はじめての日
「月ヶ瀬鳴海と申しますわ。宜しくお願い致しますね」
時季外れの転校生となったわたくしに寄せられる視線。そこに含まれているのは好奇心が殆どかしら。
それもそうよね。夏休みまであと少しだというのに、その直前の転校だもの。わたくしだって不思議に思うわ。
いくら追われる立場にあるとはいえ、わたくしはまだまだ学生の身。前の学校には居られなくなってしまったとしても、きちんと学校を卒業したかったの。大学にだって行きたいのよ。
だから、新居の一番近くにある学校に転校することにしたのだけれど、準備になかなか手間取ってしまったわ。
前例がないからかしら。まず学校への入学手続きが滞ってしまったの。許可していただけなかった、と素直に表現したが良いかしら。そうよね、かつての学び舎みたいになってしまうかもしれないものね。
それでも、最後にはこうして学校に通う許可をいただけましたの。尽力してくださった方には感謝の微意を表する次第ですわ。
「月ヶ瀬さんは一番後ろの空いている席へ。……じゃあ、これで朝のHRを終わる。日直」
「はい」
起立、礼、着席。と日直の方に合わせて皆さまと共にご挨拶を。先生が教室から出て行かれると、皆さまは一斉にわたくしへと視線を向けられました。うふふ、そんなに見つめられると面映いですわ。
「月ヶ瀬さん? は、なんでこんな時期に?」
「なんでなんで? 退学?」
「ねえねえ、どこからきたの?」
「来週から期末テストなんだけど、大丈夫?」
「やばー! 肌も髪も超綺麗! なに使ってんの?」
「なんで手袋してるの?」
「こんな時期に転校とかアニメとかの主人公じゃん! え? 物語始まっちゃうんじゃね?」
「運命感じるわー!」
「お前は月ヶ瀬さんの運命の人じゃねぇなー!」
「なんだと!」
あらあら、まあまあ。
大変賑やかな方々がお声をかけてくださいました。心なしか、わたくしの隣の席の方が困惑していらっしゃるようですわ。賑やかな方々は気にされてないご様子ですが。
それにしても、申し訳ないですわね。残念ながら、そのお声全てに耳を傾けることは難しいですの。わたくしが聖徳太子の様であれば良かったのですけれど……致し方ありませんね。
「……わたくし、少し体が弱くて。それで、皆さまにお目見えするのが遅くなってしまったのですわ。こちらには療養を目的に参りましたの。手袋もその為ですので、ご容赦下さいね」
本当のことを申し上げるわけにも参りませんから、わたくしが事前に思案したものをお答えさせていただきました。少し儚げに微笑んで見せればほら、皆さまわたくしのことを信じて下さいましたわ。嗚呼、なんて良い方々なんでしょう。
わたくしの容姿は好意的に映るものと自負しておりますが、クラスメイトの皆さまも例外ではないようで安心致しましたわ。
まあ、全てが事実でないという訳でも無いのですけれど。
環境が変わればもしかしたら、わたくしの体に巣食うものが居なくなるかもしれない、なんてささやかな願いを持っているのもまた事実なのですから。難しいこととは理解しておりますが。
本当に……私の肘から先を覆う手袋も、出来ることなら着けずに過ごしたいものですわ。
予鈴が鳴ると、わたくしの周囲にいらしていた皆さまは自席へとお戻りになりました。困りましたわ、可能であれば一限目の授業がどの教科か教えていただきたかったのですけれど……。
廊下側、一番後ろの一番角に配置されたわたくしの席からではあまり皆さまのお手元は見えません。ここはお隣の方のお手元を拝見させていただくしかありませんわね。ええと……
「現代文」
「はい?」
「一限目、現代文。ある?」
そろそろと左を向いてみると、隣の席の方と目が合ってしまいました。更には、隣の席の方はわたくしに現代文の教科書を見せて下さいました。なんてお優しいお人でしょう。『ある?』とは、教科書のことですわね。
「ありがとう存じます。ございますわ」
わたくしも真似をするように教科書をお見せしました。ちなみに授業内容は『山月記』だそうですわ。
「これ貸すよ。付箋のところが中間テストの後」
「よろしいのですの」
「いいよ。使わないし」
「本当に……ありがとう存じます」
なんて素敵な方なのでしょう。わたくしのことを気遣ってくださるだけでなく、こうしてノートまで貸してくださるなんて。
ノートの表紙には愛らしい字で『七海蒼生』と書かれていますわね。つまり、この方のお名前は七海さま。よかったですわ、親切な隣人のお名前を知ることができましたの。
七海さまはとても整ったお顔をしていらっしゃるお方ですわね。とても控えめな装いをしていらっしゃるから、その魅力に気付かないこともあるのではないかしら。わたくしには、七海さまにはもっと明るい髪色の方がお似合いではないかと思いますわ。とはいえ、学校ではそうも参りませんものね。
「これあげるよ。どうせリリちゃん忘れてるだろうし」
