麦茶
キドラが寝た後も俺は起きていた。
どうすれば、地球から自分達の星、ツウラ星へ帰れるのか?。
最適な方法を考えていたし、何よりも”住人の様子を見る”ためにも起きていたかった。
この星の宇宙での座標は解る。
おそらく地球にある物質では、いくら俺の技術力で補完したとしても、
いっぺんに俺達の星まで戻るのは不可能だろう。
知り合いがいる星を経由しつつ必要な物質を補完して、
少しずつ戻っていくしかないだろう。
俺がそんな事を考えていると、隣の部屋の扉を開ける音が聞こえた。
俺は急いで布団で寝た振りをする。
この家の主が様子を伺うように部屋に入ってきた。
「また起こしにくるね。」
俺が寝た振りをしていると、家の主はこっそりと部屋を出て行く。
俺達に気を使っているらしい。
住人に関してはまだ、様子見だ。
あとは、宇宙船の部品をどうするか、だ。
廃材置場から拾ってくる?
強度が不安だ。
色んな場所から集める?
時間が掛かり過ぎる。
やはり宇宙船の部品がありそうな所から調達するのが堅実だろう。
あくまでも友好的に進めたい。
どうやって交渉する?
この国には日本宇宙探査機関、
通称、JASROっていう有名な宇宙開発機関がある。
京北大学、東応大学、慶京大学、丸川大学、東海道大学など、
宇宙工学学科があるがゆえにJASROと繋がりの深い大学は多い。
そことなんとかして繋がりたい。
ここから1番近いのは京北大学だ。
設計図は頭の中にある。部品と時間があれば後はなんとかなるだろう。
1番近くの知り合いがいる星は、ルグジャ星だ。
そこまで行けば、通信機も使えるはずだ。
まずは、そこまでなんとしてでも行く事が先決だ。
「おはよう、起きてる?」
ここの家の主が扉の前から聞いてくる。
「あぁ、起きてるよ。」
時刻は朝の9時、俺は一晩中起きていたが、キドラは夢の中だ。
「キドラ、起きて。」
俺はキドラを起こす。
「うーん、まだ眠い…。」
キドラは昨日と変わらない寝ぼけ眼だ。
俺は昨日家の主に借りたアニメのディスクを持ちながら、扉を開ける。
「このアニメのディスク返すよ。ありがとう。」
家の主に昨日借りたディスクを返却する。
「うん、面白かった?」
「とーっても!」
キドラは満面の笑顔でそう答える。
「朝ご飯作ったんだ。口に合うか解らないけど。」
家の主はそう俺達に言ってきた。
そういえば、昨夜から何も食べていない。
研究に没頭して食事を抜くなんてしょっちゅうだし気にしてなかったが、
キドラは、とたんに眠気など吹っ飛んだ顔で、
「どんなご飯なのー?」
と、尻尾を振りながら家の主に付いていく。
ちゃんと”しばらく様子見”って言ったこと覚えてるんだろうか。
俺はキドラを見守りたかったし、なにより家の主の動向を把握したかったので、
仕方なく付いて行く。
「階段があるんだけれど、降りれそう?」
家の主は踊り場で俺達を待っている。
身長70cmほどしかない俺たちには少し高すぎるが、
工夫をすれば、降りれない高さではない。
現に、昨晩は1人で上り下りしている。
「連れてってくれる?」
キドラは甘えた顔で聞き、
家の主におんぶして貰っていた。
「キドラ君、結構重いんだね。」
しかし、俺は自力で降りたいので、
黙って降り始める。
体を横にして、1歩ずつ降りていく。
こうしないと、尻尾が階段に引っかかるんだ。
1階の食卓には、3人分の和風な食事が用意されていた。
お茶碗によそわれた炊き立てのご飯、お椀には若布とお麩がたっぷり入ったお味噌汁。
納豆はそれ専用の小さな器に移されていて青ねぎが乗っている、鯵の開きには大根おろしが添えられて、
傍らには出し巻き卵と沢庵がある。
