第5話
「部室って何するところだったっけ……」
疑問を投げかけるのは拓海。相変わらず窓の外からは体育会系な絶賛青春していますな部活動をしている生徒たちの声が聞こえる。季節的には、夏が過ぎゆく運動に最適な季節だ。高校生であるというのに青春に挑まないだけでなく、スポーツにも打ち込まず、はたまた、音楽活動などの芸術的活動に打ち込んでいる様子も見えない近代文化研究部の皆さま方からしたら、窓の外の景色はとても眩しいものではないだろうか。
「部室、部活動のための活動拠点となる場所。いうなれば、秘密基地……」
後押しらしき発言をするのは醒。寄り道活動をしてから、一週間程が過ぎようとしていた。部活動には半強制参加という学校の古き良き伝統が続いているため、やむなしに今日もこうして皆仲良く狭い部室へと閉じこもっているのだ。無論、何時間活動を行うかというのは部の自主性を重んじて決められてはいないため、やろうと思えばサボって帰るというのも可能なのだが、そこは根が真面目なのか、なんなのか、近代文化研究部メンバー四名は一定の時間は残って各々自由な時間を過ごす。
「そして、親友、その手だと、後三十八手先に詰むわよ」
話を挟みながら、拓海と醒はチェスを指していた。
「もうこの盤面から一手も進められる気がしない」
そして、拓海は何度も同じ場面で待ったをしていた。これで三回目だ。手を進めようとする度に醒から、何手先で詰む、と言われ思考をし直す。別に拓海はチェスが得意な訳でも何でもない。だが、やることが特にこれといってないため、部室に内にある時間の潰せそうなものをやむなしに行っているという訳である。ちなみに、チェスが近代文化の一員として迎え入れられているこの状況に待ったをする者はいない。
「そう。正確には、もう六手前で詰んでたから」
醒が真顔でチェス盤を眺めながら言う。彼女の頭では今も素晴らしい機械的速度でチェスの手を計算しているのだろう。
「今さら!?」
告げられた衝撃の言葉に拓海は驚く。勿論、拓海は醒に一勝もしていない。拓海だけ待った有りの真剣じゃないご接待ルールなのだが、残念なことに、相手はヒューマノイド。単純な計算能力は軽く人間を凌駕する。チェスの世界チャンピオンでさえ今の機械には勝てないのだから、ただの一学生であり、特別にIQが高いという訳でもないザ・人間の拓海がヒューマノイドにかなう訳がないのだ。
「二人零和有限確定完全情報ゲームにおいて親友が私に勝てる確率はゼロ……。ババ抜きか麻雀でもしましょう?」
「……そうだな」
拓海はチェス盤を片付ける。やはり勝負すべきは運! 拓海は言い聞かせる。運も実力のうち、というじゃないか、と。別に情けなくなってなどいないが、ちょっぴり拓海の薄っぺらなプライドは傷付けられていたりする。
「どっちをやるにしても、二人じゃつまらないよなぁ……部長、彩乃先輩、やりませんか? 二人増えればちょうどいいくらいの人数になりますし」
読書をしているらしい良大と、何やらスケッチブックに落書きをしているらしいリノに声をかけてみる。二人とも完全に自分の世界に入っていたらしく、拓海の問いかけに答えるまでにほんの数秒の沈黙が流れる。
「いやー、僕はね、どうだろう」
「今忙しいんだ」
両名の返事は拒否だった。これまでしばらくの間見てきて、拓海が感じたのは、良大は何かと人との距離を取りたがっているということ。多少会話こそすれども、深く入ってくることは決してなく、あくまで彼は彼一人の時間を楽しむのが最優先事項のようだ。部長という役割を担っているのも、彼が、この部を利用して、自由を満喫するためだろうと考えられた。
もう片方、リノについては、まだ謎が多いように思える。漫画を読んでいる日もあれば、何か描き漁っている日もあり、その行動はまちまちだ。行動に一貫性はないが、自由という印象は強く受ける。
二人とも、何ものにも縛られたくない、そんな奔放性こそがこの部活へ所属している理由だろうと考えられた。
「彩乃先輩、何やってるんですか?」
