勘違いしてごめんなさい。でも勘違い男なお前は許さない
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「ハドリシアぁ!」
名を呼ばれ、銀色のハーフアップに髪を結い上げ、美しく精巧な作り込みがされたバレッタを飾った細身の令嬢がゆっくり振り返る。
両サイドには、彼女───ハドリシア・ブライド伯爵令嬢の友人達がおり、ハドリシアの名を呼んだ男───ディミトリウス・プラーレンツの気迫に戸惑っている。ハドリシアは、彼女達を気遣って距離を取らせてからディミトリウスと向かい合って、ニッコリと笑みを浮かべた。
「あら、ディミトリウス。お久しぶりね、最後にお会いしたのは半月前だったかしら?───あ、違ったわね!あの時、貴方はドタキャンして待ち合わせの場所に来なかったもの。なら、最後に会ったのはいつになるかしら」
両手を揃え、頬に添えてきら首を傾げてわざとらしく言えば、ディミトリウスは整った顔立ちを赤く染めワナワナと震える。
ハドリシアの言うこと半月前のドタキャンとは、久しぶりの婚約者であるディミトリウスとのデートの日。
短く乱暴な走り書きで、日時と待ち合わせ場所を書き記した手紙を送ってきたくせに、当時になってディミトリウスは現れなかった。最初から期待して無かったハドリシアであったが、一応婚約者と言う立場で1時間待った。もし、彼が遅れながらでも現れたのなら深く追求せずに、デートをするつもりであったが、ディミトリウスは現れず。
1時間経ってからハドリシアは後ろ髪引かれることも無く、颯爽とした足取りで待ち合わせ場所から去った。
ハドリシアが去ってから、更に15分程たった頃に1人の女性を連れたディミトリウスが待ち合わせ場所にやって来て、その場にいないハドリシアに対して喚き散らしていたことを、ハドリシア─その場に居合わせていた一般人以外─は知らない。
「なんて可愛げもない奴だ!相変わらずだなっ!」
「まあ、ありがとう。代々からブライド家の性格は逞しいの!褒めて貰って嬉しいわ」
「褒めてねぇよ!」
コロコロと笑い、侮辱を受け流すハドリシアに思わず口汚く言い返すディミトリウス。
2人は10歳の頃に婚約を交わした仲、貴族でありがちの政略結婚とかではなく互いの両親が親しく、互いの子供がそれぞれ男児と女児であった場合は結婚させよう!等という、今どき平民でもしない約束をした事で実現した婚約だ。
当時からハドリシアは思っていた、「面倒くさい約束をしたものね」と。
よく言えば血気盛ん、悪くいえばクソガキと言えるディミトリウスの事をハドリシアは嫌っていた。だが、婚約したからには個人の感情に偏る訳にはいかずと、子供ながら思って彼と距離を縮めるようとしたのだが、流石はクソガキ。
ハドリシアの努力を尽く無にし、彼女と距離を縮める努力も気力も持たず、己の感情を優先させては、ハドリシアをまるで己の所有物かのように扱った。
もしかしたら、彼なりの婚約した故の独占欲なのかもしれないが───たまったものではない。
そうしてディミトリウスと婚約を交わしてから早8年。
18歳になるまで、ディミトリウスに振り回され続けたハドリシアのメンタルはちょっとやそっとの罵声や怒声でも折れない程に鍛えられた。そのお陰で、今もこうしてディミトリウスと笑って対峙できている。
「それで、何の用かしら?私、これから出掛ける用事があるんだけど」
「用事?そんなの、俺と過ごす以外に大事な用などお前にはないだろ!8年も婚約者しといて、理解していないのか?性格は可愛くないが、頭は悪いんだな!」
「おほほ!性格も悪くて、頭も宜しくないディミトリウスには負けるわ~」
「なっ」
鬼の首を取ったようにニヤニヤと笑うディミトリウスに、ハドリシアは折れること無く言ってやればディミトリウスは唖然とした顔で固まる。
ハドリシアの言うことは的を得ていて、2人のやり取りを聞いている者達の殆どがハドリシアの発言に心の中で大きく頷いた───のだが、それを察知したのかディミトリウスは周囲にいる者達をギロリと睨み付けて、睨まれた者達はドキッと心臓を跳ねらせてから目を逸らした。
触らぬ神に祟りなしである。
「部外者に当たり散らそうとしないで。それで、本当に何の用?なにも用がないなら、私いくわよ」
「待て!用ならあるに決まってるだろ!───ハドリシア、お前はナノラを嫉妬でいじめてるそうだな」
「はああ?」
