第四話「世の常」
翌日から雅人は、災難や遭った人たちに次々と出くわす事となる。
ある時は、会社のお昼休みに公園で昼食を取っていると、子供がバドミントンの羽根を木に突きさしてしまっていて泣いているのを見かけた。取ってやろうとして木によじ登ったのはいいものの、足を外して滑り落ち腰を強打。自分がとんだ災難に遭ってしまう。
しかも、一緒に昼食を取っていた新人君が湿布を買いに走ってくれたものの、なぜか買ってきたのは温湿布。冷湿布と温湿布の違いが分からないが、まぁいいやと腰に貼ろうとしていたら、村田が珍しく「貼ってやろうか?」などと優しく言ってきたかと思いきや、バシンッと力いっぱいに叩きつけて貼りつけられ、「ぎゃっ」と、悲鳴を上げたのだった。
地蔵が予言した災難に近い出来事もあった。
取引先と商談をしている最中、相手方のスマホの着信音が鳴り取ろうとしたら、画面真っ暗になり動かなくなったようで「あれっ? あれっ?」と少々パニックに陥ったのだ。
商談中なので後でショップへ持って行くと言われたが、現代社会においてスマホの突然の故障は一大事だ。雅人は開いていたノートパソコンで必死に故障原因を調べ上げた。二人であれやこれやと言い合い操作をしていると、急にスマホが動き出し、パッと表示されたのは……他社とのメールのやり取りの画面。何やら私情交じりの少々気分の良くない感じの文章だった。雅人は慌てて画面から目を反らして平然を装ったが、少し二人の間に微妙な空気が流れながら、商談は続けられる事になった。
ある時は、ここは一つ自らボランティアをいてみようと思い立ち、献血車へと向かった。だが、献血車が人数オーバーで待たされていると、会社へ戻るのがすっかり遅くなり、課長にこっぴどく叱られた。事情を話すと、気持ち悪い物でも見るような顔つきをされた。
……何だか、善行のつもりが世の中の不条理を目の当たりにしているような気がしてならない雅人だった。
だが、今日は会社の帰りの坂道で、主婦が坂道からアボカドを落とし転がしてしまったのを拾って渡すと、お礼の言葉と共にアボカドを一つ貰った。気持ちは大変嬉しいが、少々困る。
帰宅するなり、妻の出迎えのように玄関までやってきた地蔵に、
「ほらよ」
と言って、アボカドを投げ渡した。
地蔵は、それを嬉々として受け取り台所へ向かうと、何やら調理をし始めた。アボカドで一体何を作って食わされるのかと、雅人は少しビクビクする。
しかし、世の中とはこのようなものだったのだろうか。見るともなしに過ごして生きてきたので気づかなかっただけなのか。いや、無関心を装って見ようとしなかったのだ。こうして、人のため世のためにとあくせく動いてみても、不条理や理不尽な形で返ってくるだけではないか。それならば最初から何もしない方が良い。とは、非情か。雅人にしては非常に珍しく、そんなことを物思いにふけった。
「これが世の常というやつでしょうかねぇ、お地蔵さま?」
台所でてきぱきと調理をしている地蔵に、ふざけた口調で敬称を呼んで、問う。
「さあのぅ……」
地蔵は曖昧な返事を返す。
「おぬしは今まで、何を見て、どんな風に生きてきたのじゃ?」
「……」
見事に見透かされていて返す言葉がない。
面白くない顔をしてテーブルに頬杖をつき、ビールのつまみにしている枝豆の皮に吸い付く。──塩っぱい。
「わしに説法を求めること自体、まだまだということじゃ。己で感じ己で覚えて悟れよ」
「……あんたみたいな無責任で好き勝手する地蔵に偉そうに言われたくねぇけどな」
有難い説法に皮肉を返す。
「しかし、そのような事を口にするとは、おぬしも少しは成長したもんじゃのぅ。さすがわしが見込んだ馬じゃ」
「それ褒めてんのけなしてんの? てか、こないだからオレを馬に扱いすんのやめろよなっ」
地蔵はいつもの如く雅人の質問に無視をしたまま話を続ける。
「わしは、長らく世の流れの移り変わりを見守ってきたのじゃが……」
地蔵はどこか遠い目をしながら言った。
「科学の進歩とやらは、おそろしく早いのぅ」
「なんでそこで科学の話になるんだよ! 地蔵が科学語るとかやめろよな!」
「雅人よ、世の常とは移りゆくもの。いろは歌というのにもあるが、『我がよ誰ぞ常ならむ』とは言ったものじゃ。だが『浅き夢見し酔ひもせず』とは、何だか少し淋しく悲しくもあるのぅ。わしは永遠に変わらぬ愛もあるとロマンチックに信じ求めてみたいものじゃ……」