そうおっしゃりながら、七海さまはわたくしに一枚の紙を授けてくださいました。書かれているのは曜日ごとの時間割表ですわね。本日の二限目は……体育、と。
リリちゃんというのは、このクラスの担任の先生である理律利先生のことですわね。鈴の音のような素敵な愛称ですわ。
余談ですが、理律利先生はその日のお気持ちによって席替えを実施されるそうですわ。頻度は一ヶ月に一回ほど。同じ景色に慣れた頃に新しい刺激を、と席替えの提案をされるのだとか。来週から始まる期末テストでは出席番号順に並んでいなければならないので、その時には皆さま席を交換されるそうですわ。残念ながらわたくしは暫くこのままですけれど、夏休みが明けたらきっと、それに参加できるようになるのね。楽しみですわ。
「始めますよー。号令お願いしまーす」
「きりーつ」
いつの間にか入室された現代文の先生が声を掛けられると、日直の方が号令をかけます。初めての授業。どんな感じなのかしら。ドキドキしますわ。
などと、わたくしはほんの少しだけ期待をしていたのだけれど、授業というものが大きく変わることは基本的に有りませんわね。時折、先生がお話しされるご冗談に皆さまが笑い合ったり、黒板の誤字に先生がいつ気付かれるのかと固唾を飲んで見守ったり、というのが特筆すべき点かしら。きっと、先生はお疲れでいらっしゃるんだわ。
それでも転校初日のわたくしを気遣ってくださるの。感謝の微意を表しますわ。
ふふふ、だからこそ先生方は何も知らないのだと改めて感じるところではありますわね。少し前に世間を騒がせた事件の渦中にわたくしが居ただなんて夢にも思わないでしょう。わたくしがこの両腕の手袋を外せば、かの事件を再現できるだなんて。わたくしが『掃除』される為にこの町に来ただなんて。露ほども思わないのでしょう。嗚呼、愉快で愉快でたまりませんわ。『知っている』ということはこんなにも楽しい。
こうして一限目の授業が終わり、続いて二限目の授業へ参ります。わたくしは事前に体育に参加できない旨を伝えてあるので体操着にお着替えするだけで、授業は見学をさせていただくことになっておりますわ。体育の授業だけは参加するわけにいきませんもの。
本日は水泳の授業のようで、皆さまはプールに隣接されている更衣室へと向かわれました。わたくしは一人教室でお着替えをさせていただきましょう。プールの授業で無くなった際にはどの教室を使わせていただくか、先生にご相談しなければなりませんね。夏休みが終わりましたらご相談いたしましょう。
体操着に身を包み、青いジャージは上だけ。ファスナーは首元までしめて、わたくしは教室を出ます。それから体育館に向かおうと思ったのですが、すぐに立ち止まることとなってしまいました。
「困りましたわ……体育館はどちらにあるのでしょう?」
わたくしとしたことが、まだ校舎内の案内をしていただいていないことを失念しておりましたわ。わたくし一人で行動することなんて考えてもみなかったものですから。それに、体育館は確か二ヶ所あったと記憶しております。はて、どちらの体育館に向かえば良いのでしょう。どちらかの近くにプールがあったと思うのですが。
悩んでいても仕方ありませんわね。初日から授業に遅れてしまう可能性もありますが、きっと先生も分かってくださいますわ。
「ええと……ここは三階、でしたわね」
授業が終わった後で教室に戻れなくなってしまっても困りますものね。せめてこの場所だけでもキチンと記憶しておくことにいたしましょう。
理律利先生とこの教室に来た際には中央にある階段を使用しましたわね。恐らく校舎の端、東と西にもそれぞれ階段があるのだと想定いたしますが、今は中央階段を使用することにいたしましょう。東か西、どちらかに進んだ結果、体育館が逆方向にあっては困りますものね。
トントントン、と階段を一番下まで降りると正面玄関と昇降口にたどり着きました。正面玄関と昇降口はそれぞれ向かい合うように位置しています。わたくしは昇降口を一瞥した後に、正面玄関へと向かいました。
階段を降りている最中に気付いたのです。正面玄関であれば、敷地内の案内図があるのではないかしら、と。
「よかった、ございましたわ」
幸いなことに、案内図はすぐに見つけることができました。体育館とプールはあちらですわね。
位置を確認できましたので、わたくしはやや歩調を速めて体育館へと向かいます。廊下を駆けてはなりませんものね。
「……少し、お手入れをされた方が良いのではなくて?」
歩を進めていると、床や壁に小さなくぼみの様なものをいくつかお見掛けいたしました。なにか、削れたようなくぼみですわね。何故そのようなことになったのか、わたくしの存じ上げるところではありませんけれど、足を取られてしまうこともあるのではないかしら。
それに、砂のようなものが散らばっているのも気になりますわね。お掃除はされているようですのに……。
そうだよ。
知ってるとね、楽しいんだよ、鳴海ちゃん。