第六話 日曜日なので地獄に行ってみた その二
その三日後だった。あの美貌の鬼、野守が、急に龍御殿を訪問してきた。
龍御殿の御簾を上げると、一段下がった大きな座敷の真中に、黒の着物に黒の羽織を着た野守が一人で坐っていた。丸の内と天国のホテルで逢った長身で細面の鬼がそこにいたのだった。龍の妻として、小手毬はあの世の偉い人として、はじめて謁見したのだった。だが鬼だけあってぐいぐいと攻めて来る。鬼には尊敬語がないのか。
「水神小手毬様、この幽世の住人から、御寮人様と呼ばれることになったそうですか。民間人の妻の呼称では、最上位です。現世でも地獄でも古語となっていましたが、神獣の婚姻でまた使われる事になって、私のような古い鬼には懐かいしい位です。
早速ですが、単刀直入に申し上げます。御料人様は一昨日亡者を妖と間違えて幽世に連れて来ましたね。それは犯罪です」
「私何かやった」
そう言うと小手毬は一昨日のことを思い出して、あっと思った。
「女性を一人この幽世に連れて来ませんでした」
「大学からの帰り、困っていた女性がいたので案内しました。それが何か」
「その女性が我々と同じ妖怪の類なら良いのです。彼女は数日前に死んだ、亡者つまり人間の死人です。先程捕縛して地獄に送りました。
亡者は死後速やかに三途の川に行き、十王庁の審判を仰ぐこととなっています。
亡者が現世に留まることは、罪です。一日遅れて千年以上も刑期が延びたこともあります。その女性は微罪でしたので、転生のはずでしたが、地獄行き決定です」
「そう言われても、私には死人と妖怪の区別がつきません。妖怪が誰か分かるようになったのは、本当に本当に最近のこと、結婚式の直ぐ後からなのです」
野守は少し青龍を睨みつけた。
「亡者は影が弱いといったところでしょうか、慣れれば亡者と生きている人間、我らのような神妖の区別はつくのです。
街で亡者を見た時は、奥様これをお使いください」
野守は小手毬もびっくり、スマートフォンを差し出したのである。アイフォンなどより正方形に近く、色紙を連想させる形で、手のひらに載る大きさだ。白い綺羅綺羅とした樹脂製の躯体のシンプルなものだった。ちょっと可愛いいと思ってしまった。
「現世でも幽世でも、亡者を見かけたら、接触しないで下さい。スマホ立ち上げて、この地獄省直通の、亡者発見アプリのアイコンをタッチするだけです。地獄から追っ手を差し向けます。
青龍様もこのスマートフォンと同型のをお持ちだそうです。早速御寮人様のを、初期設定なさってください。
それと御寮人様、地獄天国の物は、現世に持ち出してはいけない大原則があることはご存知ですか」
「初耳です。持っ来てはダメなのですか」
ぐっと野守は青龍を睨みつけた。
「そういう大事なことは、きちんとお話下さい。この地獄で開発されたスマートフォンは、紛失すると自動的に壊れることになってる便利なものです。バックアップをまめに取れば不便なこともありません。現世の物に比べるとデータの流失も防げて、プライバシーも守れる優秀なものですぞ。
そうそう忘れていました。御寮人様にはこれもお渡しせねば」
階の下から、差し出したものは、あの世の高校の、歴史と現代社会の教科書だった。見た目は現世の教科書と同じ装丁であったが、厚さが三倍もある。小手毬がぱらぱらめくると、縦書きなどを除くと図も多く、高校の社会科の教科書に近い。
「御寮人様は大学生ですので、地獄の大学の教養課程のを差し上げようかと思いましたが、あの世のことを何も知らないようですのでこちらにしました」
地獄の最高権力者の威厳に押されながら小手毬は礼を述べた。あの世のことは辰麿に少し説明を受けているが、全体像が見えなのが歯がゆかったので、丁度よいと思った。
それから例のドラゴンの件で、青龍と野守はやり合ったのである。
水神辰麿と結婚したことで小手毬は龍神社の人にもなったことで、巫女になってしまった。神主の奥さんが巫女をやっている神社も歴史的にあり、差して珍しくないそうだ。家業の神社の仕事をするのに、白い着物に朱の袴の巫女は都合がよく、休みの日とかは巫女の格好で社務所にいることになった。社務所でお守り売りと社殿の掃除しかしていないが、勿論辰麿から結構な給料を貰ってだった。