意味ありげに悲哀に満ちた表情で何だかよく分からないことを語る地蔵。過去に何かあったのだろうか。そんなことは聞く気もないが、聞けば歴史が長過ぎて頭が変になるだろう。
「で、さっきのアボカドはどうなったんだ?」
雅人は話をすり替えた。
台所で調理をしていたはずの地蔵が、何も運んで来ないままテーブルに座っているので、どうしたのか尋ねた。
「そろそろ、冷えたかの?」
地蔵はワクワクと楽しそうに冷蔵庫へと向かう。
そして出てきた料理は──アボカド入り白玉団子。
「……」
雅人は微妙な感じに顔をしかめた。
「アボカドってフルーツ? 野菜?」
「知らん。食べたことがないのじゃ。昔はこのような食材も見聞きせなんだからのぅ。時代と共に食事の変化もあったものじゃ。ご近所の奥さんたちがこれを美味しいと話しておったのを聞いての、一度食べてみたかったのじゃ」
「地蔵は井戸端会議に聞き耳立ててんのか。ヒマだな」
「暇ではない。管轄地域の調査報告をせぬばならぬからの。立ち話を聞いて住民の様子を窺うのも仕事の内じゃ」
一体、どこで誰と何の会議をするというのか。地蔵の世界など知りたくもないし、興味もないので、雅人はあえて聞き流した。
アボカド入り白玉団子を恐る恐る口にする。
「どうじゃ?」
「……フツーにアボカドの味だ」
そんな感想を聞かされても、地蔵はアボカドの味を知らないのだから分からない。自身も口に含んでみた地蔵は、不思議そうに首を傾げながらも、じっくりと味わいを楽しんでいた。
「しかし、あんたはいつもどこでどうやって食料を調達してきて料理してんだ?」
よく考えてみればとても大きな問題だった。
「どうやってと言われても、お店に買いに行くのが普通じゃろう。団子の粉などは道端に咲いておったりせぬ」
当然とばかりに言う。
「いやいやいや、あんたの姿は普通の人間には見えないし。あ、あの超能力を使ってるのか?」
「雅人よ、おぬしは少し勘違いしておるの。わしのこの姿は隠し続ける方が《力》を必要とするのじゃ」
見えるのが普通だと、今とてつもない事を地蔵は言った。
「うっわ、俺ってすげー勘違いを……ってんなワケないだろ!」
「そんな訳もある」
地蔵は再び遠い目をしながら、
「雅人よ、嘘をつくのは簡単で、隠し続けることの方が難しいのじゃよ」
今日の地蔵は酔ってでもいるのか。それともしらふで言っているのか。そもそも目の前にいる地蔵自体の存在が非現実的なので、真面目に相手するのも阿呆らしいというものだ。
「という訳じゃ。所持金が尽きたので、食料を買うお金が欲しい」
そう言って、お手を前に出してちょうだいする。
一瞬、「は?」と思ったが、食事を作ってもらい、それを雅人はこうして食べているのだから、食費を渡すのが正しいだろう。地蔵に「所持金って何だ? どこでそんなお金手に入れてんだ?」と聞くと、「お賽銭じゃ」と答えが返ってきた。
雅人は小さくフゥと息を吐きながら、財布を出そうとスーツの上着の内ポケットから財布を取り出そうとして、気づく。
「俺、財布……落としたまんまだ──っ!」
この数日、あまりにも頭の中が慌ただし過ぎて、届け出を出すのをすっかり忘れていた。
「おぬしは、普段どのような生活を送っておるのじゃ?」
地蔵が初めて雅人のことについて興味を示した。
だが、地蔵に投げかけられた質問を、自分がいつもそうされてるように、無視をする。おさいケータイなどと説明するのが面倒臭い。
明日の朝に交番へ届け出しようなどと考えながら、雅人はふと、何か違和感を感じるのに気付く。
……何だか、地蔵が自分の現実世界に馴染んで溶け込もうとしている……?
そんなのは断じてあり得ない。あってはならない。ダメだダメだ、危険だ。危ない危ないっ。
首を左右にブンブンと振る。
「今度は一体何じゃ? どうしたのじゃ?」
「……いや、なんでもない」
心の内を悟られないように顔を背けて無愛想にそう答えると、脱衣場へと向かった。きちんとお風呂に入って、ちゃんと歯も磨いて寝なければ。この非現実的世界に決して引きずり込まれてはいけない。
数十分後、雅人が部屋へと戻ってくると──地蔵は今宵も雅人のベッドでスヤスヤと眠っている。
「だーかーらっ、あんたは勝手に俺の寝床で寝るんじゃねぇーっての! 歯もちゃんと磨けよっ!」
こうして毎晩、地蔵に向かって叫んでから寝るのがお決まりとなってしまっている雅人だ。
(俺は絶対、あんたを認めない)
決め台詞のように心の中でつぶやいた。
読んで頂きありがとうございました!
雅人の数々の善行を一気に短縮……