第二話「七つの善行」
一夜明けた次の日。
都内ビルでオフィスの一角。朝から、どんよりと暗く淀んだ空気が一部のデスクを包み込んでいた。
「どうした、宮地?」
デスクに張り付くように突っ伏したままの雅人に、仕方ないといった感じで村田が話しかける。その重苦しい空気を醸し出しているのは、他ならぬ雅人だった。
隣のデスクで雅人の悪影響を受け、一緒につられて元気を失っている新人社員が、困惑した瞳で村田を見上げる。
当の雅人は机に突っ伏したまま動かず、重たそうに口を開いた。
「……今朝、台所の蛇口ひねった途端に水道管が破裂してさぁ、そこら辺、ビショビショになって……スマホも濡れて故障したっぽくてさぁ。昼休みにショップ持って行くつもりだけど。それよか、財布どっかに落しちまって……! 慌ててさっき会社の電話からクレジット会社に電話して停止させたんだけど……あぁ、スマホあれば電子マネーで朝飯買えるのに、さっきから腹減って腹減って……あ、それから駅で……」
「長い」
と、村田の一蹴。
「つまり、災難だったワケだな」
雅人の苦難の嘆きを漢字二文字にまとめ上げた。何事も無駄を省いてスマートに生きる村田である。
「やっぱ、アレかっ? 昨夜のアレのせいかっ?」
ガバッと立ち上がり、村田にしがみついた。
新人君が意味も分からぬまま、ドキドキハラハラと二人を交互に見る。
「……宮地、落ち着け」
村田は喚く雅人を制止させ、親指を立ててクイッと後方を指した。先程から後ろから、「おーい」と、うるさく呼ぶ声がしている。
「お前を呼んでるぞ」
呼んでいるのは、雅人がハゲ呼ばわりしている例の課長だ。
課長の丸くつるつるした頭が、昨夜の出来事を思い起こされて、雅人は思わず目を眩ませた。
◇
「はぁー……」
やたら長い溜息を吐き出し、肩を落としてフラフラと歩きながら雅人は帰路に着つこうとしていた。
あれから、いつもの様に課長のお叱りを受けていた雅人だったが、机に同化するかの如く動かず、全く持って役に立たない状態となっていた。そんな雅人の様子に、さすがの課長も心配を感じ……ず、呆れて迷惑そうに「もう帰っていいぞ」と、シッシと追い払うかのように定時きっちりに帰宅を命じたのであった。
「なんだよ、あのハゲ課長め……」
自分のせいなのだが、とりあえず課長に悪態をつく。けれど、その声はいつもより弱々しい。それもそのはず、朝から何だか胃に不快感があると思いきや、午後過ぎにはついにキリキリと激しい痛みを伴っていたのだ。正直、課長の帰宅指示は有難いものだった。
「胃薬、あったっけ?」
と、普段は胃薬とは無縁な神経の図太さを持つ雅人だ。アパートに着くなり鞄をぞんざいに放り投げると、薬箱はどこへやったかと探し求めて部屋の中をウロウロ回る。
ちなみに、雅人のアパートは何の感想も湧かないごく普通の賃貸アパートである。部屋の中は想像をしなくても、いかにもデキない男の一人暮らしというイメージの有り様だった。
やっとクローゼットの中から見つけ出した薬箱の中には、やはり胃薬は入っていない。が、いつだったか会社の忘年会か何かの時にもらった、ウコンエキス配合なんたらと記された液体ドリンクを台所の棚から発見する。
「うまいのか?」
よほどこの手の物に縁がないのだろう。効能と不味さを疑うよりも、美味しさを期待する。
パキッ
開栓して口に含むと同時、
「体の具合でも悪いのかのぅ?」
突然、背後から誰かの声がかかった。
ブハ――──ッ
派手に口から吹き出したウコンエキス配合なんたらの液体ドリンクが声の主の顔に派手にぶっかかる。
「な、だ……誰っ?」
当然ながら驚いた顔で問いつつ、足を一歩二歩と後退させていく。
「わしか? わしは古くよりこの地に宿り司る地の主、地蔵。その名は――……」
返答を聞かずして、雅人の姿はすでにドアの向こうへと消えていた。
◇
雅人より少し遅れで会社を出た村田は、きっちりとやるべき業務を終えて、帰宅しようと住宅街をのんびりと散歩の気分で歩いていた。
──ダダダダダッ
何やら背後から物凄い地響きがしてくる。
「村田ぁぁぁ─―っ」
地を裂くような叫び声で走り寄って来たのは雅人だった。
「宮地?」
「助けてくれっ! 変な人がっ変な人がっ、俺の部屋に─―っ」
変な人はお前だろう。と、村田は心の中で素早くつぶやく。
「うわぁ、後ろっ! あの人っ!」
雅人は自分の後方を指差す。しかし、雅人が指差した方向には誰も見当たらない。
「来るっ、来るっ!」
まるで貞子でも来るのかと言わんばかりに、血相を変えて訴える雅人の姿に、村田はもう一度後方に目をやりグッと目を凝らす。
――が、やはり何も見えない。
(どうやら、俺には霊感とやらはないようだな)
一人、納得した。
そして雅人に向かい、
「おまえ、疲れてるんだ」
そう、冷静になるように言い聞かせた。
「昨夜の地蔵のことを気に病んでるのか? なるほど、おまえでも良心の呵責を抱くもんなんだなぁ」
と、まるで感心したように言う。
「そう心配するな。週末、うちの実家の檀家の寺に相談しといてやるよ」
そう言って、ポンっと雅人の肩を軽く叩くなり、何事もなかったかのように軽快な足取りで帰り道を歩いて行く。
