第二話 龍の恋人 その一
登場人物
青龍・水神辰麿 世界に5柱しかいない龍の1柱、青色をした東の龍で年齢はあと2年で1億歳。人間姿では都内の龍神社の神主で22歳、大学生卒業後、龍なのに神主養成所に通う。神武天皇以来、現世の日本国政府に保護され、マイナンバーカードを所持。
宮前小手毬 18歳の高校3年生、青龍とは幼馴染で、婚約者?国立大学の薬学部を目指し猛勉強中。
野守 鬼神、日本天国の支配下にある日本地獄の長官で、現世日本国政府との連絡役。冥界での産科・薬学の創始者。高天の原政庁の役人をしながら、元禄時代に最高学府・獄立地獄大学を創設。現在は名誉学長を兼任。
胡蝶 天人で女神、野守の妻。獄立地獄大学物理学部の教授。専門は宇宙物理学で野守と共に龍の研究をしている。
龍馬 青龍が使役する眷属、人間の姿では高円寺に住むミュジーシャン。
宮前小手毬は思った、私の人生は第三希望だ。第三希望になっても不幸でも不運でないのは、運の強さと日ごろの勉学の努力のせいなのか、悲劇も不幸にもならないが、思わぬ展開そして幸運が来た。自分はこういう人生を送るのか、半端呆気に取られてる。
子供にとって、はじめての人生選択は高校受験だ。小手毬は小さな機械メーカーを経営している父の血を引いているからか、理系希望だった。ちゃっかり就職に困らないように、調剤薬局が町で勃興しているのを見て、薬学部を希望していた。
受験の頃は東京都西部に住んでいた。高校は都立の進学校で、理系に強い所く、家から近い所を希望した。中学教師も塾の講師も成績の折り紙を付けたが、第一志望の都立、第二志望の元男子校の私立の進学校と立て続けに落ちてしまった。あわや中学浪人かと思った時、水道橋駅から十分程の都立高校の補欠試験があり、かなりの進学校なので無理かと思ったが、試験に塾の予想問題とたまたま同じ問題が出て、余裕で合格した。中学で小手毬より成績上位者をぶっちぎって、有名高校に進学出来たのだ。しかも水道橋の隣のお茶の水から地下鉄に乗って数駅先に、子供の時小手毬が住んでいた町がある。今も祖父母が住んでいて、大喜びしてくれた。
西東京から、学校が遠いとぶーぶー言いながら、小手毬の高校生活がはじまった。友人と遅くまでファーストフードの店でおしゃべりは出来ないが、クラブは入らず、現役で薬学部入学を目指し、勉学に励んだ。
高校生活に慣れた頃、両親の間で離婚問題が起こった。元々他の家よりラブラブ度が低い夫婦だと子供ながら思っていた。子供の頃は近所の神社の男の子に、不安になってお嫁さんにしてと、言ってしまうほど、精神が不安定だった。随分あの男の子は、小手毬のことを気にしてくれて、神社のお祭りで稚児にしてくれたこともあった。名前は水神辰麿。
高校二年生の春の両親の離婚騒動は、本当に離婚となった。親からは、何処に行くかは選べるというので、第一希望母親、第二希望父親、第三希望祖父母と、選んだ。が、しかし母の家を希望した第一希望は通らなかった。うっかり知らなかったが、母は新しい男と暮らすのだという、しかもその男は、父の会社の共同経営者で、小手毬も知っている人で、この離婚は母が不倫相手と一緒になることだと知らされたのだった。父は家族と住んでいたマンションを処分して、経営する会社の傍に移るという。父にとって、私生活どころか会社経営の新規巻直しもすることになってしまった。会社の経営に集中するため、そこには小手毬の部屋はなかった。結局、第三志望の祖父母の家に、高校も近いし、七歳までは同居していたということで、行くことになった。
母親から拒絶されたことは、少し衝撃だったが、高校を出たら自立してもよいし、それまでは父から月数万円の金を貰い、衣食と進学塾の金は自立して遣り繰りすることになった。祖父母の元で半分自立出来るのは、大人として信頼されて嬉しかった。
高校二年の七月の初めに、水神辰麿=青龍のいる龍神社の町に、青龍の龍珠で許嫁、宮前小手毬は戻って来たのだった。
