お母さま
「なるほどね。ウェスターで生き延びた四侯の娘がいたというのは本当の話なんだな」
顎に手を当てて面白そうにこちらを見ているのは、鉄拳を下していたほうではない少年だ。ギルと同じ、身長だけで言えば大人に近いが、線が細くまだ幼い顔だちをしている。
兄さまが守るように私の前に出た。
「失礼した。私はロイド・スティングラー。こちらは弟のジェフ。うちの領地はウェスターとの境界なんだ」
兄さまは眉を上げた、と思う。私からは背中しか見えないが、兄さまのやりそうなことはわかる。私は兄さまの後ろからそっと顔を出して様子をうかがった。
「なるほど。トレントフォースに四侯の娘がいたことはファーランドには伝わっていたということなのですね」
ただでさえ寒い外の空気がさらに下がった気がする。
「おいおい、ただの挨拶だぜ。そんなにまじめに受け取らなくても」
はは、と笑い飛ばすこの人は兄さまの嫌いなタイプだと思う。しかし空気を読んだのかもう一組の兄弟が慌てて前に出てきた。正確に言うと、弟を引っ張って兄が出てきたというところだ。
「私はジャスパー・グレイソン。こっちが弟のローク。私たちの領地はファーランドの北の端の領地、つまりこの大陸の最北端なんだ」
私は大陸の地図を思い浮かべた。確か北の端は尖っていて、海に囲まれていたはずだ。ということは、
「おしゃかな、いっぱい」
ウェスターの南の港町はお魚がおいしかった。きっとそこのお魚もおいしいに違いない。
「そうだよ。北の領地は漁業が盛んなんだ。すごいな。よく勉強しているね」
感心したようににこりとしたジャスパー君とその弟は、黒髪に緑の瞳だ。なんとなくギルとアリスターの兄弟に似ているような気がした。
「そしてこちらがシエナ・ハルフォード。ネヴィルと接する領地のお嬢さんだ。そしてこちらが」
とりあえず紹介を終わらせてしまおうと思ったのだろう。アル殿下が割り込んできて、そっち側にいた女性二人を紹介してくれた。
「テッサ・ファーランド。ファーランド王家の末の姫だ」
私はちょっと驚いて二人のほうを見た。今回の見合いは、ファーランドとは言え、お相手が王族ではなく、貴族だから気軽に来たのではなかったのか。もっとも兄さまたちはそのことにまったく動じていないように見える。
テッサという人は、グレイソンの兄弟と同じように黒い髪をしており、目は黒のようにも見える濃い青色だった。リスバーンに似ているともいえるが、キングダムではあまり見ない色だ。濃い色の髪と瞳は、白い肌を際立たせ、くっきりと美しい。前世見慣れた暗い色あいの髪と瞳は懐かしさを抱かせた。
「ははっ! 相手が王族になったと聞いても顔色を変えない落ち着き。さすが四侯の跡取りと言ったところね!」
しかし口を開くと豪快で、兄さまとギルが一瞬引いたのが私に伝わってきた。
「そして素直に驚くあなたはかわいらしいわね。リーリア、と言ったかしら」
テッサはまだ兄さまの後ろに隠されていた私を覗き込んでにこりと笑った。
「リーリア・オールバンスでしゅ」
私にしては小さめの声であいさつした。ガサツな少年には対処できるが、きれいなお姉さんには照れてしまうのはなぜだろう。
「小さいのに事情を聞かされてるのかな。兄さまたちみたいにうまく表情を隠せてなかったよ。なぜ王族が来ているのかと思ったでしょ」
それはそうだが、そこを私に聞かれても困る。私は何のことかわからないという顔をしておいた。
「ファーランドの姫は付き添いだそうだ」
見合い相手ではないとはっきり断言する調子でアル殿下が説明してくれた。私にだけでなく、皆に聞こえるようにだ。ということはもう一人の静かな人がお見合い相手だ。しかし、良く見ようとする前に、
「さ、顔合わせも済んだのでどうぞ屋敷へ。体が冷え切ってしまう」
とのおじさまの声で、屋敷に入ってしまったためにちゃんと見ることができなかった。残念。
お屋敷に入るとホールかと思われる部屋に通されたが、そこはすぐに通過してさらに大きい部屋に出た。ここが本当にホールらしい。オールバンスの屋敷よりよほど広い。
「いざという時たくさんの人が集まれるためのつくりなのだよ」
おじさまが説明してくれる。そのいざという時というのは何だろうか。
「キングダムの結界が揺らぐこともかつてはあったからね。そんな時、周辺の者の避難場所にもなるのだよ」
ファーランドと戦った時もあったからね、というのは、後でこっそり教えてもらったもう一つの理由である。
歓待の前にまずは旅の汚れを落とそうということで、ホールでいったん解散ということになった。新しい場所も新しい人も好きだが、私は屋敷に入った時からお母様の絵が見たくてそわそわして落ち着かず、階段のほうを見てばかりだった。
「さあ、私と一緒にクレアを見にいこうか」
「あい!」
私はおじいさまに手を引かれて、階段を上っていく。階段から見える壁にはいつの時代かもわからないような古いものから新しいものまで、家族の絵がたくさんかかっていた。その中で、二階に上がろうとすると必ず見えるところに、明るい色の額縁に納められてお母様の絵があった。
まだ寒かろう早春の草原に、枯れた草の間から見える緑の若葉、一面の白い花の中に、風に吹かれて座っている若い女の人。波打つ明るい茶色の髪が風に流され、それを抑えている手には足元に咲いている白い花が小さな花束となって握られている。温かそうなコートの上にさらにショールが何重にも巻き付けられた体はおしゃれでも何でもなく村娘のようで、それでも外に出られた嬉しさで満面の笑顔だ。
「20歳を超えたくらいか。この歳にはかなり丈夫になっていたんだが、それでも寒い季節には体調を崩しがちでな。春になってやっと外出許可がでて、屋敷の裏の草原に出た時の絵なんだよ」
見上げる私をおじいさまがよっと抱き上げると、ほんの少しお母さまに近くなった。
「しょんなにぐるぐるまいたら、うごけなくなっちゃうわ」
お母さまはきっとそう言って口を尖らせただろう。思わず口に出た言葉に、おじいさまの体がピクリとした。
「どんなにぐるぐる巻きにしても、お前をじっとさせておくのは無理だろう」
後ろからおじさまの声がした。
「寄ってたかって皆が上着を着せようとするものだから、口を尖らせるクレアに私が言った言葉だ。大事にしすぎたせいか、いくつになっても子どものようで」
「でもほとんどわがままを言わなかったのだよ。だからこそ、したいと言ったことは何としてでもかなえてあげたくてね」
だからお父様のもとに行かせたのだろうなということが伝わってきた。
「あたたかい。おひさまも、かじぇも、おはなも、みんなおかあしゃまがしゅき」
「リア……」
「おかあしゃま」
私は絵の中のお母様に手を伸ばした。きっとお母様はにっこりして手を伸ばしてくれただろう。
「りあも、おかあしゃまだいしゅき」
北の領地まで、来てよかった。
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