四人で仲良く遊ぶ案が破綻した拓海は、暇つぶし程度にと思い、リノのやっていることを覗き見ようとする。リノは隠すでもなく、行っている作業を黙々と続けていたが、拓海が話しかけてきていることに気づくと作業を続けつつ、目線も拓海の方へ向けないままながら返答してくれる。
「漫画描いてんの。あー、でもね、君は見ない方がいいかも」
「いやいや、何をそんな隠してるんですか──あっ」
拓海はにやにやとしながら自席を立ち上がると、リノの元へと歩み寄り、覗き見る。そして悟る。そうか、これは、確かに、拓海が見てはいけない類のものだ、とうことを。言うなれば、表現の自由。そう、リノは表現の海を泳ぐ人魚──。拓海の思考の及ぶことのない大きな大きな海を所狭しと泳ぎ回る表現の大魚なのだ……。拓海は思わず、すみません、と謝罪すると、彩乃は気にも留めていないようで、
「り」
と、実に単調な抑揚のない一文字を返す。拓海は行き場を失い、再び醒のところへと戻ってくる。醒は戻ってきた拓海に、
「おかえり。収穫はあった?」
「何も。よし、あれやろう、しりとり」
「いいわね。私の万の言語能力を駆使してくしくし」
醒が櫛で髪の毛を研ぐ真似をする。手櫛でさらさらとした綺麗なツインテールが整えられる。整える必要もないくらいにずっと綺麗にそろっていたため、結果的にはすいただけであり、髪の毛がさらりと動く以外何の変化もないのだが、拓海がしりとりなどという到底ヒューマノイドに対して勝ち目のない勝負を挑もうとしているということに気づくには十分な時間が与えられた。結果、
「……いや、やっぱいいや」
拓海は、ふぅと小さくため息をついて、しりとりを開始することを諦める。同時に、この先、この部活動で生き延びるためには、何らかの自分一人でのめり込める趣味でも見つけなければならないのだろうかという考えに至りそうになる。
でもそれは違う。拓海は、あくまで、理想の女子高生を追い求める高校生活を渇望しているのだ。どんな手段であっても構わない。理想の女子高生がいないならこの手でつくってみせる、そのくらいの気概をもっている。それに、すぐ横にはその原石となる……かもしれない、女の子……いや、ヒューマノイドがいるじゃないか。ぐだぐだと一週間過ごしてしまったが、やはり、ここは、自分の手で道を切り開いていかねばならないのだ!
「? どうしたの、親友」
そんなことを考えている拓海は無意識に醒の方へと視線を向けていたらしい。
「そんなに人の顔を凝視し続けるのは昔からこの国の文化ではあまりないというデータがあるわ。もっと言うなら、目と目をずっと合わせ続けると」
「合わせ続けると?」
「目と目をずっと合わせ続けると──約十分見ることで幻覚が発生する」
「なんだそれ……」
拓海は問うた、心の中で。お前のデータベースは一体どこからデータを引っ張ってきているのか、と。
「もっと言うと」
「うんうん」
「目と目をずっと合わせ続けることによって相手に威圧感を与えるという怒り方は会社で良く用いられる指導方法の一つ──そう、圧迫面接」
「いやなんか違うぞ、それ」
「辞職脅迫?」
「……この一連の会話に何か意味はあるのだろうか」
「そんなものはないわ。強いて言うなら、無意味こそ有意義。無意味の積み重ねは意味をなす……。ちりつもやまなる、ね」
拓海はなんとなく分かっている。このヒューマノイド、暇つぶしなんていう高等テクニックを身につけているのではないだろうか、ということを。そして、自分は今その暇つぶしに飲み込まれようとしているの出はないか、と。
そんな暇つぶしに拓海は大切な大切な女子高生練成のための時間を奪われては堪るものかと話を切り替えることを試みることにした。
「よし。そうだ、話を変えよう」
「話の転換。いいわ、望むところよ」
何故か、両手の拳をふくよかな胸の前に構えて、目をキリッとさせ、ファイティングポーズを取る醒の姿勢に突っ込みを入れることは敢えてせず、拓海は続ける。
「寄り道以外は何か女子高生として必要なことはあるのか?」
「そのアンサーは持ち合わせていないわ。でも出来ない時は人に頼る。これこそビジネスの基礎」
