リーフリールの森の傍の村の宿の食堂。
十日が経ち、感染症は収束しました。
結局、千人以上の発症者と十数名の死者が出たそうです。
「ごめん。
最初、なかなか発症していない人までベッドに縛り付けるのが難しくて。
折角インフィが素早い対応策と資金まで出してくれたのに」
狩猟ライセンス試験を受けたホドの村の宿の食堂にて。
試験は有効で筆記をクリアすれば合格で良いと言う事なので、ついでです。
ディアーナさんは申訳なさそうにしますが、我ながら『酷い無茶振り』ですよね。
自称治療魔術師がこっちのルールを守らず勝手な事して感染経路になった挙句、家族全員発症した人とかもいたと聞いています。
結果的に『対応策が効果したから、これだけで済んだ』と言えるだけのデータと多くの賛同証言も得たそうです。
「御疲れ様でした。
わたしも確信があったわけでもありませんし、この身を動かしてもいません。
結果として瘴気と感染症医療におけるデータとその有用性は確認できました。
リーフリールの森に生きるわたしの個人的研究のデータとしては有益です。
貸し1コ、チャラにしますよ。
あと代理人依頼料と単純な今までの労働対価は別で支払います」
ディアーナさんは蒼を通じてファル姉様と細かく擦り合わせて走り回っていたそうです。
「それはわるいよ。
インフィが表に出なかったのだって混乱を避ける為の配慮でしょ?」
「…まあ、エルフの子供が姿を見せても出る幕はありません。
森の魔女の係累として頼られても大した事は出来ませんし、つまんない因縁つけられても迷惑なので。
手配した人達には対価を支払ったのですから、ディアーナさんにも当然支払われるべきです。
綿密な帳簿をつけて王国から投入資金まで回収してくれたのですから」
「それだって初動から対処までの当然といっていい報償とデータ公開の見返りとしてだもん。
エクリア王国だけへの開示なら釣合うほどではないでしょうけど、もうちょっと儲けが出たと思うけど、インフィの意向としては一般公開なんでしょ?」
「そうです。
わたしは独占しても得はありません。
似たような事が起こった時に噂でも誰かの耳に入って一々呼び出されてはたまりませんから。
こういったデータは公開されてこそ、より多くのデータが公開集積されて更に信頼性の高いデータになって行くのだと思っています」
「世間知らずな金持ちのお嬢らしいといえばらしいし、フィのホムンクルスらしいといえばらしいのかな?
今回の件、王都の公共事業並みの予算と事業規模よ?
蒼…ファルフィさんに確認しながらでも次々と投下される資金を…帳簿を見るのが怖くなったわよ、あたしは」
リーフリールの森の住人の証として魔化魔物を素材にしたものを一枚に十体ぐらい結晶封印した結晶カードを百枚ほどあの時にユール商会に預けていたので急場は凌げました。
最終的に千もの病室が用意できるはずもなく、王都を囲む城塞部の城壁内の外れに仮設治療院を二日で建設しましたしね。
「御小遣はまた魔物素材でも売って補填できますが、ああいうタイミングですし、使うべき時に使うべきですよ。
仮に失敗したとしても、それもデータです。後悔しません。
そういえば魔化魔物素材って結構な額で売れるのですね」
紅に向かって訊いてみます。
「売れますよ。
過去にもユール商会に売っていた実績があります」
「…あそこですか」
「そう言わないであげて下さい。
リーフリールの森の公平性と森の魔女との守秘義務は守る商会です。
本当に殺されそうになったり薬物・魔術を使われそうなら〈リーフリールの森の魔女の報復〉を口にして良い約束になっていますし、実際に何度か被害にあって報復と被害補填した実績もありますから。
マイスターが亡くなった今となって、インフィとの関係をどう捉えるかは不透明ですが、貴女の容姿でも普通の取引をするでしょうから面倒がないと思いますよ?
相手としてもある程度は弁えているはずですから」
「そうね、あたしも役所に資金を強請りに行く時にちょっと口を利いてもらったり資材調達を任せたりしたけど、余計な事は一切言わなかったし急な大口取引としては真っ当な額だったよ?」
「ファル姉様とディアーナさんがそういうならとは思いますが、王都なのですよね…。
…ディアーナさん、急がないのでついでの時にでも届けてもらっていいですか?
