10
邂逅
スライムに映し出された常闇神と目が合った瞬間、いきなり視界が黒一色に染まり、気づけば見知らぬ場所に立っていました。
辺り一面が黒い靄に覆われて視界はほぼ0。
薄気味悪く何とも言えない息苦しさを感じます。
ふいに靄がねっとりとした質感を持って絡み付いてくるような予感がしたので、触れられる前にと思いきり腕を振ったらあれほど濃かった靄が霧散、同時に息苦しさもなくなりまるで一仕事終えたような清々しさに顔をあげると、すぐそこに漆黒の巨躯──常闇神が佇んでいました。
思わず後ずさると右足にぐにゃりとした感触。
見るとそこには無惨に潰れた薄黄色のスライムが。
え、えらいこっちゃ!
すみません!と言いながら足を退けるとうにょんっと穴が塞がりそのまま滑るように去っていくスライム。
だ、大丈夫ですかね?
スライムを見送っていると黒い光が飛んできました。
あちらこちらで瞬く光につられて視線を戻せば威風堂々たる常闇神。
その周囲をまるで蛍のような優しい光が舞う光景は息を呑むほど美しく幻想的でした。
そこに水を差すのが先程の黒い靄。
靄は鞭のようにしなり常闇神へと絡み付こうしましたが、触れる寸前黒い光が瞬きその先端を消し去りました。
ホッとしたのも束の間、新たな靄が黒い光を覆い消してしまいます。
消えた光の間をぬって常闇神に絡み付く靄。
靄が触れた部分がくすんだ黒になっていきます。
よくよく見ると体の半分近くが靄の影響を受けているようです。
何か言いたそうな常闇神。
しっかりとした意志を感じる瞳に時折苦悶が過るのはやはりこの黒い靄のせいでしょうか?
戦況は黒い光がやや不利です。
靄は狡猾というか黒い光の頑張りを嘲笑うように的確に常闇神へと絡み付いていくのです。
刹那左腕を掠めていく黒い靄。
全身に浮かぶ鳥肌。
……。
この靄、すごくヤバいんじゃ?
腕をさすりながら思い出すのはあのスキル。
そう、癒しの手です。
先程黒い靄を消し去ったのは恐らくこのスキルでしょう。
あの時は確か右手の甲で振り払いました。
手はOKで腕はNG?
それとも振り払おうとする意志があれば腕でも払えるのでしょうか?
さする端から気持ち悪さが消えていくのを確認した私は覚悟を決めます。
「とりあえず──女は度胸!!」
私はハイになっていたのでしょう。
無謀にも黒い靄に突っ込みました。
ええ、突っ込みましたとも。
一斉に向かってくる黒い靄に対して両手をぐるぐる振り回すという端から見ると何とも言えないお間抜けさんですが仕方ありません。
私運動音痴なんですよ。
黒い光のサポートもあり、常闇神を一周する頃には靄のほとんどが消えていました。
いつの間にか現れた常闇神を包み込むような淡いスノードーム状の──結界でしょうか?その向こうで未だ蠢いていますがしばらくは大丈夫でしょう。
侵入しようとするもあっさり結界に消し飛ばされていますから。
今のうちとばかりに黒い光が靄の影響を受けた箇所に集まっている様子はまるで常闇神を癒しているようです。
その美しい光景にマラソン大会完走後のような疲労感でへたり込んでいる私も癒されました。
はーっ、ようやく一息つけますね。
周囲をぐるりと見回すと遠目に魚影が見えます。
……え、魚影?
目を擦ってみてもやはりイワシっぽい群れが形を変えつつ泳いでいます。
……。
もしかして。
ここ、海の底だったりします?
……まさか!?
慌てて喉元を探りますがエラはありません。
大丈夫、私は人間です。
一回落ち着きましょう。
はい、ゆっくり深呼吸。
吸って~吐いて~。
うん、普通に呼吸ができますね。
この結界のお陰か黒い光のお陰か、はたまた常闇神の力かそれとも暗黒神の加護のお陰かはわかりませんが、とにかく助かりました。
溺死や水圧に押し潰されて死亡とか洒落になりませんからね。
とりあえずまだ見ぬ暗黒神さま含む皆さんへ感謝の念をおくりましょう。
ありがとうございました!
なむなむと拝んでいると地響きが。
ん?と目を開けると真正面に常闇神の顔。
思わず後ずさると右手にぐにゃりとした感触。
ま さ か?
おそるおそる手元を見ると無惨に潰れた薄黄色のスライム。
去っていったはずのこの子がなぜここに!?
う、うにょんと力なく動く様子に慌てて手をどける。
「す、すみません!大丈夫ですか?」
声をかけるが無言でささっと去っていく。
部屋にいた透明なスライムと違って無口なのか、潰した私とは口もききたくないのか。
どちらにせよ三度目はないことを願うばかりです。
……しかしあのひんやりボディ、なかなかけしからん感触でした。
そう、まるで──
《──ムスメ、キコエ、ル、カ?》
腹の底に響くような重低音。
しゃ、しゃべったぁー!?
「は、はい!聞こえております!常闇神さま!」
だらしなく胡座をかいていた姿勢を慌てて正座に変えて答える。
決して変なことは考えておりません!
考えておりませんとも!
《ムスメ、レイヲ、イウ。ラクニ、ナッタ》
「い、いえいえ、どういたしまして。お役に立てて良かったです」
ペコリと頭を下げると大きな顔が近づいてきた。
何でしょう?
