ニコラス殿下
トントン、と。緊張した空気を破るようにノックの音がした。そうしてそっとドアが開いて顔を出したのは。
「おとうしゃま!」
「リア! ルーク!」
そこには、走り寄る私を、しゃがみこんで両手を広げて待っているお父様がいた。
「魔力訓練だというから心配で見に来てみた。大丈夫だったか」
「あい! にこ、じょうじゅにできまちた」
「そうかそうか」
ニコはどうでもいいという思いが透けて見える適当な返事だった。まったくもう。
「それでルーク、何か困ったことはないか」
「それが」
兄さまは困ったようにニコのお父様を見てうつむいた。
「おや、殿下。気が付きもせず失礼しました」
本気で気が付いていなかったらしいお父様に思わず笑ってしまうところだった。危ない危ない。
「あのね、あのね、にこのおとうしゃまがね」
「ほう、殿下が」
私はこの際だからお父様に言いつけてしまおうと思った。
「にいしゃまにね、まりょく、ながちてほちいって」
「ほう」
部屋の温度が急速に下がったような気がする。お父様は私を一度ぎゅっとするとゆっくりと下に降ろし、ニコのお父様に向き合った。ニコのお父様の顔が若干ひきつっているような気がする。
「魔力を人とやり取りするというのを、殿下は今まで聞いたことがありますかな」
「い、いや。だから一度経験してみたいなと」
ニコのお父様が余計なことを言った。こないだも思ったが、ニコのお父様は少し、そう少しばかり、考えが足りないのではないか。私はニコのお父様を改めて見てみた。ふむ。20代ではまだ若すぎるか。
お父様は両手を開いて肩をすくめた。
「魔力のやり取りは何が起きるかまだ十分にわかっていないので、そうと知らずにうっかりやってしまったリアしかできないのですよ、殿下」
「あ、ああ、そうであったか。し、しかしルークはできると言っていたぞ」
ニコのお父様はさらにまずいことを言ってしまったと思う。
「それは、理論だけならもちろん、ルークだけではなく私にもできますとも。ただ、理性のある大人は、できるとわかっていてもあえてやらないものなのですよ」
もっともである。しかし、私はお父様を感心して眺めてしまった。よく考えると、私はお父様について、最初の無関心だったところと、私に甘くて優しくてデレデレしているところしか見たことがない。大人としてこんなに正論を語っている、できる人みたいなお父様は初めてだ。
「おとうしゃま、かこいい……」
「リア!」
即座に私はお父様に抱きあげられ、頬ずりをされた。
「おとうしゃま、おちごとできるひと、みたい!」
「その通りだ! お父様はな、仕事もできる人なのだぞ?」
「かこいい!」
「ハハハ」
キャッキャと騒いでいる私たちに、静かに声がかけられた。
「お父様。リア」
兄さまだ。私達ははっとして動きを止めた。
「あ、ああ。すまん」
「あい……」
はしゃぎすぎて兄さまに怒られてしまった。
「もういいです。ニコラス殿下に魔力の扱いを教える役割は、今日は十分果たしたと思うので、後は大人同士でやってください。さあ、リア、ニコラス殿下」
私とニコはおとなしく兄さまとギルのもとに集まった。
「さあ、あとは何をしましょうか」
「そとであそぶ!」
「あしょぶ!」
怒られるのではなく、とてもいい話だった!
「では、お外に行きましょうね。上着をもっていらっしゃい」
「ああ!」
「あーい」
これからお外で遊ぶのだ。
しかし30分もしないうちに、かくれんぼをしたまま寝てしまった私は急いで図書室のお昼寝用ベッドに連れてこられていたらしい。無念。次は室内で遊んでみよう。
リアと殿下(ルーク視点)
「リアはねすぎなのではないか」
「殿下。私もよくはわからないですが、これが普通なんだと思いますよ」
「そうか」
小さいベッドですやすやと寝るリアを見ながら殿下はそう返した。
「いつもこうしてリアが寝ている間、殿下は何をなさっているのですか」
「うむ。まず、もしかしてリアがおきるかもしれないとおもって、しばらくこうしてリアをながめている」
「そ、それはうらやましい」
「なぜだ?」
殿下は不思議そうに私を見上げた。
「私は普段は学院の寮にいますからね。お休みの日になるまでリアには会えないのですよ。毎日リアと会えている殿下がうらやましいのです」
「しかしな、おひるになるまではべんきょうで、おひるはべつべつで、おひるのあとはすこしあそぶとこうやってねてしまう。おきたらオールバンスがつれかえってしまうし」
「少なくとも、勉強中は楽しいのではないですか」
「うむ。リアはオッズせんせいをうまくいいくるめて、べんきょうをへらしたり、あそびにかえてくれたりするのだ」
リアならやりかねないと思うと、思わず笑みが浮かぶ。あの愛らしさで先生を煙に巻いているに違いない。
「しかし、いつまでみていてもリアがおきることはない」
まあ、それはそうだろう。愛らしく寝息を立てるリアを見ながら、不満そうなニコラス殿下を見ておかしくなった。
「さて、ではここで俺の出番だな」
今まであまり存在感のなかったギルが張り切り出した。
「リアはいい子だが、殿下より小さくて体力がない。本当に遊び相手にしかならないからな。せっかく学院をさぼれる機会だし、殿下は俺と体力づくりをしよう」
「たいりょくづくり?」
「ああ、剣を振れる体を作れるよう、体を使って動き回ろうということだ」
「する!」
目をキラキラさせた殿下は、もうリアを見てはいない。体力馬鹿のギルと遊ぶのは、よい鍛錬になることだろう。
「ではまず、木登りからだな」
「のぼってもいいのか!」
どうやら危ないからと禁止されているようだ。
「俺が見ているから大丈夫だ」
そう、ギルが見ているから大丈夫だろう。私はリアに向き直った。こうしてリアが昼寝をしているのを眺めるのは、お休みの日にしかできないと思っていた。くるんとしている髪をそっと押さえてみる。手を放すとくるんと戻る。
「おい」
かわいい妹。
「おい」
「なんですか、ギル」
私はうるさそうに振り返った。
「お前も行くんだよ」
「私はいいです」
「来てから帰るまでが俺たちのお仕事。リアを見るのはついでの役得。それにお前、リアが戻ってきてから安心して剣の訓練に手を抜いているだろう」
同学年では私に勝てる者などいないのに。学年が違うからばれていないと思っていた。
「いざという時、俺たちが相手をするのは大人だ。そんなんじゃ、いざという時リアを守れないぞ」
「いざという時なんて」
「もう二度とないとは言えないだろう」
厳しいギルの声に、しぶしぶと立ち上がる。
「ナタリー、リアが起きた時さみしくないように」
「わかっております。ルーク様をすぐにお呼びします」
「ハンス」
「ちゃんと見てますって」
期待するように見るニコラス殿下にやれやれと眉を上げて見せると、私はリアの寝顔をもう一度だけ見て、ギルと殿下と外に出た。
「なんどみても、なんならゆすってもリアはおきないぞ」
「揺すったのですか」
「ちょっとだけだ」
私はあきれて殿下を見た。そんなこともしていたのか。これはハンスは減給かもしれないな。
そうして思ったより楽しい午後を過ごしたのだった。
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