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東京に住む龍  作者: 江戸紫公子
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第四話 龍の片想い その二

 夏休みが終わり後期の授業がはじまった。音楽の出来ない現実が待っていた。


 希望通り薬学部に行っていたら、横浜国大だろうが慶応大学だろうが、学部生、特に一学年には、天才はいないだろう、一学年団栗の背比べだ。中学・高校の理科クラブで、薬品の研究にのめり込んだ狂った奴もたまには居るかも知れぬが、それは只のマニアだ。今居るのは成績の良い秀才だけだ。天才が現れるのはもっと学年が上がってからだ。


 ところが、音大、小手毬が居る藝大の音楽部には天才が闊歩していた。海外の有名なコンクールに高校生で入賞したピアノ科の学生。日本語もまだ覚束ない中国からの声楽科の留学生は、コンクール優秀賞で海外の有名オケと共演。そんな天才が入るのは入学前でも知っていたが、なんと邦楽科にもいて、中学生で邦楽のコンクールの大賞を取った学生や、高校生で文化庁主催の海外の公演の一員として、世界ツアーに参加した琴の男子学生もいた。一般教養の授業で、いつも近くの席にいる童顔の学生だった。


 そんな天才たちと小手毬の違いは、子供の頃から膨大な練習量をこなしてきたことと、才能。そして何が何でも、プロになりたいという願望があることだ。


 邦楽コンクールに挑戦する同級生の隣で、小手毬は四年生までにTOEIC八百点を取ること、文系でもプログラマーになれるので、プログラミングの勉強をそろそろしよう、大学の方は最小限の努力で卒業することを方針にした。


 ピアノの経験がなくて止めた教職課程だが、必須でピアノがあった。小手毬は一度もピアノに触ったことがなかった。子供の頃から英会話だの水泳だの、稽古事に熱心親だったが音楽系のお稽古事は何故かやらせなかった、中学までの音楽の授業も取り立てて、得意でも好きでもなかった。ピアノじゃなくてリコーダーかピアニカにでもしてくれよ、同級生に冗談で毒づいた。  


 雅楽専攻にピアノを弾けない変わった一年生がいるという噂が広まって、ピアノ科の学生が手を差し伸べてくれてくれた。レッスンを見てくれた。はじめは女子学生だったが、その繋がりで、男子学生がレッスンを見てくれた。


「宮前さん、プロを目指せるのじゃない」


 気があるのか、酒井礼二は小手毬に言った。


 小手毬はもて男のテクだと思いつつ、舞い上がりそうになった。礼二の形の良い指が鍵盤を弾く、身体が密着しそうになり礼二の若い男の体温と体臭が迫る。その気はなかったが胸がばくばくいいそうになった。


「ピアノを弾きはじめたばかりで、今からレッスンしても、ピアニストにはなれそうもないわ」


「ピアノでなくて、君の専門の方でさ」


「篳篥。管弦楽のオケも入るのが大変だけど、雅楽の団体に入るのも、倍率が高いのよ。邦楽はアンサンブルの需要もないんで、私がプロになる見込みはないの。

私は趣味でしかやってなかったので、同じ学科の人達との実力の差が歴然なのよ。音感がいいとか、絶対音感なんて才能は端から無いし。卒業後は普通の企業に就職するつもり」


「ピアノはじめてにしては、音が綺麗なんだよ、宮前さんは楽器を綺麗に演奏する、才能があると思うよ」


 もて男の口説きだと差し引いても、嬉しい言葉だった。


 秋になった。このところ辰麿と逢っていない。必須単位を一回で取れないのは、不効率だ。もちろん落ちてもまだ一年生だから来年取ればいいのだが、年明けの試験で合格点に達するのが一番だ。小手毬はピアノを持っていない、中古で電子ピアノを手に入れて自宅で練習してもいいのだが、大学のピアノ練習室で、夕方から練習をした。もちろんここに居ればピアノ科の学生に質問も出来るし、顔見知りに練習を見て貰えた。


 何より酒井礼二に逢える確率が高かった。礼二は身長百八十センチ越えの細身。ジャニーズのアイドルを、もうちょっとチャラくした男だ。顏が小手毬の好みだった。割とぱっちりとした目に二重、睫毛が男なのに長いのだ。


