見たこともないような化け物だ。

「これはヨルムンガンドの開発過程で生まれた未知の生命。名付けるならばミズガルズオルムの不完全体、単なるミズガルズとでもしようか」

 不完全と言いながらもミズガルズが纏う雰囲気はあの大蛇よりも異様で気持ちが悪い。上半身部分はやはり本物の人間のようで女性体なことはわかるが地面に着くほどに長い髪と目がない顔面は蒼白で無機物のように佇んでいる。

「行け」

 そう言って伯爵はもう一度懐に手を入れる。

 出遅れてサリアは駆ける。

 サリアの身体は動いていた。数メートルという距離など彼女にとって手の届く範囲と何ら変わりはない。僅か一息、一歩を踏み出す感覚で伯爵をその攻撃範囲内に置くことができる。そのまま武器も出さずに拳を振るう。

「っ……」

 突如腹部を殴打された伯爵が苦痛に声を上げる。しかしほとんど息を漏らしたような声を漏らした程度だ。その痛みに装備も整えてない彼が耐え切れるはずもなく、身体はそのまま力が抜けて地面に倒れた。同時に伯爵の手元から手のひらサイズの結晶が落ちる。

 それはもう一つの魔結晶だった。

(転移魔法ですね)

 魔結晶は魔法石と同様にその色や輝きでどんな魔法が込められているか推定できる。魔法に精通するサリアならば一目見るだけでそのアイテムや武具に込められた魔法がどんなものか知覚できる。

 タイミングを見ても使用する魔法は転移と推測できる。しかし帝都の障壁内で転移はできない。

「今はマスターが優先か」

 サリアはアーサーのいる方向を見る。

 すでにミズガルズはアーサーへ襲い掛かろうとしていた。やはり移動方法は蛇と同じだ。しかし移動速度はあの特殊個体を彷彿とさせるほどに早い

 ミズガルズが突進しアーサーと接触した瞬間、その巨大な身体は壁際まで吹き飛ばされた。壁の肉体が埋まり、ミズガルズが苦しみに甲高い声にならない奇声を上げた。

 この閉鎖空間でその声はあまりに不快だ。ミズガルズは次にアーサーではなく、視界に入ったサリアを見る。見ると言っても目がないので黒い二つの孔が覗いている。しかし牙は剥かれており、殺意が迸る。先ほどの攻防で苛立っているのか、もう一度ミズガルズは奇声を上げる。

 刹那の内に壁を蹴るようにしてミズガルズはサリアへ向かっていく。水路全体が大きく揺れるのを感じ、瞬間その腕がサリアの目の前にあった。

 抜剣。

 その腕がサリアへ届くことはない。本来ならば届く一撃は刃に阻まれ、ミズガルズの腕は切り飛ばされる。腕はそのまま水路に落ちたようで水面が荒ぶる音が聞こえた。

 唐突に見たことのない化け物に襲われたがサリアの心には波一つ立たない。冷徹な目で正面にある化け物の顔面に指を向ける。

「エクスプロード・フレア」

 最高位の炎属性魔法。なんの躊躇いもなく放たれた火球は発動した瞬間に目標と接触して爆ぜた。まるでミズガルズの体がそのまま爆散したようにも見えた。圧倒的な火力に焼き払われながもミズガルズの肉体そのものは残っている。しかしそのダメージと火傷から生きているのがやっとと言う状態だ。

「退きなさい化け物。マスターがよく見えません」

 言ってサリアはミズガルズを蹴飛ばした。身体はその場に転がり、もはやぴくりとも動かない

「マスターご無事ですか」

 サリアはミズガルズと同じように地面に転がる伯爵の体を片手で持ち上げ、そのままアーサーの方へ歩き出した。


 ・


(いよいよ意味が分からなくなってきたな〜)

 面倒そうな集団を追ってきたら、なんかよく分からない男達に絡まれて、それも撃退したらよく分からない偉そうな男と自分自身の話をして、最終的には謎の生命体に襲われた。

 領域外という存在を知っているなら皇帝に近い立場の人間なんだろうが、目の前の男にアーサーは全く見覚えがない。というか誰なのこの人。

 訳知り顔で話しているがアーサーはさっきから一ミリも状況を理解できてない。幸いなのはここが暗闇でアーサーが百面相していても相手に気が付かれないことだろうか。

 そしてもう一つ分からないことが増えた。

「この声……サリアか?」

 いつの間にかサリアはそこにいたらしい。さっきの光は魔法か。しかし一瞬だったのでよく分からなかった。逆に光ったせいで余計に周囲が見えない。

 転がったランプに照らされてサリアの姿がようやく認識できるようになる。そこでようやくアーサーはもしかして宮廷あたりで何か起こってるもかもしれないという感覚を抱く。それももう遅い。


