使徒というもの
翌朝のことです。
布津賀村を朝早く出発したのだが、護衛と荷物運びの人が一人ずつ交代した。布津賀村で待っていてくれた三人が新たに使徒のメンバーに加わったようだ。交代した二人は使徒の村に報告に帰るようで、ここでお別れだ。村長さんによろしく伝えてもらうように頼んでおいた。マユの婚約者のケヤキが一人増えたので、護衛が五人になっていた。
今日はコテキが斥候で飛び出して行き、ハヤテが私たちの一番前を歩いている。村長さんに護衛には任務に集中する必要があるから話しかけないようにと言われたが、初めて見る忍者の人たちだ。いろいろ尋ねてみたいことがあるんだけどな。
昨夜のハヤテの話を受けて、アサギリはユタカと何か相談していた。参日場に待機している使徒を多めに船に乗せると叔父さんに報告していたので、護衛の数を増やすつもりなのかもしれない。
ホウは昨日、使徒の村を出発した時のように、出発の様子だけ見届けるとどこかに飛んでいってしまった。たぶん先に参日場に行っているのだろう。
『三日後に船に乗ることになる。』
という予言だったから、今日中に船に乗るんだろうな。私たちの世界では不気味な未来の予言だったけど、今となっては道標のような頼もしいものに感じる。予言って受け取るものの気持ち次第なんだね。
「天満川が近づいた。」とケヤキが私たちに教えてくれていた時に、ハヤテが斥候のコテキからの文である例の結び目のある紐を見つけたようだ。「この先に熊の通り道がある。」と言われた。するとみんなして「ほーおっ、ほーおっ!」と叫び始めた。どうしたのかと思ったら、こうして五月蝿くして熊を遠ざけるらしい。少し歩いたところで、ハヤテが道の側の林にある木に残されたツメ跡を教えてくれた。言われないとわからなかったが、叔父さんの頭の上ぐらいの高さに木の皮がはがれた後があった。
「これは大きな熊だな。“山守”か?」
アサギリがハヤテに聞いている。
「そうだな。その可能性が大きい。どうも子熊を二匹連れているようだ。この冬産んだのかもしれないな。」
わぁ、熊は怖いけど子熊というのは可愛いと思ってしまう。不思議だね。
道が川岸に出た時にハヤテが上流に向かって手を叩き始めた。すると護衛や荷物運びの人たちも木の枝を拾ってリヤカーの鉄組をカンカンと叩きだす。
「おいっ、未希。見てみろっ。熊がいるっ。」
叔父さんの声に、囲まれていた人垣から顔を出してみんなが見ている方を覗くと、川の中から大きな母親熊と子熊が二匹、岸に上がってきているのが見えた。川の中で魚でも取っていたのだろうか?大勢の人間が五月蠅く騒ぐのを迷惑そうに振り返りながら上流の方へ去って行く。二匹のまるまるとした毛の塊が右に左に揺れながら大きな母親の後を追って走って行くのが可愛らしかった。
「子熊って可愛いね。」
「未希さま・・。あれは一匹はオスでしたよ。“山守”の産んだオスがどれだけ大きくて狂暴になるかと思えば、とても可愛いとは思えません。」
サラにそう窘められてしまった。
・・確かにそうかも。実際、護衛もなく熊の親子を見つけたらそんな悠長なことは言っていられなかっただろう。
熊の親子が充分に離れてから、やっと下流に向かって歩き始めた。川岸は自然な草の土手になっていて盛り土などはされていない。対岸は遥か向こうにあるのでだいぶ大きな川なのだろう。一級河川と言われている私たちの地元の川と同じぐらいの川幅はありそうだった。
「こういう草の土手はあんまり見たことないなぁ。蛍がいるかもしれないぞ。」
叔父さんがそう言うと、アサギリが頷いた。
「はい。もう蛍の時期には遅いのですが、水無月にはこの川が夜でも昼間のように光り輝きます。町の人たちも参日場に蛍見物に来るんですよ。」
「へぇー、見てみたかったな。・・そう言えば水無月って6月のことだったよね。こっちではまだ旧暦なのかしら?」
私がそう言うと、サラが教えてくれた。
「大陸では西暦が共通歴になっているんですが、月の呼び名だけは旧暦の呼び方が残っているんです。」
「未希は難しいことも知ってるんだな。俺なんか旧暦の呼び方は知らないぞ。」
叔父さんは英語脳の人だからしょうがない。
「うちではお母さんが畑仕事を月の満ち欠けが書いてある陰暦のカレンダーを見ながらやってるからね。月が太って行く時に苗を植えたらいいとかそういう自然界のリズムがあるんだって。」
「姉さん、相変わらず変なとこに拘るね。」
「征四郎さま、月の影響は農作業には大きいのです。光月と闇月の調和を見ながら苗を植えるのは常識です。」
あまり喋らないユタカが口を挟んできたのでびっくりした。ユタカは農家の人らしい。いつもの年なら今頃、野菜の出荷に追われているそうだ。
今年は誰がその作業をしているのか尋ねたら、天子さまの仕事が何よりも優先だ。野菜の仕事をするなど本末転倒だと言われた。
意味が解らなかったが、アサギリが教えてくれた。
「使徒の村は都の王侯貴族から税金が免除されているのです。その代わり、千年かけて天子降臨のための資金を準備しているのです。つまり普段の仕事で得られる利益はこの年のためにこそあるもの。ユタカはそう言いたいのですよ。」
それを聞いて叔父さんと二人でギョッとした。
使徒の村のみんなは、本当に全力をあげて「天子の使徒」なのだ。悠久の時をただこの時の為に生きる。
最初にアサギリに会った時に「天子降臨に村の皆が喜びに湧きたっている。」というようなことを言われたが、それを聞いてやっとその言葉の本当の意味がわかった。私が使徒の立場だとしたら古くから言い伝えられていた伝説の仕事をする時がとうとう来たんだと感慨深いものがありそうだ。
これは、私たちも気合を入れて使命を達成しないと・・。いいかげんに天子の仕事をするべきじゃないね。
前方に建物が何軒か見えて来たと思ったら「参日場の村に着きましたよ。」とハヤテに言われた。
大勢の人たちが川から村にかけての道路を行き交っている。布津賀村より大きな村のようだ。
中型の帆船が川岸に横付けされているのが見えた。
「帆船がある。まさかあれに乗るのか?」
「そうです。」
叔父さんは船に注目しているようだが、私は歩いている人たちの髪の毛を見てびっくりした。
「叔父さんっ。茶髪だっ。茶色の髪の人ばかりじゃない。」
「未希さま。我が国は殆どの人が茶色の髪ですよ。」
「えっ、でもサラや使徒の人たちはみんな濃紺の髪じゃないっ。」
布津賀村でも紺色の髪の人たちばかりだったので、この世界の人はみんな紺色の髪なのかと思っていた。
「一般の人はみんな茶色の髪です。使徒に近いものは紺色。使徒の村のものは濃紺。王侯貴族は黒色。とだんだん色が濃くなるのです。その代わりに肌の色は、高貴な方ほど白い。」
そう言われてみると、うちの親族は昔から色の白い人が多い。先祖に白人の血が混じってるんじゃないの?というのが皆で集まった時の冗談になるぐらいだ。
それで私たちが天子に選ばれた?
私と叔父さんは目を見かわした。初めて、私たちが選ばれたわけがわかった気がする。
やっと異世界に召喚された訳がわかりましたね。