ギルの秘密
北の領地から帰ってきて一か月もすると、日々の生活は落ち着き、決まったリズムで回るようになった。
朝、お父様と一緒にご飯を食べたら、お城に行って、午前中はニコと勉強したり、絵を描いたり、本を読んだりする。ちなみに、お絵かきと本読みは、私が少しずつ取り入れてもらったメニューである。
二歳児と四歳に近い三歳児が、一日に三時間も勉強をしてもあまり意味がない。オッズ先生には、北の領地に行ったところをおさらいしてもらったり、以前に比べると臨機応変に授業してもらっているが、それでも途中で飽きてしまう。
お絵かきで手を動かしたり、本を読んだりするのもいいものである。季節も春へと移り、暖かくなってきたので、外に出て植物観察をしたり虫を捕まえたりもする。
「あ」
私は日向ぼっこしているトカゲをしゅっと捕まえた。
「リア様はこういうところだけ素早いんだよな」
「いちゅでもすばやいでしゅ」
「リア様、私はけっこうですので」
「なたりーにはあげましぇん」
うちの護衛とメイドがちょっと失礼である。
「リア、どうした?」
ちょうちょを追いかけていたニコが寄ってきた。
「にこ、てをまるくちて」
「まるく? こうか?」
ニコにはいろいろな物を手渡しているので、手を丸くというのはよくわかっていて、手をお椀のように丸めて差し出してきた。
「あい」
私は捕まえた小さいトカゲを、そっとニコの手の中に入れた。
「おお……」
トカゲは少しの間じっととどまっていたが、小さい舌をちょろりと出し入れしたかと思うと、ニコの手首をするするとつたって地面に飛び降りてしまった。
「ああ、行ってしまった!」
目をキラキラさせてトカゲを見ていたニコが嘆いている。
「だいじょうぶ。またちゅかまえりゅ」
トカゲとりはコツがあるのだ。一歳からできていた私に死角はない。私はふんと腕を組んだ。
「リア、うでがくめてないぞ。いや、くめている、か?」
「惜しい、もう少しだな、リア様」
どうやら私も進化しているらしい。
「そのちょうしでまたつかまえてくれ、リア」
「あい! まかしぇて」
自分で捕まえる気のないニコであった。やはり王子様だからだろうか。
こんな午前中を過ごし、もっときちんと体を動かす午後が来て、私はいつものようにお昼寝をする。
週の半分はここにクリスとフェリシアが加わる。
そして、週の半ばにはマークがやってきて、朝から城のどこかの見学に連れて行ってくれる。お休みの前の日は、兄さまとギルが来てくれて、四侯の子ども全員で魔力の訓練をする。
遊びのようだった魔力の訓練は、年上の後継ぎたちには物足りないようで、私たち小さい組が魔力を揺らして遊んでいる間、オールバンスの家から大きな魔石を持ち出しての本格的な訓練に変わってきていた。
ということは、兄さまがお父様に持ち出す許可を取ったということだ。兄さまによると、各自親には秘密にするようにと言うことだったが、速攻でばれているのではないか。
私は夜の訓練という名の兄さまとの語らいの時、兄さまにそのことを聞いてみた。
「ええ、マークは親世代には知らせないほうがいいと言っていましたが、そもそも王家の護衛が見ているでしょう。まず確実に、ランバート殿下にも伝わっていると思いますよ」
「らんおじしゃま、ほんとはみにきたい」
「我慢しているのだと思いますよ。そうでなければ、マークかアルバート殿下から話を聞いていて、やっぱり我慢しているのかもしれませんね」
私と兄さまは思わず顔を見合わせて、苦笑した。
あの好奇心旺盛なニコのお父さんが、うずうずしているけれどニコのために我慢しているようすが容易に思い浮かんだからだ。
「しょれで、おとうしゃまは?」
「お父様には、私が話してしまいました」
兄さまがきっぱりと言うので私は笑ってしまった。
「危うくマークに巻き込まれるところでした。いえ、マークの言っていることはその通りだと思います。思い切って、子どもたちも力をつけようと言い出してくれてよかった。でも、それを親に秘密にするより、ちゃんと話して協力してもらうほうがいいに決まっています。ただ、レミントンには」
知られないようにしたほうがいいと兄さまは言う。
「だから、ああやって週一日だけしっかりやって、他の時は皆おくびにも出さないようにしているんですよ」
「りあたちも、ないちょにちてる」
「えらいですね」
兄さまが頭をなでてくれる。もっとも、噂を流す相手もいない二歳児である。
やはり親には秘密にできていなかったことが明らかになった次の週の兄さまの授業の後、珍しくギルがそのままうちにやってきた。お休みの日にはよく来るけれど、平日に来ることはほとんどないのに。
竜車こそ別だったが、一緒に夕ご飯を食べ、楽しく過ごした後、兄さまと私の語らいの時間に、今日はギルも一緒である。しかもお泊まりである。
「ぎる! こっちのべっどが、ぎるのところ! こっちがりあとにいしゃま」
珍しい人がいるので私も思わずはしゃいでしまっている。ギル用の客室に、私と兄さまも一緒に寝るのだ。
「リア、おちついて」
「あい!」
兄さまがはしゃぐ私を捕まえてベッドの上にそっと下ろす。そして私の隣に腰かけると、ギルのほうを見た。
「ギル、何か話があるのでしょう?」
「ああ」
私は気が付かなかったが、何か言いたいことを抱えていたらしい。
「俺、結界が作れるようになったと思う」
私は思わず動きを止めたが、おめでとうと言おうとしてはたと気が付いた。これはおめでとうということなのだろうか。
「確かにやり方は教えていましたが、よく一人でできましたね。すごいです」
兄さまは素直に称賛していたので、おめでとうということなのだろう。
「北の領地でリアとルークは結界で位置を知らせあっていただろう。あの時、正直うらやましいと思ったし、何度も結界を肌で感じて、何となく感覚をつかんだような気がしたんだ」
「にゃるほど」
私は納得して頷いたが、なぜギルは笑っているのか。
「リアのにゃるほどは久しぶりにきいたからさ」
「な、なるほど」
私は言い直した。気を付ければちゃんとそう言えるのである。
「結界を張れば、私たちにもわかります。実際にできているのか見てほしいということなのですよね」
「そうだ。お願いできるか」
「もちろんです」
兄さまは力強くうなずいた。
そして、一つのベッドに三人で丸く輪になって座る。
「いくよ。結界」
ギルから丸く、魔力が広がっていく。その魔力が、ゆっくりと結界へと質を変えていく。
「ああ、結界に変わった……」
目を細めて魔力を感じていた兄さまがポツリと言葉をもらした。しかしすぐに、目を見開いた。私も同時にはっと身を震わせた。
「ぎる、おおきしゅぎる!」
「魔力を止めるんです!」
兄さまがギルの腕をつかむと、ギルはハッとして魔力を出すのを止めた。
「体は何ともないですか!」
「あ、ああ。このくらいはたいしたことない」
どんどんどんと、ギルの言葉をさえぎるようにドアが叩かれた。
「ああ、大きすぎてお父様に気づかれてしまいました」
「やばい。俺の父様にもばれてしまう」
何を内緒にして、どこまで話すか。私たちにとっても難しい問題であった。