温室のオレンジ
しばらく歩くと、客室のテラスから直接温室に出た。お母様が好きだったという温室だ。
「ここが我が家の温室です。リアも何回かしか来ていませんね」
「あい」
「どうぞ皆さん、お好きなところでくつろいでください」
その言葉にニコがさっそく温室に走っていく。護衛が慌てたようについて行った。珍しい植物も多いので、むしったりしないか心配なのだろう。
「ここは客室ということにはなっていますが、私の知る限り客が泊まったことはありません。よくお母様とここに来ていたものです」
お母様と来ていたのか。ちょっとうらやましい。
「リアが歩くようになってから、お父様が片付けてしまったお母様の絵も、お母様が好きで使っていた茶器も、また出してきましょうね」
「おとうしゃま……」
「なぜお母様がいないの、と、リアに嘆かれるかもしれないことがよほどつらかったんでしょうね」
いい話のように聞こえるが、私はそんなことで感動したり泣いたりしないのだ。だってお父さまのやることはなんとなく姑息なのである。
「リアはお母さまがいないの?」
「くりしゅ」
見上げると、私とまだ手をつないでいたクリスが驚いていた。
「クリス、お話してあったでしょう」
フェリシアが私を心配そうに見た。子どもは話はされていても興味のないことは覚えていないものである。気の進まないパーティの主役に母親がいるかどうかなど頭には入ってこないだろう。
「お父さまだけなの?」
確かにお母様はいない。しかし、
「にいしゃまもいましゅ」
立派な兄さまが一人いるのである。私は自慢そうに胸を張った。
「わたしもいるぞ」
ニコが走って戻ってきていた。素早い。
「ひるまはわたしがいつもいっしょだから、わたしはリアのにいさまのようなものだ。そしてルークはリアのにいさまだから、わたしのにいさまのようなものだ。そしてギルはルークのにいさまのようなものだから、わたしとリアのにいさまのようなものなのだぞ」
「ややこしくてわからないわ」
確かにややこしい。しかし、ニコの用事はそれではなかったらしい。
「ひとりではしりまわっていてもつまらぬではないか。リアもこい。クリスもきてもかまわないぞ」
だからここは私の家なのだが。まあいい、よし、温室探検だ! そこに、兄さまが声をかけてきた。
「リア」
「にいしゃま、なに?」
遊びを中断されるのは珍しい。しかし、話はそういうことではなかった。
「まっすぐ行って奥の方に、オレンジがなっていますよ」
「おれんじ!」
貴重な情報に、私達の目が輝いた。
「よし! オレンジをとりにいくぞ!」
「いくじょ!」
「しかたないわね」
よく考えたら、城の温室のほうが豪華でオレンジもあるのではないか? しかしそんなことをゆっくり考えていたら取りっぱぐれてしまう。私達は一斉に風のように駆け出した。
「リア様はいつまでも足が速くならねえな」
余計な一言を言う護衛を引き連れて。ハンスは他の無口な護衛を見習うべきではないか。
わざとかどうか、迷路のようになっている温室をそれでもまっすぐ進むと、突き当たりには輝くオレンジの実がなっていた。すごく高い所になっているわけではないが、子どもの手では届かない。兄さまなら届くだろうかというくらいの高さだ。
「きれいね! 切ったものしか見たことがなかったわ」
三人の中で一番大きなクリスが手を伸ばすが、敵もさるもの、そう簡単に手を届かせてはくれないのだった。一番動きのいいニコが飛び上がってみるものの、やはり届かない。こうなったら使える物はなんでも使うべきではないか? 私はハンスのほうを向いた。
「はんす、だっこ」
「リア様の仰せならいつでも持ち上げますが、リア様、そりゃ反則じゃねえですか」
「むう」
振り返ってみると、ニコもクリスもそれは反則だという顔をしている。それならどうするか?
相談だ。
私達は頭を寄せ合って考えた。
「きをのぼるのはどうだ」
最近木登りがうまくなったニコが言う。
「えだがほそいでしゅ。おれましゅ」
「だめか」
「メイドにとらせれば」
「はんそくでしゅ」
さっきハンスに抱えられるのは駄目という目で見たではないか。それなら何か道具を使うしかないか。私たちはあたりを見回した。
石を投げるか。しかし、きれいに整えられた温室に石などない。それでは棒はどうだろう。あれ、ハンスの後ろ側に、ちょうど植物を支える棒のようなものが三本落ちている。
「にこ、あれ!」
「ぼうか!」
少年に棒は危険な取り合わせだが、仕方がない。多少重いが、ニコとクリスは棒を持つことができた。
「ああ、リア様!」
なぜ悲鳴のような声が聞こえるのか。私は棒を持つとオレンジのほうに向かおうとした。
「あぶねえ!」
おっとなぜかハンスを叩くところだった。どうやら重くてふらついてしまうようだ。
「一番細い支え棒でも重いのか。幼児はめんどくせえな」
もう一度ふらついた方がいいだろうか。
「はいはい、リア様は危ないので見学な」
棒を取り上げられてしまった。それなら仕方ない。監督だ。
「あしょこのおおきいの。ぽん、てたたいて」
「リア、くちだけではなんともいえるのだ」
棒を持ってふらふらしている二人に指示を出す。ニコが不満そうだ。大きい二人だってふらふらしているではないか。私は不満そうにハンスを見たが、駄目ですと首を横に振られた。
「りあ、おうえんちてるから!」
仕方がないので手を振って応援する。
「もう、リアったら」
思わず笑いだしたクリスがふらついたところで、その棒がうまくオレンジの枝に当たった。
「ああ!」
とどこかで悲痛な声が聞こえたが、おそらく庭師だろう。葉と共に、いくつかのオレンジが落ちてきた。ニコの棒も大きいオレンジに当たったようだ。
「落ちたわ!」
「おちたぞ!」
落ちたオレンジを三人で拾う。棒を持っていないのに私はなぜ出遅れてしまったのだろう。しかし、皆二個ずつ拾うことができた。
「わたしはちちうえとははうえのぶんだ!」
「じゃありあは、おとうしゃまとにいしゃまのぶん」
クリスが自分のオレンジを見た。後ろでハンスがオレンジの枝をそっと揺すった。
「あ、くりしゅ、もういっこおちてる!」
「ほんと?」
クリスは振り返ると、もう一つオレンジを大事そうに拾った。
「お父さまとお母さまと姉さまのぶん」
ちゃんとそろってよかった。ハンスが拾ったオレンジを検分してくれた。
「ちょうど食べごろのようです。リア様、よかったな」
「あい! もどって、みんなでたべましゅ」
私達はオレンジを落とさないよう、帰りはゆっくり戻ったのだった。
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