戻りたくない理由
私とニコは今すぐにおやつを食べたい気持ちを抑え、テーブルの上の気配をうかがう。
「あの、アルバート様」
「な、なにか?」
「ここにお皿があったような気がするのですが」
「気のせいだろう」
殿下はそう言い切った。
「しかし、ネヴィルの料理人の作る菓子は絶品だぞ。病弱な娘を少しでも喜ばせようと、料理人をわざわざ王都に修行に出したと聞いた」
その娘とはきっとお母さまのことだ。
「この温室も、病気がちで寒い外に出られぬ娘のために建てたものだそうだ。少しでも外の雰囲気を味わえるようにと」
「それでお部屋から直接温室に出られるような作りですのね」
お父さまはこれを見て、王都のお屋敷でも温室を作り直したのに違いない。だって、よく見るとうちの温室にそっくりだもの。
「そのお嬢様は」
「四侯のオールバンスに嫁いだ後、亡くなられた。私もお会いしたことがあるが、病弱ということを全く感じさせぬ明るい方であった」
アル殿下、お母さまに会ったことがあるのか。いいなあ。私も会いたかった。その時、殿下はゴホンゴホンと咳ばらいをした。
「せっかくだから、そのあいたテーブルのところの菓子を追加で頼もう。先ほどから茶しか飲んでおらぬだろう」
「実はお菓子が気になっておりました」
お相手がうふふと笑った。なかなかいい感じではないか。
「菓子が来るまでの間、少し温室を見て回ろうか」
「喜んで」
私たちはテーブルの脚に身を寄せるようにして縮こまった。二人は私たちを見ることなく温室の奥の方にゆっくりと歩いて行った。
「みつかるかとおもったな」
「あぶなかったでしゅ」
「おじうえたちはしばらくもどってこないだろう。ここでたべてしまおう」
「あい!」
私たちは足を延ばしてテーブルの下に座り込むと、ニコの膝の上にお皿をおいて、ナプキンを取り去った。
「おいちそう!」
「きれいないろだな」
きれいな色だろうが形だろうが、食べなくては作った人に申し訳ない。
「いただきましゅ」
「いただこう」
本来ならフォークなどを使うべきで、ニコはフォークをそれは上手に使うのだが、私と一緒にすごすうちに、臨機応変ということを覚えてくれた。
すなわち、フォークがなければ手で食べればいいのである。
「リア、くちにクリームがついているぞ」
「あい」
ナプキンがなければ袖で拭けばいいのである。
「ナプキンはここにあるではないか」
「とどかなかったでしゅ」
「リアはまったく」
ニコはナプキンで私の顔をごしごし拭いた。もうきれいになっているのに。
「そろそろ殿下たちが戻って来そうですね」
「その前にお菓子をそろえ直さなくては」
メイドの声が聞こえる。
「よし、おじうえたちがもどってくるまえにかくれるぞ」
「あい!」
ニコは空になった皿をそーっとテーブルに戻した。
「これでだいじょうぶだ」
「おなかいっぱいになりまちた」
「いくぞ!」
私たちは鉢植えの陰に隠れながら、もといた場所に戻った。
「ふう、ぶじもどってこれた」
ニコが額の汗を袖でぬぐった。私は汗などかいていない。ちょっと行って戻ってくるだけの簡単なミッションだもの。そんな私たちにハンスが小さい声で話しかけた。
「リア様、殿下」
「なあに? はんす」
「それで、アルバート殿下の今日のお相手のことはちゃんと見られたんですかい」
私はニコと顔を見合わせた。そういえば、ニコがお見合いの様子を見たいというからこっそり来たのだった。すっかり忘れていたが。もっとも、私はと言えば別の理由からだった。
「うむ。なかなかはなしははずんでいた。みめもわるくない」
ほんとは忘れてたくせに、ニコはもっともらしくそう言った。
「では目的は達成できたということで、もう屋敷の中に戻りましょう」
「わたしはかまわぬが。リアは」
「もどりたくないでしゅ」
私はうなだれた。
「まあなあ。リア様も大変だな。あと一日の我慢なんだが。ファーランドも人を寄こしすぎなんだよな」
「おおしゅぎでしゅ」
どうやらこの世界にも通信網はあるようで、キングダムの王都にイースターから見合い相手が来るらしい、それも四侯相手にという情報はファーランドにも届いていたらしい。ちなみにその通信網とは、早馬ならぬ早竜である。
ラグ竜はかなりの速さで走り続けることができる。それは私は嫌でも知っていることだった。
そのため、イースターが王都まで来るという話があっという間にファーランドに伝わったらしい。国境沿いで会うという話が、イースターが王都に招かれるというのであればファーランドも北の領地までは来てもいいだろうということになった。また、アルバート殿下だけでなくニコやギルや兄さまが来るのならば、ついでに四侯や王族と顔をつないでおこうと急きょ、おじいさまのところまで来られる地域の貴族の子どもたちが集められ、そしておじいさまのお屋敷に送り込まれてきたのだ。
おじいさまは大迷惑である。
が、北の領地はそんなものらしい。
「いざという時は国境沿いに大量の兵が来ることもある。しばらくそんなことはなかったらしいが、ご覧の通り屋敷は無駄に広いし、多少の客が増えたところで、迷惑なだけでもてなせぬことはないよ」
おじいさまは心配するなと私と兄さまに胸を叩いて見せた。迷惑なのは確からしかったが。
それでも、竜車とはいえ、冬の終わりの寒さの中、自分の幼い子をわざわざ顔合わせのためだけにキングダムまで送りたいと思った貴族は少なかったらしい。兄さまとギルの年回りの子が何人かと、あとは六歳以上の子が何人かというところだった。
言っておくが、私はかわいいとはいえ二歳になったばかりの幼児である。ニコは三歳児である。
「もうすぐ四さいになるがな」
頭の中にまで返事をしなくてよろしい。
しかし、二歳児に妹以上の感情を持てるか? 答えは否である。百歩譲って、年の離れた友人となることはできるか? 答えは是である。ただし、その六歳児が、穏やかで年下に優しかった場合である。
私はこっそりため息をついた。小さい子と友達になる方法を知らないのなら、せめてほうっておいてほしい。
「お待ちください! こちらでは殿下方が交流を深められているところです! 入ってはなりません!」
温室の外の入り口の方から慌てた声がし、バタバタと子どもの足音がする。
「はんす!」
「リア様、あと一日だ。頑張りましょう」
「いやでしゅ!」
私は立ち上がって逃げようとしたが、遅かった。
「見つけたぜ!」
私は後ろからぎゅっとつかまえられてしまった。