「サリア!」

 アーサーが叫ぶ。声を上げたのはサリアの背後にまだ動くあの化け物の姿を見たためだ。声にサリアが振り向いた時にはその圧倒的な俊敏性で残ったもう一本の腕を振り上げていた。

 咄嗟にアーサーはスヴェルを顕現させ、サリアを守る。しかしその必要はなかった。

「邪魔ですね」

 サリアは抱えた男を手放すと踵を返した。その瞬間に既に腰の剣は引き抜かれ、化け物の腕を切り裂く。そしてもう一度蹴り飛ばし水路へ化け物を落とした。

 残った左腕すら失った化け物は絶叫しながらも水路へ落ち、それでも這いあがろうとする。そんな満身創痍な存在にもサリアは一切の容赦をしない。その頑丈さを認めたのかもしれない。どちらにせよオーバーキルには違いない。

「サンダーボルト」

 唱える。サリアの掲げた手からは雷が迸り、化け物へ落ちた。人が喰らえば掠めただけで死ぬ虹等級に属する雷魔法。大概の生命を死に至らしめる怒りの雷はそれそのものが刃のように鋭く化け物を容易くその顔面、肉体を両断した。

 瞬きの間に水路には黒い木のようなものが出来上がった。それは黒焦げになった先ほどの化け物だ。雷の直撃で肉体は頭部から避けて、もはや生物にすら見えない無惨な姿になっていた。

(さすが……衰えてないな)

 アーサーはその戦いぶりに破顔した。どこか懐かしい気分になったのだ。

 しかしいつまでも感傷に浸っているわけにもいかない。

「サリア大丈夫か?」

 その問いに対しサリアは剣を鞘に収めながら「問題ありません」と言う。そして同時に先ほどの男を抱え上げた。

 なぜか気絶しているようだが、この様子だとやはり敵だったようだ。

「しかし流石はマスターですね。私の必要はなかったようです」

(あーこれはまた何か勘違いしているな)

 サリアが流石という時は大抵碌でもないことを思考している時だとアーサーも理解していた。一番タチが悪いのはその思考はアーサーにだけ理解できず、サリアの中で完結してしまうことだった。

(だが今のは本当になんだったのか)

 これ以上面倒なことにならなければ良いが。そんなアーサーの願いは既に破却している。なぜならばもうこれ以上なく面倒なことの中心に彼は居る。というより、全ての発端は彼にあると言ってもいい。

「それは?」

 アーサーはサリアが片手に抱えるものへ向けて質問する。

 それが魔結晶という滅多にお目にかかれない珍しいアイテムであることはアーサーも理解できるが、問いの本質はなぜそんなものを彼女が持っているのか? という意味だ。

「伯爵が持っていたものです。マスターの予想通り、転移の魔法が込められた魔結晶のようです」

(話が見えねえ。俺そんなこと言ったっけ?)

 アーサーはそんなことを一言でも発したか自分の記憶を辿る。多分だけど言ってないことは確定している。そもそもそんな高価なものをわざわざ購入する気にもならない。話題に出すこともそんな予想をした覚えもない。

「伯爵はやはり自らの拠点へこれを使って転移する気だったようですね」

「ああ」

 と言いながらもアーサーは話の内容を理解できてない。

 まあ、転移の魔結晶を持ってるんだから転移に使うんだろうな——くらいの非常に浅はかな考えならしたが、これは流石に口にできないと下手に喋らなかった。

「しかし帝都内で転移は可能なのでしょうか? 障壁は外からの侵入は防げますが内側からは効果を発動しません。わざわざ試す者もいませんし、私は知らないのですが」

「あーそれはできないんじゃねえか? アイツ……皇帝の障壁は一定の魔法発動も阻害してるからな。侵入者を防ぐって意味ではなく、魔法がそもそも内側からじゃ発動しねえんだ」

 アーサーは知っていることだけを話す。なぜサリアがそんなことを知りたがっているかは理解していない。

 しかしアーサーは皇帝の持つ魔法については結構知っている。恐らく国内では一番詳しいかもしれない。それでもほんの一端だろうが。

「なるほど。ならば伯爵の目論見は外れた訳ですね」

「……そうなるな」

(伯爵? 目論見?)

