一番のしあわせ
「ラスターは、何も悪くない」
「ディア……」
「あなたが、こんなに苦しむとは思わなくて。私は……私はただ……」
ぼろぼろと泣くリディアに、ラスターが腕を伸ばしかけて動きを止める。
どうしたら良いのかわからなさそうな、そんな姿に余計に悲しくなって、リディアはラスターの胸に抱き着いた。
ラスターが息を呑む。
硬直する体を抱きしめながら、リディアは「ごめんなさい」と涙混じりに小さく呟いた。
自分が誰かに愛されることなどあり得ないと、ずっと思っていた。
だからラスターのことを大切だと、幸せに生きていてほしいと願いながらも、ラスターがどれだけ自分を必要としていたかがわからなかった。
ラスターはずっとディアナの側にいて「家族はディアだけでいい」と、あんなにも言ってくれていたのに。
もしもその言葉を正しく受け取っていたら、きっとあの時自分は何が何でも生き残る道を探したと思う。
「ラスターと、同じ種類の気持ちではないかもしれないけど……、誰よりも大好きなラスターに、こんなに必要とされたことが、すごく嬉しい」
「……!」
「私、私も。ラスターと出会えたことが、私の人生で一番幸せなことなの」
リディアの言葉に、ラスターがまた息を呑んだ。
こみ上げる罪悪感の分、強く抱きしめてから体を離すと、リディアはまた「ごめんね」と呟いた。
「もう絶対に、あなたを置いていったりしないから」
「…………」
ラスターの手が、躊躇いながらリディアの頬を包んだ。
星空を背景に輝く濡れた水面の瞳が、激情に震えながらリディアを見つめている。
「……わかった」
小さな掠れた声が響いた。
リディアの頬から手を離したラスターが、今度はリディアの手を掴んだ。
持ち上げた手のひらに唇を落としながら、リディアの耳には聞こえないくらいの小さな声で何かを呟いた。
◇
「いやあ本当に! 奥様は俺の救世主ですよ! よっ、女神!」
王宮からの伝言だと手紙を持ってやってきたロードリックが、にこにこと満面の笑みを見せる。
「ここ最近のラスター様、気味が悪いほどご機嫌なんですよ! まあ相変わらず俺にはゴミを見るような目を投げかけますし、その他大勢の人間にも『この人の情緒息してる?』と思うくらい無表情の塩対応で接してますけどね! でもどことなく表情が柔らか……キャッ!」
「お前は性懲りもなく、何をぺらぺら喋っているんだ……?」
手紙の封を開けようとしていたラスターが、ペーパーナイフをロードリックの頬すれすれに投げ飛ばした。ペーパーナイフが鈍い音を立てて壁に刺さると、ロードリックが「ほら!」と目を輝かせた。
「本来のラスター様でしたらこんなぬるいことはしませんよ! 氷とペンギンしかいない地に飛ばしたり、頭蓋骨をミシミシ音が出るまで締め付けたりするはずです!」
この機嫌の良さ、一番弟子の俺でなければ見逃してしまってたでしょうね……と鼻の下を擦りながら、ロードリックはリディアに向かって親指を立てた。それと同時に「ぎゃふん!」と悲鳴を上げて鼻を抑える。ラスターが何かしたのだろう。
その光景が微笑ましくて、リディアは思わずふふっと笑った。
「二人とも、とても仲が良いのね。弟子と師匠が仲良しなのは良いことよ」
「ディア。仲は良くないし、これは弟子ではなくてお荷物だ」
「奥様は目が悪くてラスター様は性格が悪……ギャン!」
リディアの横に座るラスターは、冷ややかな顔でロードリックを眺めているけれど、その表情は確かに以前よりも柔らかいような気がする。
先日、テラスでラスターと話し合った日から、ラスターの様子は確かに変わった。
ロードリックの言うような微々たる変化ではなく、ツンツンツンツンしていたラスターが、デレデレツン、くらいに変わったのだ。
それはもう、恥ずかしくて困る程に。
リディアが恋愛感情を持っていないことをラスターは知っている。
だからこそ彼は今まで極力リディアには触れなかったのだろうし、ラスター自身もリディアとどうこうなりたいわけではないと、そうも言っていた。
だけど最近のラスターは、リディアの心臓に悪いことばかりしてくる。
今日の朝も断固として二度寝をしようとするリディアのベッドに腰掛けて「眠り姫はキスをすると目覚めるらしいな」と呟いた。
瞬時に目を開けたリディアに、どこか意地の悪そうな、けれどとびきり甘い笑顔を浮かべたラスターは「試せなくて残念だ」と呟いて――なぜかリディアの頬に、キスをした。
熱くなった頬を抑え、声も出せずに口をはくはくするリディアに、ラスターは嬉しそうに微笑んだ。
(私の弟子の恋愛スキルは低いのか高いのか、どちらなの!?)
少なくとも先日までは、限りなくゼロに近かったはずなのに。
思い出して赤くなりそうな頬をどう誤魔化そうか考えるリディアに、「あ! 忘れてた!」とロードリックが大声を出した。
「俺奥様にも手紙を預かってきたんでした! ええと……神官長と筆頭精霊士長の連名のお手紙です!」
こちらがメインなので、渡し忘れてたら怒られるところでした!
そう爽やかに言いながらロードリックが差し出したのは、微かに百合の香がする真っ白な封筒だった。




