好きの種類
「――私は、一度席を外そう」
ラスターの言葉を聞いて、アレクサンドラが立ち上がる。頃合いを見てまた戻る、と言い残し、彼女は部屋の外に出て行った。
その姿を見送りながら、リディアは困惑していた。
(――どういうこと?)
ラスターは、「私は天才じゃなかった」と言い遺したディアナの言葉を、バレバレの嘘だと言ったのだろうか。
ラスターの顔を見上げたリディアは、おそるおそる口を開いた。
「ラスター……あなた、私が天才じゃないのにあなたをこき使っていたから、だから私を憎んでいるんじゃなかったの?」
「は?」
水面の瞳が驚きに見開かれる。
数秒の間を置いて、信じられないものを見るような表情で「もう一度言ってくれ」と低い声が響いた。
「俺の聞き間違いだと思うが、ディア、今何て」
「え、だから……私が天才だと嘘を吐いてラスターをこき使った詐欺師だと思って、復讐しようとしていたんじゃないの……?」
「どうしてそんな発想になるんだ!?」
ラスターが、びりびりと耳が痺れるような大声を出した。
「俺がディアを憎んでる? 復讐? 一体何を言っているんだ!?」
「違うの!?」
「当たり前だろ!」
食い気味で否定したラスターが、「どうしてディアはいつもそう斜め上のことばかりなんだ……!?」と頭を抱える。
恨まれていたわけではないことに呆然とし、嬉しさも込み上げてきたリディアだが、それでもその嘆きようにはムッときた。
「そ、そんな風に言われても……! ラスター、私に会った瞬間罪を贖えって言ったでしょう!」
普通罪という言葉は相手に怒りを抱えている時に使う言葉で、どう考えても守りたい人間に使う言葉ではない。
「それは……悪かった」
リディアの正論にラスターが口ごもり、バツが悪そうに眉をしかめる。
言葉選びが悪かったという自覚はあるらしい。
「それにもう離さないとか求婚とか終身刑を宣告して、散髪も自由にさせないとか、真綿でじわじわと首を絞めてやるなんて言われたら、誤解しても仕方がないと思う!」
「……!? その捉え方はおかしいだろう!」
「えっ、何がおかしい……?」
「全部だ! 俺は、ディアを……!」
そこまで言って、怒りゆえか動揺か、ラスターの耳が微かに赤くなる。
自分の捉え方の何がそんなにおかしいのだろうと、首を傾げたリディアを非常に腹立たしそうに見て、ラスターが一瞬目を閉じた。
そしてまた目を開けたラスターが、意を決したように「ディア」と名を呼んだ。
「……俺はこの十六年間、ディアを生き返らせることだけを考えてた。ずっと会いたかった。ディアのいない世界なら死んだ方がマシだと、何度思ったかわからない」
真剣な表情でそう言うラスターがあまりにも切なそうで、リディアは言葉を失った。
ディアナにとって、ラスターはとても大切な家族だった。しかしラスターにとっては子どもの頃にたった三年、一緒に暮らしていただけの間だ。
だからラスターにとって自分はそこまで大きな存在ではないのだと、そう思っていた。
亡くなった時は悲しんでくれていたけれど、世話が焼けすぎる師匠がいたなと、すぐ笑い話にできる程度の存在だろうと。
だって自分は、誰からも愛されない化け物だから。
戸惑うリディアに、ラスターが静かに「好きだ」と言った。
驚いて思わず顔をあげる。目の縁まで赤く染まったラスターと、目があった。
「ディアのことが、好きだ」
息を呑む。単純に仲の良かった十六年前だって、こんなにまっすぐ好意をぶつけられたことはない。
どぎまぎとしながら、口を開いた。
「えっと……あ、ありがとう。わたしも……」
言いかけた途中で、ラスターの指がリディアの唇を押さえた。
「私も、じゃない」
ラスターが切なそうな顔で、静かに言う。
「俺の好きは、ディアの好きと一緒じゃない。――独り占めにしたい、誰の目にも触れさせたくない、そんな『好き』だ」
ラスターの指が、リディアの唇から離れていく。
ぽかんと口を開けるリディアの顔を見て、耳まで赤く染めたラスターが腹立たしげに顔をしかめた。
「……ここまで言ってもディアには伝わるか微妙だな。いいか、ディア」
「えっ、は、はい」
「ディアは何を着ても可愛い」
「……!?」
ラスターがやけくそ気味に、とんでもないことを言う。
「誰の目にも晒したくない。俺以外の人間がいる時は、絶対帽子を被っていてほしい」
固まったリディアに目を向けたまま、ラスターが立て続けに喋り出す。
「ディアの首に、ディーと同じリボンを巻きたい。誰が見ても、ディアが俺のものだとわかるように」
「…………!?」
「ディアの体の全部に触れて、俺のものにしたい。抱きしめたまま離さず、夜も朝も……」
「わ、わかった……! もう、わかったから!」
「いいのか?」
「いっ、いいとは言ってない!」
いつの間にかラスターよりもはるかに赤く染まっているだろう顔で、叫ぶ。
さすがにここまで言われたら。ラスターの言う好きの言葉の意味は、リディアにもわかった。
離さないと言ったのも、結婚などと言い出したのも、復讐ではなくて言葉通りの意味だったのか。
頭が破裂しそうなリディアの髪に、ラスターの手が伸びる。
手に取った一房に唇を落としながら、切なそうに口を開いた。
「……十九年前、ディアが俺を助けてくれたあの日から。ずっと、ずっと好きなんだ」
まっすぐな視線に耐えられず目を背けると、一瞬の間を置いて髪をとる指が離れて行った。
沸騰しそうな頭が、ぐるぐると混乱巣る。
(だって、私とラスターは家族で……)
それにリディアは、ラスターよりも八歳も年上だ。
今は年齢が逆転して十六歳も年下になってしまったけれど、リディアにとってラスターは守らなければならない可愛い子どもで、幸せになってほしい家族だった。
そんな彼を恋愛対象として見るなんて、考えたこともない。
目の前にいる彼は確かに、自分の頭の中にいる可愛い子どもではないけれど。
「ラスター、あの……私は、」
「聞かない」
リディアが何を言うのかを察したのか、ラスターが遮った。
「……ディアがどんなに嫌がっても。俺がディアを手離すことなんてないから」
そう言ってリディアから背を向けたラスターが、扉の方に目を向ける。
「……そろそろサラヴァン辺境伯令嬢が戻ってくるだろう。一旦この会話は終わりだ」
リディアに背を向けたままラスターはそう言った。




