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よく手入れされた美しい洋風庭園を抜けた先に先代族長を幽閉しているという離れはありました。
同じ敷地内にありながら、その周囲だけ草木が途切れ玉砂利が敷かれている様はまるで枯山水のよう。
偶然か故意かはわからないけれど、一目で隔離された場所だと察せられます。
見張り役だろう亜人の皆さんの発する空気がどことなくぴりついているのは先程の脱走騒ぎが一因でしょうか?
踏んづけないよう予め抱きかかえることにしたひんやり滑らかな触り心地抜群の透明スライムさんをそれとなく揉みながら玄関口に到着。
「サヤ、サリム殿。建物内は母の部屋を中心に結界を張っています。恐らく問題ないと思われますが、何か体に不調があればすぐに申し出てください」
「はい、わかりました」
《ワカッタ》
門番の小柄な髭もじゃドワーフさんと二足歩行の黒犬もといコボルドさんに会釈してから建物内に足を踏み入れると、あちらこちらに薄緑色の光がふわふわ浮かんでいました。
どことなく常闇神さまのところで見た黒い光に似ています。
「サヤ、息苦しくはありませんか?」
「大丈夫です」
調度品もなく厚いカーテンに閉ざされた屋内は、ともすれば陰鬱な印象を与えかねませんが、自由気ままに飛び交う涼やかな光のお陰でほの明るく感じます。
この光って何なんでしょうね?
結界の一部なんでしょうか?
「ではこれから母の部屋に向かいます。……サヤ、よろしいですか?」
「はい」
聖女の固有スキルで変質させられてしまったヒューさんのお母さん。
言葉が通じないとのことですが、五本の指に入るという特別スキルの意志疎通があれば恐らく問題ないでしょう。
例えドアを開けた瞬間に火魔法をぶちかまされても魔法攻撃無効がありますし、お得意だったという幻影魔法の類いも精神攻撃無効と状態異常無効があるので効きませんし、物理攻撃は椅子や花瓶以外のヤバそうな物が飛んできたら物理攻撃無効持ちのサリムさんに頑張ってもらいましょう。
どうやらサリムさんは本来暁の館に送るはずだった私を間違ってこの集落に送ってしまったそうで、先程謝罪と共にサリムさんのスキルをいくつか教えてくれたんです。
隠密と分裂持ちで、かくれんぼが得意なんですって。
対戦しないかと誘われたので暁の館に着いてからすることになりました。
「サヤ、本当に大丈夫ですか?結界があるとはいえ危険なことには変わらないのですよ?」
「大丈夫です」
そう、実は私ドアを開ける役目に名乗り出たんです。
サリムさんを道連れにするのはいささか心苦しいですが、私達なら余程のことがない限り対処できると思ったので。
万一の被害は出来る限り少ない方がいいですからね。
ヒューさん家族とドア前にいた見張り役のミノタウロスさんと動く鎧ことリビングアーマーさんに注視されながらドアノブに手をかけます。
「サリムさん、覚悟はいいですね?」
《ダイジョウブ》
深呼吸を一つ。
一気にドアを開け放った私が見た光景は──
「何者だ!?」
逡巡することなく私を押し退け部屋に飛び込んだヒューさんが誰何したのは平安時代にいそうな長い緑髪の女性。
そう、結界が張ってあり誰も立ち入っていないはずの部屋には何故か二人の女性がいたんです。
一人はキングサイズのベッドの上で猿轡を噛まされてなお眠っている壮年の女性、もう一人はその女性を蔦のように蠢く己の髪を用いて縛ろうとしている黒のロングドレス姿のお姉さん。
全く意味がわかりません。
これは所謂SとかMとか十八歳未満お断り系のあれなんでしょうか?
それともお母さんの症状を改善するための──なわけないですね、ヒューさん達の様子から見て招かれざる客のようですし。
しかしあの髪は魔法で動かしているんですかね?
緑髪と呼ばれる美しい黒髪もあのような使われ方をしては台無しです。
「この場所に何用だ?質問に答えろ」
ヒューさん、ヒューさんの息子さん、ミノタウロスさん、リビングアーマーさんが四方向から取り囲むも全く動じる気配がありません。
ただうっそりと笑うだけ。
もしかしたらこちらの声が聞こえていないのでしょうか?
《フクヘン、キヲツケロ》
サリムさんの警告とほぼ同時に髪が鞭のように飛んできました──が、うにょんと伸びたサリムさんがナイスセーブ。
「あら~防ぐなんて悪い子ね~?お仕置きしなくちゃ~」
あ、喋れるんですね?
何て思う間にも容赦ない髪の鞭攻撃が襲ってきます。
他の四名のように素早く飛び退けたら良かったんですが、如何せん身動き一つ出来ませんでした。
置物同然の私とは真逆に自由自在に体を変形させて次々と攻撃を捌くサリムさんはとても頼もしく、この世界のスライムは少なくともゲーム開始直後の勇者が簡単に倒せるような雑魚ではないと認識を改めさせられました。
「あら~?これも防いじゃうの~?生意気ね~」
攻撃を完璧に防ぐことで相手の注意を一手に引き受け、ヒューさん達がお母さんを救出する時間を稼ぐサリムさんて実はすごいスライムなのでは?