ナノラと言うのは、ディミトリウスの商会で働いている従業員の女性で、年齢はハドリシアとディミトリウスより1つ下の17歳。
平民の生まれで、家庭の事情で16の時から働いている彼女は愛らしい顔立ちと、小動物の様に忙しく動きながらもテキパキとした働きぶりで、同じ従業員達からの信頼もあり、プラーレンツ家の当主からの評価もいい。
何度かハドリシアもナノラと会った事があり、言葉も交わしたことがある。
ハドリシアからみてナノラは、確かに可愛らしい女性であるが、どうも好きになれ無かった。ハッキリとは伝えず、さり気なくディミトリウスに言ってみると彼は腹立つ顔で
“ 何だ、俺が奪われそうで可愛らしいナノラに今らか嫉妬してるのか ”
と言われてからは、ナノラを話題にすることは無く、彼女とは挨拶する程度の接触しかしてこなかった。我ながら子供じみた行動だと思うが、好きでもない寧ろ嫌っている男にニヤついた笑顔で、勘違いも甚だしい事を言われれば誰でも地雷になる相手を避けたくなるというもの。
ハドリシアは、逞しい性格であるが好きになれないからと言って誰かを虐める様な真似はしない。ので、当然ながらディミトリウスの話の内容にまったく身に覚えがなかった。
「あの…誰が、誰に嫉妬したですって?」
「ふん、とぼけても無駄だぞ!お前が!ナノラに!嫉妬したんだろ!?俺が彼女に夢中で、お前を構っていないから!」
───この男、気付いているのだろうか?
自分が公然の面前で何を言っているのかを。
ハッキリとハドリシアと婚約を交わしていることも口にした上で、別の女性と親しい仲になっているとディミトリウスはハッキリと言い放っている事に。
ちなみに、今2人がいる場所は大通り。左右に商業施設や飲食店も並ぶ活気ある通りで、もちろん人通りも多い。そのど真ん中で、あんなこと言うのだから当然ながら注目を浴びやすい。
ハドリシアはクラクラと目眩を起こしそうな意識をたもって───代わりに、保っていた笑顔はスンと失わせてディミトリウスを見つめた。
「な、なんだ。その顔は」
「いえ…、ディミトリウスがまさかそんな勘違いをするとは思ってなくて…」
「か、勘違い?」
「ええ、勘違いよ。貴方を取られそうだから嫉妬?だからいじめをした??有り得ないわよ、私はナノラさんと挨拶する程度しか会ってないもの。そもそも、いじめなんてする意味がないわ」
「あるに決まってるだろ!?お前は私に惚れ込んでいるから、ナノラを───」
「そ!れ!が!勘違い!て言うのよ、二股男!」
「ふた…!?」
「二股でしょ?ここで否定してみなさい、ますます心象悪くするわよ」
そう言って、ハドリシアは周囲を見渡したのでディミトリウスもつられて周囲に気をやると、ここで漸く自分が何処で何をしているのか、どうして多くの注目を集めているのかに気付いて顔を真っ青にそめた。
ヒソヒソと人混みの束から、囁き合う声が聞こえてくる。何を話しているのかは流石に聞こえないが、気配からしていいモノで無いことは確かだ。時おり、笑い声も混じっているのが影響しているだろう、これにディミトリウスは拳を握り締め逃げたい衝動に駆られたが背を向けて逃げるのは、ディミトリウスのプライドが許さない。ので、見苦しくものたまうことを選んだ。
「な、な、何故教えなかった!!さては、お前の張った罠だな!?俺をここに誘き寄せて笑いものにしたあげく、自分の優位に持っていくつもりだろ!!何て性格の悪い女だっ、さっさと皆に俺の美徳を話し誤解を解いた上で土下座して謝れぇぇぇ!!あーやーまーれー!!!」
「───……、いい加減にしてよ…」
(マジで疲れる…。あ、つい言葉遣いが悪くなっちゃったわ……でも、本当にマジで疲れる…)
幼心の様に片足で地面をダンダン!と踏み鳴らし、人差し指をハドリシアに突きつけながら喚くディミトリウスは、実に滑稽だ。さて、どう切り抜けようと頭を抱えたその時のだ───、訪れてしまった第二波。
「ディミトリウス様!?」
そう叫んで、人混みが割れる様に避けた先に1人の女性が立っていた。
質素なワンピース、形は古いが綺麗に洗濯されたエプロンを身につけた女性は件の相手であるナノラだった。焦げ茶の髪を一括りに纏め、驚きで見開かれた瞳は明るい緑色。化粧っ気は無いが美しい素材を持っている、磨いてやって着飾ってやればそこいらの令嬢達よりも輝きそうだ。
(あーもぅ……嫌になる。私、これ迄の人生で何か悪い事でもしたかしら?)
