第一話「地蔵の首が折れた日」
ある夜の住宅街。
ここに何とも罰当たりな青年が一人。
「俺はなぁ、もう嫌っというほど何度も何度も聞かされたぞっ。両手両足の数を足しても数えきれねぇほどになっ。『小さなミスは大きなミスへと繋がる』ってな。ぐちぐちねちねち、うるせぇんだよっあのハゲ課長!」
何故か道端の地蔵に向かって喋っていた。無礼にもその頭を鷲掴みにして、ゆらゆらと揺さぶりながら。青年の顔は赤く目はトロンとしている。どうやら酒に酔っているようだった。かなりの悪酔いだ。酔っぱらいの愚痴はとどまることなく続く。
「大体、ハゲてる人は大らかで心の広い良い人だって決まってるんじゃないのかっ?」
決まってはいない。それは、イメージというものだろう。
この何とも無礼極まりない青年の名は、宮地雅人。肩書きはごく普通のどこにでもいるサラリーマン。年の頃は二十代半ばといったところか。童顔のせいもあり、新卒と言っても見えなくはない。
雅人は今日、会社の早朝会議にて遅刻をした上、小さな書類ミスを何度も連発をするという、まるでお見本のような基本的ミスをやらかした。挙句の果て、デスクで居眠りまで漕いだいたという、かなりの強者だ。
しかもこれらは日常茶飯事であり、そのハゲた課長の頭を日々悩ませているのだから、小言の一つや二つや長たらしい説教を垂れられても仕方がないというものだろうに。だが、本人は憂さ晴らしに先程まで居酒屋で飲んでいたという訳だった。
「おい、聞いているのかっ? 村田! おい、村田!」
地蔵に向かって名前を呼ぶ。すると、
「……俺はこっちだ」
背後からひどく呆れ返った男の声が返ってきた。
こちらが本物の村田である。──無論、正真正銘の人間であり地蔵ではない。
今までの愚痴は全部、この同僚でもあり友人でもある村田へ向けてのものだったようだ。一体、何をどうすれば自分と地蔵を間違うのだろうか? と、村田は疑問に思っていたが、くだらない事に無駄な労力は使うまいと考えるのを止めた。
「どうせ俺が悪いんだよ。課長の痔がバレたのも……ハゲだから昇進できないのも……全部みんな俺のせいだっ!」
今度は泣き言を言い出す。
「そうか、お前のせいだったのか……」
課長の痔については本人が自虐ネタとしてカミングアウト済みであるし、ハゲと昇進は全く関係ないと思われる。村田は面倒臭そうに溜息を吐きながらも、一応相づちを打ってやった。
その間にも、奇しくも課長と同じつるつる頭をしたお地蔵さまは、ぐらぐらと揺さぶられ続けている。
さすがに罰当たりにも程がある。
「ほら、帰るぞ」
それまで静観していた村田だが、見かねて雅人の肩をグイっと掴み止めに入った。その瞬間、
グキッ──
重く鈍い音がしたかと思うと地蔵の首元が折れ、胴体から崩れるように地面へと落ち、ゴロリと転がった。
「…………」
「…………」
確認するかのように横目で互いの顔を見合す二人。
そして、
────世界が真っ白になった。
しばし、静寂な空気が二人の間に流れた後、村田は踵を返しながら強度の度が入った黒縁メガネを華麗な仕草で外しながら、こう言ってのけた。
「俺は何も見えていない」
「何それぇっ?」
思い切り素っ頓狂な声が雅人から上がる。
「あ、ちょっ……ちょっと待てよ!」
救いを求める雅人の声を無視して、村田は無情にもその場からスタスタと立ち去ってしまった。
一人、取り残された雅人。
「……どうしろってんだ、これ…………」
顔面蒼白に情けない声を出す。酔いはもはや完全に冷め切っていた。
このあり得ない想定外な事故を起こした彼に、同情の余地はあるだろか? 否、自業自得に他ならない。
左右を注意深く観察した後、取る行動はただ一つ。
(逃げるっ!)
こんな時に自慢することではないが、学生時代はサッカー部員であった雅人は足の速さにだけは自信があった。俊足で、その場を走り逃げた。
暗闇の中、地面に転がった地蔵の首元。不気味で妖しげな空気が辺りに漂う。
その時――
ボウッと、蒼白い光が地蔵から浮かび上がった。
その不思議に蒼白い光は玉のような形となり、しばし地蔵の周りをゆっくりと揺れながら周回した後、スゥと消えるようにどこかへ飛んでいった。
読んで頂きありがとうございました!
色々とありえない……