第三話 龍が動き出すとき神々も動き出す その一
登場人物
青龍・水神辰麿
世界に5柱しかいない龍の1柱、青色をした東の龍で年齢はあと2年で1億歳。人間姿では都内の龍神社の神主で、21歳の大学生。神武天皇以来、現世の日本国政府に保護されている。
宮前小手毬
17歳の高校2年生、青龍とは幼馴染で、婚約者?国立大学の薬学部を目指し猛勉強中。
野守
鬼神、日本天国の支配下にある日本地獄の長官で、現世日本国政府との連絡役。冥界での産科・薬学の創始者。高天の原政庁の役人をしながら、元禄時代に最高学府・獄立地獄大学を創設。現在は名誉学長を兼任。
胡蝶
天人で天然系女神、野守の妻。獄立地獄大学物理学部の教授。専門は宇宙物理学で野守と共に龍の研究をしている。
龍馬
青龍が使役する眷属、人間の姿では高円寺に住むミュジーシャン。
笠原
内閣官房国民生活調査局伝統宗教担当課長、青龍の保護をする官僚。
太陽の光は一切入らない代わりに、鬼火が多く燃えている。それに罪人に責め苦を与える刑場の業火の激しい炎も地獄を照らす。いずれにせよ太陽光よりは弱い上に、しばしば雨が突然降りだす厳しい環境だ。鬼火は地上の現世の日照時間に合わせているので、昼夜も四季もあった。神も鬼も妖怪も三千五百年前までは現世に住んでいたので、地獄の住人の一日にも睡眠時間があるのだ。現世と違うのは昼なお暗い曇天の空。八大地獄は業火が燃えているので現世より暑く。八寒地獄は極寒の寒さだった。
あの世は天国地獄併せて、住人の人口は三千万位しかない。この中には天国の極楽浄土や地獄の刑場、あるいは三途の川にいる未決の人間、亡者の魂は除いた数字だ。
地獄の中心地は閻魔庁の辺りだった。閻魔庁の並びに地獄の全てを統治する、地獄省の庁舎が続く。地獄省は片側が深い絶壁で、各地獄が眼下に望めた。反対側が閻魔通りで、地獄のメインストリートだ。閻魔通りを進むと、繁華街になり地獄省より数百メートル行った所に、地獄の東京駅と言ってもよい閻魔庁駅があった、ここからは地獄各地と天国への鉄道が伸びていた。この辺りは人通りも多く、高級店や老舗もあり銀座のような様相を呈していた。更に行くと五つ星ホテルが何軒も建っていた。この辺は西洋のモンスターやらアジア系のエスニックな妖怪の、国外の観光客を多く見かけられた。
閻魔区と呼ばれるこの地区の中心地には、あの世の重要な施設が建っていた。閻魔通りのホテル街から西に坂道を下ると、一段低くなった台地に、地獄立地獄大学があった。日本の冥界の最高学府である。地獄の長官職に千二百年前からある野守が、ラテン天国にある大学を手本として、元禄年間に設立した総合大学だった。
あの世は天国地獄が分離する前から、無償義務教育をしていた。現世日本と同じように、六・三・三制で、大学・職業学校も無料。院生には生活費も支給された。高校まで義務教育で中学まで現世と同じく全員共通。高校は進路資質に合わせて、多彩なコースがあった。高校の上の大学・職業学校の進学率は八十パーセントを超えるが、現世と些か事情が違う。不老不死でもあるせいか、高校卒業後一旦就職してから、大学に進学する者が多かった。医者など職業によっては百年に一度は大学に戻ることが義務付けられた学科もあった。
獄立地獄大学は最高学府だが、競争原理が働くように、八寒大学と阿鼻地獄大学の総合大学の他に、理科大、医科歯科大、冥界の住人が愛して止まぬ和歌の研究と教育をする獄立和歌大学などという、単科大学も地獄には多数あった。
とある週末、地獄大学の理学部大ホールで、「龍学会」開催されていた。青龍をはじめとする世界に五柱しかいない東洋の龍の研究をする学会である。研究者はアジアの仏教系の冥界ばかりでなく、世界各地から集まり中々の盛況だった。
産科医療の創出発展に尽くした野守が、生物の起源として龍に注目したのが、地獄大学を設立した江戸時代初期からだった。元々、アジアのあの世では、神すら存在しない古い時代から生きる神獣の研究は、太古の時代からされていた。それは宗教・民俗学方面など人文科学的アプローチだった。龍研究の科学的アプローチをはじめたのは野守だった。それ以降、あの世の生物学と言ってよい神・妖学方面などの龍の研究は、アジアのあの世では野守が先鞭をつけたことで盛んだった。