2つの椅子にはキドラと俺用にか、クッションが重ねてある。
家の主はそのまま何のクッションも置かれていない椅子に座った。
俺たちもそれに続く。
「キドラ、解っていると思うけど…。」
と制しかけたら、
「解ってる!美味しそう!いただきまーす!」
とむしゃむしゃ食べ始めた。
俺は食うなよという意味で”言うまでも無い”と言ったんだが、
キドラには通じなかったんだろうか。
しょうがない奴だ。
「はい、召し上がれ。」
家の主はそう言ってからやはり”いただきます”と食べ始めた。
俺は安全かどうか確証が持てない以上、まだ食べるわけには行かない。
「ジニア君は食べないの?」
家の主が箸を付けようとしない俺にそう促してきた。
「すまないが今はお腹が一杯だ、君の気持ちだけ受け取っておくよ、ありがとう。」
「その”君”っての止めてくれよ。オレには”オチアイ ミノル”って名前があるんだ。”ミノル”でいいよ。」
「ミノルー!ありがとう!出し巻き卵おいしいよ!」
キドラが食べながらそう答える。
家の主は、
「君達、そんな言葉いつ覚えたの?」
と、感心してから、
「ねぇジニア君とキドラ君、”一方通行の転送装置に入ってしまい”って言ってたけど、
帰れるあてはあるのかい?」
と、心配そうに聞いてきた。
「あてが無いことも無い。…しかし時間が必要だ。
すまないが、それまでは君の家に置かせてほしい。何でもする。」
「良いよ。もし君達に手伝えそうな事があったら頼むよ。」
家の主が意外にあっさりと了承したので、俺は少しだけびっくりした。
「ジニアーこれ美味しいよ!」
今の所は、キドラにも特に異変は無いようだ。
そんなジニアを見て家の主も安堵の表情を浮かべている。
「そうだなぁとりあえず、食べ終わったら、食器を洗うのを手伝って貰おうかな。」
台所の水回りはすでに綺麗に片付いていた。
料理に使ったものは俺達が起きる前に片付けたのだろう。
「ごちそうさま!」
キドラは米粒1つ残さず、綺麗に食べきっていた。
「これ、食べれないならどうする?取っておく?」
家の主は、俺が手を付けなかった朝食を見てそう聞いた。
「取っておいてくれ、そのうち食べるよ。」
俺がそう答えると、家の主は蝿帳を朝食に被せた。
「じゃぁ、2人の食器洗いは俺がやろう。」
家の主の善悪を見定めるためにも、出来るだけ側に居たい。
「ジニアの隣で見てていい?」
キドラは相変わらず好奇心の塊みたいな奴だ。
「なんともないか?」
俺は小声でキドラに聞く。
するとキドラはとぼけた顔で、
「え、なにが?」
と言った。
…もういいや。
「使い方解るかい?」
家の主は俺に聞いてきた。
「ジニアはなーんでも出来るんだよー!」
もちろんだ。この星の事でも、もうなんでも出来る。
まず、流し台に立とう。
俺は思いっきり背伸びする。
駄目だ、届かない。
人間用の流し台は俺にとっては大き過ぎる。
そうだ、椅子をここに持って来よう。
ズズズ
椅子が鈍い音を立てる。
「手伝おうか?」
苦戦している俺を見て家の主が心配そうに聞いてくる。
「だ、大丈夫だ。」
よし、流し台まで椅子を持って来れた。
次は、食器をお盆に乗せるんだ。
俺は机の上に足を乗せることの無いように、
身体と手を精一杯伸ばしながら食器をお盆に乗せていく。
キドラが俺を不思議そうに見ているが、心配はいらない。
1歩ずつは前に進んでる。
よし、食器をお盆に乗せられた。
あとはこれを背伸びして流し台の上に乗せれば良い。
ふう、ようやく洗う準備が出来た。
俺は椅子の上に乗る。
あとは手を伸ばして蛇口から水を出そう。
駄目だ、前にかがんだらきっと流し台に落ちる。
流し台は大きく下に窪んでいるから、さっきの机の様に胴体を付ける事が出来ない。
