最期の授業
魔術を使うためには、自分の魔力がどこから来ているのか、ということを正確に理解することが大切だ。
「魔力の源は、心臓にあるの」
朝食のあと。机越しにラスターと向き合い、自身の胸をトン、と叩きながらディアナは言った。
「魔力が生み出される心臓を守り、魔力をコントロールしているのが保護膜と呼ばれる純度の高い魔力。何層にも重なってできた保護膜は、魔術師にとってとても大切なものなの」
保護膜は、母親の胎内に宿った胎児の時から十月十日をかけて育まれる。
無垢な魔力が濃縮されたそれは普通の魔力よりもずっと力が強く、日々心臓を守ってくれている。
「魔術師が長命で丈夫で一般の人より若さも保てるのはこの膜のおかげ。魔力を貯める蓋のようになっているから、魔力が足りなくなっちゃった、あ、ここからつーかお! なんてことは、気軽にしちゃだめよ」
「そんなバカなことする奴がいるわけないだろ」
「……よろしい。それじゃあそろそろ、今日の実践といきましょう」
心なしか嬉しそうにラスターが頷いた。
引き取った当初、自身の強い魔力を嫌悪していたラスターは、魔力を使うことを恐れているように見えた。
しかし最近では実践の授業が楽しそうだ。色々な魔術を知ったことでやる気が出てきたのだと、本人は言っている。
「ディアはちょっと抜けてるからな。何かあったとき、俺が守ってやらなきゃだめだろ」
そうそっぽを向きながら話す弟子に、自然と頬が緩む。子どもは守られることだけ考えなさい、と慈愛深く言ってやると、すぐにカンカンに怒るのだけれど。
「そうそう、うまいうまい。体を流れる魔力を指先に集めるの。それで出すの。ええと……なんだろ、こう。お団子を喉に詰まらせた鳩が、ようやく楽になったみたいに」
「魔力を限界まで高めて一気に放出するってことか」
「そうそう」
座学に関しては本を読み上げるだけなので何とかなるが、実践となると急激に教え方が下手になるという自覚はある。
しかしながらこの弟子は、三年も側にいるとディアナの言いたいことがなんとなくわかるようになっていた。
「……っ、こうであってる?」
そう言って額に汗を滲ませてラスターが作り出したのは、手のひらほどの大きさの、今日も頭上に輝く魔法陣――ディアナが作った結界の、小規模バージョンである。
日を浴びてキラキラと輝くそれは、ディアナのものと違って空に溶け込むような青だった。
「できてるじゃない! すごいわ!」
驚いて、思わず歓声をあげる。
鎮静の結界自体は、そう難しいものではない。対象が人間相手ならば初級程度の難易度で、理性のない獣にも効くものならば中級程度だろうか。
しかし魔物は、理性や知性があったり無かったりと様々なものがいる。人間には影響がなく、全ての魔物に効果のある結界を作ることは、理論上不可能と言われていた。
それでも大魔術師になる前から毎日術式を研究し、試行錯誤を繰り返してようやく作り上げた鎮静の結界は――、術式が非常に複雑で、魔力の消費量も大きい。
術式は論文にして発表しているものの、まだ誰も結界を張れる人物はいないと聞いている。
規模は小さい。しかし今日のこれは、よく出来ている。
「まさかこの年で作り上げられるなんて。すごいわ、ラスター!」
ディアナが思わず歓声をあげると、ラスターが得意げに笑って顔を背ける。照れているのだ。
「ああ、これで安心したわ。私の弟子は本当にすごい! マクシミリアンにも今日、早速教えてあげなくちゃ。きっと世界一の天才だって目を丸くするわ」
ディアナの言葉に、ラスターが露骨に顔を顰める。
「……あいつ、今日来るの?」
「こら、ラスター。先輩なのだから、あいつじゃなくてマクシミリアンと呼びなさい。ラスターの好きな、ナッツのはちみつ漬けを持ってくるそうよ」
王都から離れたディアナとラスターにとって、月に二度やってくるマクシミリアンは外界との唯一のつながりだ。
彼のおかげでディアナとラスターは王都の日用品や食料など、文明に触れることができている。
しかしながらラスターは、マクシミリアンが大嫌いだ。といってもラスターはディアナ以外の人間が嫌いらしいけれど、その中でもマクシミリアンは全ての人間の中で一等嫌いなのだという。
何故なのだろうと、ディアナは首を傾げる。
マクシミリアンは善良な人間だ。少なくとも、ラスターを実験体に使っていた最悪な連中よりは。
「あなた、本当にマクシミリアンが苦手なのね。良い人なのに」
「いいや。ああいうのは良い人間であろうと見せかけてるだけで、内心ムッツリの信用できないタイプの人間だ」
ひどい言い草だ。
「そんなことを言ってはだめでしょう。マクシミリアンはあなたの先輩であると同時に、私の大事な友人であなたの主治医なんだから」
リディアの言葉に、ラスターが苦虫を噛み潰したかのような表情で頷く。
結界を成功させあんなに嬉しそうにしていたのに、何故こんなに機嫌が地の底に落ちたのだろう。
「まったく。ほらラスター、機嫌を直して」
子どもが喜びそうな小さな黒猫を作る。魔力でできたそれはしなやかな動きでラスターの足にまとわりつき、スリスリと頭をこすりつけた。
「……俺、もう子どもじゃないんだけど」
ラスターがわかりやすく嫌そうな顔をする。
「でもかわいいでしょう?」
「かわいいけどさ」
足元の猫に目を落とし、「こういうのより、もっと凄い魔術が見たい。ディアは天才なんだろ?……いてっ」と呟いた。
こういうの、と言われた猫が抗議の意を込めてラスターの足に爪を立てたのだ。
「この可愛い意志のある猫ちゃんを作るのがどれだけ凄いことかわかってないわね? 確かに大して魔力は使わないけれど、繊細で緻密な構築が必要なすっごい魔術なんだから」
「それはわかるけどさ。ディアは天才魔術師なんだろ? 俺に、もっと色々な魔術を見せて欲しい」
「……それは、」
口を尖らせるラスターに何か言おうと口を開いた時、強い風がざあっと吹き、ディアナの耳にだけ聞こえる鈴の音が鳴った。
万が一のためにかけておいた、警戒の魔術に誰かが引っかかったようだ。
「……ラスター。今日はここまでにしましょう。家に入るわよ」
「え?……まだ、昼だけど」
「鎮静の結界は大きな魔力を使うから、今日は終わり。また明日以降に練習しましょう」
「……わかった」
どこか怪訝そうなラスターが、不承不承頷く。
家の扉を開け、先に部屋に入るラスターに向かって魔術をかけた。
昏睡の魔術である。
「……っ!? ディ、ア……?」
「ごめんね。私に何かあったら、マクシミリアンによろしく」
驚愕した顔のラスターは、昏睡の術に抗おうとしたようだが、そのまま眠りに落ちてしまった。
その姿を見届けて、ディアナはもう一度「ごめんね」と言い、ラスター一人を残して扉を閉めた。