げんなりする気持ちを胸に、頭を更に抱えるハドリシアを尻目にディミトリウスはナノラへの駆け寄っていく。
「ナノラ!ここに居るってことは、お昼休憩かな?それとも僕を探しにきてくれたのかい?何ていじらしい!」
「い、いえ……確かに探しに来ましたがそれは───」
「やっぱり!僕の推測通りなんて、君と僕は以心伝心、運命に引き寄せられた者同士なんだね!」
気持ち悪い位に顔を破顔させ、ナノラの細く働き続きで皮膚が厚くなった手を握りると、ディミトリウスは大袈裟な程の表現で語りだす。
お気づきだろうが、ディミトリウスの一人称が『俺』から『僕』に変わっている、つまり彼はハドリシアとナノラの前では性格や話し方を変えている。人間、誰もが環境や人によって話し方や態度、性格も変わりはするが、ディミトリウスの場合はただの不誠実から来る変貌でしかない。
ドン引きしていると、ディミトリウスがナノラの肩を抱いて─強引に引きずってるように見えた─ハドリシアの前へと戻ってきた。
ナノラはハドリシアの姿を見て、緑色の瞳を見開くとペコリと頭を下げた。そんな姿を見て、ハドリシアは自分の抱いているナノラのイメージとの食い違いを感じ首を下げる。もしかして、自分も何か勘違いをしていたのでは?
そう思っていた矢先、その思考はクソガキ───否、ディミトリウスによって停止させられた。
「ハドリシア!さっきは謝れと言ったが、丁度よくナノラが来てくれたからチャラにしてやろう!ここでお前を断罪し、ナノラとの仲を公言することにした!」
「え!?」
「…はあ」
上から、ディミトリウス。ナノラ。ハドリシア。の順、反応からしてもナノラにとってディミトリウスの行動は驚きを隠せない様だ。
もしナノラの性格がハドリシアのイメージ通りの『同性が嫌う女』だったら、ああは反応しない。
となると───?
「まずは断罪からだ!ナノラ、ここに居る皆に話してやれ。君が日頃からどんないじめをハドリシアから受けているかを」
「いじめ…ですか?」
「そう!昨日も、商会にある倉庫で片付けをしていただろ?可哀想に、君のような可憐な女性が片付けするなんてあってはならない!しかも、その前には商会の裏───誰も見たいような場所の掃除をさせられていた、たいして目立ちもせず汚れていても支障ない場所の掃除なんて無駄でしかない、そんな所の掃除をさせるなんてっ───、ハドリシアはなんて意地悪で陰湿な女だ!!」
(ナノラさんに話させず、自分で話したわね…。て言うか、ナノラさんのしている事は全て業務なのでは?)
言葉も出来ない程のディミトリウスの証言に、ハドリシアはイライラしつつも相手の出方を観察する。
ナノラは目を点にさせてディミトリウスを見上げている、のをディミトリウスは気付くことなく更にベラベラと話す。
「その前には!冬なのに店の前の雪掻きをさせられていたり、立て看板を運んでいたり…あんな重そうな物を彼女に運ばせるなんて残虐非道!僕は見ていられずだが彼女の気持ちを思い
その場を離れる事しか出来なかった…!!」
「ざっっけんじゃないわよ、クソガキ男!!!」
パッバギッ─!