《──ソナタ、ナツカシキ、ニオイガスル》
「懐かしい匂い、ですか?」
そういえば匂いは記憶を呼び起こしやすいと聞いたことがあります。
目を細めて私を見つめる常闇神はどこか好好爺然としていて、もしかしたら遠い記憶を思い出しているのかもしれません。
《アレ、ニ、ツタエヨ。キボウハ、ツイエテオラヌ、ト》
「希望は潰えておらぬ?……ええと、すみません。誰に伝えれば良いんですか?大切な言葉なんですよね?」
私の質問に好好爺然とした顔から一転、ちょい悪オヤジ風にニヤリと笑う常闇神。
何でしょう。
いぶし銀ってやつですかね?
ちょっと格好いいです。
《──ワレハ、シバシ、ヤスム》
スルーですか。
まぁ仕方ありません。
神様は気まぐれと聞きますしね。
わざわざお礼を言ってもらえただけでもすごいことです。
「はい、ゆっくりお休みください」
あれに伝えよ。
流石にアレという名前の人に伝えろってわけじゃないですよね?
うーん。
吸血鬼さんかサキュバスさんに聞いてみましょうか。
あの二人、見かけによらずご高齢で交遊関係が広そうですし。
巨躯を伏せ目を閉じた常闇神の体の下に複雑な魔法陣が浮かび上がりました。
心持ち、黒い光の輝きが強まったような?
全身が淡い光に照らされて神々しい常闇神。
これなら癒しの手によるマッサージは必要なさそうですね。
初めて意図して使ったスキル。
使い方があっていたかはわかりませんがお役に立てて良かったです。
ですがこれからどうしましょう?
ここが海の底ならかなり不味いですよね。
五十メートルはなんとか泳げますが、透明度が高いのに光が届いていないことを考えると絶対それ以上あります。
いくら常闇神のあの巨躯を一周出来たとはいえ泳ぎきるのはまず無理です。
…………。
そういえば私、黒い靄を消して回りましたよね?
言い方を変えると黒い靄と戦ったってことになりません?
つまりはレベルアップの可能性。
使えるスキルが増えていたりなんかして?
す、ステータスオープン!
名前: 久遠 沙夜 サヤ・クオン
年齢:17
性別:女
職業:魔王の妻
Lv:2
HP:9/20
MP:20/20
スキル: 意志疎通、魔法攻撃無効、物理攻撃耐性、精神攻撃無効、状態異常無効、癒しの手
称号:常闇を照らす光
加護:暗黒神の守り
装備:体操服 上下、 スニーカー
所持金:666円
……。
レベルが上がっていることを喜ぶべきか、HPが半分ないのを驚くべきか。
というかHPもMPも5しか増えてないですね。
ちょっと少なくありません?
でも増えすぎたら増えすぎたで怖いような。
うん、これくらいがちょうどいいのかもしれません。
新しいスキルはなし。
まぁそんな簡単に増えませんよね。
それよりも癒しの手はHPを使用するんでしょうか?
それともMPを使用したけれど時間経過で回復した?
だとすると実は結構危なかったのかもしれませんね。
これからはああいう無茶は控えて無理は禁物をモットーにいきましょう。
さて、どうしましょうか。
HPが時間経過で回復するかの確認のため、ひと休みするのは決まり。
その後、自力で海面まで泳ぐか誰かが助けに来てくれるのを待つか。
まぁ前者ですよね。
自分の命がかかった場面での他力本願はあまり好きではありません。
近くに大陸もしくは島があればいいんですが、なくても周囲にいるだろう海の魔物に身分証の裏を見せて陸地まで連れていってもらう、もしくは魔王領がどの辺にあるか教えてもらって自分の加護とスキルを信じて泳ぐ。
海の魔物のモットーが見敵必殺だったら厳しいですけどね。
……。
そういえば。
この結界、中から出られるんですかね?
閉じ込められているとかありませんよね?
ちょっと確かめてみますか。
よっこいしょ、と立ち上がろうとしてくらりと立ち眩み。
直ぐにおさまりましたが念のためもう少し休んでからにしましょう。
無理は禁物です。
常闇神さま、ちょっと場所お借りしますね。
両手を広げてごろんっ!と寝転ぶと背中にぐにゃりとした感触。
ま さ か?
ガバッと飛び起きて振り向くと見覚えのあるへしゃげた薄黄色のスライム。
いつの間に!?
というか三回目!?
「す、すみません!大丈夫ですか!?」
修復中のスライムを持ち上げて謝ると体表がトゲトゲに。
ちょっと金平糖みたいです。
《───チッ、ハナセ、デブ》
舌打ち!?
今、舌打ちしましたよね!?
しかもデブ!?
「デブくないです!標準です!!」
《ノロマ》
「……そのノロマに三度も踏み潰されたのは誰でしょうね?」
スライムは無言でプルンッと震えると器用に手のひらから飛び降りました。
あのトゲトゲは怒りを表しているんでしょうか?
一メートルほど距離をとり、トゲトゲを引っ込めたスライムが一言。
《──ツイテコイ》
言うや否やものすごい早さで逃亡。
既に姿は見えません。
……。
立ち尽くす私の側に黒い光が寄ってきました。
あ、昆虫とかじゃなくて光の集合体なんですね。
矢印の形に集まって方角を示してくれたんですが──前方右斜め下って一体?
埋まってるんですかね?
ま、とりあえず探してみましょうか。
何か手助けしてくれるかもしれませんし。
慎重に立ち上がると今度は目眩なし。
うーんとひと伸びすると気持ちまで前向きになる感じがします。
さて、スライムさんはどこですかね~。
いませんね~。
ひょいっと石を飛び越えて~──むぎゅ。
「…………」
《────》
…………。
アカン、マジギレしてはる。