大学と目白の先生の所に通い、休日には巫女になる新婚生活になった。秋のイベントは七五三しかなく、十月十一月の休日に近所の人から予約が来た、七五三で社殿に上った親子の爲に辰麿は祝詞あげた。授与品に千歳飴がないのに小手毬が気が付いて、商店街の和菓子屋に駆け込んだりしたが、概ね平穏に過ごした。
正月は初詣客も来るので、鈴木さんをはじめとする眷属に助けられた。年末の大掃除や大晦日の夜から出る屋台、年初に買い求められるお札の販売など手伝ってくれた。目が回るほどの忙しさはなかったが、一目で妖怪やもしや神様仏様と思われる参拝客もおり、辰麿はそういう人と古馴染みなのか。フレンドリーに接していた。
三が日過ぎに正月は遠慮して参拝にしか来なかった祖父母の家で食事をした。父も来てくれて、鍋物を囲んだ。
小手毬は青龍により術をかけられているので、辰麿の本性が龍なんて、酒に酔おうが何しようが言えないのだ。口が滑ることは無いので思い切り好き勝手に話しても大丈夫な安心感が、小手毬にあった。ここに集う親族が婿の正体を知り、孫娘が不老不死になったことを知るのは、三途の川を渡り極楽浄土にたどり着いた後だ。
松の内が開けぬ前に地獄省から連絡が来た。現世から地獄へ大きな荷物を運ぶので、龍神社の幽世を経由したいとだけ、メールに記載されていた。
龍神社の前は普通の区道で、住宅街を走る二車線の道路で、龍神社には道路との境界に玉垣がない。鳥居が一基あるだけだった。辰麿がご近所さんへのサービスで、宅配便や介護、果ては建物工事の車両の駐車場として無料で貸し出しいた。条件として子供たちが境内を使っていない平日の昼前は許可なしでも利用できることになっている。利用しているドライバーから感謝されて、社務所の脇に設置されている激安自販機はお礼の意味も含めて、よく利用されている。
メールのあった二日後の夕方、長さ二十メートルもある海上輸送用にも使われそうな大型コンテナを載せたごつい牽引車が何台も龍神社の前の道に停まった。金属製で縦縞の凹凸があるコンテナは大手物流会社の名前が付いていた。コンテナは差して広くない境内ぎちぎちに、十基置かれ、送り状に辰麿がシャチハタ印を押すと牽引車は去っていった。モンスターのような大きな牽引車がまさにコンテナを境内に運び込む最中に、帰って来た小手毬はあまりの事態に目を剥いた。
「メールにあったお荷物ってこれのこと」
「そうだよ、後で引き取りに来るんだって」
社務所の土間で大型ディスプレイのパソコンでいつも何か設計している鈴木さんが、今日は龍神社と幽世を行ったり来たりしている。送り状に、富〇通の子会社名と、富岳の文字を目にし、身の丈より高く数十メートルの長さの、湾岸辺りで目にする大型コンテナが一分の隙もなく並んでいるのには、夫婦でびっくりだった。もっと驚くことが起こったのは深夜だった。
夜も深くなり神社の前の道の通行人の数が途絶えた頃、地獄から人間の作業員に化けた妖が現れてコンテナの搬出作業をはじめた。日付が変わるころには人間に化けもしない鬼やら妖怪がその作業に加わった。彼らは筒袖や袖なしの着物に、着物を尻じゃっぱりで足むき出しにしたり、野袴を穿いたりしていた。地獄の刑場の作業着そのままだった。
龍御殿の玄関前に地獄から大型重機が出現した。重機には詳しくない小手毬でも、現世のクレーンに似ているが、随分華奢なものに見え。
「龍君あれで地獄に運ぶの」
「そうみたいだよ、でも僕たちの寝所の上を運ぶなんて、大概にしてよ。嫌がらせかな」
小手毬は、大型コンテナが落下して、海老煎餅のようにプレスされた龍を想像して、笑ってしまった。でも冗談ではなく、寝所の三枚重ねの布団の上で平気で寝ていられないので、社務所で作業を二人で、見守ることにした。
妖の作業員がコンテナにクレーンに吊るすための作業をしていると、わらわらとドローンが飛んできた。蝙蝠や天狗と云った飛ぶ妖怪も現れた。奴らは空中で地上に指示したり、空中から白くて平らな帯状の物を垂らした。地上の妖はトレーラーにそれを巻いて固定させる作業をしている模様だ。
