支払いはカードで【すげどう杯企画】
登場人物のモデルには許可を得ております。
内容はフィクションであり、妄想です。
────ある日の夕方のことだ。
僕は“キキー”という耳障りなブレーキ音を鳴らし、廃墟寸前のビルの前で自転車を止めた。郊外にある大型ホームセンターで売られていた最安値の通学用自転車は、鳴くようになって久しい。見た目の錆びは少ないからこそ、ブレーキだけ時代が違うような錯覚を起こす。
新しいのを買えば解決することは知っている。でも買い換えるのはもう少し先にしたい気分なんだ。ブレーキを横目に鍵のチェーンを取り付けた。
感傷はほどほどにビルの錆び付いた階段を登っていく。目的の場所は三階にあった。外からは営業しているとは思えない程に古びた木製の扉が鎮座し、開店中の看板も無ければ、ライトも点いていない。
僕は不安になり手元の招待状を確認するが、ここで間違いないらしい。住所の他には一言だけ書かれている。
───すげどぅしようぜ
スコップを振り回す知り合いに渡された招待状には、あの人を彷彿とさせるような言葉が混ぜられていた。僕は惹かれるように、街灯に集まる蛾のごとく吸い寄せられてしまった。
「お邪魔します」
恐る恐る扉を押すと階段とはまた違う鉄の軋む音が部屋に響く────ことはなかった。部屋の中は洋楽が流され、まるで薄暗いバーのような造りをしていた。一方的に知っている先客が数名いるが、誰も僕を気に止めず好きなことをしている。
そして招待状が間違いでなかったことに胸を撫で下ろしながら、店内に踏み込んでいく。ボックス席とカウンター席があったが、迷わずカウンターの一番奥に腰を下ろした。
「合言葉はわかってるな?すげー」
「どうでもいい」
間なんて空けずに答えると、スコップを背負った招待状の送り主が頷いてくれた。彼の相棒に汚れがついていないところを見るに、最近は使ってないらしい。いや…………きっと次の仕事に備えて、より剣先を磨いているに違いない。ともかく、これで僕も今夜の集いに正式に仲間入りしたと言えるだろう。
何も頼まないのは失礼だろうと、メニュー表代わりの壁に並ぶ酒瓶に目を通すが……………………分からない。日本語で書かれてあれば焼酎か日本酒かがかろうじて区別はできるが、海外産のお洒落なボトルは何がなんだか。カウンター内にいる主催者に尋ねた。
「あっちい…………じゃなかったマスター、何かおすすめありますか?」
「おすすめはもちろん“チャリチャン”…………じゃなかった。酒か。みんなあの人と話題にしたお酒を頼んでるぞ」
「話題か…………」
僕は俯きそうな気持ちを流し、僕より先に来ていたお客さんをチラリと伺う。もちろんそれでわかるはずもなく、とりあえず目についた梅酒のロックを頼んだ。
“あの人”とお酒の話はしたことがない。僕は元々お酒は詳しくなく、踏み込めなかったのだ。だけど彼をどこかに感じたくて“ロック”で頼んでみた。
店内が薄暗くて分からなかったが、外側同様に室内も壁に綻びが見受けられた。廃墟のバー…………あの人はこんな現場で一度銃で打たれたことなかったけ?銃のやり取りだけで終わったか、そもそも銃すら受け取らなかったのか、記憶は朧気だ。
こんな早い時間から酒なんて背徳的だ────そんなことを思いつつ北海道池田町産と紹介された梅酒に口をつけた。氷が溶けて少しだけ薄まった上澄みを舌で撫でる。ブランデー仕込みのそれは、濃いめの甘さのなかにアルコールとは違う苦味が舌に残り美味しかった。
あの人は飲んだことあるのかな?
