だって私は天才だもの
母親に会いたくて転移した先は、ディアナが見たこともない場所だった。
王都ではない。小さな村だ。住んでいた家に向かったはずなのに、間違えたのだろうかと戸惑っていると、通りを歩く人の中にこちらを見る母の姿を見つけた。
「! お母さ……」
駆け寄ろうとして、そのまま言葉を失った。
母の表情は何か恐ろしいものを見たかのように歪んでいる。どうしてだろう。体中が傷だらけで服もボロボロだから、魔力暴走を起こしたのかと思ったのだろうか。
何かを大きく間違えたような気がして唇を震わせた時、震えるような咆哮と悲鳴があたりに響いた。
驚いて声の方を見ると、そこには魔物がいた。
巨大な狼の姿の魔物だ。血のように赤い目をぎらつかせ、牙を向いて驚くほど速いスピードで走り出す。悲鳴を上げて逃げようとした母が、転ぶ。
その時にはもう、魔物は母の目の前まで来ていて。
体が勝手に動く。母を守るためにディアナは初めて生き物に向かって攻撃魔術をぶつけた。
矢は魔物の胸に当たり、魔物は耳をふさぎたくなるような悲鳴をあげて倒れた。
無我夢中で「お母さん!」と母に駆け寄ると、母は悲鳴を上げながらディアナの手を払った。
その目は、魔物ではなくディアナを映していた。ディアナを見て怯えていた。
「お、お母さ……、っ!」
呆然と目を見開くリディアの頭に、衝撃と痛みが走る。
石を投げられたのだと気づいた時には、近くにいた男の人が母の名前を呼んで駆け寄り、母を連れて逃げていった。
もう魔物は倒したのに、母たち以外の村人たちも、恐怖に引き攣った顔でリディアから逃げて行った。
ズキズキと痛む箇所から、生ぬるいものが流れる。そのままずるずるとへたりこむと、今倒したばかりの魔物が目に入った。
さっきまで生きていたのに、ディアナが奪ってしまった命だ。
兄や父を悪魔のようだと、ひどい人だと思っていたのに。
ディアナは兄たちよりももっともっとひどい、恐ろしいことをしてしまった。
(――これじゃあ、本当に、化け物だ)
「うっ……うわあああん」
母が自分を見た瞬間に怯えていたことも、石を投げつけられたことも、自分が何かの命を奪ったことも、恐ろしくて仕方なかった。
そのまま父が連れ戻しに来るまで、ディアナはずっと、ただただ泣き続けていた。
◇
逃げた折檻は辛かったが、父の機嫌は悪くなかった。
魔封じの枷を自身で外せるなら国家魔術師間違いなしだと喜んでいたし、フィオリアル伯爵家の娘がわずか八歳にして魔物を討伐したという噂は、ここ最近低迷していた、魔術師の名門フィオリアル家の名声をあげることに一役買ったからだった。
ディアナの母親は再婚していたらしい。あれから半年ほど経って、子どもも生まれたと聞いた。弟か妹かわからないけれど、魔力のない子だったらいいなとディアナは思う。
魔力制御の訓練を受ける金も伝手もない平民の間で、魔力持ちはそれだけで忌避される。普通の赤ちゃんを産んだら、きっと母も幸せになれるだろうと思った。
訓練は相変わらず続いた。もっともっと強力な魔封じの枷を嵌められたけれど、外す気にもならなかった。
怖いのも痛いのも辛いのも変わらない。だけどもう逃げたいとは思わなかった。
兄から化け物と呼ばれても、いたぶられても、兄の母親から食事を抜かれても、父が五色の瞳しか見ていなくても。
(わたし――わたしは。立派な魔術師になって、みんなを幸せにする。人間も、魔物も)
「私は、きっと天才だもの。――大丈夫、絶対できる」
そう自分に言い聞かせるたびに、魔術が上達する気がした。
これからも自分は絶対に、誰からも愛されることはない。だって自分は、化け物だから。
だから嫌いになりそうなこの紫色の瞳を、ディアナだけは綺麗だと思おう。
世界を救うほどに強くなれたら、自分で自分を好きになることくらいは、許されるような気がした。
十二歳を迎えてすぐに国家魔術師の試験を受けて合格をした。一緒に受かった同期のマクシミリアンは、幼いころ訓練で大けがを負うたびに治癒してくれた精霊士の息子だった。
あの頃助けられなくて申し訳なかった、と頭を下げる彼に善人すぎて騙されやすそうとつい心配になった。そう言うとマクシミリアンは目を丸くして「俺は君の方が騙されやすそうだと思う」と笑った。
「俺たちは多分、似た者同士だ。――仲良くしよう」
「似た者同士?」
「君ほどではないが、俺も精霊士の一族なのに魔力持ちだから割と嫌な目に遭ってきた」
そう苦笑するマクシミリアンは、魔術以外は何もかもがだめなディアナに世話を焼いた。家族ではないけれど、初めてできた親しい友人だ。
そうしてすぐに大魔術師となり、魔物の掃討を掲げてあちこちで殺戮を繰り返していたミラー公爵を抑え、鎮静の結界を張った。
ようやく世界を救えたと思った。
だからきっと、神様がラスターと出会わせてくれたのだ。




