侵入者
「なぁに?そのケース。」
家の主は午前中には、俺たちの大きさ以上ある透明なプラスチックのケースを2つ買っていた。
おそらくフィギアケースだろう。
高校2年生には痛い出費のはずだが大丈夫だろうか。
「ネット通販の有料会員で良かったよ。ちょっと狭いんだけど、これに昼から夕方まで入っていてくれるかい?
ちゃんとご飯は持ってくるからさ。」
狭いと言ってもフィギアケースは、入るには十分な大きさだ。
俺は黙ってフィギアケースに入る。
「あとこれ、声が出せないから2人で意思疎通したい時に使ってよ。もし誰か入ってきたら動かないように頑張ってね?」
家の主はそう言って、小さなホワイトボードを2人に渡してくれた。
「よし、これならもし部屋に入られたとしても、パッと見はフィギアに見えるだろう。」
家の主はどこか誇らしげだ。
「ただいまー。」
ちょうどそこで、聞き覚えのない女性の声が聞こえてきた。きっと家の主の母親だろう。
「来た来た、じゃぁ、ここに隠れていてくれ。」
家の主は玄関の方へと階段を降りていった。
フィギアケースは透明だから、部屋の中なら見えるし、声も聞こえる。
万が一の事を想定してか、部屋の扉も開けっ放しだ。俺は耳を澄ませて、階下の会話を聞く。
”そういえば、昨日の事、ミノルに話さないの?”
さっそくホワイトボードにキドラが書いてきた。
あれから半日が過ぎた、朝食は普通に頂いたが、家の主はその時不在だった。
”この問題が解決してから話すつもりだ。”
夕方までせいぜい5、6時間程度だろう、それまでの辛抱だ。
「はい、お土産。重かったわー。」
長期的に家を開けていたお詫びだろうか、家の主の母親は結構な量のお土産を持って帰ってきたようだ。
”ミノルのお母さんは何してる人なの?”
キドラはこの家の事を調べたわけじゃないから家族の事は詳しく知らない。
”テレビの制作スタッフとして世界中飛び回ってるらしい。父親はカメラマンだ。”
こういうのを職場結婚って言うらしい。
「あら?部屋が随分綺麗ね、掃除してくれたんだ。」
俺が半日掃除したからだろう。 正直細かい所までやり過ぎたかもしれない。
「そ、そうだよ。帰ってくるんだから綺麗にした方がいいと思って。」
家の主は焦ってるようだが、大丈夫だろうか。
焦ると思考能力が低下し、論理的かつ客観的な判断が出来なくなる。
「そう?いつも埃っぽいから帰ったら掃除しようと思ってたんだけど、必要無さそうだね。」
「そうだ、お土産って何買ってきたの?」
「マカデミアナッツチョコレート、Tシャツ、英文の漫画も買ってきたわ。」
母親は袋からお土産を出しながら、見せているらしい。 このラインナップはハワイだろうか。
「うん、ありがとう。後で自分の部屋に上げとくよ。」
家の主は母親から目を離さないようにしているらしい。
「あ、ミノル、お昼まだだよね?」
母親のほうが気軽に質問を投げかける。
「まだだけど…何で?」
家の主はやや困惑しているような口調だ。
「折角だから食べに行かない?」
俺とキドラとしては、そのほうが有り難い訳だが、家の主はどう答えるだろうか。
「2人で?」
「マコトも来るって言ってたわよ。後から合流するから、先に行っててって。」
”マコトって誰?”
”兄の名前だ、言ってなかったな。”
家の主の兄は”オチアイ マコト”と言う。 大学で研究をしているらしい。
「直接店に来るの?」
「ううん、一度お家に戻るって、流石に白衣は着替えるみたいね。」
兄は自分の部屋にしか行かないはずだし、ましてや弟の部屋なんて覗かないだろから大丈夫だろう。
と俺が考えていると、
「え!?家で食べようよ。」
と家の主は返してしまった。
やはり焦り過ぎだ。必要以上に2階に人を近づけまいとしている。
”ミノル、焦り過ぎじゃない?”
家の主の異変にキドラも気が付いたようだ。
”あれでは、逆に怪しまれてしまう。もっと冷静に応対して欲しいものだ”
「もう12時過ぎじゃない?」
昨日家の主は12時ピッタリに昼食を食べていた。いつもそうしているのだろう。
「じ、実は…そうだ!家で食べると思って、もう食材買ってきちゃったんだよね。」
”ミノルの料理って美味しいんだよ”
ほぼ一人暮らしのようなものだ、料理の腕も上がっているのだろう。
”今朝俺も食べただろ”
と俺が答えると、
”出来立てが美味しいんだよ!”
とキドラは走り書きをしてきた。
「そうなの?でもお寿司久しぶりに食べたいのよね、くま寿司で出前取っちゃいましょうよ!
ミノルの手料理は今度にしましょう。」
くま寿司と言えば近くの高級寿司屋だ。出前も受け付けている。
”お寿司っておいしいのかな?”
”日本食の代表だ。美味しいのだろう。”
インターネットで得た知識は、当是細かい感覚までは共有出来ない。その辺りは想像の範疇だ。
「う、うん。そうだね。」
”お兄さんのマコトって何してる人なの?”
