別れ
大宮で・・。
大宮の聖心殿の家で一晩ゆっくりと過ごした私たちは、南家領からの長旅でくたくただった身体がだいぶ回復した。
朝の日差しの中で食後のコーヒーをのんびりと飲んでいると、今日この世界を離れることが嘘みたいな気がする。
「姉さんになんて言おうかな・・。」
さっきから物思いにふけっていたキリ君が、ポツンともらした一言が痛い。
「キリ君、無理しなくていいよ。私一人でも帰れるし。昨日は叔父さんの決断がショックだったから動揺したけど・・。叔父さんはアメリカに、外国にずっといることにしたんだと思うことにするよ。」
私は強がりを言ってみたが、キリ君はそんな私のことを見抜いているようだった。
「以前、僕はここでずっと一緒に暮らそうと未希に言ったことがあったね。その時の未希の気持ちがよくわかるよ。」
「なら・・。」
「いいや。その時よりも、もっとお前のことが大切になってる。未希のいない毎日をここで一人で過ごすぐらいなら、俺は異世界でもどこへでも未希について行く。俺と別れることなんてほんのちょっとでも考えさせないからなっ。」
キリ君は怒ったように私にそう宣言した。
正直、キリ君にここまでの犠牲を払わせようなんて考えてなかった。
だってキリ君はこの国の王子様なんだよ。私と一緒に一般人の生活をするような人じゃない。それにこれからキリ君は、全く見たことも聞いたこともないような世界で、一から何もかもを覚えていかなくちゃならない。
そこまでしてもらう価値が私にあるのかな?
そんな強い思いを受け止められるだけの女性に、私がなれるのかしら?
そんな不安な気持ちが湧きだしてくるけれど・・・もうここまで来たら今更だよね。
今の私が出来る精一杯のことをしよう!
頼る人が誰もいないキリ君の力になれるように頑張らなくちゃ。私たちの世界で、キリ君が快適に過ごせるように。私が、キリ君のことをお父さんたちにお願いしていかなくちゃね。
私たちが御所のカツラさんを見舞った時には、キリ君も、もう迷うことなくお姉さんに向かって今後のことを頼んでいた。今まで自分がしていた仕事の引継ぎのこと、お母さんたち家族への伝言など、キリ君からの溢れる思いをカツラさんは横になったまま静かに聞いていた。
「わかった。こちらのことは心配しないで、桐人の思うままに生きなさい。お母さまには私からよく言っておきます。」
熱で潤んだカツラさんの目には、すべてを受け入れた光があった。
「未希、桐人をお願いね。この子は緊張するとお腹を壊すクセがあるの。」
「姉さまっ、そんなことは・・・。」
「ふふ、一緒に暮らすようになるんだもの、格好つけてどうするの?異世界には家族はいないのよ。未希に頼らなくてどうするんですか。二人で何でも相談し合って、新しい生活を築いていきなさい。私も・・・。未希、あなたの大切な叔父さんを取ってしまうことになってごめんなさいね。あちらのお母さまやご兄弟の皆様には本当に申し訳ないことをしたと思っています。私も征四郎さんを彼の思いを生涯大切にします。どうかそのことだけはご心配のないようにと伝えてくれる?」
カツラさんの必死の訴えに、私も目を合わせてしっかりと頷いた。
「あっちの皆にもカツラさんのことをたくさん話して安心してもらうよ。そんなことを気にしないで早く良くなってね。もう無理しちゃダメだよ。・・・叔父さんをよろしくね。調子が良くて馬鹿な叔父さんだけど、いざという時には頼りになると思うから。・・あっ、お酒の飲ませ過ぎには注意してね。アサギリもわかってるとは思うけど、カツラさんが言うことのほうがよく聞くと思うから。それに、キリ君のことは任せてっ。不自由させないように目を光らせとくからね。」
「もう、未希ったら。未希が相手なら何も心配していないわ。あなたのことはずっと一緒に旅をしてきてよくわかってますからね。」
私とカツラさんは同性同士でしかわかり合えない眼差しを交わし合った。
「じゃ、行くよっ。・・姉さま。」
最後にキリ君はカツラさんをギュッと抱きしめた。
お父さんが亡くなり、お母さんが遠くで暮らすようになってから、ずっと姉弟二人で助け合ってきたのだろう。そんな二人の固い絆を思わせるような抱擁だった。
私は見ていられなくなって、顔をそむけた。そんな私の身体を後ろから抱き込んで、キリ君は思いを切るようにドアの外へ出た。室内からはカツラさんの抑えきれない泣き声が聞こえてきていた。
私たちが廊下を進んで行くと、叔父さんが執務室がある棟のほうからやって来た。今日は何かが吹っ切れたようなサッパリした顔をしている。目には力が戻ってきていた。
「桐人・・・未希。」
「叔父さん!」
私は叔父さんの出した手にハイタッチする。叔父さんはそのまま私の頭をポンポンと撫でた。
「桐人、これに昨日の夜、話したことを書いておいた。車のキーも中に入れといたから。」
「はい、頂戴します。ありがとうございます。」
昨夜、大宮で夕食をとりながら、叔父さんは自分の全財産をキリ君に譲るので好きに使って欲しいと言っていた。その手続きに必要な書類なんだろう。
「叔父さん、カツラさんの所へ行ってあげて。」
「うん、わかってる。未希、これを母さんたちに渡してくれ。」
叔父さんから分厚い紙の束を渡された。
「手紙?」
「ああ。親不孝をして申し訳ないと言っといてくれ。」
「叔父さんがこっちで幸せなら親不孝じゃないよ。」
「・・・ハハ、そうだな。お前、ませたことを言うようになったなっ。」
照れて頭を小突かれたが、ふっと叔父さんの顔が明るくなった。
キリ君は部屋に入って、背負い袋に必要なものを詰め込むと、自分の部屋をぐるっと見廻して私をベランダへ誘った。
「これだけでいいの?」
「うん。服なんかは征四郎のものを使えばいいだろ。それにいざという時の食料はいんすたんとの麺があるんだよな。」
「インスタントラーメンね。リュックに入ってる。」
「よし、じゃあ行こう!新たなる世界への旅立ちだっ!」
男の人って物欲が薄いのかな。私なら自分の部屋から何を持って行こうか、悩みそう。
しかし飛翔で飛び上がったキリ君は、御所を空からぐるっと回って眺め、都の人々や街並みをゆっくりと目に焼き付けてから私のそばにやって来た。
・・・やっぱり自分の国を離れるのは辛いよね。
私は下を飛んでいたキリ君に手を伸ばす。キリ君は私の目を見ながらギュッと手を握ると、ゆっくりと近付いて来て、私の頬にそっと唇を寄せた。
「幸せになろう、未希。」
風にさらわれないよう、耳元にささやかれた力強い声に、私はやっと頷いたのだった。
おっ。