ep.04 其の女、謀略者
「ふぅ……さて話を戻しましょうか」
まるで聖母のような柔らかな笑みで口開いた。
ふざけるな。
その表情はどちらかと言えば賢者に浸っているだけだろうが。
ただでさえ肉体的接触にドギマギしているのに、自分の性的嗜好を垂れ流しにするとかこの女に恥じらいの文字はないのか?
「もう解散でいいんじゃないですかね……」
疲れた。
非常に疲れた。
早く家に帰って生クリームをたっぷり入れたココアでも飲みたい。
そしてそのまま布団に潜りこみたい。
「ダメよ。言うなれば私は自分の欲望を君で発散したわけでしょう?」
言わなくていい。
あと必要以上に唇を舐めるのを止めろ。
「そんなこと言わなくていいですから。もう少し慎みと恥じらいを持ってください」
「あら?どうしてかしら?」
どうしてって……。この女は賢いくせに馬鹿なのだろうか。
「僕じゃなければ先輩とっくに襲われていますよ?」
少しは自分が美人であることを自覚してほしい。
むやみやたらに立ち振る舞うということは路上で包丁を振り回すが如く危険なのだ。
「それはつまり君も私との接触で性的興奮を得た、ということでいいのかしら?」
「イーエ、僕は真摯な紳士で規律を重んじるジェントルマンなのでそんなことはありません」
「そう。なら今度は新藤君の欲求を解消しましょうか」
「は?」
今なんて言ったこの女は?
なぜ僕が公衆の場で自分の嗜好を語らないといけないのだ。
あいにく僕の辞書には【恥じらい】【慎み】【常識】【理性】といった言葉がしっかりと明記されている。
「今度は新藤君の欲求解消を優しい先輩が手伝ってあげる」
ふざけるな!
それは親切と言う名の暴力であって、欠片も優しさが含まれていない!
「結構です!いい加減にしないと怒りますよ?」
「そう?なら私が勝手に考察するから座っていればいいわ」
「は?」
何を言っているのだ、この女は?
頭がおかしいのか?いや、頭がおかしいのは知っていた。
だがこれほどまでにぶっ飛んだ思考回路だったのか?
脳内で鳴り始めた警鐘は秒刻みで大きくなり、一刻も早い退避が望ましい。
そう思い、席を立とうとすれば何故か先輩が互いの脚が触れそうな距離で仁王立ちしていた。
「先輩、邪魔です。そこに居られると帰れないんですが」
「あら、気にしないで?私は何となくここにいるだけだから」
「いやですからそこに立たれると僕が立てないんですよ」
「そうなの。けれど困ったわね。私は今ここで立っていたい気分なの」
楚々とした笑みを張り付けながらそんなことをほざきやがる。
「そうですか。なら僕は立ち上がりたい気分なので勝手に立ち上がりますね」
「どうぞ、ご自由に」
依然優美に微笑む先輩を押しのけて立ち上がろうとして、ふと思う。
もし仮にこのまま立ち上がった場合はどうなるのだろうか。
爪先が触れ合っているこの状況で無理矢理立ち上がれば、先輩は思い切り腰を打ち付けるに違いない。
つまり状況としては既に詰んでおり王手を掛けられた状態なのだ。
対抗策としては先輩の腹部を強めに押して怯んだ隙に逃げ出せばいいのだろうが、母と妹にたっぷりと調教された僕にそんなことができるはずもない。
はぁ…………。
「先輩、お願いが……」
「嫌よ」
はぁ…………。
「わかりました。付き合います。付き合いますから。もう降参です」
仕方なく、本当に仕方なく両手を上げると先輩は今度こそ可憐に微笑んだ。
「私、理解が速くて優しい子は好きよ」