最終話「そして日常へと」
火災現場を後にして、地蔵の待つアパートへと急いで雅人は戻った。
「おい、コラ! 地蔵!」
だが、部屋に地蔵の姿が見えない。
決して広くない間取りの部屋だ。トイレと風呂場のドアを同時に開いてみたが、姿はどこにも見当たらない。まさかとは思ったが、クローゼットの中も確認した。もちろんいなかった。
「ったく、どこ行きやがったんだっ!」
弱った体であれだけの《力》を使っておきながら。
雅人は再度、アパートを飛び出た、何だか今日は出たり入ったりばかりだと軽く舌打ちをして。
「おい! 地蔵!」
名を呼びながらアパートの周囲をぐるりと回る。その近くの周辺も探し歩いた。
地蔵なんかの行くあてなど知らない。思えば、毎日雅人が会社へ出勤した後、地蔵はどこで一体何をしていたのか。ワイドショーでも見ながら団子でも食べているのだろうぐらいにしか思っていなかった。地蔵のことなど何も知らない。
────名前も、知らない。
最初に出会った時に地蔵は確かに名乗ったはずなのだが、それを聞かずして雅人は逃げてしまっている。
本当に何一つ知らないことに雅人はようやく気づき、何だか情けなくも思えてきた。
(ほんと、俺っていつも何も考えずに生きてるんだな。こんなんじゃあ、罰が当たっても仕方ないよな……)
だが、自分を責めたり卑下して落ち込むような雅人ではなかった。反省したならば、とっとと先へ向かう。後ろばかり向いていても何も始まりはしない。
雅人はもう一度、よく注意をしながら周りを必死に探し回る。息がゼェゼェと上がってくる。
(そうだ……)
あの日、雅人が酔っていた日。地蔵の『本体』がある場所──あの場所は、確かアパートへは少し遠回りになる裏道だったはずだ。
雅人は、その場へと駆け足で向かった。
◇
息を切らしながら辿り着いた、その場所。
目に飛び込んできたのは──
「……直ってる……?」
あの日、雅人が折ってしまった地蔵の首元は、胴体としっかりくっつき、元通りの姿に戻っていた。
「……なんだよ、そうゆうことかよ」
散々と探し回ったというのに、これだ。怒りを感じるよりも気が抜けて全身が脱力した。膝に両手をつき、切らした息を整える。そして『地蔵』に近づくと、その前へと地べたに座り込んだ。
「なに、あんた。地蔵のくせして挨拶もなしに急に勝手にいなくなんのかよ? 礼儀ってもの知らないのか? ……ったく、人の気も知らねぇで……ほんっと、身勝手だよなっ」
一つ二つと、文句を垂れていく。
「じゃあ、あの俺の善行とやらは……もう認めてくれたってワケなんだ?」
いくら問いかけようにも、地蔵からはもう何も返事は返ってこない。──しばし、無言の相手の前で沈黙した後、雅人は地蔵の丸い頭に手をやり、
「俺、ちぃーっとはあんたのこと、悪くねぇなと思ってたところなんだぞっ?」
意地の悪い口調で。けれど、とても優しい目をして言った。
──パキッ
手に持っていたペットボトルの蓋を開け、地蔵の頭に水掛けをする。
「ほらよ、熱出してたんだからあんま無理すんなよ」
雅人はゆっくりと腰を持ち上げ立ち上がると、地蔵に向かって最後の挨拶をした。
「じゃあな、お地蔵さま」
ゆっくりと背中を向ける。
あんたが作った団子汁、不味くはなかったぞ。と、嫌味を一つを置き残して。
日が沈み、辺りは薄暗くなろうとしていた。初夏の心地良く吹く夜風を頬に感じながら、雅人は元の日常の世界へと戻っていく──。
ふと、
気づけばそこにいる。
そんなちっぽけな存在のお地蔵さまだけれど。
いつだって、そっと。
みんなのしあわせを見守り続けている。
────良いか、一日一善じゃ。その心を忘れるでないぞ。
そう、背後で聞こえた気がした。
────はいはい、わかってますよ。
その声を雅人は、しかと受け止め胸に刻み込んだ。
<完>
最後まで読んでいただきありがとうございました!
この後、書くかどうするか大いに迷った、おまけ話が一つあります。あともう少しだけ、よろしければお付き合い下さい。