前に辰麿にあの世の科学は、人間の数倍先を行くものだと説明されたことがあった。空飛ぶ妖怪が空中で作業するのは人間には出来そうもない。人間を超えたテクノロジーと、妖怪の得意技での作業になった。
「ねえ、人に見られる心配はないの」
「人間だけに印象残さない術は、初級技だから掛けているよ、この辺でも夜中にジョギングする人もいるしね、神社の外に出ると、音もしないし、コンテナも見えない筈だよ」
「あの世凄いんだ」
浴衣の寝間着の上から綿入れやらダウンジャケットを着込んだ神主夫婦は、暖房の効いた社務所の窓越しに、鬼やら天狗やらの百鬼夜行のような、作業を眺めていた。
あの白い紐は、きしめんにしか見えないなと思いながら、小手毬は作業を見ていた。どういうテクノロジーか汚れのない真っ白な幅のある帯状で、きしめんに見えてきたのだった。
「ふぁー、きしめん食べたい」
辰麿が言った。
「私も、随分長い間食べてないなー」
きしめんは名古屋の名物で、東京ではマイナーな食べ物、東京ではうどんの汁で食べるものだった。
「僕も大学生の時に、飯田橋の専門店で二回くらい食べたのが最後かな、そうだスーパーできしめんを買ってきて、山吹に作ってもらおうよ」
「それいいかも」
小手毬は時々どっきりする、辰麿と食の好みが同じだった。深く聞いてないが辰麿こと青龍は、東京の生まれだったらしい。
「青龍様、これはこれは御寮人様こちらにいらしたのですか」
神社側の木戸を開けて、鈴木さんが戻って来た。白髪の老人で龍神社の法被を着ている。元人間で神社の番をしながら、辰麿の欲しい機械を設計している。元はゼロ戦の設計者だったいう。辰麿の眷属の一人だった。
鈴木さんの話では、中身は富〇通のスーパーコンピューター富岳で、納入先は地獄大学だそう。小手毬は地獄の方が進んでいると聞いていたので何故なのか疑問に思った。そして発注責任者が、天国の結婚式で、三枚重ねの黒の江戸褄の裾を引いていた、野守の妻の胡蝶だという。見た目が若く女子大生に見える天人の女性だが、物理学教授だという。地獄大学は富岳の前の京も所有していて、これを搬入した時は、工場からほど近い、北陸の立山の幽世を利用した。今回も空になったコンテナは立山で現世に戻すそうだ。
「それって僕への当てつけ」
「北陸の工場からわざわざ運ぶなど、状況から見たらそうかも知れませんね。青龍様の結婚発言以来、あちらはドタドタとしてますから。嫌がらせぐらいはしたいでしょう。野守様は特に鬼ですから。
いや御寮人様、鬼というの性悪な性格ではありませんよ。わっちなどは人間より優しくて理の通った者が多いと思っています。地獄に行くと人間の方が数段上の悪党だと分かります。こりゃ行ってみないと分からないか」
草木も眠る丑三つ時を過ぎ、薄白く東の空が成りだしたころ、最後のコンテナが幽世側のクレーンに音もなく吊り下げられて、龍御殿の向こう側に運ばれた。天狗とあの世で開発されドローンが消え、地獄そのままの姿で働いていた、鬼やら妖怪が幽世は戻って行く。最後に作業着を着て人間の振りをした妖たちが、入念に原状回復と掃除をして幽世に帰っていった。
それを見届けると、辰麿と小手毬は龍御殿の寝所に戻って、三枚重ねの布団にもぐり込んだ。辰麿の
「あんなのが落ちてきたら怖いよう」
の声を聴きながら、小手毬は深い眠りに落ちたのだった。
辰麿は現世ではあの世の物は持ち出すようなことはしなかった。厳密に区別をしていた。小手毬は本が好きで活字を見ると喜んで読んでしまう癖がある。野守からもらった高校の教科書は、現世の教科書より面白くて、通学バックに思わず入れて地下鉄の中や休み時間に読んでしまった。可愛い包装紙をブックカバーにしていたが、辰麿に気を付けるように注意されたが、
「大丈夫もうじき、本能でしなくなるから」
というまた理解不能なことを言ってきたのだった。