 そもそもなぜ爵位なんて地位を持つ人間がこんな汚らしい地下水路なんて通っているのだろうか? 先ほど襲ってきた男に拉致でもされたんだろうか? だとするならば長々と話したのも意味が分からないし、そもそも助けたのに感謝されてないし。違うのだろうか。

 色々考えてアーサーの思考は停止しかける。物思いに耽るようなポーズこそとっているがそれにはほぼ意味がない。

「マスターどうされました?」

「い、いや。とりあえずここから出るか」

 アーサーはサリアの期待の滲む視線から逃れるべく誤魔化す。今一度冷静さを取り戻すために煙草を咥える。

 よくよく考えてみれば倒れているターニア親衛隊も助けないといけないし、ついでだと思ってアーサーは来た道へ戻っていく。そろそろこの異臭にも鼻が慣れてしまってきたがそれでもこの閉鎖的な空間から早く出たかった。

(後のことは……後の俺が解決するだろう)

 サリアは伯爵と思われる男を抱えたままアーサーと並んで歩く。その歩行速度は人一人を抱えているとは思えないほどで、通常と全く変わらず歩けていることにアーサーは地味に驚いている。

 ハーフエルフは確かに人間よりも優れた寿命と感覚機関、魔法適性を持つが膂力は人間と大差なかった気がする。その細腕のどこにそんな力があるのか。アーサーはジッとサリアの身体を見つめる。

「どうかされました?」

「な、なんでもない」

 女性に対し不躾な視線を送りすぎたとアーサーは正面を向いた。

「そういえば伯爵の護衛は?」

「え? あーたぶん水路に落ちた」

 アーサーはチラリとだけ見た二人の男を思い出す。戦士風の男と暗殺者風の男。スヴェルの自動迎撃で恐らく吹き飛ばされてそのまま水路に落ちた。生きていれば良いのだが。

「あとで捜索隊を送り込む必要がありますね。生死を確認しなければ後々面倒になるかもしれません」

 その男らの正体をよく知らないこともあって寛容なアーサーに対し、サリアは冷徹だった。敵対者を決して許さないような雰囲気を放っている彼女は恐らく本気で言っているだろう。

「え? ああ、そうだな。だが場所が場所だし無理しなくていいぞ?」

「寛大なお心遣い感謝します」

 サリアは優しげに笑みを浮かべた。とても爽やかで見てる側は癒しを受けるような冷静な彼女がたまに見せる横顔——は一瞬でいつもの冒険者然としたものへ変わる。

「しかしマスターに刃を向けた者は何人たりとも許せません。オーディンの全勢力の全身全霊を持って排除させていただきます。ご安心ください」

(いやそういうことではないんだが)

 部下を御するのは予想の三倍難しい。これはアーサーがギルドマスターになってから散々感じていることだった。特にサリアは暴走しがちで、こちらの意図を確実に誤った方向に誤解していると。

 どうにかしたいが、どうにかなるならしている。

 幸いサリアの暴走はアーサーのみが困るだけで他は困らず、むしろ滞りなく完璧なので問題は起こってない。アーサーが我慢すれば良いだけだ。

 もういっそのこと彼女がマスターをすれば良いのでは? その疑問は執務室の席についた瞬間からずっと感じていることだ。

(上司より優秀な部下……いや部下より無能な上司か。それには何か意味があるのだろうか? 俺はただあの椅子に座って誰がやっても良いことを熟すだけ。お飾り。まあお飾りにも意味はあるのだろう。俺にはその飾りの役割すらできてない気がする)

 不適合なのだ。あまりにもアーサーという存在とギルドマスターという役職が適合していない。

「俺は相応しくないよな」

 アーサーは煙草の煙を吐き出すついでに呟いた。

「今、なんと?」

「なんでもない」

 アーサーは頭に浮かんだ雑念を振り払う。

 地下水路から出る通路に日の光が差しているのが見えた。それはアーサーにようやくこの仕事への決着の付け方を指し示す篝火のようだった。

 アーサーは久しぶりに地上へ出た気がして数回深呼吸をした。

(呼吸って素晴らしいな)

 異臭がしないって素晴らしい。帝都がそこら中に水路と地下水路を張り巡らせて衛生面を確保している理由を理解し、アーサーはそれを真っ先に実施した皇帝に感謝した。生まれて初めてあの皇帝に感謝したかもしれない。そして二度と地下には行くまいと心に決めた。

(今度地下に逃げたやつはそのまま埋めよう)

 なんて考えるほどにあの暗闇と異臭は精神的に響いていた。

「呼吸って素晴らしいですね」

「俺も全く同じことを思ってた」

 地上、水路入口付近には多くの兵士の姿があった。兵士は皆武装しており、状況の深刻さを側から見えても感じさせた。兵士の表情は緊張しており、サリアとアーサーの姿を確認すると敬礼する。