ハドリシアの乱暴な口調がしたかと思うと、彼女の骨の細い拳がディミトリウスの左の頬骨にクリーンヒット、骨が細い為に拳に出来る小高い山は尖っているのでそれで力いっぱい殴られればかなり痛い。
女性の力だが、油断して緩りまくりの男を吹き飛ばすのには充分だった。殴られたディミトリウスは背中から倒れはしなかったが、尻餅を付いて呆然をしていた。
周囲の者達は、最初は驚いて固まり殴られたディミトリウスと殴ったハドリシアを見比べ、状況を理解してから彼女を賞賛する様に拍手をした。
傍に居たナノラは、口元を両手で覆っていたがその目元は緩んでいる。
──やはりな、とハドリシアは納得した。
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解説を1つ
上記の『パッ』と言うのは、ハドリシアの拳がディミトリウスの頬骨に当たった音を『バギッ』と言うのは、骨が当たり殴り飛ばした音を表現している。
文章で殴る音を表現するのは難しいねぇ…
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「ふう…。さっきから大人しく聞いてれば、不愉快なのよ!!勘違い頭緩クソガキ男!!『その場を離れる事しか出来なかった』?手伝えよ!!!あと、ナノラさんがやっていたのは全部業務上で普通の事よ!何?この世界はシンデレラの世界とでも思ってたの?現実を見なさい、現実を学べ!!」
伯爵令嬢あるまじき言葉遣いに、ドスの聞いた声。まさに鬼の形相と言わんばかりのハドリシアに、離れた距離にいる彼女の友人達は「きゃ~!ハドリシア、素敵よ~」と黄色い声援を送っている。
銀色の髪に骨が細くスリムなハドリシアは、一見すると力のない令嬢中の令嬢の様に見えるがその実、男前な女性なのだ。逞しい性格と言うのも非常識な相手にも立ち向かえ、間違っている事は(我慢出来なくなったら)間違っているとハッキリと言えるからだ。そんな彼女なので、ハドリシアに集まる人は皆がハドリシアの人柄に惚れ、ハドリシアが困れば惜しみなく助けてくれるだろう。
殴られたディミトリウスは、ジンジンと痛む頬を抑えながらワナワナと震えるハドリシアを見上げる。
「お、お、お、おまっ!?ぼぼほ、ぼく…俺を殴っ…!!?おん、女のくせにっこんな事していいと思ってんのか!?婚約者でもあるんだぞっ!」
「ええ、そうね?普通なら殴ったら負けよ、でもね時には負けると分かってても殴らなきゃならない時があるよ───それが!今!この時よ!貴方みたいな男はね、理解させれなくても殴っておかなきゃならんのよ!」
「どう言う事だ!暴力くそ女っ、さては日常的に暴力をしてるんだな!?ナノラも知らない所でお前の───」
「殴られてません……殴られてませんよ、ディミトリウス様」
「……ぇ?」
冷静な声でディミトリウスの言葉を否定したナノラは、否定されて間の抜けた声を零すディミトリウスを無視してハドリシアの傍によると、伯爵令嬢であるハドリシアにむかいカーテシーをしてから深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、ハドリシアお嬢様」
「いやね、同じ年頃なのだしお嬢様なんて止めて。それより、ナノラさん……貴女」
「はい、ディミトリウス様は勘違いしております。私はハドリシア様からいじめを受けた事は『一切』ありません。確かに挨拶しか交わせておりませんが、私とハドリシア様の立場を思えば自然な事です」
「やっぱり…貴女は常識的な方ね。私ったら、最初にお会いした時の印象とディミトリウスのイラつく物言いから、ずっと貴女を避けてしまっていたわ。人間、見た目じゃないと理解しているつもりだったけど…」
