カールの話
大宮に来ています。
私たちが前に泊った部屋に落ち着いて、叔父さんと一緒にベランダで夕涼みをしていたら、地面が揺れる音がして屋根の上からぬっと大きな顔が出て来た。
「本当に天子さまだぁー。じいちゃんが見た人にそっくりだぁ。」
涙まじりの大声は、疲れていた頭にガンガン響いた。巨人って、声も大きいんだ。この声で泣き続けられたらカヤさんがまいるはずだよ。
「こんにちは!天子の征四郎と未希です! よろしくなー!」
「うおーーーっ。嬉しいぞー。おらも挨拶してもらった! こちらこそ、よろしくだぁ。」
カールの感激の声に窓ガラスがビリビリ震える。耳の鼓膜も破れるかと思った。あまりの騒音に叔父さんも私と同じように両手で耳を押さえている。
「しまったなぁ。声が大きすぎたんだ。また叱られるぅ。」
カールはしょんぼりして泣きそうになった。ヤバい。この声で泣かれたら頭が壊れる。
空を見上げて声を限りに叫んでいると疲れそうだ。普段はどうやって話をしているのだろう。
「カール! いつもはどうやって伽耶宮さんや遥さんたちと話してるの? 叫ばないで話す方法はないの?」
私がそう叫ぶとカールが嬉しそうに「これに乗ってくれ。」と敷物を敷いた籠をベランダに降ろした。人間が五人は乗れそうな気球のゴンドラのような籠だ。カールが持ちやすいように買い物かごのような取っ手もついている。私たちが恐る恐るそれに乗ると、カールが籠を持ち上げてドシンドシンと歩き出した。
そうっと降ろされたのは小高い山の中腹にある眺めのいい高台だった。
「よっこらせっ。」
カールはその山を椅子の背もたれのように使って、山の麓の木々を座布団代わりにドシンと座った。
「ここはカールの椅子っていう名前なんだ。」
なるほど。丁度カールの座高に合わせたように山が出来ている。私たちのカゴの側にはカールの耳があって、叫ばなくてもカールに聞こえるようだ。
山の上から見ると天珠の森は綺麗な円形をしている事がわかる。森は草原によって人間界と分断されているように見えた。唯一の例外は、森のすぐ側に建てられている天珠離宮だ。天珠離宮の前に広がる草原の向こうに薄っすらと都の家々が見えた。こうしてみると天珠の森の中心部にある大宮の天樹は森の木々より頭一つ飛び出している。創世の世より変わらずあそこに生きているんだろうなぁ。
「ここは、いいところね。」
「ふふん。未希さまは千年前の天子さまと同じことを言うだ。」
「カールは僕たちの祖先のことを知ってるのか?」
「知ってるっていうか、わかってるんだな。おらの胸んところに千年前に来た天子さまがいるんだ。」
カールの話によるとカールたち巨人族(族って言ってもいいのかな?)は二人しかこの森に存在しないらしい。男の子が出来たら父親が死に、その子が大きくなったら母親が死に、新たな女の子が地面から生まれるというのだから両生類でもない特殊な生態のようだ。食事もこの森の空気を食べて生きられるんだって。まるで植物のようだね。けれど自分で考えることは出来て、記憶も代々受け継がれるらしい。それで千年前のことも記憶にあるそうだ。この森の主みたいなものなのかしら。
「この前に来た天子はマイとツネヨシと言う名前だった。マイさまは優しい女の子でな、それでいていざという時には強かった。じいちゃんはマイさまに歌を教えてもらった。音楽の才能があっただよ。」
叔父さんはカールの話を聞くと、私の方を見る。
「未希に似てるな。未希もピアノを習ってるだろ。」
「私のは才能があるというより好きなだけだよ。」
「そうかぁー、ミキさまも音楽が好きなんだなぁー。今度、おらにも歌を教えてけろ。」
「うん、いいよ。どんなのがいいか考えとくね。」
「うおおおおーーーっ。」
カールが喜ぶと耳鳴りがするね。どうか控えめに喜んで頂きたい。
「嬉しいなぁ。おらも歌を教えてもらえんだ。セイシロウさまは言葉を教えてくれるのか?」
「ん? ツネヨシはカールのおじいさんに言葉を教えたのか?」
「That's right. He's a good teacher.」
「「・・・・・・・。」」
なんか山奥のお百姓さんが急に英語を話し出したような驚きがあるんですけど・・。
「千年前でも英語を喋れる人がいたんだね。」
「エゲレス語だけじゃないぞぉ。“ありがとう”をいろんな言葉で教えてくれた。ダンケ(ドイツ)、ダンク ユ(オランダ)、オブリガード(ポルトガル)、グラシアス(スペイン)、メルスイ(フランス)、グラーツィエ(イタリア)、グラティアス ティビ アゴ(ラテン語)、エフハリスト(ギリシャ)、スパシーバ(ロシア)、トダ(ヘブライ語)、モタシャケラム(ペルシャ語)、テシェキュルエデリム(トルコ)、シュクラン(アラビア語)、ダニヤヴァアド(ヒンディー語)、シェーシェーニ(中国語)、カムサハムニダ(韓国語)、コプクン(タイ語)、カムオンアウム(ベトナム語)、サラマポ(フィリピン)、アサンテ(スワヒリ語)・・・・。」
いくらでも続きそうだったので止めてもらった。
「すごいね、カール。よく覚えてるよ。」
「すげぇのはツネヨシさまだ。それに、こんなにたくさんの国があるミキさまたちの世界だよぉ。おらたちの大陸には三つしか言葉がねぇもんなぁ。」
「リグランド国やエメンタル共和国諸州はどんな言葉なんだ?」
「エゲレス語と中国語だな。地方によって訛はあるけんど、ツネヨシさまはそれぞれの都では、その二つで通じると言ってた。」
「えっ? ツネヨシさんは他の国にも行ったって言う事?」
「ああ。ミキさまやセイシロウさまも行くんでねぇか? 天子の集まりがあるんだろ。」
「天子の集まり?!」
そんな話は初めて聞いた。
外国にも行くことになるのか。それで叔父さんが天子に選ばれたんだろうか?
思いもかけないカールの話に、私たちはしばらく呆然とした。日も落ちて、空の光月がオレンジ色に光り出す。送って行くというカールを断って、私たちは月明かりの中、飛翔で大宮まで帰って来た。
部屋のベランダに降り立つと、ポルトがすぐにやって来た。どうやら心配していたようだ。
「本当にカールの奴は我儘なんですから。天子さまもお腹が空かれたでしょう。夕食の準備が出来ております。食堂の方へお出でください。」
ポルトのプリプリした様子に笑いながら、私たちはその後をついて行った。
天樹国だけではなく、この大陸も見て歩くんだ。
・・・英語と中国語、少しは叔父さんに習っといたほうがいいかもな。
天子の集まり。どんなことをするんでしょう。
※ 日本から欧州へ行く道筋に出会いそうな言葉をあげてみました。
参考文献 「40ヵ国語習得法」
作者 新名美次 出版社 ブルーバックス 講談社