リア様が消えた(ハンス視点)
「おおーい、そっちには行くな!」
「なんだ?」
屋敷のほうからの声に、俺は一瞬リア様から目を離した。
「ああ、そっちの丘に穴があるんだ。丘の方には行かせないから大丈夫だ」
ニコ殿下の護衛が安心しろよというように肩をすくめた。お前たちは何度安心できない事態を引き起こしたかと、俺はイラっとしたがそこは耐えた。
リア様が昼寝をして部屋にいる間が俺の休憩時間になる。夜は別の護衛が交代で担当だ。だから、ニコ殿下やほかのやんちゃ坊主たちが何かをしていたのは知っていたが、なにをしているのかまでは把握していなかった。
だから、屋敷の裏手など本当は連れてきたくなかったが、護衛も承知のことだと思ったから我慢したのだ。まあ、実際リア様を花畑に連れてくるなど、やんちゃなだけではなくなかなか見どころがあると感心もしている。
しかし、近くに危険な場所があるのなら別だ。
「行かせないって、お前たち、ニコ殿下とリア様を一緒にした時に何が起こるかわからないのをもう少し自覚しろよ」
一応苦言を呈しておく。そしてリア様のほうに振り返ったら、そこにはいないではないか。
ニコ殿下はいる。ジェフもいる。リア様とロークがいない。そして殿下もジェフも呆然としている。
「殿下。ジェフ様。リア様が見当たりませんが」
「おちた」
「はあ? おちた?」
「すとーんと。きゅうに」
ニコ殿下のその声に、ジェフも動き出した。
「下に、そこに、すとーんと、二人」
よほど焦っているのか言っていることが支離滅裂だ。その時、かすかにロークの声がした。
「おーい」
「おーい? 下か!」
その気づきと共にいろいろな情報がつながった。
「下に穴か! そこに落ちたな! ニコ殿下、ジェフ様、動くなよ」
必死に頷く二人を残し、片膝をついた上で視線を低くする。ニコ殿下のほんの2mほど先に、草の切れ目がある。
「おーい」
「そこだ! おーい!」
とりあえず声を返すと、慎重に穴のほうに歩みを進める。あった!
そっとのぞき込む。気をつけたが土が落ちてしまったかもしれない。
「おーい」
「おーい」
「リア様?」
リア様の声がする。穴から差し込む日の光で、かすかだが白い肌と金の髪が見える。何とか無事のようだ、ほっと力が抜ける。
「いたのか!」
「まて! 走るな!」
崩れたらどうするつもりだ! 馬鹿が!
「はんす、つちが」
リア様の柔らかい声が聞こえる。
「リア様、無事だな。落ち着いて。必ず助けるからな」
「あい」
この緊急事態になんと落ち着いた対応だ。さすが俺のお嬢様だ。
この細い穴には大人は入れない。輪にした縄を下ろして、なんとか脇に引っ掛けて上がってきてもらうしかない。そう考えた時、先ほど声をかけただろう屋敷の者が走ってやってきた。
「まさかこちらに来るとは。穴があるから危ないといったではないですか!」
「そ、それは丘のあちらの穴だとばかり」
ニコ殿下の護衛とジェフたちのお付きの者が怒鳴られている。こういう情報は最初から共有しておいてほしかった。
「縄もすぐ持ってきますが、丘の穴からこちらに回ってきたほうが早いかもしれませんね。明かりも持ってきましょう」
「向こうとつながってるのか! 確実に行けるのなら、縄よりはリア様に安心かもしれん」
「では両方試すということで、人手を集めてまいります」
「ルーク様とギル様にも来ていただくようお願いしてくれ」
屋敷の者はためらうようなそぶりを見せた。
「知らせなかった時のほうが怖い。そしてニコ殿下とジェフ様は戻ってください」
「いやだ」
「殿下」
「リアのいるばしょがわかるようなきがするのだ。わたしがいればきっとやくにたつ」
リア様に弱い俺は、どうもニコ殿下にも弱い。俺はニコ殿下の護衛たちを見た。
「決してこちらから向こうには来させないでくれ」
「わ、わかった」
むしろお前たちが迷わず連れて帰るべきだろうが! 怒鳴りたいのを我慢する。
それからすぐにルーク様とギル様がやってきて、後を追うように洞窟の地図を持ったネヴィル伯といろいろな救出用具を持った屋敷のものがやってきた。
ここで安心させようと私がリア様に声をかけようとしたら、
「ハンス、待て」
「まつのだ」
ルーク様とニコ殿下に止められた。
「移動していますね」
「おかのほうだ」
「なんだって!」
なぜわかったのかは聞かないでおく。慎重に穴をのぞいてみると、確かにそこには誰も見えないし返事も返ってこない。
「いったいどうしたんだ」
「たぶんロークが」
「ジェフ様?」
ニコ殿下と一緒にいたジェフ様が何かを言いかけた。
「さっきの、丘と穴がつながってる話が聞こえたんじゃないかと思うんだ。あいつ、かんがえなしに動くから、それが聞こえたらきっと」
「自分で移動してしまったと。リア様はついていくほうを選んだか」
リア様が一人残ってくれていたほうがよかったと思う自分に反省はしない。しかし、本当に厄介だ。
「よーし、丘のほうから回り込むぞ。それほど面倒な分岐はないはずなんだが、長年放置されていたのでもしかしたら崩れているところがあるかもしれん。とりあえず二手に分かれて探すぞ」
ネヴィル伯の声が頼もしく、少しほっとした。
そのとき、かすかに何かを感じた。そしてすぐに別の何かが通り過ぎて行った。なんだ。
「来た」
「来たな」
「リア、なのか」
ルーク様とギル様の声だ。ニコ殿下も胸を押さえている。
「こっちだ」
ルーク様を筆頭に、三人が動き始めた。穴を避けて、丘のほうへ移動している。また何かが通り過ぎる。何かが返る。
「ここです。この下にリアがいます」
ルーク様の声に、ネヴィル伯はためらいなく地図とその位置を照らし合わせる。
「どうやら第三坑道の途中にいるようだな。分岐の先の方だが、しっかりと補強のしてあるところだ」
その言葉に少しほっとした空気が流れた。
「おじいさま。私も坑道に入ります」
「しかしな。ディーンがいたらなんというか」
「お父様なら私とどちらが先に行くか言い合いになるだけですよ」
ネヴィル伯は確かになという顔をしたが、俺も同じ顔をしていたと思う。
「わたしがここに、リアのいるばしょにとどまっていよう」
「そして俺はリアとルークの間にいるようにする」
何らかの気配がわかる三人がそんなふうに分かれてくれたら本当に助かる。
ルーク様は迷いなく坑道を進み、真っ暗な中、泣きもせず静かに座って待っていた二人を発見した時は本当にほっとした。
明かりのもとルーク様に手を伸ばしたリア様は、一度ギュッと抱き締めてもらうと、下に降り、今度は俺に手を伸ばした。俺が抱き上げると、しっかりと首に腕を回して、こう言った。
「はんす、さしゅがでしゅ」
「リア様。はい」
よくご無事でとか、よかったとか、なにも言葉が出てこなかった。よく考えたらリア様に手放しでほめられたのは初めてかもしれない。こんな時でさえ、自分がルーク様でなく、俺に抱かれることが一番早い帰宅につながると理解している賢いリア様。
俺のリア様は、世界一だと断言する。