「私は、誰が見ても男好きする容姿をしているようなんで勘違いされるのは、仕方ありません。時には身に覚え無いのに、『ビッチ』だの『アバズレ』だの『股がゆ───、ごほん。兎に角、勘違いされやすい見た目なので、ハドリシア様がそう印象を抱くのは普通です」
と苦笑いを浮かべるナノラ…途中、咳払いで誤魔化した所があったが深く追求しないでおこう。
ハドリシアはナノラの両手を優しく握ると、目尻と眉尻を下げて頭を下げた。
「勘違いをしていて、ごめんなさい……ナノラって呼んでいいかしら」
「ハドリシア様…!ぜひ、お願いします。私ずっとハドリシア様に憧れてたんです」
「ええ!?やだ、こんな女らしくない私よ?」
「ふふ、そこが魅力的なんです」
見目麗しい女性2人が手を取り合って微笑み合う光景を誰もが微笑ましく見ている─遠くから、「あ~ん、ハドリシア~」とか「私達のハドリシアよ!」と言う声が聞こえはしたが─と、そこに水を差すのは無視されたディミトリウス。
ディミトリウスは立ち上がり、服のホコリを払いもせずに2人への歩みを進めるとナノラの肩を掴もうと───したが、間一髪でハドリシアが彼に気付きナノラを自分の方へ引き寄せディミトリウスの手から遠ざけた。
ハドリシアによって避けられ、ディミトリウスは口汚く舌打ちをする。
「一体どうなってやがっんだ!!ナノラァァ、俺を騙したのか!?騙してたんだな、ハドリシアにいじめられ暴力を受けたと!!俺を誘惑しておきながら、なぁんてはしたない女だっ!!」
「騙してなどいません、先程申し上げた通りにそれはディミトリウス様の勘違いです」
「なら何故俺を探しにきた!?惚れてて離れているのが寂しいからだろ!」
「違います。旦那様───ディミトリウス様のお父君から探して呼んでくるよう言われたんです」
「父上が?理由はなんだ!」
「知りません、一介の従業員が深入りする事ではありませんから」
「使えねぇ女だな!俺が可愛がってやっているのに」
「ディミトリウス。口には気をつけなさい、もう1発お見舞いするわよ?」
「ヒッ…」
パキパキと指の関節を鳴らして拳を握るハドリシアに、ディミトリウスはなっっさけなく引き攣った悲鳴をこぼす。
「ふん。ディミトリウスのお父様…、レイオスさんの用件は予想つくわ」
「なっ。どう言う事だっ!?」
「さっきから質問ばっかりね、貴方。まあ、いいわ───レイオスさんが貴方を呼んでいるのは……貴方と私の『婚約破棄』についてよ♪」
ナノラから手を話すと、胸の前で両手を合わせてハドリシアは満面の笑みを浮かべてサラッと言った。
『婚約破棄』即ち───婚約を取り止め。
ディミトリウスとハドリシアの場合、両名の同意では無いので成り立つ『婚約解消』ではなく、一方から申し出たので『婚約破棄』となる。
満面の笑みで婚約破棄を言い渡されたディミトリウスは、ストーンと表情を消したと思うと顔を青ざめ震える声で話し出す。
「こ、こん…やく、はき…?何を、言って……は、はどりしあ…?」
「婚約、破棄っっ!です。心当たりはおおいにあるでしょう?まあ、貴方の場合気づいても無さそうだけど……そんな貴方に付き合うのも振り回されるのも疲れたの、懲り懲りなの。10歳から今日までの8年間、青春をあなたに使ったと思うと婚約破棄だけじゃ物足りないくらいよ」
「物足りない…?いや、一体何の話を……と言うか俺は知らんぞ!?何勝手に話を進めてんだ、傲慢女っ!」
「傲慢は貴方よ。…今日の午前の9時に話し合いをするから来るように、と。レイオスさんから伝えられてる筈よ?それを無視して、約束の時間に訪れなかった自分が悪いのよ。その場に来ていれば、如何様にも話し合いが出来たのに───……自分の普段からの不真面目さを呪いなさい」