 伯爵の姿を見て安堵したような表情を浮かべた兵士らは口々にサリアを賞賛する。そしてついでと言わんばかりにアーサーを一瞥した。それに対しサリアの視線は鋭くなった。

「このお方は?」

「アーサー・クラウズ様。我々オーディンの二代目マスターです。今回の件は全てマスターが解決なされました。私は何もしていないので賞賛ならばマスターへ」

 サリアの口調は強い。怒りを滲ませ早口で出てきた言葉は恐ろしいまでの威圧感が篭っていた。兵士は目に見えて動揺するとすぐに頭を下げた。

「失礼致しました」

「ゲドラフ伯爵の身柄は渡しておきます。あと水路にまだ人がいます、回収をお願いします」

 サリアの言葉に「畏まりました」と兵士は緊張しながら言う。指揮官と思われる兵士がさらに部下へ指示を出し、幾人の兵士が水路へ向かう。

 アーサーは相変わらず状況が読めないままにサリアと兵士の話を聞いている。ついていけないので余計な口は出さない。

「我々はまだやり残したことがあるのでこれで失礼」

(え? やり残したことあんの?)

 聞いてない聞いてない。

 そもそも何が進行しているのか理解していないのにこれ以上何をさせようと言うのか。

「マスター」

 困惑したままアーサーはサリアの声に応える。その声が「へ?」と完全に間の抜けたものだったが、サリアはそれに気がつかないだろう。

「行きましょう!」

「へ?」

 サリアに手を引かれる。しかし、どこへ行こうというのか。このまま飲みに行くと言うのなら歓迎だが、絶対にそんな雰囲気でないことは流石にアーサーでも分かる。

 引かれたと思ったらアーサーはヒョイっと持ち上げられる。文字通り軽く持ち上げられ抱き抱えられた。いわゆるお姫様抱っこだった。

 サリアはアーサーを抱えると帝都を駆ける。恐るべき脚力は魔法により強化されたわけでもないのに、二階くらいの高さの建造物を軽々飛び越える。そのまま住民外の屋根を伝って行く。

(なんだこれ)

 どういう状況なんだこれは。アーサーはもう考えるのをやめてサリアの美貌を眺めていた。

 本当に綺麗だ。ハーフエルフは長命種。その容姿は百年経とうと二百年経とうとその美しさは損なわれない。二十年程度では微塵も変化はないのは当然だ。

 切れ長の目は涼しげでクールな印象を与える。白い肌には冒険者特有の傷もなく、ハリも艶も十代のそれだ。髪は短いが美しい。邪魔だから切ってしまったのだろうか? だが何よりも目を引くのはその瞳だ。翡翠と見紛う輝きを放つそれは油断すると見惚れてしまう。

 胸に抱かれたアーサーはサリアに視線を向けられる。見惚れているのがバレたのかアーサーは「な、なんだ?」と吃りながら聞き返した。

「マスターはこの魔結晶の転移先はどこだと考えますか?」

 転移魔法はあらかじめ行き先を設定しておく必要がある。それは一度設定すると変更はできない。だからこそサリアの持つ魔結晶に込められた転移魔法の行き先は決定している。

 しかしながらアーサーはサリアが何を聞きたいのか理解できてなかった。そもそもそれはサリアの持ち物ではないのか? という疑問から抱いているレベル。だとすれば先ほどの伯爵が所有していたものと考えるべきだが、そんなことアーサーが知るわけもない。

「そりゃ伯爵の所有する領地じゃないのか?」

 言ってからアーサーは「しまった」と後悔する。あまりにも当然なことを言い過ぎた。サリアほどの人間がそんな当たり前なことをギルドマスターである自分に聞いているはずがない。

 しかしアーサーの心配に対してサリアは意外な反応を示した。それは完全に「その発想はなかった」と言いたげだった。

「なるほど。当たり前のこと過ぎて逆に盲点でした」

(当たり前のこと過ぎたこと言ってごめんなさい)

「伯爵の領地となると北方の国境周辺……北方。そうか」

 サリアはハッとなる。閃いた——と言いたげだった。というより顔が完全に語っていた。

 アーサーは今のサリアの考えが完全にトレースできる。その自信があった。

(そういうことだったのですねって言いそうな顔してんだよな)

「そういうことだったのですね! だとするならばあの依頼、樹海での騒動から伯爵の脱走まで全てがマスターの計算、計画が動いていたということ。

 完全に私の理解を超えている。今ようやく理解できた自分が恥ずかしい。もっとヒントは散りばめられていたはずなのに、マスターの行動の意図を読めない、察することすらもできないなんてギルドリーダー失格です。

 申し訳ありませんマスター。このサリア・グラスナー、今になって全てを理解しました。この失態はこの後に挽回させていただきます」

 予想の数百倍曲解していた。そして何を言っているのか本当に僅かも理解できない。やはりアーサーにはサリアという人間はトレースなど不可能だったようだ。

 自慢ではないがアーサーに計画立案能力などない。皆無と言っていい。何をどう曲解したらそんなことになるのか不明だが一つだけ確かなことが言える。

 この後アーサーは北へ飛ぶ。


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