その週は期末試験で、辰麿を放り出して過ごした。辰麿の様子をちらりと見ると、書斎のパソコンに向かいながら、まだドラゴンのビザ発給の件で地獄の役所とやり合っていた。秋葉原に連れて行って上げたいそうだ。
深夜までレポートを仕上げて、翌朝遅く起きた日曜日、遅め朝食を食べていたら、辰麿が突然地獄に行くからと伝えて来た。「ふぇ」となってしまったが、お着換えの間には緑の着物を着た眷属が控えていて、お気に入りの縮緬小紋の濃い瑠璃色の地に、椿の柄の長着に、籠目模様の昼夜帯を矢立て結びにし、軽くアップにした髪に赤い椿の前差しと揃いの簪を付けた。
廊下に出たところで青い色の長着に桃色の羽織を着た、辰麿に捕まえられ、龍珠の交換をした。自室から取って来た、お出かけ用の巾着を手に持って玄関から出ると、辰麿に抱き上げられる。次の瞬間、中国風と日本風の中間ぐらいの装飾のある白木の門の前に立っていた。
人通りの多い通りの片側には、ずーと高い塀がめぐらされ、辰麿と立った白木の門には、大きな木の札に墨で、「地獄省 庁舎 南門」その横に、「休日はこちらから、お入り下さい」と一回り小さな札が掛かっていた。
ザ地獄という厳めしい金具の付いた扉から入ると、ホールになっていて、白木のカウンターに緑の水干を着た若い男性の鬼が立っていた。辰麿は野守長官と約束していると告げると、鬼は手元の電子機器を見て、
「青龍様ですね、長官が執務室で待ちになっています 」
案内に立ってくれた。
ホールから出ると、塀の中は、二階建ての大きな建物が連なり、塀と建物の十メートル位の空間は植物が植えられた中庭になっていて通路には背の高い柵があった。小手毬が思わず立ち止まる。柵の向こうの庭のまた数メートル先に金属の柵がありその向こうに、子供たちが遊んでいる。この二つの柵は誘拐防止のようだった。気が付いた鬼が、
「付属の保育所です。ここには専業主婦がいませんので、庁舎の中で働く役人の子供はここに預けられます。地獄も土日休みなんで、今日は子供が少ないですね。
刑場は二十四時間稼働していますし、検非違使。火消、水道などインフラ部門も交代で勤務していますので、日曜日でも保育園を開けているのです」
人間の子供たちの様に可愛い子供たちは、角の生えている子も、羽がある子もいる。もうちょっと見ていたかったが、庁舎の中を案内の鬼と辰麿がずんずん歩いて行ったので付いて行った。廊下は人気がなく、日曜日らしかった。
木造の建物はよく磨き上げられ、シンプルで質素だった。昔の学校の木造校舎の様だった。結構歩いた所で二階に上がる。「長官室」の木札が掛かる両開きの扉を開けると、広いオフィスで、オフィス用の机が幾つも置かれていた。ざっと三十席位だろうか、机の固まりごとに「秘書課」「外交」「連絡統括」と天井から札が掛かっていた。休日らしく誰も出勤していなかった。壁には大きな電光掲示板が、「ただいま各刑場、三途の川、十王庁の裁判施設共に、亡者の脱走はありません」でかでかと表示している。別の壁には、縦横十メートル以上の巨大モニターが掛けられているが、電源が切れていて黒い画面だった。
案内の鬼は、奥の方に進んで行った、「秘書課」の先に案内した。そこは部屋の奥で、三畳程ありそうな大きな机の向こうに、地獄省長官の野守が坐っていた。
「青龍様、これはこれは奥様いや御寮人様、わざわざお越し、ありがとうございますが、ドラゴンの件、やはり現世旅行は許可できません」
「えーそうなの、ドラゴン行きたがっているのに」
「ドラゴン様は神の身体が不安定の上、透明の術も出来ない、更に五人一緒でないと行動出来ないそうですね。万が一現世でドラゴンの本性を現すことになったら責任が取れません。
航空会社も神の身体が長時間保てないなら搭乗拒否ですな」
これまで、丸の内、天国の披露宴、先週の龍御殿での謁見と三回、野守長官と逢っている。三回とも黒い羽織姿だった。今日は休日なのか、羽織なしの長着だけのカジュアルな姿だ。着物は現世の男着物ではない女物となってしまう柄だ。白地に百合の花と蝶がペン画のタッチで染められた絵羽の長着だった。小紋や付け下げの柄付けが男の着物として存在し、更に花柄が男性用と分る着物は現世にない。小手毬はこれを辰麿が着たいと言ったら、全力で止めたいと思った。長身の身体に黒い角帯、浮世絵のようなゆるい着方をした袖口からは、黒と赤の柄物の襦袢が覗く。エロい。
