第六話「地蔵とデート」
翌日。
何が悲しくて俺は地蔵とデート(?)をしているのか。
昨夜、地蔵に映画へ連れて行ってやると約束をしたものの、今日になってとても滑稽な事だと気ついた雅人だ。はしゃいでいる地蔵をよそに、しらけた顔で「大人二枚」と言って窓口でチケットを購入する。
「ポップコーンもいるんだろっ?」
決めつけて先に言ったが、「うどんを観るのじゃから、いらん」と、意味不明な返事が返ってきたため、「俺が食うっ!」と言って雅人は自分の分を買った。
今日の雅人は少々不機嫌に苛立っている。正直な性格は態度によく出た。
しかし、先程から地蔵が目立っている。仕方もない、地蔵のこの容貌だ。いつも身に纏っている白の着物のままではさすがにダメだと思い、適当にTシャツにジャケットを羽織らせて、下はジーンズを履かせてみたら……何とも胡散臭いチャラ男みたいになってしまった。
周りの女性たちが、ハーフ? 外人? などと、声をひそめ合っている。ぜひとも、そう思っていて下さい。と、雅人は切に願う。そんな雅人は、チェック柄のシャツ姿だ。とてもよく似合っている。
まだ上映までに時間に余裕があったが、早々と館内へと入場して座席に座って待つ事にした。周りでもポツポツと何名かが座席に座っており、リラックスモードでお喋りを楽しんでいる。
そろそろ上映時間が近づき座席が埋まってきた頃、地蔵が視線を一列斜め後ろの方向に座る一人の若い女性に向けた。女性は友達と楽しそうにお喋に夢中だ。
「なに? 好みの子でも見つけたのか?」
んなワケはないと知りつつ、からかって言う。
「いや……ちと、肩に乗っておる水子の霊を見ていただけじゃ」
「あ?」
ポップコーンを食べていた雅人の手と口が止まる。
「お腹に子もおるようじゃが……水子が悪影響しなければいいがのぅ」
「ちょっ、待て。あんた、除霊? とかしないの? こないだみたいにさ。あの人、それ見過ごしてていいワケ? 本人は当然、気づいてないんだろ?」
畳みかけるように地蔵に問う。
「わしは、慈善事業を行っておるのではないのでのぅ」
「なっ、地蔵が何言ってやがんだよっ!」
思わず大きく声を荒げてしまい、ハッとして口をつぐむ。地蔵はすでにフイッと前方に視線を元に戻している。
「……あんた、ひどい奴だったんだな」
見損なったとばかりに軽蔑の目を向ける。
「おぬしは、地蔵は誰にでも慈悲深く人々を救う存在とでも思っておるのか? わしは反省の色も見せぬ身勝手な人間に対しては、時に無慈悲になる事もあるぞ」
あの女性は過去に何か水子に関わる過ちを犯しているという意味だろうか。
「それにじゃ、人には運命というものがある。それがどんなに過酷で辛く苦しいものであろうとも、与えられた運命は受け入れ、乗り越えて生きていかねばならぬのじゃ」
もうそれ以上、深く突き詰めるつもりはなかったが、雅人はどこか納得のいかない顔をしていた。
やがて場内の照明が落ちて暗くなり、恒例の上映前のやたら長い予告映画が始まる。これを見越して、ようやく座席に着く客たちもチラホラいる。
先程の女性が、何やら慌ただしい様子で立ち上がろうとしている。どうやら追加で飲み物か何かを買いに行こうとしているようだ。今なら上映までに間に合うかな? などと、時々見かけるやり取りの光景である。
雅人は、座席に近づいて来た女性を横目でチラリと見た。
まだお腹は全く出ていなく、妊婦には見えない。本人は自身の体について気づいているのかいないのか。体を冷やしそうなミニスカートの服装に、足元はヒールのある靴だ。まだ上映中ではないので照明も一段階明るい状態ではあるものの、何とも危うそうだな。と、雅人は小さく呆れにも似た溜息をついた。
その、雅人が危惧する事態は的中した──女性が通路の階段を下に降りようとして、足元をよろつかせたのだ。咄嗟に雅人は手を伸ばし、女性を体を支える。
「っぶな……気をつけろよ、妊婦なんだからさぁ」
女性が、「え?」という表情をしてから、雅人はしまった! とばかりに、一瞬固まる。救いを求める気持ちで隣を見れば、地蔵は知らん。とばかりに目を瞑っていた。女性は不審に怯えた顔つきをしている。
「え、えーと……俺、医者なんです!」
雅人は咄嗟に口から出まかせを言った。おかげで二人の間に変な空気が流れた後、女性は雅人に向かって無言でペコリと頭だけ下げると、急いで逃げるように場内を出て行った。
完全に変質者と思われたに違いない。が、今の反応からして身に覚えはあったのかもしれない。
「……席、変わって」
と、通路側の座席に座っている雅人が、地蔵にせめてものお願いをする。再び戻って来る女性から少しでも距離を離しておきたい。
「嫌じゃ」
と、突き放すように地蔵は一言。
だが、すぐに開き直った雅人はポップコーンをむさぼり、真っ暗闇になった場内に女性が戻って来たのにも全く気づかないまま、ひたすらうどんを食べるシーンばかりの映画にあくびをして眠ってしまう。地蔵は、熱心に食い入るように映画鑑賞を楽しんでいた。
上映が終わり、
「今日はじゃあ……うどんでも食って帰るか?」
と、さっきまでずっと眠っていたにもかかわらず、やたら疲れ切った様子で気だるく言う。