「なっ、なっ……」
ディミトリウスの脳裏に、数日前から今日の日の事を何度も伝えられていた───気がする。どうせ難しい業務の話や、仕事のやり方、ハドリシアへの接し方に対する説教を設ける気だろうと思って無視していた───、それがこんな大事な話だったなんて。
「っ───、お、俺は悪くないっ!わかりやすく言っておかない、父上がっ」
「無理よ。婚約破棄の話だなんて、レイオスさんだって当日に知ったのよ?そもそも早くから婚約破棄の話だと知ってれば、早々に貴方を引き連れて話し合いの場を設けていたはずよ」
「くっ…。な、なら前もって伝えて無かったお前ら伯爵家が悪い!!」
「あら…?伯爵家を敵に回す宣告と受け取っていいのかしら」
「何でそうなる!?お前らに非があると教えてやったんだぞ!」
「いらぬお節介です。それにレイオスさんには、前もって『ご子息にも関わる大事なお話があります』と伝えてあるわ」
「そんな曖昧な言い方でわかる訳がっ」
「いい加減にして!何故、私達がそこまでしてあげなきゃならないの?そもそもその場に居なかった貴方に口出しされる意味がないわよ」
いちいち食って掛かり噛み付くディミトリウスを、そのつどザッパリと切り捨て言い返すハドリシア。
自分の不真面目さによって、回避出来た─可能性は極限に低いが─かもしれない婚約破棄を受け入れたくないディミトリウスは、必死にハドリシアより有利に立とうとするが必死になればなる程、ディミトリウスの滑稽さと見苦しさが強調されるだけだった。
そして遂に話題が尽きたディミトリウスは、ならばとある事を言い出した。
「な、なら!婚約破棄をするなら慰謝料を払え!お前の一方的な婚約破棄なんだ、そっちに非があるのだから払うのは義務だろ?婚約破棄に関する話し合いの場から除け者にされている俺は───、そう!被害者だ!」
見世物にされ─自分が悪い─、恥をかかされ─自分が悪い─、婚約破棄の場に言わせて貰え無かった─自分が以下略─のだ。
哀れな男である自分には、相応の金銭を支払われてもいいだろう!?と言う魂胆で、ディミトリウスは鼻を膨らませながら言った。
そんな彼の表情が面白かったのか、それともディミトリウスの馬鹿さ加減に1周回って笑いが込み上げたか、それとも両方か───ハドリシアは腹を抱えて笑いだした。
「ぷっ───、あっはははは!」
「な、何がおかしい!?」
「ふふっ、ふはっ…ごめんなさい。まさか、予想していた通りの事を言うものだから、遂に笑いがでちゃったわ。確かに、正当な理由なく婚約を破棄した相手に対してになら、損害賠償を請求する事ができるわ。でも、請求できるのは貴方じゃなく私。請求でる権利は私にあるわ、理由は簡単───8年にも及ぶ精神的損害、著しく社会常識に反した言動……充分に慰謝料を請求するに値する条件よ」
「俺が、いつそんな事をっ」
「それに関しての資料は、レイオスさんに渡してあるから帰宅したら確認してちょうだい。その日の日時や天気、気温から服装まで───詳細にね?勿論、貴方の言動や行動も全て記してあるから」
「すべっ…!?き、気持ちの悪い女だっ!!」
「はん!女と言うのは恐ろしい生き物よ、生半可な気持ちで対応すると痛い目にあうわよ…今の貴方のようにね?そうそう、婚約披露パーティーにかかった費用も、全・額!請求できるから宜しくね♡」
「───なっ」
婚約披露パーティーと言えば、8年前にひらかれた盛大なパーティーだ。贅沢の限り───なんてしてないが、結構な費用を費やしたはずだ……それを全額?
