ep.07 其の女、告白
さて先輩のこれまでの悪質な行動を鑑みて、次にどのような行動を取るだろうか。
実に簡単だ。
逃げるのだ。
脱兎の如く。
時空を超えてなお愛される軍師は語った、三十六計逃げるに如かずと。
なら彼の言を信じて逃げるべきではなかろうか。
つまりはそういうことだ。
「もう満足しましたか?僕は疲れたのでもう帰ります。帰って海底に沈む二枚貝のように眠ります」
「あら駄目よ。まだすべきことが残っているもの」
このリアス式海岸のような僕見てまだ付き合わせようとするのか……。
流石にこれ以上の攻撃は精神崩壊すら招く可能性があるぞ?
付け加えるなら確実に精神崩壊する自信もある。
「これ以上攻撃してくるというのなら正当防衛として武力行使も厭いませんが?」
「まぁそう言わないで聞きなさい。あくまでこの平面性立体性についての結論を纏めましょう、と言っているの」
「あぁ……?」
そう言えば確かに最初はそんな感じの話をしていたような気がしなくもない。
はぁ……。
「それで結局今回の出来事で何がわかったんですか?」
「そうね。つまりやはり数をX軸、詳細性をY軸、そして経験をZ軸に置いて始めて血肉の通った立体的エロスが生じるということかしら」
僕としては現在進行形で心を蝕むその話題については触れたくない。
しかし『走れメロス』に登場する王のようなこの残虐非道な先輩がそれを許してくれるはずもないだろう。
ならばこれ以上暴れて必要以上に身体を蝕む毒を血中に流し込む必要もない。
「そうですね。この議論の過程には決して触れませんが、先輩の理論には多少の血が通っているのかもしれませんね」
そう結論付けると先輩は非常に不愉快なことに、実に満足気な表情で首を振った。
先輩は帰り支度を始め、それに倣うようにこの部室に来て当初読んでいた文庫本を手に取る。
この本の内容を端的に表すなら階級制度に思い悩む貴族の苦悩日記、とでも評して置こう。
貴族であるが故に呼吸をするだけで平民の生活数年分の銀貨が毎日積もっていく。
本人は貴族であるより平民として生きていきたい。
しかし貴族故に貴族としてしか生きることができず、背中の十字架を外すこともできずに神に懺悔する毎日を送るのだ。
そして皮肉なことにその姿は国教を敬虔に守るように映るのだ。
話題を突如転換するが、彼の祈る神と言うのはキリスト教だろうか。
時代背景や思想と言動を見る限り遠からぬ似た経典を用いているのだろう。
だが僕に言わせれば彼の信仰する神とは実に軽薄で享楽的な落伍者に思えてならない。
その神が曰く神は乗り越えることのできる苦難しか与えない、と。
つまりそれは主人公の苦悩とは本来持つことのなかった苦痛であり、その苦痛を試練などと宣い人々に不必要な苦痛を与えて足掻く様を見て悦に入るということではなかろうか。
経典に出てくる悪魔とは騙すなんてことはせず、求める者に求める物を与えてその対価を得るという存在だ。
こう対比してみるとなんと神の残虐なことで悪魔の紳士たることか。
彼はきっと契約者を間違えたのだ。
彼は悪魔に【確固たる勇気】を望めばよかったのだ。
そして正当な対価を支払えばよい。
それを堕落・怠惰と謗る人間も現れるだろうが、結局それは部外者の野次でしかない。
などと空想上の神に文句を垂れ流す程度には僕の心は荒んでいた。
「ねぇ、新藤君」
なんてことを考えていると僕の女神が名前を呼ぶではないか。
嗚呼なんと罪深いことか。
どうか賢人たる悪魔よ、芥なる私にどうか女神に立ち向かう勇気を!
まぁ神などいないのだが。
「なんですか、相原さん」
「そう仏頂面しないで?とても、大切な、本題があるの」
「はいはい。我が女神よ。なんでも仰って下さい」
「………………」
いつもの彼女であれば単刀直入に要件を言うのに今はそれがない。
訝しんでそちらを見れば眼前に凄然さのない相原縁が立っていた。
「あの……」
「なんですか?今日は帰って寝たいので手短にお願いしますね」
暫しの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「私と……私と男女交際をしてくれないかしら……?」
刹那で霧散しそうな声で彼女は確かにそう言ったのだ。
ぱーどぅん?
次からずっと新藤のターン
次回は20時に更新予定です