「いいや、うどんはもうよい。今日の夕飯は団子汁じゃ」
そう言った地蔵は、うどんは別に好きではなかったのか、単に映画館へ来たかっただけなのか、何せよ満足そうな地蔵の姿に、まぁいいか。と思いながら映画館を後にしたのだった。
◇
何にも楽しかったとは言えない休日を送った翌日の会社。
雅人はいつものように勤労に励んでいた。ここのところ遅刻はなくなり、その点については課長からのお叱りは減っていたが、人間そんなに急に成長できはしないし、簡単に変われるものでもない。やはり、相変わらず不注意なミスをしでかしては繰り返していた。
休憩時間に社内の自販機の前で、どの缶コーヒーにしようかと、大してどれも味に変わりのないような缶コーヒーを選び指をさまよわせながら、ふと。昨日のあの女性のことを頭に浮かべる。
──あの後。
本人次第じゃのぅ。と、地蔵は他人事のように話したのだった。
無事に赤ん坊が産まれるかどうかは、地蔵とて予言はできぬ。と、それはそうかもしれない。しかし水子の霊というのも、それほど害というのはないらしく、逆に見守ってくれる存在でもあるという。もっとも、それはしっかり供養の念があっての話だったが、おそらく心配はいらぬじゃろう。と、気楽にのほほんと言ったのだった。それよりも、「わしはただ、少し案じただけじゃ。それだけじゃというのに……おぬしのあの反応ぶりは、見ていてなかなか面白かったぞ」と、からかわれたのに対して雅人が大きく腹を立てたのは言うまでもない。その後に、「なかなか成長したものじゃのぅ」とつぶやかれた言葉は雅人の耳には入っていなかった。
何はともあれ、彼女とお腹の子の未来に幸あれ──雅人はそう願い、その話は幕を下ろすことにした。
「邪魔だ」
自販機の前でいつまでも立ち尽くす雅人に、村田が後ろから腕を伸ばしてきて自販機のボタンを押す。
「あっ」
ガコンッ
村田が雅人の代わりに勝手にボタンを押して出てきたのは──おしるこ。
「……おまえ、俺の気持ちも知らないでだなぁ……」
「何をそんなに怒ってんだ。お前、おしるこ好きだろう?」
そう言って、さっさと自分の缶コーヒーを買うと、オフィスへと戻って行った。
毎日のようにあん団子などを食わされている雅人は、会社でまであんこなんか見たくも食べたくないっ。と文句を入れつつも、おしるこの缶をよく振って蓋を開けて飲む。
そんな雅人に、今から数時間後──命懸けの大災難に遭遇することを、知る由は全くない。 その前に、デスクへと戻ると、前兆のかのように小さな災難が雅人を待ち受けていた。
新人君が、パソコンの入力データをミスってポチッと押してパーッと消してしまったのだ。雅人もよくやってしまうミスなので、偉そうに責める事もできず、仕方なく一緒に手伝い二人で一からデータ入力をする羽目となった。
◇
「今日も一日一善して参りましたよっ、と」
雅人は玄関を開けるなり、同居人にただいま。の代わりに、ふざけた物言いで帰宅の挨拶をする。──が、いつもなら台所へ立ち、小刻みにリズムカルな音を立てながら夕飯の支度をしているはずの同居人の姿が見えない。
部屋を見渡せば、地蔵は朝と同様にベッドに横たわったままの姿だった。実は今朝はいつもの朝食はなかったのだ。単に寝過ごしているだけだろうと思い、地蔵をわざわざ起こす必要性も見当たらないので、そのまま放って黙ったままアパートを出たのだが……
「どした? 死ぬのか?」
「……縁起でもないことを口にするでない」
地蔵はゆっくりと上半身を起こしながら、雅人をたしなめた。
「なんだ。家事放棄か?」
晩飯はどうする? 俺が作るか。などともはや夫婦の会話を交わしてみせながら、雅人は鞄を置いて、上着をハンガーにかける。
そんな戯言などは相手にせず、地蔵は話し出す。
「この時季、わしはよく熱を出すのじゃ。以前はご近所のトメさんが毎日水掛けをして下さっていたのじゃが、最近では足腰も弱くなったようでの、あまり姿を見なくなってしもうた」
「あぁ、あんた髪の毛ないもんなぁ。直射日光とか辛そうだよなぁ」
「それは関係ない」
キッパリと否定した地蔵の首元には、湿布が貼られていた。見れば少し首元全体が腫れ上がっているようにも見える。
「あんた、ちょっと首見せろ」
「嫌じゃ」
何故か子供のように拒んで布団の中に潜れ込んだ。雅人は「子供かよ!」と、強引に布団をめくると、嫌がる地蔵を押し付け首元に貼られている湿布を引っ剥がしてやる。すると、赤く腫れ上がり何とも痛々しい状態になっていた。
「なんで、こんなになるまで黙ってたんだよっ」
自分が地蔵の首を折ってしまったのが原因なのだが、それは今は棚に上げて、地蔵を叱りつける。
「それ、熱は首の炎症からだっ」
立ち上がった雅人は、財布の入った上着をハンガーから乱暴に引っぱり取り、肩に引っ掛けながら、
「ひえピタでも買ってきてやるから、寝てろよっ、坊主!」
玄関へ向かうとバタンッと大きく音を立ててドアを閉め、アパートを出て行った。
「はて、わしに向かって坊主とは。褒め言葉かのぅ?」
地蔵は、小首を傾げた。
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世にも奇妙なデート……