下手に動けず棒立ちの私とはえらい違いです。
そんな私にも当たらないよう配慮してくれるサリムさんに心からの感謝を。
「じゃ~あ、これならど~う?」
言葉と同時に放たれたのは風の刃。
《フクヘン!フセロ!》
サリムさんの焦った声。
もしかすると魔法攻撃に対する耐性が低いのかもしれません。
このまま抱きかかえていても大丈夫だとは思いますが、念のため床に落とし動かないよう踏みつけます。
これ一見恩を仇で返しているように見えますね?
後で誤解を解かないと。
「サヤ!」
「サヤさん!」
叫ぶヒューさん達を他所にノーガードで佇む私に当たることなくかき消える風の刃。
思った通りですね。
スキルレベル不明なのは気になりますが、魔法攻撃はオートで無効化してくれるようです。
「あら~変ね~?あなた何をしたの~?」
おっとりした話し方とは裏腹に次から次に飛んでくる風の刃。
その全てが微風すら感じさせることなく消えていきます。
うーん、素晴らしい。
「どうしてかしら~?防げるはずないのに~」
数打ちゃ当たると言わんばかりに同じ魔法を撃ち続けるお姉さん。
物理攻撃を混ぜてみるとか違う魔法を組み合わせたりしないのは一度に一種類の攻撃しか出来ないから?
それとも単に手を抜いているのでしょうか?
「これも駄目~?じゃ~あ、これはど~う?防げないと~死んじゃうわよ~?」
そうして撃ってきたのはやはり何の捻りもない風の刃。
当然ながらあっさり無効化されます。
お姉さん、呆然としているところ悪いですがあなた同じ魔法しか撃ってませんよね?
逆に何故防げないと思ったのか、そっちの方が不思議です。
「嘘、嘘よ。あり得ないわ」
髪を振り回し嘘と繰り返すお姉さん。
間延びした話し方じゃなくなったのは第二形態に移行するから──なわけないですよね?
流石にそれはファンタジーが過ぎますよ。
MPがない、回復薬もない、ないない尽くしで始まる戦闘、そして全滅。
死んでしまうとは情けない?
じゃああなたが倒してきてくださーい!って感じですよね。
「……せっかくの素材が……でも私じゃ力不足……もっと時間があれば……」
何かぶつぶつ言ってますが大丈夫でしょうか?
メタモルフォーゼなんてしませんよね?
お母さんの救出も完了したようですし、このままお縄についてもらえたりなんか────え!?ちょ、
「サヤ、危なっ──消えた!?」
ヒューさん状況説明どうもです。
自棄っ腹になったのか乱れ髪を引きずり突進してきたお姉さん。
けれどその手が私に触れる直前、まるで夢幻のようにかき消えてしまったのです。
え?
どういうこと?
幽霊だったの?
「サヤ、大丈夫ですか?」
「はい、何とか」
ベッドに寝かされたお母さん。
顔についた猿轡の跡が痛々しいです。
強固にへばりついて無理に外せば顔の皮膚まで持っていかれるかもしれないと手をこまねいていた猿轡も、何故かお姉さんが居なくなったと同時に消えてしまったそうです。
もしかしたらあれも髪の毛で作られていたんでしょうか?
色味が似ていたのであり得なくもないです。
それにしても不思議ですね、耳元で結構な大声を出されていたのに全く起きる様子はありません。
魔法か何かで眠らせているのでしょうか?
それとも魔力が無くなったら昏睡してしまう?
「サヤ、そろそろ……」
「あ、はい。でもお母さん寝てらっしゃいますよね?無理に起こして大丈夫でしょうか?」
「いえ、そうではなく……」
何とも言えない表情のヒューさん。
回りの皆さんも似たり寄ったりの顔です。
「?日を改めた方がいいですか?」
え?
一体なんでしょう?
私何かしました?
心当たりがなく首を傾げた私の耳に飛び込んできたのは──
《……フクヘン、ジャマ》
感情を削ぎ落としたサリムさんの声。
恐る恐る足元を見るとそこには無惨にひしゃげたお姿が。
「す、すみません!本当にごめんなさい!」
あは、あはは。
もう笑うしかありません。
命の恩人であるサリムさんをすっかり忘れてました。
何て恩知らずな私。
トゲトゲさんよりも幾分柔らかいサリムさんの上から足を退けると、うにょにょんと立体的なフォルムを取り戻してくれました──が、私は見たのです。
すぐに下の方に隠してしまったトゲトゲさんのトゲよりもなお鋭く尖ったトゲを、見てしまったのです。
さざ波のように波打つ体表。
密やかに感じる怒りの波動。
…………。
アカン。
これ絶対キレてはるわ。