「……ビジネスという点は良く分からないけど、まぁ、大方賛成」
拓海は辺りを見渡す。良大が目に入るが、きっとこの人は、どうだろう、くらいしか言わないだろう。となると──
「ということで、彩乃先輩、なんかありませんかね?」
リノは聞かれても作業を止めることはないが、何か考えているようだった。
「それは、なんでもいいの?」
リノはきちんと拓海と醒の話を聞いていたようだった。彼女は作業をしながらも人の話に適度に耳を傾けていた。
「なんでもいい、いやー、うん、はい、大体、女子高生らしいことならいいと思います」
「んじゃあ……」
ついに、リノの手が止まる。筆を置き、拓海と醒へと視線を上げる。短い髪が少しだけ揺れ動き、視線が二人へと絡みつく。まるで獲物を見るかのようなねっとりとした目つきは、何か悪いことでも企んでいそうな、嫌な予感を思わせる。
「今度の連休にね、ちょっとイベントがあって。それに参加しない?」
「イベント? 参加? 何か方向性が見えてこないんですけど……」
拓海が判断しかねていると、醒が、きゃるるんとした顔で会話に飛び込んでくる。
「ぜひ、させてもらうわ! イベントといえばフラグ。フラグといえば女子高生。まさにうってつけ、飛んで火にいる夏の虫」
「そうそう、夏虫夏虫」
うんうんと頷くリノ。やたら上機嫌なのが逆に引っかかる拓海。この自由奔放なリノが、何の算段もなしに、楽しいー、素晴らしい―、話を持ちかけてくるとは、申し訳ないながらも考えにくいことだと拓海は思っていた。
「大体、イベントって何なんですか? それ、本当に女子高生っぽいイベントなんですか!?」
故に、その内容を確かめようとする拓海。リノはギラッとした目を拓海に向けると、ちっちっちっ、と人差し指を左右に振る仕草をして言う。
「分かってないなぁ~、加藤ちゃんは~。何事も経験っしょ!」
リノの言葉に、醒が深く同意の頷きを見せている。拓海としても、醒が乗り気ならやむを得ない。それにしても、何のイベントなのかは気になるところだ。醒だけが行くのなら止めはしないが、話の流れ上、どうやら拓海も同行しなければいけないということになっている訳で、それであるならば、拓海は、己の参加するらしいイベントとやらが何物なのかを突き止めておきたかった。
「ヒント、ヒントくださいよ!」
「ヒントね、そうそう、二人にもピッタリ……いや、二人じゃなければできない!」
「えぇ……なんだそれ」
ヒントを出されても何のことか突き止めるには至らなかった訳だが、自分や醒にしか出来ないと言われることはまんざらでもない。適任者として選ばれているのだから。
「あ、そうだ、もう一つあるぞ!」
「今日はやけに発言しますね、彩乃先輩」
普段は、他と関わることを避けて自分だけの世界に入り浸っていることが多いリノの追撃に拓海は少しだけ警戒心を強める。
「まぁまぁそう言うなって! いやー、これはさー、本当ならふっさーにさぁいっつも頼みたいと思ってるんだけどさ、ふっさーは、ほら、こんなじゃん」
リノが良大へと視線をやる。良大はいつの間にか超旧式コンピュータに向かいあっている。ちなみに、この超旧式コンピュータ、これでもインターネットにつながっており、情報の収集は可能らしいとか、なんとか。
「…………」
こんな、と話の矛先を向けられても、良大が自分の世界から帰ってくることはない。この点は、リノとは違うところだ。リノは僅かながらにも、醒や拓海の話へ耳を傾けている時間がったが、良大は違う。別に醒や拓海のことが嫌いという訳ではないだろう。部活の時間になり集まった時の挨拶くらいはにこやかにするし、帰り際など、多少の会話はある。けれどもそれまで。あくまで第三者的立ち位置に立っている男、それが華房良大という男なのだ。掴みどころがない、というよりは、掴みどころを与えるつもりがないのだろう。
「という訳で──そうだなー、明日からっ! 明日から色々とよろしく~」
けろりとした声でリノが言う。手伝う──一体、何を。何を手伝うというのか。その答えは翌日にすぐ分かることとなる。