教育の大切さ
「ここがディアの部屋だ」
まだ腹立たしそうに顔を赤らめたままのラスターが案内してくれたのは、大きな窓から日がたっぷりと差し込む立派な部屋だった。
窓の近くには大きなベッドがある。ふかふかで、見るからに寝心地がよさそうだ。
しかも以前ディアナが「あれがなくては眠れない」と愛用していた枕と、同じものまで用意されている。
置かれている家具の一つ一つも、丁寧に作られた高級品だろう。
ソファに置かれた手触りの良いブランケット一つとっても、リディア好みの部屋である。
「ねえ、ラスター。部屋を間違えてない?」
困惑したリディアがラスターの方を見ると、彼の瞳が揺れた。
「不満があればすぐに変える。……何が気に入らない?」
「まさか! 素敵なお部屋よ。誰が整えてくれたの? 私と趣味がすごく合いそう!」
「……整えたのは俺だ」
「ラスターが?」
ラスターの言葉に、本当に自分の部屋なのかと驚いた。
ずいぶんと住みやすそうな部屋をリディアにあてるものだ。
地下牢がなく、一番狭い部屋がここなのだろうか。それとも部屋くらいはと、整えてくれたのだろうか。
気遣いを感じるので、おそらくは後者なのだろう。
「ありがとう、ラスター! 本当に素敵で驚いちゃった」
「気に入ったならいい」
そう言って目を逸らしたラスターが、どこか暗い顔をして口を開いた。
「……言っておくが、この屋敷には結界を張り巡らせている。俺と一緒でなければ、この屋敷からは一歩足りとも外に出られないと思え」
「まあ。ということは、お屋敷の中は自由に歩いていいの? ラスターのお部屋にもお邪魔していい?」
「……俺に何か用があれば、執事に言え。俺がディアの元に行く」
部屋に訪れるのは嫌そうだ。
なんだか気まずそうな顔をしたラスターが、そう言いながら部屋から出て行く。
(ラスターのお部屋を見てみたかったけど。……やっぱり怒りの矛先にお邪魔されたら嫌よね)
少しだけしょんぼりとしつつ、新しい自室を見回す。
本当に、処遇に見合わない立派なお部屋だ。
ベッドの脇に備えられた大きな本棚に目をやると、そこにはかつてのリディアが大切にしていた魔術の本があった。
糸綴じの本がバラバラになるまで、ラスターと二人で読んでは勉強しあった思い出の本たちだ。
最期まで大切にしていた本は、一冊も欠けることなく本棚に納められている。
(……ラスター、まだ持ってたんだ……)
その本を手に取り中を開くと、ほどけていた糸が修理されている。
向かい合っての、二人だけでの授業。
ラスターが書き込んだ文字も、「ここ大事」とディアナが描いた吹き出し付きの猫も、色褪せることなく残っていた。
あれから十六年も経ち、中の知識も古くなっている。
ラスターには必要ないだろう本なのに、捨ててなかったなんて。
そしてわざわざこれをリディアの部屋に置いたのは、きっとディアナがラスターの次に大切にしていたものだったからだろう。
(……私の弟子は、優しすぎて復讐に向いてない)
そう思いながらリディアは、嬉しいような泣きたいような気持ちで、その本を眺めていた。
◇
……自分の弟子は本当に復讐に向いていないようだ。いや、復讐についての概念がないのかもしれない。
この屋敷に来てはや三日。リディアはラスターの常識を疑い始めていた。
日々が快適すぎるのである。
きっと食事は日に一度、かびたパンと具なし味なしのスープを渡されるのだろうと思っていたのに、食事はきっちり一日三回、おやつ付きである。それも全てリディアの好物ばかりで、若干面倒な食事が最近はやや楽しみだ。
エイベルを始めとする非常に少ない使用人も、リディアを『主人に詐欺を働いた不届き者』扱いはせず、公爵夫人に対するように恭しく接してくれている。初めて会う人は皆、リディアの顔を見ては幽霊を見たかのように驚くのだけれど。
用意された洋服も何もかも、肌触りの良い一級品ばかり。単純に言って、至れり尽くせりの毎日なのである。
朝など毎朝ラスター自ら起こしに来て、「今日はお前の好きな鶏肉のスープだ」「果物もある」「早く起きろ」と言いに来る。まるであの山小屋に戻ってきたみたいだ。といっても大人ラスターにはまだ慣れず、いつも驚いてしまうのだけれど。
「……これはおかしいわ」
いつ復讐が始まるのだろうか。
ラスターは『絶望に突き落とされるのを待つのも地獄のうち派』なのかもしれないけれど、それにしても至れり尽くせりすぎやしないか。
(多分ラスターは……復讐というものが、よくわかっていないんだわ)
まさか自分よりもはるかに一般良識があったラスターに常識が抜けているとは思わなかった。
この調子ではこの十六年間、さぞ苦労したことだろう。
(だからこの十六年間の話を聞こうとすると、急に黙ってしまうのね……なるほど、そこにもきっと怒ってるんだわ)
常識を教えていないなど申し訳ないことをしたと、リディアは後悔した。
(だけど前みたいにラスターと暮らせて毎日ごろごろ自由に暮らせるこの生活は私的には最高……。いえ、だめよリディア。あの子の気持ちも考えてあげないと)
将来彼が友人たちに「憎い奴に復讐してやったことがあるんだ」「え?どんな復讐?」「三食昼寝付きの生活を送らせてやったよ」みたいな会話をしたら、きっと爆笑されて生ぬるい目で見られるに違いない。更に闇に堕ちてしまう。
それに彼がリディアを恨んでいるというのなら、それを受け止めてあげるのが家族というものだ。嫌だけど。
(仕方ないわ。……ラスターに、復讐というものを教えてあげなければ)
もちろんリディアは、痛いことも苦しいことも大嫌いだ。復讐なんてされたくない。
しかしそれ以上に、常識のない弟子を見ていることがしのびなくて、心が痛む。
(すごく嫌だけど……家族だもの。最低限の常識は教えてあげないと)
もしかしたらラスターも、そんなリディアの正直で誠実な心根に胸を打たれ、許してくれるかもしれない。
そんな打算100%で、リディアはラスターに常識を教えることを決意した。
そんなことを思いつつも。
もしかしたらラスターは常識を備えていて、実はそんなに怒っていないという可能性もあるのではと、リディアはほんのちょっと期待している。
彼はよく顔を背けるが、それは彼が小さいころからの癖である。照れると顔を背けるのだ。
もともとツンツンとして素直になれない子だった。久しぶりにリディアに再会して、嬉しさのあまり『一人にさせるなんて! 罪を贖え!』というテンションになったのかもしれないな……と思うのは、些か楽観的がすぎるだろうか。
しかし可能性としては五分五分じゃないかなと、リディアはちょっと思い始めている。
しかしながらその希望的観測は、次の日にやってきた来客の言葉で打ち砕かれた。
「……その顔!」
ラスターの部下らしいロードリックと名乗った男がリディアを見て青ざめる。
「ラ、ラスター様にい、いじめられていませんか!? ラスター様がものすごく憎んでいらっしゃる、ディアナ・フィオリアル様のお顔と、生写しのようにそっくりなのですが……!」