 夕方から時には警備員に怒られ程の時間まで大学にいた。幾ら自宅が近いとはいえ、夕飯の時間までに帰れなくて、夕飯のご相伴に預かっている辰麿と逢う回数が減った。その上、神主養成所で地方の神社で実地研修を受けるため、泊りがけで出かけてしまった。


 この状況に安堵したのは小手毬だった。酒井礼二には、親切にも女癖が悪いという情報を教えてくれた学生もいたが。二十五過ぎて結婚に絡むのならともかく、今は学生なんだ、礼二と付き合って、恋愛したい。


 十月、ピアノ科の女子学生が小さなホールを借りてリサイタルをするので、礼二に誘われた。これが初デートだ。リサイタルをする女子学生は、有名なコンクールの入賞した、校内でも有望視されている学生で、東京近郊出身で祖父が市議会議員で顔が広いそうだ。礼二が耳打ちした。若手に好意的な評論家や、クラシック音楽のレーベルのあるレコード会社に招待状を送っているそうだ。


 会場は麻布にある客席は少ないが。プロの室内楽のコンサートも開かれる会場で、オーナーのこだわりでドイツのベーゼンドルファー製のピアノが置かれていた。


 平日の夜七時開演だったので、地下鉄の麻布十番の駅で六時半に、礼二と待ち合わせた。麻布十番の指定された出口から地上に出ると、辺りは日が落ちて夜になっていた。人通りも多く店舗の明かりも健全な繁華街だ。


 ふと、小手毬は思った。半年前まで高校生で、夜の繁華街に不用意に行くことを、祖母は嫌がったな。自分も渋谷とか池袋とか暗くなってから行かなかった。私も大人になったんだ。大学生になったので夜の飲み会や、カフェの女子会でついつい話込んで家に着くのが九時なんていうのもあった。怒られないのは、自分を信用しているからかな。正直嬉しい。


 会場は駅から遠くなかったが、明るい繁華街から街灯が灯る住宅街に入り、急な坂道を上った先にあった。暗い道で礼二に手を繋がれた。心臓がどきどきした。元は隠れ家フレンチでその前は大使公邸だった屋敷を改造したホールで、アイアンで洋風な装飾がされた洋館の入り口には沢山の薔薇やら季節の祝い花が飾られていた。大学の顔見知りの他にリサイタルをする女学生の友人と思しき同世代の男女が目立った。周囲の会話は誰とかが海外のコンクールに落ちたの、卒業コンサートが決まっただのの会話が飛び交っていた。


 客席の続きがサンルームになっていて、往時はレストランだったらしい変化のある、ホールだった。小さな舞台の上に、ベーゼンドルファーの金文字の入った、黒いグランドピアノが一台置かれていた。客席は、レストラン時代のものか、色々なタイプのひじ掛けのない金彩の枠の、洋画で見るようなクラッシックないすを、並べて客席にしていた。二百席くらいはあるのかな。礼二の話だとピアノ教室の発表会で、人気があるホールで土・日の昼は一年以上前から埋まっているのだ。


 高校までは殆ど行かなかった音楽会に、藝大に入学してから、人に誘われたり、教授の出演する雅楽コンサートと、音楽会に何回か行っている。そこで行く無味乾燥なホールとは違い、瀟洒な洋館のこのホールはロマンティックだった。プロの雅楽師にはなれないが、ここで、小さなコンサートを開いてみたいなと思った。


 時間になり、本日の主役が舞台脇の衝立から出て来た。赤い裾まであるドレスはペチコートで膨らんでいて、小さい子が夢見るお姫様のようなドレスだった。フリルには金色のレースと飾りテープがあしらわれていた。ドレスは女子音大生がコンサート着るドレスだが、金の装飾が強烈に目立つ。今日は気合を入れて来たのか分かる。


 舞台に現れた本日の主役は、満面の笑みを浮かべて挨拶をした。それから本日の曲目について、笑いを交えながら解説する。彼女とは練習室の廊下で何度かすれ違った事があるが、真剣な顔をして口を真一文字に結んで、歩いているのを見かけたことがあった。舞台の上の彼女は、アイドルグループのセンターを張る女性アイドルの様に、愛らしく話す。これは彼女が考え抜いた、プロになる方策だなと思った。


 客席は連休明けの月曜日の夜ということもあって、半分くらいしか埋まってなかった。中年の男性の姿もあったが、彼女が招待した、評論家が来ているのかどうかは分からなかった。