野守は龍を、科学的、神・妖学的研究で、龍は地球外から飛来し、地球での生命誕生に寄与している、仮説を立てていた。
三十年前、野守の妻の胡蝶が、まだ天国の天照大神の観測所にいたとき、当時実用化された電子観測機器で、龍の動きを捕らえることが出来るようになった、コンピュータの解析で、龍の動きをグラフィックで可視化することに成功した。龍がほぼ毎日天上に向かい、宇宙空間にも何なく行けること、龍が天上で他の龍と頻繁に交流していること、独自の言語を用いていることも、胡蝶が解明した。胡蝶が天照大神の研究所で、龍の行動を捕捉してから、アジアならずとも世界中の冥界で俄然研究者が増えた、今勢いのある研究分野の一つになっていた。
千人を超える人員を収容出来るホールは、ほぼ満員だった。世界中から集まった、古文書解析、聞き取り民俗学、地獄記録学、言語学、天文学、宇宙線、神・妖学の龍を研究する研究者が横断的に集まっている。
野守は学会の創設者であり、第一人者である。今回は司会進行を勤めている。壇上からぎっしりと詰まった客席を見渡した。さすが今回は研究者だけでなく、各あの世の政府関係者やジャーナリストの姿も目立った。野守が眺めた客席には、普段は研究者が殆どのなのに、今回はネイティブアメリカンの羽飾りにフロッグコートのアメリカ天国の政府関係者。金糸の縫い取りがある極彩色の上衣を羽織ったアフリカあの世連盟の理事長の姿も見受けられた。
会場の運営をしているのは、宇宙物理学者の妻の胡蝶の研究室だ。今日は薄い緑の地に色鮮やかなチューリップの裾模様を、自分で刺繍した着物に、黄色い丸帯を太鼓結びにして、めかし込んでいた。後二つで発表だが、ばたばたと会場を走り回っている。明るく人当りの良い「女神」でもある妻は想定外の客が多い会の仕切りをしていた。「近年の龍の行動パターン解析」が彼女のテーマだった。
いつもは終了後に、大学近くの居酒屋で各国の研究者と、肩肘張ら無い意見交換をするのだが、今回は休憩時間も終了後も、各国政府の要人との会談をねじ込まれていた。学長室には日曜日にもかかわらず、天帝様が来校し藤原定家学長も出勤していた、モニターでメイン会場の様子を見ているはずだ。
『阿保龍め』
と野守は心の中で思った
青龍が十三年前から、八千万年もの間十歳児であった、神の身体=人間の身体を成長させ、さらに得れば強大な力を持つ「龍珠」になる女性が現れたのだ。当初野守と高天原政庁の天帝様は、秘匿することも考えていたが、龍達はお互いに交流している。シャム天国に住む紅龍もいる。紅龍と龍珠の男性の間には多くの子がいて、どういう訳か皆龍にはなってなかったが、殆どがシャム天国の公務員で、中には政府中枢にいる子息もいた。青龍が近く龍珠を得るであろう情報は、遅かれ早かれあの世の世界に漏れ出る事だった。
高天原は先手を打って、青龍が神の身体を成長させたということと、龍珠となる女性が周囲に現れたという、確実な情報を出した。が予想通り、世界の神々の反応は大きいものがあった。各神々の予知能力が、大きな災いの予兆と感じたのだった。
過去の歴史は龍の思惑により地球存亡の危機があった事を伝える。龍は強大で種の滅亡にも関わると云われる。六千年前のユカタン半島に落ちた隕石は、龍が意図的に回避させなかったという説が、学会の主流的な見方だった。
龍が動き出すとき、神々も動き出す。
世界中の神々が、人類滅亡いや地球の存亡を感じて動き始めているのだ。
今学会の目玉の発表は、ラテン天国から来た、古代言語学者の「龍のコミュニケーション言語と他言語の比較」だった。研究者は父なる神の後裔になる人物だった。古代言語学では第一人者だったのだが、龍の言葉を解明したいと言われたとき、野守は遠国の研究者が、龍の研究それも手付かずの龍の言語を研究すると聞き、研究者の業を感じた。大学者になればなるほど、解明に時間がかかるものに手を出してしまう。彼は最近日本の天国に遊びに来た青龍を捕まえて、インタビューを試みた。のらりくらりと対応された上に、
「これからは英語を共通語にしよっかなっ」
冗談なのか本気なのか分からない返答をされている。野守が論文を査読したところ、四千年前に滅んだ古代中国語の系統説だった。龍は語らないから、奴らを観察することしか、研究のしようのないものだ。