蒼の中に仕舞っておけば盗まれる心配もまずないですし」
スッと結晶カードを差し出します。
「いいけど、魔化魔物素材?」
「前のと同じで、一枚に十体ぐらい詰めて更に百枚を一枚にまとめました」
受け取った蒼が腰の、多分…武装マウントスペースか何かの内側に仕舞います。
「ひぃっ!歩く公共事業予算っ!戦う金塊!」
大袈裟に蒼を指差すディアーナさんですが…。
『…ファル姉様、稼働状態のオリハルコンゴーレムっていくらくらいするのでしょうか?』
『通常の命令できる状態のオリハルコンゴーレムでも希少価値の方が高過ぎて値が付くものではないと思います。
同重量の純オリハルコンより高価なはずですから金塊とは一万倍は差があるはずです。
知っているわけでもないので推測ですがエクリア王国の軍事予算辺りとなら比較できるかも知れません。
ですが費用対効果としては国軍とは比較できませんし、オリハルコンゴーレムを戦力利用した記録はありませんね。
リーフリールの森で多くの強化因子を取り込んで強化した蒼となると話は変わるとも思いますが、それこそ売買に規制がかかって値が付かないと思いますよ?』
…今の蒼の討伐ランク四百五十二…魔王より遥かに上ですもんね…。
『…蒼の事は黙っておきましょう。
偽装、バレないですよね…?』
「…それでね。
インフィにまた二つか三つ借りを作るかもしれない相談があるのよ」
わたしにはいつも柔らかい笑顔を見せるディアーナさんが、珍しく真面目な表情を向けます。
「なんですか?」
「三ヵ月か四ヵ月ぐらい旅に出る間も蒼を貸しておいて欲しいの」
「別に構いませんが、どちらに?」
「別にって…いいの?」
「期限や行動範囲を制限してはいなかったはずですが?」
「…その間、インフィの雑用はできなくなるわよ?」
「雑用をしてもらう為に蒼を預けたつもりはありませんけれど?」
「あたし、今の所雑用しかしてないよ?」
…この十日間の『酷い無茶振り』を雑用と言い切りますか…。
「…すみません、雑用ばかり押し付けて…」
「いや、それは気にしてないけど。
話を戻すよ?
生まれ故郷の周辺、帝国が征服して回った地域を巡ってみようかなと思ってね。
リーフリールの森の庇護から外れた地域だから、蒼がいないと半年くらいかかりそうだし断念も考えるけど」
「ただの里帰りではないのですね」
「生まれ故郷といっても両親を含めて親類縁者は全滅してるし、十年以上離れてるから誰も知り合いはいないわよ。
故郷の街自体も寄るつもりはないよ?
ただ、帝国が殲滅の方針を取った国の街や村で、今回のエクリア王都に似た感じの流行り病…感染症が蔓延した事もあったなって思い出してね。
帝国を離れて二年経っているし、今更どうにもなんないのは分かってる。
薄情な話、もう悔恨も自責の念もないけど帝国がまだそういう地域を増やしている事実があるわけで、今回のエクリア王都にしてもその一環の可能性が高いのよ。
本音を言えば暴れてでも帝国軍幹部に自分達が成した惨状を直視させたい。
瘴化細菌感染症が蔓延する中に皇帝を放り込んで何を思うのか問い質したい。
でも、実現した所できっと無意味。
皇帝を、貴族を、権力者を、片っ端から暗殺しても『ションサース帝国』がなくならないと後釜はいくらでも出てくるし、誰が権力を握ろうが侵略と搾取を続けないと『ションサース帝国』崩壊する。
『ションサース帝国』はそうする事でしか形を保てない構造物なの。
帝国の方針を否定するなら『ションサース帝国』という構造物を否定しなきゃいけない。
『ションサース帝国』を滅ぼすという形でね。
今できるとしたら周辺国が一丸となって袋叩きにするくらいでしょうけど、それはそれでどちらが勝とうが歴史のトップに残る愚かで悲惨な大戦になるわね。
…ごめん。
子供にする話じゃなかったね」
「いえ、子供は大人扱いされると嬉しいものですよ?
誤解を恐れずコメントするなら興味深いお話です」
「あんたって娘は~。
…まあいいわ。
どこの国であれ、上のやる事は下々にとって天災みたいなものでしょ?