ディミトリウスは今になって漸く、事の重大性と己の浅はかさを痛感し始めた。
最初はただ───、爵位があり美しく心の強い彼女のマウントを取りたくて、彼女の関心を引きたくて色々と我儘や傲慢な態度で接し、いづれは己の妻になる女で伯爵家の権力も自分のものになると信じ、所有物のように扱ってきた当然と思っていた。
それに対して、両親や周囲の人間達に幾度なく注意を受けたり窘められてきたが、何が悪いのかがいまいち理解出来ず───ここまで来た。
己を省みることなく、ハドリシアと向き合うこともせず───窘めてくれる者達の声を聞かず……そのツケが今、ドンとのしかかって来た。そう思った途端、ディミトリウスの肩は重くなり立っていることが出来ず、その場に膝をついた。
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ディミトリウスの様子を見て、ハドリシアはフゥと溜息を吐いた。
やっと現状───現実を見れたようね、と。ディミトリウスは、ハドリシアの溜息を聞いてビクリと肩を震わすとノロノロとした動作で顔を上げた。その表情は、今まであった謎の自信と傲慢さはなくなり、数秒で老け込んだ様に力が無かった。
ディミトリウスはのったりと、まるで泥が乗っている様な速度で腕を上げるとハドリシアへと伸ばした。
「は、はど…はどりしあ……。ごめ、ごめん…俺が悪かった……もっと謝るから……こんやく、はきを……てっかい…」
「8年たって、初めて謝ってくれたわね。でも、お断りよ!ずっと、貴方の我儘を聞いてきたわよね?もう充分でしょう、これ以上何かを望まれても───不愉快だわ」
“不愉快だわ”
その一言を発した時のハドリシアの瞳は凍てつく程に冷えきっていて、その眼差しを受けたディミトリウスは「ヒュッ」と息を飲んだ。
どうにもならない、撤回も逃げも出来ない状況に発狂しそうなディミトリウスは次に縋り付く相手を探して、血走った目でギョロギョロと辺りを見回してナノラを視界にいれると、穏やかに微笑んで──だが引き攣っているので、その微笑みは穏やかから程遠いものだった──ナノラに手を伸ばす。
「な、なのら…!きみはぼくを…あいしてるだろ?…あんなに、助けてやってたんだ…」
「助けて…?単なる声がけを助けと言うのなら、お門違いです。行動でディミトリウス様から助けられた事はありません、それに───私、寿退職するんです。なので貴方を愛する意味はありません」
「……え”」
「私、幼馴染の彼がいるんです。ずっと結婚の約束をしてて───それが、先日に漸くその約束を果たせると彼からプロポーズをうけたんです。旦那様にはすでにお伝えし、退職の許可を貰っています。一応、次の方を雇うまでの繋ぎとして働きますが───、最低でも来月にはいなくなります」
「───」
ナノラは無表情で、一切の温度ものせないままディミトリウスに言い切った。ここでハドリシアは気付いた、職場ではディミトリウスに笑みを見せていたナノラが、ここでは1度も笑っていない事に。
今振り返れば、あれは職場での笑顔はただの営業スマイルだ。張り付いた、でも愛嬌のある相手に好印象を与える笑顔……あの笑顔が、ディミトリウスを付け上がるせ勘違いをさせたのだろうが、ナノラには何の非もない。営業スマイルなど、生きていれば人間誰もが持つ表情だ。
まあ、ディミトリウスの場合は営業スマイルなど作れないだろう───そう思うと、彼は素直な男だったのだろう。が。
「ディミトリウス」
コツコツとハドリシアがディミトリウスに近寄り、前屈みになって彼の顔を覗き込む。それにディミトリウスは僅かな期待を持って表情を緩ませたが、ハドリシアが発した言葉は当然ディミトリウスの求めるものでは無かった。
「人は勘違いをするものよ、私もそう」
「でも、その勘違い全てに悪意がある訳じゃない…」
「私のした勘違いを、ナノラは許してくれた…嬉しかったわ。私もまだまだね」
「でもね?ディミトリウス」
「あなたの勘違いは別───」
「勘違い男なお前は許さない」
「8年の間……貴方から受けた痛みや、屈辱───自意識過剰から来る勘違いによる暴力」
「徹底して貴方に返してあげるわ」
「あ、御家族や商会、従業員の皆に関しては心配しないで!」
「償うのは貴方1人で私はスッキリできるから」
そう言い残し、ハドリシアは最後に笑みをディミトリウスに向け背を向け、ナノラと友人達を連れて去っていった。
後に残されたのは、天を見上げる動かないディミトリウスと野次馬となって集まってる人間達のみ。
この後、商会に戻ったナノラの報告によってディミトリウスは家に連れ戻され───その後の話は、プラーレンツ家とブライド家の間で進められ、ディミトリウスがどうなったかは知られてない。
ただ、プラーレンツ商会の周囲でディミトリウスを見ることは無くなり、代わりに彼の弟の姿をよく見るようになった。
END
お読み下さり、ありがとうございます。
ディミトリウス、嫌な男ですよね(笑)
毒(と書いて作者と読む)も書いているあいだ、ずっと嫌悪感でいっぱいでした。
自ら生み出した、わが子同然であるキャラクターに抱くのにあるまじき感情ですが、親である毒かそう思える位には輝いてるんじゃないかな?と思ってます、クズ男して!
