ジュネ
翌朝・・。
知橋町で天ぷらそばのお昼ご飯を食べた後、カツラさんと同じ馬車に乗ってジュネへと向かっている。カツラさんは何だか昨日から雰囲気が違う。こんなにしゃべる人だったっけ? 今まで一緒の馬車になった時も誰かが話している話題には乗る人だけど自分からこんなに話していく人ではなかったように思う。ここぞという時の決断力はあるけれど、普段はどちらかというと皆の話題を静かに笑って聞いていることの方が多かった。
「未希、これから行くジュネのことを話しておくわね。以前、聖心が615年前の動乱の話をしたのを覚えてますか?」
「・・・ああ、なんとなく。術の説明をしてくれた時に言ってたことかな?」
「そうっ、よく覚えてましたね。615年前に、大陸に散らばっていた小国が3ヵ国の国にまとまってきて、それぞれの国の大体の領地が決まったのです。長い時を経て、やっとお互いの欲に折り合いをつけたんでしょうね。それからもちょっとした争いはあったのですが、10年前にリグランド国、エメンタル共和国諸州、天樹国の代表が、3ヵ国の国境が交わるジュネに集いお互いの領地を尊重するように『相互不可侵条約』を結んだのです。」
10年前? なんか聞いたような・・・。
「キリ君やカズマから聞きました。国境の地に石碑を立てたというやつですか?」
私がそう言うとカツラさんは嬉しそうに笑って、少しの間、遠い昔を思っているように視線をさまよわせた。
「桐人は小さかったけれど覚えていたのですね。あれが私たち家族が旅行をした最後の夏でした。あの後、父の帝は体調を崩し、遠出の旅行などは考えられなくなったのです。」
「カツラさんは10歳だったんでしょう? 前に叔父さんから聞いたけど、そんな子どもの頃から帝のお仕事の手伝いをされていたんですか?」
「ええ。10歳は一つの区切りです。ひとつ、ふたつ、みっつと数えていくでしょう?10(とお)が来たらその後の数え方は普通に数を数えるのと同じです。10歳になると子どもではなくなるんですよ。小さな大人として扱われます。私にとっては大変だったというより、父が亡くなるまで共に仕事ができたといういい思い出です。」
そうなんだ。小4である程度の一人前と認められるのか。私が小4の頃なんか、図書館でどれだけたくさん本が読めるかぐらいしか考えてなかったよ。二年経った今だってあんまり変わらない。児童会に関わるようになって、少しは他の生徒のことも考えるようになったかなというぐらいだ。それに比べてカツラさんはその頃から国民の事を考えてたんだねー。
「話がそれましたが、そんな経緯もあってジュネはこの大陸の人間にとって特別な町なのです。中立した町として三ヵ国の人間が混在して住んでいます。外人と結婚している人も多いので髪の色も様々なのです。未希にもジュネの町の特異性を楽しんで欲しいと思っています。」
「ありがとう。天子集会だけじゃなくて、ジュネの他の国の地域も観光してみるね。カズマが食べたって言うカレーも食べたいし。」
「カレー、いいですね。都のカレーとは味が違うんです。」
カツラさんもカズマと同じこと言ってる。カレーは絶対食べなきゃだね。
秋の日はつるべ落としと言うけれど、日が傾き始めたなと思ったらもう西の空が真っ赤に染まっていた。
夕焼けの中、馬車はとうとうジュネの町に入るための国境管理棟に入って行く。石畳の道をゲートが設置された場所まで行って外務省が発行した渡航証明書を見せなければならないようだ。
私たちは馬車を降りて、名前や人数を確認され、渡航目的や持ち物も検査された。
「帝でもちゃんと調べられるんだね。」
「不正をしていない何よりの証明になりますからね。ここはキチンと通過しなければなりません。」
へぇー、そうしてみれば私たちの世界は特別扱いというか緩い感じがするな。叔父さんに聞いたけど、アメリカなんかは自家用ジェットを持ってたら顔パスで空港手続きを簡略化されるらしいもの。日本でもVIPは違う通路があるみたいだし・・。
馬車が建物を出てジュネの町に入ると一気にまわりの雰囲気が変わった。西風のレンガ造りのビルだけでなく、棕櫚を使った南風のこじんまりした建物や、カラフルな壁の色に塗られたスイスの山小屋のような建物もあった。空気の匂いも違う感じがする。異国に来たなと言う感じだ。
「あっ、カレーの匂いがする。」
「肉を焼いている匂いもするわ。」
私とカツラさんがそんなことを言っていると、カツラさんのお付きの琴音さんに笑われた。
「お昼が蕎麦でしたからね。お二人ともお腹が空いてきたようですね。これから向かうホテルは食事が美味しいそうですよ。しばらくこちらで滞在できますから、今夜はゆっくりとお食事をなさってください。」
馬車はジュネの町の中心部に向かう。そこには広い石畳の広場があった。広場の真ん中に、三つの石を組み合わせた国境石が敷かれている。その隣にオベリスクのような先の尖った記念塔があった。そしてその広場を囲むように建っていたのは、お城かと見間違うような巨大なホテルだった。
「あら、10年前よりホテルが大きくなっているみたい。」
カツラさんもホテルを見上げている。
「すっごぉーい。お城だー。7階建てだよっ。」
こっちの世界にも高いビルがあるんだな。
馬車寄せの道をぐるりと回って玄関前に着くと、大勢の従業員が列を作って勢ぞろいして出迎えてくれていた。
わー、お姫様になったみたい。
馬車の扉を開けると赤い絨毯が引いてあって、キリ君が私に手を差し伸べて待ってくれていた。
皆がお辞儀をする中、ドキドキしながらエスコートされていく。ホテルの天井にはシャンデリアが下がり、ロウソクの燃える匂いがしていた。
部屋も天蓋付きの豪華なベッドのある一人部屋だった。バストイレ付で寝室の隣にはカツラさんと共同の応接室も付いている。
「ひぇ~、超ゴージャス。こういう世界もあるんだねー。」
なんか人生観が変わるね。
軽くシャワーを浴びて服を着替えると、食事をする部屋へ連れて行かれる。扉を開けると応接間のような談話室があって、そこに六人の人が座っていた。私が入って行くと四人の男の人が立ちあがる。キリ君と叔父さんがいたので、そこに歩いて行くとソファに座らされた。向かいに立っていた私と同い年ぐらいの少年が「未希さま、アペリティフは何を飲まれますか?」と日本語で聞いてきた。
『キム氏、僕が用意しますよ。こちらは僕の姪の成瀬未希です。どうぞよろしく。』
叔父さんが何を言ったのかわからなかったが、私の名前が聞こえて来たし、中国語をしゃべっていたようなので、ここにいる人たちはエメンタル共和国諸州の人たちなんだろう。
『ニィハォ、こんにちは。私は天樹国の天子、成瀬未希です。よろしくお願いします。』
と唯一覚えて来た中国語で挨拶すると、一同から「おおーっ!」という感嘆の声が上がった。
早くも天子集会が始まっているようである。おじいちゃんと孫娘といった感じの深い緑の髪をしている人が二人、もう一組は焦げ茶色の髪のおばあちゃんと孫息子といった感じの二人。たぶん天子は焦げ茶色の髪の人たちだよね。
この人たちはどんな人たちなんだろう。長旅の疲れも吹き飛んで、私は気持ちが高揚してくるのを感じていた。
どんな人たちなんでしょうね。
※ アペリティフ・・・食前酒のことです。