第七話「命懸け」
アパートを飛び出したものの雅人は、
(コンビニか? それともドラッグストアへ行くべきか?)
とりあえず住宅街を通り抜けて、ドラッグストアもある広い道路へと出ることにした。
その途中、何やら騒がしそうな人の声が聞こえてきた。気になって脇道へと入ると、人々が一カ所に集まっている。見れば付近の建物から煙らしきものが出ているのが見えた。
(火事か?)
すると、人だかりの中に村田の姿を発見する。雅人はすぐさま駆け寄った。
「村田!」
「おう、宮地」
村田が雅人に気づいて振り向く。
「どうした? 火事か?」
と、聞いた矢先。
「あ、宮地先パイ!」
「小池っ? 何やってんだ?」
雅人に小池と呼ばれたのは、あの隣のデスクの新人君である。
「村田先パイが、グッピー産まれたって言うから見せてもらいに来たんですよー。そしたら、これに遭遇ですよー」
と、新人君こと小池君は、緊張感のない口調で煙がモクモクと立ち上っていく建物を指差す。
「火事か?」
再度、村田に確認した。
「あぁ、あの二階建ての一件屋が出火の元みたいだ。隣のアパートまで煙に巻かれてる。燃え移らなきゃいいがな」
とりあえず居合わせていた二人は被害に巻き込まれていた訳ではないと分かると、雅人はホッと息をついた。
「で、なんだ? お前、グッピーが産まれたのか?」
「あぁ、グッピーじゃなくてネオンテトラだがな」
「えっ、グッピーじゃないんスかぁ?」
どうやら小池君はグッピーの赤ちゃんが見たかったようだ。残念がっている。
今、この場にふさわしくない会話を三人はやり取りしながらも、顔は険しい表情で(小池君を除く)どす黒い煙に巻かれた建物をジッと見つめながら立ち尽くす。
「消防は?」
「消防って意外と遅いもんなんスね」
「ちょっと待て」
村田はスマホを手に操作をし始める。
「すぐそこの国道沿いで交通事故か何かがあったみたいだ、通行止めになってる。そのせいで裏道が混雑しているのかもな、消防車が立ち往生してる可能性がある。住民はすでに全員避難済みだと思うが……消火活動が遅れるとまずいな」
村田は冷静かつ的確に状況を把握していく。周囲のあちこちでも、消防はまだなのか。と、声が上がっている。
そこへ──、
「わぁぁぁ」
一人のお年寄りの女性が、泣き喚き出した。
「モモちゃんが、モモちゃんがまだ中におるんよぅ──っ!」
「何やてっ? トメさん、ホンマかっ? そりゃあ、えらいこっちゃっ!」
(ん? トメさん?)
雅人はついさっき聞いたような名前に反応する。
「去年、秀一つぁんから譲ってもろうて、まだ一歳にもなっとらんのよぅ」
「あの白黒の足袋履いたみたいなやつかぁ?」
「オスかぁ? メスかぁ?」
「秀一つぁん、先週入院したんじゃてのぅ」
「そうなんよ、明後日が手術じゃて! あぁぁぁ……モモちゃぁぁぁん」
ご近所のお年寄りたちが集り、話があーだこーだと色々と混ざり合う。トメさんは秀一つぁんとやらの話をしながらも、モモちゃんを嘆き泣き崩れている。
「つまり、生後一歳に満たないモモちゃんという名のペットが家の中に取り残されている──」
村田は秀一つぁんについては申し訳ないと思いつつ、今はモモちゃんについてだけの情報を要約した。
「この場合って、ペットも消防の救助はあるんスよね?」
小池君は心配しながら疑問の顔を浮かべた。
周りでも、モモちゃんは犬か? それとも猫か? 秀一つぁんは手術するの? とにかく消防はまだなのかっ? と、騒ぎ立て始めている。
煙はどんどん大きく広がり家を覆い被り、ついに火の手は二階の窓を突き破った。その勢いは次第に強さを増していく。そこへ、消防よりも一早く駆けつけて来た地元の消防団員たちが消火活動に当たり始めた。雅人は喧騒の中、煙と炎に包まれた建物をジッと睨むように見据えている。
(なにやってんだ。俺は、早くひえピタを買いに行かなきゃいけないんだ。なのに──)
雅人は拳をグッと握りしめると、
「──っしょう!」
ダッ──
「宮地っ?」
村田が声を掛けるより早く、雅人はすでに燃え盛る建て物へと向かって駆け出していた。
「ばっ、よせっ!」
「あっ、バカっ! 先パイっ!」
もはや二人の制止する声など何も聞こえてはいない。雅人は命をかえりみることさえもせず、躊躇なく建物の中へと飛び込んだ。──それは無意識による行動だったという事を、本人は全く自覚さえしていなかった。
周囲からどよめきが沸く中、村田が唖然と突っ立っていると、
「……消防呼んだら、救急車もセットでついて来るんスよね?」
セットなどとふざけた言い方だが、村田はハッとする。
「いや、オプションのはずだ! お前、たまには役立つこと言うな」
慌ててスマホから119番へ掛けようとした時──、
「やれやれ、雅人の暴れ馬め。わしの忠告を無視して無茶をしおって……」
村田は自分の横に何か気配があるのを感じた。声も姿もハッキリとはしなかったが。確かに何かを。
(……お地蔵さま……?)
なぜか、そんな気がした。
◇
(こっちの建物の方で良かったのか?)