辰麿の顔を覗き込んでいた野守が、
「今日はこの件だけで休日出勤しましたが、埒が開かない、もういいので私の家に行きましょう、昼時なのでご馳走します。まあ私の手料理ですがね」
と言うと野守は立ち上がり帰り支度をした。音声で「退出」と言うと電光掲示板も中の照明も消え、廊下に出ると自動で執務室は施錠された。
先程の南門から表通りに出ると、道路の片側が庁舎の高い塀が続き端が見えないくらいだった。道路の向こう側は対照的に商店街で裏に住宅街があるようだ。地獄の商店街は現世のレトロな商店街に見えた。道路は幅が四車線くらいあったが車は走ってなく、歩行者天国状態だ。八百や魚屋、肉屋に乾物や調味料だけを扱う店、菓子屋もある。個人商店なのか店番が夫婦とか家族のようだ。たまにはスーパーマーケットや大きめの衣料品店があった。行き交う妖怪達は皆着物で、時代劇で見る幕末の着物に似ていた。その次に多いのが水干や壺装束の平安装束で、子供や学生は水干を着ていた。
店舗は現世の個人商店といった風の店だが、不思議なことに、店の入り口の高さが最低でも三メートル、高いと六メートルもあった。それに合わせて天井も高かった。
商店街の肉屋で鶏肉、総菜屋で幾つか買い物をした野守は、青龍夫婦と一緒に裏手の住宅街に入る。
地獄の広さは日本の三倍、人口は二千万くらいで、土地に余裕があるせいか、一軒一軒が広いのだ、広い所為なのか殆どが平屋だった。変わっていると思ったのは、白くよく整備された高さ三メートル位の土塀が各家の塀になっていた。武家屋敷みたいだったが、土塀の上にはガラスの破片をコンクリ固めたり、針金の薔薇線を這わせたり、鋭い剣を上に向けたデザインの鉄柵が埋め込まれたりしていた。鬼さんなのに防犯対策がばっちりじゃないと小手毬は思った。
すれ違ったお出かけ用の振袖を着た女性の鬼は、帯に飾りの付いたピストルを差していた。これにはびっくりした。
高い塀に囲まれているのに意外にも圧迫感じなかった。塀が高いせいか、家の門を開け放っている家が所々にあった。そういう家は看板なり旗なりに、屋号と商売の種類を書いていた。刺繍職人や裁縫師、装束屋と書いてある家を覗くと、作業所が見え、妖怪の夫婦が装束の捻りをしている。一際お洒落な家は「意匠屋」と名乗っていた。
「鬼の社会は伝統的に、男は獄卒で刑場での拷問の職に就き、女は職人や私共のような役所勤めが多いです。鬼以外の妖怪も獄卒になりますが、男女問わず商売人や職人、工場勤めの者が多いですよ」
「あのう、意匠屋ってなんですか」
「訳してデザイン事務所でしょう。意匠屋と名乗るのは特に着物のデザインです。私達は長命なので、着るもののデザインについ凝りたくなるのです。呉服屋の作っている反物も買いますが、自分の欲しいものを意匠屋にデザインさせて、気に入りの職人に作らせるのです。あと古い着物のリフォームもデザインをさせます。それを職人にやらせたり、切り嵌めなんかは男でも自分で縫ったりします」
小手毬は野守をじっくりと見てしまった。いい男だけれど、花柄は地上の男は着ないよ。
住宅地は奥に向かってなだらかに高くなっていった。正面奥を見ると地獄絵の針山のような急峻な山々が連なっている。
野守の家は、周囲の家と変わらない土塀の中にあった。重い鉄扉を術で軽々と開けると、季節の花々が咲き乱れた庭の中に、趣味の良い数奇屋造りの母屋から、高欄の付いた回廊が伸びている。その先には子供部屋だろうか離れが連なり、ぐるっと回って、庭の中央の母屋の向かい側に、幽世で云う、「客殿」まで続いていた。
野守が声を掛けると玄関に胡蝶さんが出てきて、三つ指をついて挨拶する。旅館の女将というより、戦前の華族のお姫様が立ち現れたように小手毬には見えた。
「あらー、良くいらして下さいました。
青龍様と小手毬様が、お見えになるなんて、望外の喜びですわ」
地獄の休日をお楽しみください。