夏休みになってから、引っ越しをするのかと思っていたら、父にマンションが急に売れたと言われ、七月の初めの土曜日に西東京の町を後にした。子供部屋の家具は、ベビー用の箪笥を不便を言いながら使っているほど、子供ぽっかった。この子供向けのファンシーな家具調度はマンションの住人が譲って欲しいとうので、置いていき、荷物だけ段ボールにまとめ、運送会社の単身パックで引っ越した。
祖父母は優しく迎えてくれた。昔家族で住んでいた部屋を用意してくれた。祖父母にとって小手毬はたった一人の孫だった。段ボールから、学校に通う必要な品物を諸々出して、祖母が持ってきたハンガーラックに制服と当面着るものを掛けた。昔住んでいた時のベッドも置かれていたので、一式持ってきた寝具を。段ボールから引き出し、ベッドの上に丸めて置いた。漫画で見た昭和の侘しいアパート暮らしのように見えた。明日は父に貰った十万で、家具屋に行って好みの机と本棚とカーテンを買おう、子供じゃないんだから、少しお姉さんぽいのがいいな、ガーリーでクールにしたい。
手早く部屋の整理を三時前に終わらせた小手毬は、近所を回ってみることにした。行先は龍神社になりそうな気がした。久しぶりにあの神社どうなっているのかな。引っ越してからはじめて行くのかな。七歳のときに引っ越ししてから、父の実家のある町ということで、母は小手毬を連れて来たがらなかった。数度しかこの町に来ていないし、来ても地下鉄の駅から祖父の家までしか来ていない。
小手毬は家を出ると。駅と反対方向に向かった。民家と戦前から残る古い寺ばかりの、東京でも落ち着いた住宅街だった。それでも七歳の小手毬が知っていた住宅が残っていたが、ぽつぽつと新築のモダンな建築が交ざっている。少し残念だったのは神社への道の途中にあった、老婆のやっていた駄菓子屋が無くなっていたことだ、その家は残されていたが、改装されて入り口のガラス引き戸は壁となっていた。
子供の時見た風景が、成長したので小さく見える。あの頃は童話みたいなことが起こった。神社の辰麿・龍君のお家にいったら、狐や狸やら馬がしゃべって、遊んでくれた。ろくろ首と、のっぺらぼうの女性がいて、お菓子をくれた。
龍君の家は神社の後ろの竹藪の中にあって、ふたりで、竹藪の中に建っていた離れから、東京の町を眺めたことがあった。さらさらと音がするので、「なあに」と聞と、「竹藪に風が通る音だと」辰麿が答えた。頭の良いお兄ちゃんだった。
そういえば神社で稚児をやった時の写真が残っている。あの後直ぐ、父の仕事の都合で、東京都下に引っ越したので、七歳だったのか、辰麿とふたり、頭に金の飾りが一杯ついた冠をかぶり、平安時代の王子様とお姫様の格好をして、大きなお座敷で、宴会を開いた思い出があった。脚付きのお膳が幾つも出て来て、大層な歓待をして貰い。沢山の氏子さんにお祝いされた。あの後直ぐこの街を去ったので、皆どうしているのだろうか。
記憶の中でよく分らないことがあった。辰麿と口付けをしたのだ。小手毬が覚えているのは唇と唇を直接合わすにではなく。お互い向かい合わせで、口を開けたら、辰麿の口から、オーロラ色に光る真珠の珠のような、綺麗な球体が出てきて、それが小手毬の口の中に吸い込まれるように入り、珠は口腔で消えた。それから今度は小手毬の口から、大玉の真珠のような球体が吐き出され、辰麿の口の中に吸い込まれた。鮮明に覚えている。
「りゅずのこうかん」
と辰麿が言ったような気がした。
「小手毬は僕の『たま』になったんだ」
とも言われた気がした。何だったんだ。私はたまなの、猫か。神社に行けばきっと辰麿がいるから、聞けばいいんだ、と楽観的に考えた。後で日本国政府を巻き込んだ、辰麿の我儘の犠牲となってしまった。
道は龍神社の前に出た。社殿も社務所も相変わらずだった。境内は子供の遊び場にいつでも成るように、平らで草が抜かれている。これも同じだった。身体が大きくなったせいで、七歳のとき広大に見えた境内は、思ったより小さく、何処の町にでもある、至って普通な神社に見えた。
鳥居をくぐり真っ先に見に行ったのは、社殿と社務所の間にある、竹藪だった。金網の塀越しに竹林を子細に眺めた。