飛び込んでから気づいた雅人だ。
トメさんはご高齢で、しかもペットを飼っているのだから、一件屋の方で間違いないと自分の直感能力を信じるしかない。
だが、建物の中は煙で充満していて視界がほとんど見えない状態だ。それでも火の手はまだ少ないことから、出火の元は二階だったのか。
(助かったー。って、今からが危な過ぎんだろっ)
雅人は口元をハンカチで覆いながら、あぁ俺って何やってんだろう。と、自分で自分を呪う。悲劇のヒーローなんて御免こうむりだ。自分には似合いもしない。なのに──、
(地蔵のせいだっ)
呪いの矛先を自分から地蔵へと向けた。
──雅人!
突然、誰かの声が聞こえた。と言うより、頭の中に響いてきたという方が正しい表現だろう。
「地蔵っ?」
驚き、思わず声を上げて煙を吸ってしまい、ゴホゴホッと咳き込む。
──声を出すでない、馬鹿者。心の中で念じるのじゃ。
そんなことを言われても無茶で無理というものだ。が、雅人は目を閉じて地蔵の言う通りに従ってみる。
(……もしもし、あんたはエスパーか?)
先日の地蔵のあのサイキックな行動を目にしていなければ、この状況を理解するのに時間を要しただろう。
──茶化しておる時間はないぞ。雅人、これはおぬし一人の力では無理じゃ。
(んな事いわれたってなぁ……)
──モモは奥の居間じゃ。わしが遠隔呪法でおぬしに結界を張る。その間に助けよ!
(何すっ……あんたは大人しく寝てやがれってのっ!)
言う間もなく、雅人の周りを囲む空間が時を止めたかのように制止した。煙も炎もそのままの動きをした状態で、静止画のように止まっている。まるで別世界の異空間へでもいるかのような感覚。
だが、そんな摩訶不思議な体験を楽しんでいる場合ではない。これだけの《力》を使うのに一体どれだけの体力と気力が必要なのか。雅人はチッと舌を鳴らし、とにかく一刻も早くモモを助け出す事だけに集中する。
ミャア。と、かすかな鳴き声が聞こえた。
(──いたっ)
居間のテレビ台の裏に身をひそめるように猫が隠れている。
おいで。と言って、手を差し伸べても犬のように腕の中へ飛び込んでくるはずはない。逆に雅人に怯えてテレビ台の裏から出て来ない。引っ張り出そうにも、猫はテレビ台に爪を必死に立ててしがみつく。
こんな緊急事態だ。テレビの線を力任せに引っこ抜き、邪魔なテレビなんぞ後ろへと放り投げてしまう。
ガシャッ──
その音に驚いた猫がテレビ台の裏から飛び出した。その瞬間を雅人は見逃さない。持ち前の反射神経で、床へ滑り込むかのように体を倒して猫を捕まえた。
「よしっ!」
猫はパニックを起こし、ミギャァーと鳴きながら前足をバタつかせ、爪で雅人を引っ掻き回す。
「イテテッ、コラ。落ち着け、もう大丈夫だって。ほら、ご主人さまが待ってんぞ」
雅人は抱きかかえ、急いで玄関の外へと向う。
建物から飛び出ると同時に、放水を思いっきり全身に浴びた雅人だ。モモも一緒にビショ濡れになったが、おかげでそのショックで大人しくなった。どうせなら飛び込むときに浴びておけば良かったと、今さら思っても仕方がない。
外では消防車がようやく到着していた。
「先パイ! 生きてる!」
「……生きてて悪かったな」
周囲の人たちからも、生きてるぞ! 無事だ! と歓声が上がる。これだから嫌なんだよ。と、小恥ずかしくも、トメさんの元へとモモを連れて行く。
「モモちゃぁぁぁんっ!」
「猫やったんかっ!」
「トメさん、良かったなぁ……」
「ほんまにのぅ」
モモはニャァと鳴きながら、飼い主にはガッシリとしがみつく。トメさんは泣きながら喜び、雅人に「ありがとう、ありがとう」と何度も頭を下げながら感謝の言葉を繰り返す。そんなトメさんとモモの感動の対面を見守る間もなく、雅人は村田にその場から引き離された。
「お前、こっちな」
と、サイレンの音を立てて到着しつつある救急車の方へ連行される。
「村田! 俺は大丈夫だ、無傷だ!」
「どこがだ? 引っ掻き傷だらけだろ。煙も吸っているだろ? 念のために病院へ行けっ!」
本気で心配をしてくれているのが分かったが、眼鏡の奥で睨む村田は怖くて苦手だ。雅人は叱られた子供のように体を小さくしながら、
「……煙も何も吸ってません」
「…………」
無言で疑惑の眼差しを村田は向けた。
その一瞬の隙を狙い、村田の腕を振り払って、雅人は走って逃げる!
「悪い! 俺、急いでるから後にしてくれっ!」
後も何もないだろうに。だが、村田は安堵の混じった溜め息を吐く。
(お地蔵さまが守ってくれたとでも言うのか?)
先程の村田が感じたそれは、すでに消えてなくなっていた。隣で呆気に取られている小池君がポツリとつぶやく。
「宮地先パイ、不死身ですね。ハリウッドのアクションスターのあのタンクトップのおじさんみたい」
村田はそれは誰のことか、頭の中で瞬時に思い出してしまっていた。
読んで頂きありがとうございました!
この地蔵、一体何なんだ……?
次、
いよいよ最終話です!