少年の目覚め
そこは暖かい空間だった。穏やかで、柔らかくて、優しい。少年は微睡みながら、その時を待っている。時折外から聞こえてくる誰かの歌声は、少年に聴かせるためのもののようだ。感覚的に少年は、ここが死後の世界だと思った。だとすればなんて幸せな世界なのだろう。
「愛しい私の子…早く会いたい。」
誰かの声が聞こえるが、これが世にいう神の声だろうか。
「私は貴方を愛するから、健やかに生まれてきてね。」
誰かが”壁”を撫でた気がする。誰か分からないが、決して不快ではないものである。
(僕は…求められているの?)
今までの人生で、求められる経験は少なかった。親とは幼少期に別れ、同じ奴隷の少年たちとともに来る日も来る日も仕事をさせられた。栄養失調で弱ると、同じく折檻のせいで上手く動けなくなった仲間と共にショーに出させられた。そのショーには、同じように貴族に使い捨てにされた奴隷が集まっていた。平民の家にも奴隷は仕えているが、平民は奴隷を簡単に捨てられるほど余裕がない。しかし貴族の場合は違う。その日の気分で貴族に殺されることだって少なくないのだ。
(僕を求めてくれているんだ…嬉しい。嬉しい…早く会いたい。)
こんな自分にも、優しくしてくれる人がいるのだとすれば、その人のためになんだってやろうと思える。それほどに愛情に飢えていた少年は、何んとかその場所から出ようと暴れだした。
「い…痛いっ!」
「エメ様!陣痛が始まりましたか?誰か、医者を!」
暴れれば暴れるほど周囲が騒がしくなる。しかし少年は外に出ようと必死で、そんなことには気づかない。ひとしきり暴れ続け、何時間も経ち、疲れ果てた頃に、思いもよらずすぽんと外に出された。”産婆の手によって”。
「おぎゃあーっ!おぎゃあーっ!」
「なんと目出度い。男の子ですよ。」
「エメ様、男の子です。エメ様に似ている男の子です。」
「オーブ、まだ赤ん坊でしわくちゃよ…。でもほんと…似ている気がするわ…。」
感覚が明確になり、先ほどいた場所よりも強く他人の気配を感じる。未だに周囲は見渡せないが、先ほどまでいた場所と異なることは少年も…いや、赤ん坊でも分かった。
「無事に生まれたか。」
「旦那様!」
「美しい男の子です。」
また新たな存在が来たらしい。俄かに騒がしくなり、大勢の人に囲まれている気がする。
(誰?誰?あなたたちは…。)
先ほどまで感じていた安心感はどこへ行ったのか、恐怖が勝り、身体を精一杯動かして暴れた。
「元気な子ですね。」
「男の子は元気なほうがいいだろう。」
「名前は何にされますか?」
「…今日この日に生まれたんだ。リュシアという名前はどうだ?」
「リュシア…素敵な名前…。」
この時、まだ少年は、自分の第二の人生が始まったことを知らずにいた。そしてその人生が数奇なものになることも…。