「…………」
またしても、一人置き去りにされた雅人。悲しげな瞳で立ち尽くす。
「今のは檀家の息子さんかい? 親切じゃのぅ」
背後から、のほほんとした声がする。
雅人は振り返ると、キッと相手を鋭い目で睨みつけて大音声で怒鳴った。
「……こんの、説明しやがれっ! 変態野郎っ!」
ついさっきまでの恐れようは一体どこへやら。
「すでに、しておるぞ?」
声の主はケロッと答え、そして「わしは変態ではない」と、しっかり訂正を付け加えたのであった。
◇
場所は変わり、雅人のアパート。
何故か二人はテーブルに向かい合って座り、お茶をすすっていた。いつの間にか用意された三色団子をお供に。
団子の棒を手に持って指先でクルクルと回しながら、雅人はこの異常事態を把握しようと頭の中もクルクルと回転させていた。
「──つまり、あんたは昨夜、オレが首を折っちまったお地蔵さまで、怪我をしたがために本体から離脱し、化身の姿となってオレの前に現れたと」
優雅な所作で三色団子をお召し上がりのお地蔵さまとやらは、コクコクと数回頷く。
ダンッ──
雅人は団子を握ったまま拳を強くテーブルに叩きつけた。
「どこの誰がそんな子供騙しな話を信じるかよっ!」
「おぬしが信じようが信じまいかは勝手じゃがのぅ……」
地蔵は平然とした態度で、二本目の団子へと手をつける。一パックに三本入りなので、雅人には一本しか当たらない計算となる。ムッと雅人が抗議の目を向けた。
「大体なんだ、あんたのその姿は? 地蔵が頭つるっパゲじゃねぇどころか、ロン毛の金髪ってどうゆうことだよっ?」
すらりとした端正な顔立ちに、眼は碧眼で髪は長いブロンズヘアという、まるっきりハーフそのものの美貌な容姿は、とても地蔵を連想させるものではなかった。これでは雅人が文句をつけるのも無理はない。口調のわりには若く見え、男とも女とも見える中世的な感じだ。身には白い着物を纏っている。
「わしは、つるっパゲなどではない。元よりあのようなヘアスタイルのデザインなのじゃ。今のこの姿は、わしの長きより願望を表してみたぞ」
地蔵は、実に満足そうな笑みを浮かべて言った。
「……あぁ、そうかよ。そりゃあ、夢が叶って良かったな」
どこからどう見ても胡散臭い地蔵とやらを目の前に、雅人はもはやうんざりと呆れ返ってしまう。
「とにかく! 早く出て行かねぇと不法侵入とストーカー行為で訴えるぞっ!」
「それを言うなれば、おぬしは器物損害……いや、わしが生身の人間であれば殺害行為であったじゃろう?」
んぐっと、団子を口に頬張っていた雅人は喉を詰めそうになる。
「……ふぅ、おぬしに折られた首が痛んで辛いのぅ」
地蔵は首を折れても痛いだけで済むらしい。「後遺症が残ったりせんか心配じゃ」と、実に人間臭いことをわざとらしく言う。
「……で?」
詰まりかけた団子を茶で流し飲み込んだ雅人は、正面から地蔵を見据えて核心をつく。
「一体、オレをどうするつもりだ? 一生祟るってか?」
「地蔵は人を祟ったりなどせぬ」
「じゃあ、何だ? 毎日花でも飾ってお参りしろってか?」
地蔵は一口茶をすすって静かに湯呑をテーブルの上に置く。そして、
「──七つじゃ」
ゆっくりと緩慢な動きで立ち上がると、雅人に向かって指を差し示して告げた。
「七つの善行をおぬしに命ずる────!」
「な……っ」
雅人は口を開きあんぐりとさせる。
「七つって……なに? 色々あるけど……なんだ、オレは何か冒険でも始めるのか?」
「……わしにもよく分からぬ」
真顔で地蔵はすっとぼけた。
「は?」
「ちょいと、格好良く言ってみたかっただけじゃいっ」
自分で言った台詞に、何やら一人でもじもじと照れている。それを雅人が、冷ややかな目で見つめた。
「あんたな、いい加減にしろよな。黙って話につき合ってやってりゃあ、好き勝手に言いたい放題……マジで警察に突き出すぞ?」
凄んで睨みを利かせる。そんなものには一切動じない地蔵は、そのまま話を続けた。
「冗談はともかくとしてじゃ。良いか、おぬしの清き心と善なる行いにより、わしの首は元通りに復活する。そしておぬしが改心をすれば、更に嬉しく喜ばしいというものじゃ」
地蔵は大きく首を縦に頷く。
「……おい、コラ。待て」
「さてと、わしは久しぶりに沢山喋り過ぎて疲れてしもうた。そろそろ寝るとするかのぅ」
そう言うと、さも当たり前のように雅人のベッドへと潜り込んだ。
「待てっつってんだろっ! 勝手に一人で、さらりと話まとめ上げてんじゃねぇーっ!」
雅人の渾身に力を込めた怒りは完璧に無視をされ、怒鳴り声だけが部屋中に響き渡る。地蔵はすでにスヤスヤと寝息を立て、安らかな仏の様な寝顔だ。地蔵も寝るのか? と疑問を抱きかねないが、そんな事は今の雅人にとってはどうでもよかった。
(夢だ、きっとこれは夢だ)
雅人は自分自身に言い聞かせる。
(疲れているのは、オレの方なんだ)
明日になり、目を覚ませば、きっとこの悪夢からも目覚めていることだろう。
──ゴロン
雅人はフローリングの床の上に仰向けで大の字で寝転がると、もののわずか五秒で眠りの淵へと着いた。
読んで頂きありがとうございました!
おい、
サラッと簡略し過ぎだろ!




