質問
だいぶジュネが近づきました。
辺野温泉を出立して五日後に富丘村に着いた。ここが天樹国での最後の宿泊地らしい。後はこの山を下りて昼食のために立ち寄る知橋町を過ぎると夕方にはジュネへ到着できるそうだ。何とか九月中にジュネへ入れるめどがついたので皆の中にはホッとした空気が流れていた。
富丘村は多くの村民が牧畜を生業としているらしく、夏の刈り取りをしなかった牧草地へ牛や馬、羊などが放牧されていた。秋の風が渡る緩やかな丘陵に点々と草をはむ牛たちが散らばっている光景は見ていてゆったりとした気持ちになる。
「今日の夕食はたぶんジンギスカンですよ。」
キリ君の従者のカズマが私たちに予言する。羊は数が増えるので、冬の世話が必要な時には数を押さえて管理するらしい。なので春先に生まれて夏に育ったクセのない子羊の肉をこれからの季節で食べることが多いそうだ。
・・・なんかそういう内情って聞きたくなかった感じ。それでも普段意識していないだけで、生き物の命をいただいて、私たちは生かしてもらっているんだなぁとしみじみ考えた。
「そうかっ。それで『いただきます』っていうんだね。」
「なんだ? 突然。」
キリ君が訝しげに私を見るが、私は世紀の大発見をした気分で一人頷いていた。
「あそこに赤い屋根が見えるでしょう。あそこが今日泊まるホテルです。」
「カズマ、今ホテルって言った? 旅館じゃなくて?」
「ええ、ホテルです。未希さまはホテルをご存知なんですね。ここの富丘村はジュネのリグランド国地域に肉を大量に卸しているんですよ。それでリグランド語が話せる人間も多いんです。」
「へぇ~。じゃあ部屋もベッドなのかしら。」
「それは畳部屋と両方あります。」
「カズマ、俺はベッドにしてくれ。久しぶりにベッドに寝たいな。」
「殿下がそう仰ると思って、事前の手紙でもそのように取り計らうよう伝えております。未希さまもベッドでよろしいですか? 今日は昨日と同じように姫巫女様とご一緒の部屋にいたしましょうか?」
「ええ。叔父さんの肩の傷はもう大丈夫みたいだから、そうしてください。」
私がカズマにそう言うと、キリ君がしばらく逡巡した後で言いにくそうに私に尋ねる。
「未希、征四郎とはそのう・・・恋愛関係なのか?」
「はぁ?!」
キリ君ったら突然何を言い出すの? よりにもよって叔父さんとあたしがなんだって?!
「征四郎のことを随分心配してたみたいだし・・その・・そうかなって。」
「ハァー。あのねぇ、そんなわけないじゃん。叔父と姪だよっ。家族じゃないっ。心配するのはあたりまえでしょ。」
「叔父と姪なら結婚できるし・・・。」
「バカじゃないの?! それはこの世界の習慣でしょ。あっちの世界だったら犯罪だよっ。それでなくても叔父さんが私に手を出したら小学生好きのロリコンの変態で、社会的地位をはく奪の上刑務所行きだね。」
私の剣幕に、キリ君も自分がとんでもないことを言ったのだということはわかったようだ。
「ごめん。そこまで大変なことになるとは思ってなかった。そっか・・・そうなんだ。」
噛み締めるようにそう言うと、急に元気が出て来たみたいで、私の顔を見ながらニマニマ笑う。
なんだろ、気持ち悪い。
ホテルの部屋に落ち着いて、カツラさんとお茶を飲んでいた時にキリ君の可笑しな質問を思い出して、笑い話としてカツラさんに教えた。そうするとカツラさんも「そうなんですか・・。」と言いながら、急に背筋を伸ばして、私の顔を見てニマニマ笑う。
なんだろ・・これ。姉弟揃って同じ反応だ。この国の人の感覚って、よくわからないや。
夕食はカズマの言う通りジンギスカンだった。一階の丘が見えるテラスで炭火焼の焼き肉をするらしい。炭火焼は美味しいよね。いつも家で食べていたのとは全然味が違うもの。この世界の料理が美味しいのは食材だけでなく、それもあるのかもしれない。波留の港でただ炭火で焼いただけの魚の干物が、美味しかったもんなぁ。
陽が落ちて、光月がオレンジ色に輝きだした頃には、肉や野菜の焼ける香ばしいにおいと白い煙が立ちのぼる中で、私たちは大いに食べて話をしていた。男の人たちはお酒を飲んでガハガハ笑いながら肩を叩き合っている。
「最近は夜風が涼しくなり過ぎてたけど、こうやって火の側にいるといいかげんだね。」
私はお腹が一杯になったので、ジュースを飲みながら七輪の側で叔父さんのつまみを焼いてあげている。
「うん。肉が上手いっ。羊は臭みがあるかと思ってたが、そんなことないな。」
叔父さんの言葉に、カツラさんがすぐに応える。
「それは子羊だということや、肉が新鮮だということがあるでしょうね。」
いつもは、ちょっと離れた所でにこにこ笑いながらご飯を食べていることの多いカツラさんが今日はいやに積極的だ。何があったんだ?
叔父さんに付き合ってビールを飲んでいるが、酔っぱらってるんじゃないでしょうね。目元はほんのり赤いが、あまり顔に出ていないのでよくわからない。
ホテルの中に入っていたキリ君が、ベランダに出て来て私を手招きする。何の用事なんだろう?
「マー君から聞いたんだが、未希はピアノが弾けるんだって?」
「うん、弾けるよ。」
「ここにはピアノがあるんだって。良かったら弾いてよ。みんないい気分だから何か楽しくなるようなやつ。」
「えー、この二か月くらいピアノに触ってないのに・・・弾けるかなぁ。」
キリ君に促されてピアノの所へ行ってみたら、楽器はこの世界でもあまり変わらないようだ。これなら弾けるかな。ピアノの前に座って音階を弾いてみる。よしっ、一緒だね。
私は学校の音楽朝礼でやったフォークソングの曲を弾いてみた。
そうすると外で話をしていた人がぞろぞろホールに入って来て、二人組になって踊り出した。みんな好きなように踊っているので踊りはめちゃくちゃだが、笑いながら盛り上がって踊っている。
私も久しぶりのピアノに嬉しくなって、アニメの○○音頭やワルツ、ツイスト等何曲か弾いた。みんなが疲れた頃に静かな月の曲を弾いて、音楽の夕べを終わると、静かなため息の後で大きな拍手が響いた。
椅子から立ち上がってお辞儀をすると、キリ君が力強く拍手をしているのが見えた。
ふふ、楽しかった。
やっぱり音楽はいいなぁ。
広々した大地に流れる音楽。いいですねぇ。