竹藪は思ったより小さく奥行もなかった。向こう側の高台の下の東京の街が透けて見える。そして竹藪の中にはお屋敷の影も形もなかった。あの宴会はなかったのか。辰麿と竹の葉がそよぐ音を聞いた、露台は何処にあるのだ。そんな疑念が小手毬に沸いた。
まずはお社にお参りしなくちゃと、気を取り直し、社殿のある左手を向いた。そこに青年に成長した、水神辰麿が立っていた。白い着物に水色の袴の神官の格好をしていた、身長が思ったより低い、きょろとした目、イケメンではないが、色白で少しぬっぺりとした、普通の容姿だ、そして不自然に伸ばしたぼさぼさの長髪は、肩までかかっていた。
「小手毬、小手毬じゃないか」
「龍君、辰麿。逢いたかったよ、龍君」
いぶかしがることもなく、小手毬は青龍に抱きついた。
いきなりおふざけモードで、小手毬は辰麿の後ろの長髪をめくり上げた。青龍の人間体には、頭髪の延長上に龍の証である鬣が、背中の真ん中に連なるように生えていて、尻まで続いている。それを見つけた小手毬に、青龍はからかわれた。
「龍君、相変わらず、ここの毛を隠してるんだ。剃っちゃいなさいよ」
青龍の着物の衿から下を覗いた、小手毬に十年前別れる前と同じに、鬣のことをからかわれる。お互いに時間が戻り、すぐ馴れ馴れしくなる。幼馴染なんだと小手毬は思った。
普通に社殿の方に向かった、小手毬が拝もうと向拝の屋根の下に行くと、辰麿がどうしても祝詞を上げたいと言い出した、財布にコンビニでおやつを買うくらいのお金しかないので。祈願料は払えないと固辞した。辰麿は、特別に祝詞を上げたい。短いのにすると言い張った。
「小手毬がこの街に戻って来たのを、寿ぎたいんだ」
青龍に促されて、社殿の階を昇り、扉の中に小手毬は青龍の後に続き入った。子供の時さんざん遊んだ社殿はそのままで、日頃の掃除が行き届いているのか、塵一つ落ちていない。子供の時と違う物は、祭壇の装飾の燭台が蝋燭からLEDに変わり、座布団が変わった位だった。
青龍は家庭用ライターで蝋燭のお灯明に火をつけてから、祭壇の前に坐って深々と礼をした。祝詞を上げたのだが、小手毬の今日から住む祖父母の家の住所と、小手毬の生年月日を、青龍がするする述べた事を、彼女が聞き咎めていたら、運命は違っていたのだろうが、龍に恋された少女は運命を変えることは、叶わないのだった。
本当に短い祝詞の後で、分厚い昔ながらの座布団に坐って、二人はお喋りした。
「龍君って國學院大学に行っているの」
お互いの近況を話し合った。青龍は結構偏差値の高い理系の大学の、地学部天文学科の学生で、四年生。卒業後は神主になるため、國學院の神主養成所に入ることになっている。小手毬もざっくり、高校のこと、両親の離婚のことから引越に至った経緯について話した。
事の次いでに、この近くで、家具の買える店はないのか聞いてみた。久々に不忍通りをタクシーで通って、昔馴染みの店が無くなっていたので、試しに聞いてみたのだが、明日の日曜日に一緒に見に行くことになった。
翌日の朝、予定の時間に辰麿は迎えに来た。大人びた和服姿だった。羽織を着ているので、小手毬でも、イタリアンでも行くデートモードだと分かった。祖母に案内されて青龍が茶の間に入って来た時には、小手毬は慌てた。何せ日暮里か上野にニトリを探しに行くつもりだったから、デニムパンツに半袖ティーシャツ、パンツはダメージ加工していないオーソドックスなもの、シャツも白い無地で清潔感を出していたが、青龍の恰好とは釣り合わない、祖母に言われるまま、自室の段ボールから、袖なしの水色のワンピースと、コットンのニットの黒いカーディガンを取り出した。メイクとアクセサリーを付けなかったのは、これはデートじゃないという意思表示だ。
タクシーを拾い、辰麿は六本木に向かわせた。
「龍君、二十一歳だから免許取らないの」
「取らないね、いらないから」
青龍は答えた、東京都心で車の免許は不要といえば不要だ。小手毬はこの男の正体は龍で、その身を龍にすれば、世界中どころか天国も地獄も宇宙空間ですら、飛んで行けることを知らない。
タクシーは六本木通り沿いの、輸入家具店に止まった。店内は小手毬の好きな猫脚の白い家具が並んでいた。値札見てびっくり、小ぶりのチェスト一つで五十万円。「ガリーでクールにしたい」と言ったのでこの店にしたのか、見ていて楽しいけれど。金額が一桁いやその何倍も高くて、買えない。店員に付きまとわれる前に、退散するに越したことはない。