天災だと割り切ってしまえば必要なのは後のフォローとケア。
全ては無理でも健康さえ維持できれば選択肢がグンと増えるわ。
でも、そこも国を頼れないから組織立った活動は無理と考えていたわ。
まして原因不明の流行り病では誰もが躊躇するし怖いもの。
でも理性と理論で対抗する手本はインフィが見せてくれた。
今も瘴気や感染症が蔓延した地域があるはずで、公開した統計データがそこに届いて活用されるのは一通り手遅れになった後になるわ。
だから、まずあたしが動く。
医療に関して素人のあたしでもできる事は医療関係者を強引にでも引っ張って統計とデータを実証データとして理詰めで説明してボランティアを集める事。
拡散させて医療ボランティア団体の雛形を作る事まで。
まんま通じるとも思っていないし瘴気や感染症以外の傷病や問題はあるかもしれないけどまた一から統計を取ってデータ化すれば解決できるかもしれないしね。
土台からして医療にしろボランティアにしろ素人なんだから最初に押すだけよ?」
基本的に赤い十字方向に進めたいようですね。
「構想はおおむね理解しました。
質問がいくつかあります、いいですか?」
「基本は当たって砕けるつもりだから、穴は一杯あるとは思うけど、いいよ」
「一つは初期と団体化した場合の資金。
一つは現状の医療助手や看護担当者の扱い。
一つはボランティアが大型組織化したケースの有無と、ある場合の社会的立場と越境権限ですね」
「資金は、まあ、あたしにも多少の蓄えはあるし、暇な時に魔物を狩ってボランティアの活動費用くらいは稼ぐつもり。
ボランティア集めと平行してパトロン探しもするし…何処かの貴族がなるのが普通かな?
団体化しても同じでしょ?」
「貴族がボランティアのパトロンをするのですか?」
「目を付けた若い芸術家のパトロンについて、有名になったら俺が育てたって自慢するのが貴族ってもんよ?余裕のあるとこは外聞がいいからやるでしょ?
医療助手は医術師見習いで現状の看護担当者はパートのお手伝いさんが普通かな?
軍治療院とか貴族御用達だと召使いみたいな感じになったりするけど。
ボランティアが大型組織化したケースの代表格は討伐者組合でしょ、何百年も前らしいけど有志の魔物討伐ボランティアだったらしいよ?
討伐者組合クラスになると国際組織だからギルド員は比較的簡単に越境できるけど、普通は団体移動は厳しいね」
「ええと、コメントさせていただきます。
看護担当者は最低限の専門教育を施して、役職か肩書を付けて患者からの強制力がない形にした方が良いと思います。
今回の場合のように感染症とかですと危険ですし、医療従事者は『治す気のない患者は治せない』を貫かないと、もしかしたら患っている病気に致命的な飲酒・飲食・喫煙・薬剤投与等を要求されたり、勝手に飲んだりするかもしれません。
最低限の患者に対する権限として『放り出す』か感染症の疑いがある場合『隔離幽閉』の権限がないと、怒鳴ったり暴れたら自分の優先順位が上がると思う人もいます。
でないと本当に優先順位が高い患者さんに危険が及びます。
掲げる目標はギルド化にしておいて『国境無き医療ギルドを目指します』とか?
いずれも資金がかかりますが、貴族のパトロンは避けた方が良いと思います。
貴族の思惑で『あそこへは行くな』とか『こっちを優先しろ』とかは本意ではないですよね?
どうしてもというのであれば、一口いくらの基金という形にして可能な限り多国の…できれば国自体や商会でもいいです。
ただ、やっぱりそうなると現実的には複数の営業マンを雇うとかの必要があり、初期資金がかかります。
あと統計と実証データの存在自体はともかく、内容は必要資金が揃うまではボランティア内で秘匿した方が良いでしょうね」
「結構厳しい…。
でもあたしじゃ穴が見当たらない。
結局金なのね。
あ、データの秘匿は何で?インフィは公開したいんでしょ?」
「資金を集める交渉材料だからです。
別に頑張って死守する必要はありません。
盗みに来るなら盗ませればいいですし、教えを乞いに来るなら教えても良いのです。
そこまでするなら大事に利用してくれるでしょうし、ディアーナさん希望通りにいけば最新で最多数の実証データが蓄積するのはボランティア団なのは解るでしょうし、放っておいてもエクリア回りで公開するのですから。
最新データについても精査期間を設けて実際に精査すれば角も立ちません」
「あんたって娘は本っ当に…なんで見た目は美少女なのにそんなにスレてんの?」
「失礼ですよ?