一体どうしたらいいのだろうか。
「も、もういいよ。ありがとう。後はオレがやる。」
俺がそうして困っていると、家の主が見かねて俺を静止した。
すると、キドラが小声で、
「ジニアにも出来ない事があるんだね。」
と言ってきた。
何だか、凄く屈辱的だ。
「ねーテレビ見ていい?」
台所にはテレビが備え付けられているので、
キドラはテレビを見つけるなり家の主にそう聞く。
「いいよ。」
家の主は俺がやり掛けた洗い物をやりながら返答する。
キドラはすっかりここの家の主と親しげだ。
「わーい。」
少しは遠慮、ってものをすればいいのに。
ましてやここは未知の星だ。
「次のニュースです。
JASROの種子島センター所長でもあるコウデラ ツヨシ氏が本日未明、
小惑星探査機”イヌワシ”に関する詳しい情報をマスコミ向けの記者会見で発表致しました。」
コウデラ ツヨシ。
昨晩から注目していた人物だ。
この人と繋がりさえすれば、何とかなるかもしれない。
「アニメやってないのー?」
キドラはそんなニュースには興味が無いのか、
忙しなくチャンネルを回す。
ファイトバトラー 利人!
丁度トレーディングカードゲームを題材としたアニメが始まっていた。
通称”バトリ”。”ファイト”と”バトル”はどちらも戦うという意味だが、
子ども向けのアニメだからいいのだろう。
利人というありえそうに無い名前もリードから来ていると言う事も推測できる。
「わーい!これにしよっ!」
俺は皿を洗い続ける家の主を見る。
”手伝う”とは言ったものの俺に出来る事は少ない。
そうだ、家の掃除なら出来るんじゃないか?
でも家の主の側に居たいし、工夫が必要だ。
「お、2人でアニメ見るの?」
皿を洗い終わった家の主が手拭いで濡れた手を拭きながら俺とキドラに聞いてきた。
「うん!」
トレーディングカードから何故か出てきてしまった喋れる怪物と相棒になってカード大会での優勝を目指す。
この星での子ども向きのストーリーだが、こんなのでも一応未知の星での新しい文化だし、キドラには新鮮で面白いんだろう。
1話目で主要な登場人物はカードから出て来た未知の怪物をあっさり受け入れている。
こんな風に未知の怪物でも用意に受け入れてくれる星だったら…。
いけない、いけない。
理系としてあり得ない想像を持ち出しちゃお終いだ。
「この家の掃除だったら出来ると思う。手伝ってもいいか?」
少し、気分転換をしよう。
勿論、常に家の主が目に入る範囲には居るようにするつもりだ。
「うん、そうだね。でもアニメ見てからでもいいよ。」
「俺は君を手伝いたいんだよ。」
という事にしておこう。
「それなら、オレの部屋以外は結構ホコリが溜まってきてるし、頼めるかい?」
「了解した。掃除用具はどこだ?」
この家の事は昨晩あらかた調べているから場所はもう知っているが、
家の主は何も聞かずに取りに行ったら怪しむだろう。
「玄関の側の収納スペースだよ。」
俺は家の主を横目で見ながら、玄関へと向かう。
家の主は、キドラと一緒にさっきのアニメを見始めた。
「たまには、こんな子ども向けのアニメもいいね。」
俺がこうして見ている事なんて恐らく気が付いて無いだろう。
玄関の収納棚には掃除機と雑巾がある。
俺はまずそこから掃除機を取り出す。
これが終わったら雑巾掛けをしよう。
各々の部屋は昨日の晩見た通り、カーテンが閉め切られている。
しばらく部屋は使った様子が無く、1人で開け閉めするのがおっくうなのだろう。
幸いにもこの事で、外からは俺たちの姿は見えない。
台所兼居間のカーテンは閉められてはいないが、窓の外は庭で、その先は隣の家との境目である塀がある。