 小手毬は大学からの帰り、根津方向に歩いていった。地下鉄を乗り換えれば二駅で家に帰れたが、駅までどうせ歩くので、気が向くと二十分かけて徒歩で通学している。レトロで面白いお店もある根津・千駄木辺りを通るのも楽しみだった。幾つか角を曲がり不忍通りに出たところで、見知らぬ男に声を掛けられた。


「宮前小手毬さんですね、水神辰麿さんのことで話があります」


 中年の少しやさぐれた男で、雰囲気とそぐわない国家公務員の名刺を差し出した。近くのセルフ式カフェで話を聞くことにした。昼下がり、店内には遅い昼食をとっている外回りの会社員の姿が二・三いるだけで空いていた。一番奥の目立たない席を確保した。


「水神辰麿が龍だとは知っていましたか」


「ええ、妖怪の子分もいるようです。一度目くらましを掛けられました。幼馴染なんで不思議とも思えなくて。それからも普通に人間として付き合ってくれています」


「水神辰麿こと青龍は、来年の九月に一億歳になるそうです。あなたとその日に結婚することを公言しています」


「付き合いたいだの結婚したいだの、随分言われましたが、そうなっていたのですか」


「もしかして、宮前さん断れると思っていません」


一瞬BGMの、二〇世紀の洋楽のダンスナンバーが消えた。笠原は畳みかける。


「紹介が遅れましたが、内閣官房で水神辰麿の保護と監視をしています、笠原です。この仕事は神武天皇以来、その時々の政権に受け継がれた仕事で、龍神社は江戸時代担当していたお役人の屋敷跡なのだそうです」


「龍眼寺ですか、お屋敷の中のお堂だったようですね」


「戦前は宮内庁管轄だったのを、戦後官房長官直々にするため内閣官房に移しました」


「龍君、辰麿お兄ちゃんは一億歳なんだ、神武天皇に保護されたなんて辰麿らしいです。

辰麿は年の割、あの人間で二十四歳の割に、老成してますもの」


「意外と驚かないんだ。


 では、日本国政府は天照大神様の支配下にあると知ったら、どうですか」


「日本は天皇陛下を頂いていますので、そういうことですか」


「あの世には天国と地獄があるそうです。そこにも政府があって、天照大神の下に政府があるそうです。そこの地獄で一番偉い鬼が、政権交代した時と、向こうから必要な時に首相に会いに来ます。この時の連絡係の仕事もしています」


「伝統宗教を調査する何て面白い仕事ですね」


 小手毬は思い出した、模擬試験を受けた代々木の予備校、通っていた都立高校、藝大の周辺や、中学時代の一番の友人で文化学園大学で、服飾史をやっている七緒とは新宿でよく女子会を開く、新宿のイタリアンの店でも、笠原を見掛けたことがあった様な気がした。背中に冷たいものが走る。


「あなたが高校二年生で、龍神社の傍に引っ越して来た時、鬼が急に来て、宮古島総理と協議しました。水神様は龍なので、この世が変わってしまうかと、鬼が説明したのですよ。あなたに何かあったら、水神様は人類を滅ぼすことも出来るそうです」


「そんなことがあったのですか」


「それともう一つ、あの世の法律では、人間と妖は室町時代に結婚が禁止されたそうです。ですが、龍と人間が結婚できる抜け穴が一つだけあって、生け贄にするのです。親御さんに、多額の金を払うと結婚できるそうですよ。あなたはお父様の会社の経営が良くないことはご存知でしょう」


「ええ、受験の時は私立を諦めました」


「水神辰麿は宮前技研に、二億円払ったのです。それと日本国政府も同じく一億円払いました。国庫融資という形で支払ったのですが、宮前技研は融資できる程の信用がなくて、一億円国庫融資機関に金を差し入れたのです。

つまりあなたは、日本国政府の生贄なのです」


 小手毬は、目の前が真っ暗になってしまった。話を終えた官僚が、コーヒー店を立ち去ってから暫く席を立てなかった。


 何となく気安く話せる幼馴染で一番親しく優しい異性だった、辰麿が知らない所で暗躍して、素敵な他の男性と恋愛したいという、普通の十九歳なら思う事を、封じてきたのだ。恐怖心があった。


龍の愛は暴走する!

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