今作は婚約破棄モノで初の慰謝料を絡めてみました。
ネットで調べたり、まとめサイト等で得た知識なので薄い上に曖昧な説明となっていますが、ちょっとでもストーリーを彩られていたら良いなぁと思います。
詳しく調べてから話に絡めればいいのでしようが、調べてた事ある人ならわかる筈───、専門用語や難しい話が多く途中で読むのがつらくなりました( ̄▽ ̄;)
全然読めた方、理解出来た方がおりましたら───私の頭の悪さを温い眼差しで見ていいので許して貰えたら嬉しいです…。
さて。
ハドリシアですが婚約破棄した後、ディミトリウスの弟と婚約を結び直し無事に結婚しました。
後出しのように新キャラを出してしまったことをお詫び申し上げます(汗)
本来、小説とは土台等を作ってから書くべきなのでしょうが、毒はそれが極度に苦手でそのやり方でやろうとすると、寧ろパニックになってしまうので最初の出だしを決めてから、後はキャラクター達の動きに任せています。
そうすると、毒でも知りえなかった人物像や家族構成が見えてきて書いてる時に驚く事が度々あります。
それがディミトリウスの弟、またハドリシアには兄がいるのでブライド家は兄が継ぐので、ハドリシアはプラーレンツ家に嫁入りしました。
本当は、ディミトリウスがブライド家に婿入りしディミトリウス弟が跡を継いぐ予定でしたが、ディミトリウスがあんな事になったのと、ディミトリウス弟との婚約の仕切り直しになったことでハドリシアとの話し合いの末、ハドリシアが嫁入りするかたちでおさまりました。
実際問題、そんなの有り得んの?もっと勉強したら?と思われるでしょうが、おおめに見ていただけたら幸いです。次は自分の頭にあったレベルで書いてゆきます( ^_^ ;)
そしてナノラ!
ナノラは当初、今までの作品同様に脳内お花畑な女になる予定でしたが、毒の思惑とは反対に常識的な女性として産まれました。
幼馴染の彼と幸せになって欲しいですね(*´∇`*)
また、裏設定と言いますがハドリシアのその後なのですが、これも当初と展開が違いました。
当初は、婚約破棄してフリーになったハドリシアにナノラが「私の従兄とどうですか?」と話を持ちかけました。
じつは、ナノラの親───父親の実家は王家の分家と言うの身分高い家がらで、ナノラの母親と駆け落ち同然に飛び出し、後にナノラが産まれました。
やはり事が事なので揉めにもめましたが、何とか和解を成立させ(ここ、ご都合展開で申し訳ない)ナノラ父の実家は弟が継ぎました、ナノラが勧めた従兄とはその息子です。性格も体格も、ディミトリウスとは間逆な男性でハドリシアが彼と婚約すれば、従兄はハドリシアにメロメロになり、一途に彼女を愛してくれたでしょう。
ハドリシアの未来は、ディミトリウスさえいなければ幸せ確定です。きっと前世で徳を積んだのでしょうね…( ˇωˇ )
最後にディミトリウスですが───、彼のことはおおく語りません。と言うか語れません、毒でもディミトリウスのその後は見えません。
まあ…生きてはいるでしょうね( ^_^ ;)
さて、ここまで本編及び長文の後書きを読んで下さりありがとうございます。
読者の皆さんには本当に頭が上がりません、オリジナル小説を投稿するようになってから沢山の方にフォローして貰えいいねも貰えたり、お気に入り登録もして貰えたりと支部に投稿して良かったと思える日々を過ごせるのも、読んで下さる皆さんのおかげです。
これ以上、長引かせるのも良くないのでここで終わらせて頂きます。
また次の作品でお会い致しましょう!
ありがとうございました!