俺は部屋の扉を開けっぱなしにして、掃除をする。
幸運な事にこの家の台所は丁度家の真ん中にあるため、
こうしていれば、家の主の様子が見れるというわけだ。
掃除機は持ち手とヘッドを繋ぐ長い管を外して使う。
こうしないと長すぎて持ちにくいんだ。
台所には家の主の父親と母親の寝室が
隣接している。
やはり長い間使われていない部屋だから、
寝具の下まで掃除するのが普通であろう。
俺は全力で寝具を押す。
身長70cmくらい、体重40kgほどしかない俺にとっては、
かなりきつい。
全力で押しているのに、少しずつしか動かない。
寝具の下を掃除したら、また元通りに寝具を戻す。
そんな感じで体を動かしていたら、汗をかいてきた。
空腹はさほど感じないが、喉は渇く。
水分を取りたいが、安全性の為には、器は出来れば使いたくは無い。
ここの家の主が飲んだ物をそのまま飲むのが一番確実な方法だ。
しかし、そんな状況があるのだろうか。
俺がそんな事を考えていると、
ここの家の主が冷蔵庫からペットボトルを取り出した。
この国で麦茶と呼ばれる飲料だ。
ペットボトルを取り出すと、家の主は再びキドラの近くまで戻り、
麦茶を飲みだした。
「…。」
キドラは、さっきまでアニメに釘付けだったのに、
今度はその家の主が飲む未知の飲料に興味津々なようだ。
「飲むかい?」
「うん!」
そのままキドラは家の主が飲んでいたペットボトルに口を付ける。
「おいしー!ジニアも飲む?」
キドラは俺に近づいてそのペットボトルを差し出してきた。
キドラはキドラで昨晩から飲まず食わずの俺を心配しているのだろうか。
それか、ただ単に飲ませたいのか。
「ありがとう、貰うよ。」
これなら飲んでも問題ないだろう。
「もう1本あるよ。キドラ君、飲むでしょ?」
「のむー!」
家の主はもう1本ペットボトルを冷蔵庫から取り出した。
「なぁ君、2階も掃除するから手伝ってくれ。
掃除用具だけ2階に上げて欲しいんだ。」
「1人じゃ心配かい?良いよ、手伝ってあげる。」
この家の情報から察するにどうやら家の主は高校2年生で、16歳らしい。
俺たちの方が年上なはずだが、
体の小さな俺達を家の主はやや子ども扱いしているから、
特に疑問など抱かないだろう。
「帰りも頼みたいからしばらくそこにいてくれ。」
「解った。」
俺が廊下を掃除していると、俺達が昨日壊してしまった、
フィギアが目に入る。
「そうだ、これの事だが…」
「あ、それ、どうしようか?」
俺は昨日、この事についてはっきりと謝罪を述べていないことを思い出す。
「もう一度侘びを言わせてくれ、昨日は本当にすまなかった。」
「もういいよ、事故だったんだからしょうがない。」
家の主はもうフィギアの事などもうどうでも良くなっているようだ。
「これは必ず元通りにして返す。だから預からせてくれ。」
「…うん。元通りになったら嬉しいな、そうしてくれる?」
一瞬間を置いて、家の主はそう答えた。
「すまない。」
俺は潰れたダンボールを家の主の兄の部屋に運ぶと、
掃除を再開する。
そんな俺を家の主は踊り場で見ていた。
相変わらず、階段というものは俺にはとても使い難い。
さっきの流し台もこの階段もそうだが、体長によって使用が難しくなるような物が主流なのは、
やはりこの地球が異星間交流を行っていないからだろう。
俺は改めてこの地球からルグジャ星へ行く事の難しさを噛みしめる。
”急いては事を仕損じる”とはこの国の言葉だが、
ここの住人が信用に置ける奴だと解るまで、
確実に慎重に事を運ばなくてはならない。
俺は雑巾を絞りながら、
相変わらずこの家の主から気を逸らす事は無かった。