小声で、予算オーバーになると言ったところ、「じゃ、買ってあげる」と返されて、慌てて青龍を店の外に引っ張り出した。休み明けの月曜日に、家の辺りにうじゃうじゃ住んでいるクラスメイトに聞けば良かったと、後悔したのだった。
六本木に来たのが小手毬は初めてで、大学生の青龍は遊びに来るのかなと思ったのであった。店の斜め前にアークスヒルズがあり、青龍がそこでお昼を食べようと提案した。日曜日のアークスヒルズは空いていて、高級そうなレストランに入られそうな様子だったが、二階のサントリーホール前のカラヤン広場のベーカリーカフェにする。表の席を確保して、食事は想定外だったので青龍に奢ってもらう。ちゃっかりデニシュパン他に、コーヒーとケーキも頂いた。
小手毬は、予算十万円で、机と本棚と大きくないチェストとカーテンがいるので、安売りのニトリかイケアに行きたいと、きちんと話した。食事をしながらスマホで検索した。イケアは立川か船橋にしかなく、近場のニトリと思ったが、ふと思い付き青山のフランフランにする。場所が不案内なので青龍に移動方法を聞くと、タクシーとのこと。
食事をしながら青龍に聞くと、あの店の高級家具をプレゼントしてもよかったそうだ。幼馴染といえ、祈祷代をお賽銭で支払うのも、大歓待だが、恋人でもないのに高級家具をくれるなど、可笑しいと抗議した。
大学生と高校生が、六本木のお洒落な店で食事をしている段階で、デートになっているのか。青龍が和服なのは、子供の時から神職をしていて、着物が習い性になって、大学に通うとき以外、着物で通しているからなどだそう。羽織姿に合わせてワンピースを着ているところで、尚更デートにしか見えない。
「龍神社はね、全国の龍をお祀りしている、神社仏閣のお賽銭の何割か、入ってくることになっているんだ。だから気にしないで」
と腑抜けたことを言いやがった。これが事実と知ったのは、辰麿と結婚して奴の正体が地球に五柱しかいない龍だと知ってからだ。
青山では家具屋を何軒か冷やかしてから、フランフランで家具とカーテンを買った。こういう時は辰麿と話が合う。波長が合うのか、幼馴染のせいなのか。モダンで乙女ぽいのが買えた。ニトリより高く数千円しか残らなかった。神宮前の交差点のスターバックスで、また辰麿に奢って貰い青山通りを渋谷方面にぶらぶら歩く、表参道駅から日比谷線に乗って帰るためだ。テークアウトのカフェフラペーチーノを辰麿と一緒に飲みながら辰麿に聞かれた。
「小手毬ー、どうして僕のこと、龍君と呼ぶの」
現世で日本人として生きる、青龍こと水神辰麿の正体を知っているのは、首相と官房長官と内閣官房の官僚の笠原だけである。最近は野守の差し金で、息子のアルバイト大学生、曼珠沙華こと寺田曼珠も加わったが奴は角こそ生えていないが、地獄の鬼である。龍の本能が、他に正体が龍と知り、嗅ぎ周る人間はいないと告げる。
だが、小手毬は子供のときから青龍を「龍君」と呼ぶ。神社に遊びに来る多くの少女の中から、龍珠になる小手毬を見つけて、そう時間が経ってない時から、「龍君」と呼ばれるようになった。釣られて何人かの子供からそう呼ばれたが定着しなかった。いったい何があって小手毬は自分のことを「龍君」と呼ぶのだろうか。愛らしくて幽世に連れて行ったことはあるが、龍の身体は見せたことはない。
「龍君っていうのは、龍神神社の宮司さんの略なの。ところで今日はデートのつもりなの」
青龍はほっとした。自分の正体が、不用意に人間に知られると、自分にも龍珠でもある小手毬にも危険が及ぶ場合がある。そうなれば人類を滅ぼさなければならない。
「勿論、デートだよ」
青龍は安心したので、素っ頓狂な笑い声で答えた。
「デート何んだ。龍君は彼じゃないから」
「ええー、小手毬は僕の…」
小手毬とは作日再会したばかりだ。まさか龍体となって毎日見守っていたなんて、言えない。零から一歩ずつなのかと青龍は思った。他の男に取られるくらいなら、術をかけるさ。