”この近くの京北工業大学で研究をしているらしい。”
京北工業大学は残念ながら宇宙関係の分野が無い。
目的は京北大学の宇宙工学学科だ。
「じゃぁすぐ頼むよ。上3つでいい?」
「特上でお願い!マコトにもメールしとくね。」
足音から察するに家の主はわざわざ階段下まで移動しスマホで注文を取っているようだ。
さっきまでとは違い、かなり小声で話しているみたいで内容は聞き取れない。
「じゃぁオレ、お茶入れるよ。母さんは座って待ってて。」
家の主はあの手この手で母親を動かすまいとする。
「そう?気が利くわね。」
「ところで、仕事は?」
「今はハワイの旅行スポットを撮影中。予定してた取材が急に駄目になって仕事がちょっと空いたから、戻って来ちゃった。」
やはりハワイだったか。しかしハワイから日本まで戻ってくるとは、なかなかタフな母親だ。
「父さんは?」
「今日は別の現場、タイだっかな。ミノルは?最近どう?」
「どうって…夏休みを満喫してるけど。」
迷惑を掛け、本当に申し訳ない。
そういう意味でも出来るだけ早くおいとましたい。
「何かなかった?」
「別に…何も。」
家の主は素っ気なく応える。
「…そう。」
一見するとごく普通の家族の会話だがこれはひょっとすると…。
”今ちょっと渋い顔をしたけど、何かあったの?”
”いや、たいした事じゃない。”
考え過ぎだといいのだが。
ピンポーン
チャイムの音だ。先ほど家の主が頼んでいたお寿司だろう。
家の主はその配達員と話をしているようだ。
受け取るだけにしては、少し長いような気もする。
しばらく配達員とのやり取りに耳を澄ましていると、階段を登る音が聞こえてきた。
”母親だろう、動かない振りだ。”
俺は走り書きでそう書くと、キドラと一緒に
家の主の言うとおり、動かないようにする。
すると、部屋に見知らぬ女性が入ってきた。
「あら、大きなフィギア。」
これが家の主の母親か。
どうやら買ってきたお土産のTシャツと漫画を息子の部屋に持ってきたらしい。
「あれ、母さん!どこいるの!?」
配達員から宅配を受け取り終わったであろう家の主は母親の不在に気が付き、今日1番で焦りだした。
「2階よ?」
その瞬間に家の主が階段を駆け上がる音が聞こえてくる。
「か、勝手に入らないでよ…ほら!出て出て!」
家の主はこちらを一目確認する。
動いていないかどうかを確かめたかったのだろう。
「なによ、お土産持って来てあげたのに。」
母親が階段を降りていくのを確認すると、家の主はこっちに向かって、
「お昼すぐ持ってくるから待ってて。」
と小声で言ってから階下へと降りて行った。
”お寿司かな?”
”だと良いな。”
「そういえば、あのフィギアは何?」
男子高校生のクローゼットには普通大きなドラゴンのフィギアは似つかわしくない。
ましてや、母親だ。自分の息子の趣味はよく知っているだろう。
「あれね!今はまってるアニメの新キャラクターでさ。」
言い訳が少し苦しい。
「触らして貰っていい?気に入ったの。」
「駄目だよ!」
家の主は間髪入れずに否定する。
「そっか、大事にしてるんだ。」
なるほど、やっぱりそうか。考え過ぎでは無かったらしい。
”また変な顔した。やっぱり何かあったんでしょ?”
”後で話すよ。”
「ただいまーっす。」
また聞き覚えのない男性の声がして来た。
おそらく、家の主の兄だろう。
「あ、来た来た。」
「母さん久しぶり、特上寿司だから急いで帰ってきたわー。」
「じゃぁ皆で食べましょ。いただきます。」
「おー、特上はやっぱいいね。いただきまーす。」
兄は食卓に付くと直ぐに食べ始めたようだ。
「ほらほら、白衣ぐらい脱ぎなさい。」
”白衣でここまで来たのかな?”
研究者だし、白衣の時間の方が遥かに長いのだろう。
”ある意味、合理的なのかもしれないぞ。”
家の事を調べたと言っても、このような日常生活の事までは分かりようが無い。
「くま寿司うめー!」
兄は久し振りの特上寿司に興奮しているようだ。
”お腹空いたね。”
キドラがお腹を抑えながら、書いてきた。
”我慢しろ。”
「マコト、もう少し味わって食べなさい。せっかくの特上なんだから。」
母親はやや叱るような口調で言った。
「うぃーっす。」
「…変わってないじゃない。」
”ミノルが喋らなくなったね。”
”2人の動向を伺うのに精一杯なのだろう。寿司の味も碌に解ってないかもしれないぞ。”
「大学の研究どうなの?」
「んーいつも通り。」
”どんな研究してるの?”
”工学らしい。”
宇宙関係の知識もひょっとすると有るかもしれないが、望みは低いだろう。
「お、これ母さんのお土産?」
”もうマコトは食べ終わったのかな?10分くらいしか経ってないよね。”
”研究者の鑑だな。”
時間が無い状態が慢性的に続いていると、どんどん早食いになる。現に俺も早食いだ。
「着ちゃおーっと、どう?」
家の主の兄がお土産のTシャツを着て母親に見せているようだ。
少し、変わっている。
「似合ってるわ。」
「そ、そうだ。オレも着ちゃおう!」
家の主が慌てて付け足す。
”どうしたのかな?”
”2階に行く時機を見計らっていたのだろう。”
昼飯を持ってくると言っていた。
「マコトはともかく、ミノルは食べてる途中でしょ?」
「兄貴が着てるのを見て見せたくなったんだ、とにかく着てくる!」
家の主が階段を駆け上がる音が聞こえる。