相応の常識を色々知らないから先に質問したじゃないですか。
後は与えられた情報から考えてみただけです。
多分、穴も一杯ありますよ?
あ、もう一つ、ボランティアって完全無償ですか?交通費や食費は?謝礼は?」
わたしの中ではボランティアといっても給与に近い謝礼が出る場合もある事を知っています。
それに語彙はあっても定義は微妙な場合があって、英語圏で本来ボランティアは志願兵とか義勇兵の事で今もそれで通用するらしいのです。
「ボランティアは余裕のある人が無償で奉仕する事よ?
腐った教会みたいに半強制ボランティアみたいなのは別にして、裕福だったり余裕のある人は自分で用意した好きな食事をしたいでしょう?
あ、そうね…日にちがかかって略奪後の今の想定だと補給の問題があるから食量や日用消耗品はこちらで一括して用意しておかないとマズイよね?」
「それもありますが、それだけでもありません。
…教会にも何か含みがありそうですがそれも置いておきます。
危険で過酷な労働になりますし医術師は専門家ですが、まずそこを差し置いて魔化瘴気や感染症と公衆衛生についてこちらの教育を受けてもらう必要があります。
上から目線で施しのつもりの奉仕精神では受け入れ難いはずです。
自称治療魔術師の話、聞きましたよ?
純粋な奉仕精神でも医術専門家の目線からは『お前何様のつもりだ?』くらいは考えるのではないでしょうか?
現場でどさくさに紛れて押し通した王都の件とはケースが違います。
後、医術師とか治療魔術師とか治癒術師って違いは何ですか?
資格試験とかがあるのですか?」
「いや、自称だけど治療系の魔術が使えないのに自称して金取ったら詐欺で捕まるよ?」
「ディアーナさんも自称しませんけれど治療系使えますよね?
自称するのは積み重ねた経験や学び得た知識に自信や誇りあるからではないでしょうか?
普通に報酬を払う仕事としても難しい気がします」
「…うぅ…」
「…う?」
「うわぁぁぁーん…無ー理だぁ…」
「こんな所でわざとらしい嘘泣きやめて下さい」
ここは宿の食堂です。
「インフィに心を折られたぁぁぁ…」
「人聞きの悪い事いわないで下さい。
わたしは心を折るつもりはありません。
確認しただけです。
むしろ、わたしはここまで医療が杜撰な事に腹が立ってきました。
ファル姉様、ここまでのわたし達の会話にファル姉様の認識と大きな祖語はありましたか?」
「なかったと思いますよ」
「…三か月です。
ディアーナさん、馬車馬のように働いてください。
わたしが準備費用を含めて三か月はいくらでも資金的に支えます。
返済の必要もありません。
バーンも他人だけで乗せないなら好きに使って下さい。
リーフリールの森のとわたしの名を出さないならいくらでも人を使って下さい。
三か月で自律運営までの道筋を立てて下さい。
ボランティアの線は捨てた方がいいでしょう。
営利目的の研究団体がいいかもしれません。
資金を派手に使って受け入れ可能な近隣の全ての国に、病棟に併設して研究施設も建てましょう」
「それだと腐るのが早いよ?」
「どうせいつかは腐るのです。
機能さえ維持できればよしとしましょう。
それに、わたしが資金を出している間に甘い汁を吸わせて、腐り方の傾向を観察して対策した方が良いのではないですか?」
「捨て金まで許容するのね」
「お金で解決できる範囲なら手段は選ばなくても良いと思います。
団体の性格的に盗賊や暗殺者等の犯罪者の雇用は御勧めしませんが」
「何で医療団体の設立に盗賊だの暗殺者だのを雇う可能性を考慮したの?!」
「何でも規模を大きくすれば利権は絡みますし、邪魔する者はいると思うのですが?」
「…そうね」
「でも、三か月です。
三か月で軌道に乗らないなら、それがこの世の理と思うことにしましょう。
それでよければ『国境無き医療ギルド』を目指しますか?」
わたしも詳しい医療知識があるわけではありませんし、地球人類と強化因子の要素があるこの世の人類をイコールと考えるのも危険でしょう。
じっくり目と閉じて黙考していたディアーナさんの目が開きます。
「…こうなったら、馬車馬のように働いてやるわさ!」
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