同じ頃現世東京都内にある、龍神社の社務所では、青龍の神の身体=人間の姿の水神辰麿と、宮前小手毬が逢っていた。青龍は恋人にしたいのに、小手毬は交際したくないと頑として断り続けている。しかし小手毬はほぼ毎日、神社に遊びに来ている。そればかりか、小手毬が祖父母と一緒に暮す家に辰麿が晩御飯を時々食べにくる仲になっていた。相変わらず周囲からは、犬がじゃれているようにしか見えなかった。
子供の頃婚約したことについては、腫れ物を触るように、辰麿は話さない。小手毬はぴちっと言わないと思っていた。それと家族や友人に辰麿が龍で、妖怪の家来がいて、さらに子供の時に婚約するという、馬鹿げた話もする気にはならなかった。辰麿をどやしつければ婚約なんてないことに無くなるんだ、とも楽観的に考えていた。高校三年生なんでこんなことより受験勉強だ。
国立大学の薬学部を目指す、ハードな受験勉強の息抜きに、辰麿と他愛のない話をするのが好きだ。
辰麿は顔もお公家さん顏だが、しゃべり方もおっとりしている。それが阿保っぽく見える。小手毬は辰麿のことを、決して頭も悪くないし、知識も知恵もあるのだが、反応が遅いのだと思っている。子供っぽく、慌てると手をぱたぱたさせる癖もあるのも、損な所だと分析している。
お洒落のセンスはというと、信頼できない。神主の白い着物に水色の差袴という、決まった服装を普段している。それは神社用品のウェブサイトで買っているそうだが、何年も着こんでいて、よれよれだった。去年までは大学生だったので、通学にはカジュアルウエアを着ていたが、理系大学生の、絶望的にださい恰好をしていた。ジムとか抜刀術の道場に行くときは、デニムにティシャツが多いが、人を不愉快にさせない程度のコーデしかしなかった。小手毬が見て残念なのは、ざんばらな長髪だった。当人は粋がって伸ばしているのではなく、背中に鬣が生えていて、それにアイデンティティ持っていて絶対に剃らない。鬣は後ろ髪から連続して生えているので、隠すために肩まで伸ばしているのだ。着物を着ているのだし、男物の洋服はデコルテを露出する服ではないから、襟の辺りまでで切り揃えれば、恰好いいのにと思う。
「小手毬、髪延ばしているの、可愛いなー」
と褒められた。辰麿に服のこととか、お洒落のことを言われても信用できない。ここは切った方がいいなと、小手毬は判断した。そういえば、勉強が忙しくて、先月も今月も美容院に行っていなかった。
翌日学校帰りに、地下鉄の駅の商店街にある美容室に行った。学生料金もあるし、明るくポップな店で、予約なしでもカットなら気楽にしてもらえた。駅から出て商店街のその美容室で、髪を切ろうとしたが休みだったので、家の方へ歩いて帰った。近くにはマダム向けの美容室もあったが値段も敷居も高くて、髪のことは、どうでもよくなった。
受験勉強のもう一つの息抜きは、雅楽の稽古だった。目白の元宮内庁の楽師のお爺ちゃん先生のところに週一で通う。今のところ楽しい。篳篥の練習をしているが、他の楽器も習ったりしている。他所の稽古所のウェブサイトを見ると、別の楽器の稽古もすると稽古代が別にかかったり、今の楽器をマスターしないとやらせてくれなかったりする。ここでは楽琵琶をつま弾かせてもらったり、和琴をいじらせてくれたりした。辰麿と五節の舞の奉納の約束したので、先生から目的があるならと教えてもらっている。
二十一歳の秋に龍神社に十二単衣を着て五節の舞を奉納する、未来があり、その衣装は自分の花嫁衣装で、五節の舞を毎年奉仕するようになるとは、この時は想像すら出来なかった。
稽古所には私立の音大のピアノ科の女子大生も通っていて、年齢が近い所為か親しくなった。稽古の後で駅前の甘味店に寄って、大学の話とかした。音大生の生活や大学の様子は興味深々だった。夏休み中に稽古終わりで先生と三人で話しているとき、センター試験を受けるなら、東京藝大の雅楽専攻を受験すればと勧められた。あとは実技だけだという。受験まで篳篥の稽古の集中して、藝大の雅楽科を記念受験することに決めた。
あの世では龍を研究するのが盛んで、科学的な龍の研究は、スーパー鬼神野守が創始者で、奥様とは研究を通して知り合いました。あの世の方が科学も技術も進歩しているにもかかわらず、日本のスーパーコンピューター富岳を、夫におねだりする女神でした。