昔語り
「昨日湖について話すと約束しましたな。あれが煉獄島です」
ゴツゴツした岩ばかりの小さな島に見入る私たちに、コールター伯が後ろから声をかけた。
「ご当主様、そんなちっちゃい子に話すことじゃねえでしょう。もう何百年も前のことだと聞いておりやすぜ、俺達だっておとぎ話としか思えねえほどの」
漕ぎ手の一人が、コールター伯に直接話しかけた。普通ならありえないことなのだろうが、この領地では、領主と領民の間が近いのだろう。船の漕ぎ手も、冬で仕事が暇な領地の者には、よい臨時収入なのだと話してくれた。
「しかし、現に領民らは近づかぬではないか。今でも漁師ですら避ける危険な場所だ」
コールター伯はゆっくりと答えた。危険だから、話すべきでないと漕ぎ手の人は言っているのではないか。
「なぜきけんなのだ。なにがあるのか」
ニコの目がキラキラとしている。アルバート殿下は由来は知っているようで、興味深げに島を眺めている。
「あそこは結界のきかぬ島。キングダム内で唯一、虚族の出る場所ですぞ」
「きょぞく。いきもののいのちをすうというあれか」
私は驚いてニコを見た。もうその事を学んでいるというのだろうか。ニコはわたしに軽く頷いてみせた。
「きょぞくのひがいをはいすため、キングダムができたとまなんだ」
よく考えたら、王族の役割とはそれ以外にない。四侯もだが。本当に幼いうちから、王族の役割を教えられるのだろう。私はその授業を受けたことはないから、ニコは私に出会う前から知っていたということになる。
「どうやらこの湖の上では結界が弱まるらしい。この島はどの岸からも均等に離れており、結界がきかぬ特殊な場所なのです。ニコラス殿下も、もっと大きくなったらこのことを詳しく学ぶことでしょうな」
「学院ではそのようなことは学んだことはありません」
兄さまが難しい顔をしている。
「成人した四侯と、王族のみが学ぶことだ」
アルバート殿下が代わりに答えている。私が聞いていていいことなのだろうか。
「秘されていることではないのですよ。現にうちの領民は皆知っています。もっとも、漁師以外はおとぎ話のようなものだと思っているだろうが」
漕ぎ手たちは一斉に頷いた。
「悪いことすると、煉獄島に連れていかれるよって言えば、子どもはたいてい言うことを聞くのさ」
それは怖すぎるだろう。
「ただ、漁師はな。近寄らないようにしていても、天候や時間によってはうっかり虚族を見てしまうことはあるのさ」
だから、単なるおとぎ話でなく、現実の危険として認識しているのだという。
「煉獄島という名の由来は」
コールター伯はゆっくりと間を置いた。怖い怖い。
「ここが昔、キングダムの罪人を連れてくる場所だったからですぞ」
船に沈黙が落ちた。ニコがわからないという顔をした。
「つみびと」
「わりゅいことしたひと」
私は難しい顔をして説明した。思ったより重い重い話だった。
「虚族に命を吸わせていたのですか! なんということを」
兄さまは唖然とし、ギルは腕を組んで島を見ている。
「幼いもののいる前で言うことではないかもしれないが、剣で命を絶つのと残酷さは変わらぬと思いますが」
コールター伯は兄さまにそう問いかけた。それは違う。刑を執行するとき、どの方法を取るかということではないのだ。
虚族に命を吸わせるということは、つまり、こういうことだ。
「いちゅまでも、そのひとのしゅがた、のこりゅ。よくない」
そう言った私を、皆が驚いた眼で見た。
わざわざここまで虚族を見に来る人もそうはいないだろう。しかし、もし、残された家族がここに来てしまったら。
辺境で虚族によって死んでしまっても、いつの間にか他の生き物で上書きされるから、あるいはハンターに狩られてしまうから、その姿を見ることはないし、悲しむことは少ないだろう。しかし、生きるものが他にいないこの島の中では、次の罪人が来るまでその姿が残る。
「かなちい、きもち。だんだん、わりゅいきもち、なりゅ」
虚族に命を吸われたとわかっていても、姿が残っていれば未練を呼ぶ。未練はやがて憎しみに変わり、復讐を招く。
「驚いたな……」
長い沈黙の後、コールター伯がつぶやいた。
「まさにその理由で、この制度はなくなったという」
たとえ罪を犯した本人が悪いとしても、虚族の姿は写し絵に過ぎないとわかっていても、その恨みはキングダムそのものに向かう。やがてそれが反乱に向かうこともあるだろうと思う。
「今でこそ、湖のこのあたりも立ち入りは自由だが、当時は立ち入りは禁止されていた。それでも家族の姿見たさに、こっそり船を出すものもいた。その中からやがて反乱を起こすものが出て、一時キングダムは荒れたという」
もし罪人が貴族だったら、そのような反乱を起こす力もあっただろう。
「それから、この島に罪人を運ぶことはなくなった」
「重いよ、当主様、その話はさ、知ってるけどさ」
コールター伯の話はぶしつけに漕ぎ手によってさえぎられた。
「話すんなら、お屋敷の暖かいところで話してあげたらいいだろ」
「いや、島を見ながらの方がいいかと」
よくないでしょ。漕ぎ手の方がよっぽど常識人である。
まだ午前中のこと、虚族が出ることはなかった。私たちはしばらく島を眺めると、やがて岸へと向かった。
「普段なら、朝にやるんだが」
という、魚の漁も見せてもらった。とったお魚を少し温かくした水を張ったおけに入れてもらい、ニコと二人で触ってみたのは楽しかった。ニコはお魚をしっかり捕まえていたし、なんなら兄さまたちもあとからお魚をつかんで楽しんでいたのを知っている。
視察とはなんの関わりもないかもしれないが、こういう体験が大事なのだと思う。捕まえた魚は、屋敷の料理人がさばいて塩を振って串に刺してくれた。じっと見ている私たちに、
「内臓は平気かい」
と聞く料理人は気さくすぎるかもしれない。
「へいきではない。しかし、たべるためにたいせつなことなのだろう」
そう答えたニコは本当にすごいと思う。ちなみに私は、食べられるものの下ごしらえなど、全く平気である。
「食いしんぼだからな」
と言ったのはギルだろうか、ハンスだろうか。人のことは言えないのではないか。
お魚はおやつだったので、そのあとお昼寝をして夜もお魚を食べたのは、食いしんぼだからではない。もてなしに応えただけである。
そして幼児の早いはずの夜は、ドアを叩く音で延長戦が決まったのだった。
「ニコラス殿下がおいでです」
ドアの護衛の声と共に。
転生幼女2巻、無事発売されています!
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