僕があの人に気が付いたのは、採掘現場だった。何故目線が彼を追い始めたかは自分でも分からない。ただスコップの影で様子を見ているだけで、彼は僕を楽しませてくれた。
関わらない距離感…………それが丁度良いと思っていた。近付いたら火傷しそうな雰囲気に畏怖すら感じたこともある。
だけど僕はある日手紙を出した。あの人がNの集い場で通学用自転車について面前で語っていたのだ。それは僕の長年の悩みをあっという間に解決へと導く救いだった。
ブレーキを握る度にでる不快な高音は己の耳につに、周囲の冷たい目線を集めた。ブレーキを使いたくない気持ちまで芽生えさせ、自転車への苛立ちのスピードを加速させていった。
だが、あの人の言葉が最高のブレーキになった。
感謝した!ありがとう───と手紙を書かずにはいられなかった。再び自転車に愛着が持てそうな希望を胸に、初めてのコンタクトに僕は年甲斐もなく心を浮わつかせてしまった。ラブレターを送った訳じゃないのに、それに似た緊張感を楽しんでいた。
そして彼は丁寧に後世にも役立つ補足を加えて、返信をくれた。こんなにも嬉しいことがあるだろうか。今度はドラムブレーキではなく、ローラーブレーキの自転車にしよう!と思いを馳せたのは数か月前。
それからますます僕はあの人を目で追うようになった。大抵はスコップの影から。時折あの人の語りを聞きに集い場に足を運び、覗いて、そして二回目の手紙を書いた。次はどんな返事をくれるだろうか。高鳴りそうな心音を抑え、その日を待った。
だが返事が二度と届くことはないと知らされた。
彼の喪失はあまりにも突然で実感がなかった。聞いた話によると、彼は二度打たれても生還している。だから三度目だって大丈夫だ。彼は慣れていると、胸騒ぎはあったのにも関わらず傍観していた矢先の出来事だった。彼が存在していた場所は塵も残さず消されていた。
「はは…………」
乾いた笑いが漏れてしまった。考えても無駄だと割り切っていたつもりが、僕はこうやって彼の気配を思い出そうと、招待状に誘われるがままここに来てしまっている。
今乗っている通学用自転車だってそうだ。お金に困っている訳ではないのに、ブレーキがうるさいまま乗ってしまっている。彼の代わりはいないのに、自転車を変えてしまったら薄情な気持ちになりそうで─────
僕は吐露しそうな想いを梅酒で流し込んだ。
氷だけになったグラスを光で満たすように照明に掲げる。氷がダイヤモンドのように蠱惑に見えるが、所詮偽りでしかない。無くなってから輝くように見え、無くなった酒が恋しくなる様はあの人のようだ。いや、居なくなる前に気づけなかった僕は随分と鈍い。
耳を澄ませば、あの人の話題で盛り上がる客の声が聞こえる。レクイエムを謳う人もいる。どうやら彼の身内のようで、僕が知らないこぼれ話を拾えたのはラッキーだ。スコップマスターの音頭でこんなにも人が集まっている。
あの人にとって不本意な死に様だったかもしれないが、惜しまれる死に方は流石であり、羨ましくもある。真似しようとは思わないし、おすすめしないが…………なんかね、うん、凄いんだ。僕が消えてもこうはならない。この気持ちをどう表現したら良いのか今も言葉を探している。
とにかく、これはあの人の散り様に乾杯しなければならないだろう。そんな僕の手元のグラスは空だ。
壁に陳列されている酒を視線で物色する。左から右、上から下へとずらす。相変わらず、無知の僕にはラベルだけではどんなお酒が分からない。すると他の客と話していたマスターが気付き、カウンターに戻ってきた。
「二杯目は何にする?」
「亡き彼に乾杯を捧げるのに相応しいお酒ってなんですかね?」
「いや、彼は元気にしてるよ?」
「え?」
あっけらかんと投げられた情報に僕は耳を疑った。そして瞬時にある可能性を考えてしまった故に、己の染まりきったN脳の具合に愕然とする。いや僕の思考の偏りなんて、今はすげぇどーでもいい。
『本人の意志とは関係ないタイミング』『日常生活で突然の消失』『何者かに望まれた存在』という条件はあの人に当てはまっていた。でも本当にそうだとしたら…………
「あの人は、今─────?」
椅子から腰を僅かに浮かし、カウンター越しにマスターに詰め寄った。もしそうだとしたら僕は…………僕は…………っ!
「別の世界に転生してるよ」
グラスの氷が崩れ、カランと音を立てた。
結局、僕はあの人の「自転車の販促」という野望にまんまと嵌まったのだった。「静かなブレーキは最高だ」とだけ伝えておこう。
あの人の終わりなき啓蒙活動に乾杯。
完
実はまだ買えてません。でも狙いは定まっています。ローラーブレーキの赤いフレーム!
【別記】
『本作は「すげどう杯企画」参加作品です。
企画の概要については下記URLをご覧ください。
(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1299352/blogkey/2255003/(あっちいけ活動報告))』